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空気予備校  作者: 不の夷
2/2

机の上

 学院長は書類を引き出しの中に入れたりはしない。机の左横のほうに、そろえて積み重ねている。その上に広辞苑を置いておく。

「こうしておくならば、紛失することはあり得ないでしょう」

 几帳面なのかそうでないのか、よくは分からない。しかし、いかにも学院長のやることという気はする。


 この学院は、大学入学資格検定の予備校で、随時入学である。

 入学金を振り込みにするのでなく、持参にする父兄も少なくはない。それは、百万を超えるような金額になる。当然に、塾長が対応して、さすがに鍵の付いた引き出しの中に仕舞う。

 ただ、その鍵は、直ぐ下の引き出しの中に入っている。

「では、明日から先生達と一緒に、頑張りましょうね」

「はい、この子を、どうぞ宜しく、お願いいたします」

 父兄と生徒を、にこやかに送り出して、塾長は自分の机に戻った。

 しかし、それから塾長の顔色が変わってしまった。しばらくは引き出しを開けたり締めたりしていたが、そのうちにスマホを手にして、空き教室に籠もってしまった。

 その様子を、講師たちは横目で、じっと見ていた。


 五時半に終礼になる。朝礼もあるが、これは終礼である。

 みんなで起立して文字通り礼をした後に、また椅子に座る。

 学院長は語り出した。

「みなさん、驚いたことに、この学院で入学金の盗難がありました」

 これには、講師たちも、さすがに驚いてしまった。

「本部に電話して、相談をさせてもらったところ、やはり鍵のありかを知っている人たちに尋ねてみる必要があるだろうというでした」

 今度は、講師たちが顔を見合わせる番だった。

「これから、お配りするのは、私の携帯電話の番号です」

 それは職員名簿で分かっていることだと、みんなが思った。


 そう言えば、こんなことがあった。

 講師の一人が、自転車で通勤途中に車に接触される事故があった。その講師は電話で学院長に報告したのだが、学院長が朝礼で説明したときには、

「車で接触事故を起こしたようです」

 と、加害者扱いになっていた。

「お気づきの点を…」

 学院長はそこで言葉を切ってから、

「関わっている人は、ぜひ帰宅してから電話をしてください」

 と言った。

 その日は金曜日だった。

 翌日は土曜日で授業はない。交代で講師が一人だけ出勤する。その土曜出勤になっている講師は、ああ自分だ。これは何か起こるかもしれないと、思わざるを得なかった。


 さて、翌日。

 その講師は、できるだけ学院長の机のほうは見ないようにしていた。

 しかし、そうすると逆にそちらのほうが気になってしまうというのが、よくあることだ。

 講師は立ち上がったついでに、ふと机の書類の山を見てしまったのである。重なった書類に妙な隙間ができている。

 横から覗いたら、膨らんだ封筒がちゃんとあるではないか。

 何のことはない。学院長はいつもの癖で入学金を机の上に置いたのだ。やはり見えないようにという意識はあって、書類の間にしたのだろう。

 見てはいけないものを見てしまった。講師は後悔したが、もう遅かった。

 後はどうするか。知らないふりをしているのが、いいに決まっている。

 しかし、時間が経つうちに、

「このままにしておいては、ほんとうに紛失してしまいかねない」

 そんな思いが強くなってしまった。まあ、ありましたよと言うだけだから。

 講師は電話をした。

 学院長はすぐに出た。

「ああ、君だったのか」

「いえ、入学金は学院長の机の上に…」

「いや、いいんだ、いいんだ。正直に名乗り出てくれれば、それでいいんだよ」

「いえ、ちがいま…」

「いいんだ、いいんだ」

「いえ…」

 講師の声は虚しかった。 

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