第八話
師匠、私はようやく理解しました。
写真を机に立て、フレアは部屋を飛び出した。
今の生活を続ける方法は一つしかない。
師匠の目的。
それはまさにスリルそのもの。
監獄生活なんかより、ずっと面白いだろう。
フレアは廊下を全力で駆け抜ける。
「よお、フレア! そんなに急いでどうした……」
友人の声はフレアの耳には入らなかった。
途中でぶつかった気もしたが、正直どうでもよかった。
師匠の教室の前に辿り着く。
いつも切らしていた息が、今日は整っていた。
魔物室で授業を受ける生徒たちから視線を浴びる。
意に介さず、フレアは鍵の閉まったドアを「錠破りの呪文<クラックス>」で開いた。
「おい君! そこは勝手に入っちゃだめだよ!
それに、さっきの呪文は使っちゃだめなはずだぞ!」
教室から先生が出てくる。
フレアは急いで中に入り、棚を倒して入口を塞いだ。
「師匠! 昨日の話、のります。やりましょう」
師匠は机に突っ伏して眠っていた。
「え!? 起きてくださいよ!」
揺すり起こされ、師匠は眠り眼をこすりながらフレアを見る。
「まだ昼だぞ。夜まで待てなかったのか?」
反応は鈍い。
「ちゃんと聞いて下さいよ! 反乱! 手伝いますって!」
ぼんやりしていた師匠の顔が曇った。
ようやく状況を理解したようだった。
外から人の声がいくつも聞こえる。
ドアを破られるのも時間の問題だ。
「フレア、その話は昨日しっかり済ませるべきだったな。
私の目的は学園への反乱だ。だが、今は違う」
「フレア、君との時間は他の誰と過ごすより……その、楽しかった。
今の目的は、この生活を守ることだ」
師匠は机に杖を置いた。
硬直するフレアを見て、師匠は申し訳なさそうな顔をする。
「すまなかった。君をそこまで追い詰めて。
本当は、そんなことしたくないんだろ?」
歩み寄ってくる師匠を見て、フレアは後退る。
ドアを叩く音が、次第に勢いを増していく。
「外が騒がしいな……一体何を……
まさか、フレア、君か?」
フレアは後ずさった足を一歩、二歩と前に出し、師匠の目の前に立った。
「師匠、私も今の生活を続けたいです。
でも、もう無理なんです」
フレアの目にあった光は、もうなかった。
「龍炎<ドラゴンブレス>!」
外にいた龍族魔術の先生が、ドアと棚を炎で吹き飛ばす。
焼けたドアが反対の壁にぶつかり、火の粉を上げた。
「フレアさん! 大丈夫で――」
「五月蝿い!」
フレアの叫びと同時に、先生たちの動きが止まる。
無詠唱で「フリーズ」を発動した。
「もういいです。師匠がやらないなら、私だけでやる」
止まったままの先生たちを退かし、フレアは教室を出た。
「待て! フレア!」
師匠の声は、廊下の喧騒に掻き消された。
⸻
「大爆炎<ドイェル>」
野次馬生徒たちの前に巨大な火球が生み出される。
「灰への帰還<ビーダ>!」
火球は浮かび上がり、巨大な爆発を起こした。
天井に大きな穴が空く。
逃げ遅れた生徒たちは大火傷に苦しむ。
恐らく、死んだ者もいただろう。
「飛翔<フワリル>」
フレアは宙を舞い、別の教室へ向かう。
「話を聞けフレア! クソッ、やむを得まい……」
一つ、また一つと魔術を放つフレアに、師匠は魔術を返す。
床を這うように現れた魔術が、黒い茨となって進行方向を塞いだ。
「なんで邪魔するんですか!
それとも、師匠も遊びたいんですか!?」
歪んだ笑みを浮かべる。
「追従魔弾<リジュマギク>!」
五発の魔弾が不規則に師匠を追う。
命中し、粉塵が舞った。
煙幕を裂き、蒼い魔剣が飛び出す。
防御魔法で防がれる。
「やはり、お前は視野が狭いな」
頭上から師匠の声。
「ッ!」
次の魔術は間に合わなかった。
ふん、と拳がフレアの顔面を打ち抜く。
ほとんど物理の一撃だった。
「いったいな……だが、たまにはこういうのもいい。
面白いだろ? 自由落下を使った右フックだ」
まだやるか?
見下ろす師匠に、フレアは鼻血を拭い笑う。
「もちろん!」
⸻
飛翔を再度掛け直し、師匠と距離を離す。
「前は浮いてるのでやっとじゃなかったか? 随分成長したな」
ニヤリと笑い、「瞬間移動<ブリンク>」でフレアの前に姿を現す。
無数の魔法陣が、フレアの視界いっぱいに作り出された。
「さあ! 全部避けてみろ! フレア!」
追尾する光線がフレアを追う。
縦横無尽に飛び回り、魔術の効果が切れるのを待った。
数秒後、光線は輝く軌跡を残して消える。
「炎の飛沫<フリユリヤ>!」
杖の先からバウンドする火球を放つ。
跳ねるたびに炎を撒き散らし、学園に火を放った。
フレアの攻撃を軽くいなし、師匠は黒い茨でフレアの足を縛りつける。
地に引き摺り込むように、空を飛ぶフレアを地面に叩き落とした。
「フリーズ」
師匠の声が、脳に直接響く。
⸻
強い。
何度手合わせをしたか、もう覚えてはいない。
ただ確かなことが一つある。
フレアは、師匠に勝てない。
毎度変わる戦法。
異次元の火力で放たれる魔術の数々。
笑えるほどに、勝ち筋が見えなかった。
「理解したか?
君じゃあ私に勝てない」
「反乱のことはもう忘れろ。
これからは二人で隠れ住もう」
「誰にも邪魔されない場所で」
今までの師匠とは、別人のようだった。
温かい。
炎に包まれた廊下の中で、二人は目を見つめ合う。
フリーズが解かれ、フレアの体に自由が戻った。
「どうだ? 話を聞いて――」
言いかけた、その肩に。
紫色をした魔力の矢が突き刺さった。
⸻
「命中。標的はおそらく異端術師と、ここの生徒だな」
「了解。俺はチビを相手する。
お前は“厄災”の方を頼む」
深い紫のマントにフード。
魔法省の精鋭だった。
「ブリンク!」
フレアは、弓を射った男の真上に瞬間移動する。
「近接魔力斬撃<抜刀>!」
居合の構えから、身を捻り回転を加えた斬撃。
男は防御魔法を腕に集中させ、刀を受け止めた。
「ずいぶん早いな。本当に学生か?」
腕を払い、フレアを押し返そうとする。
その瞬間。
男の腕が、宙を舞った。
「何だ……この……出力……」
男は気づかなかった。
自分の首が、もう無いことに。
二発目の斬撃が、正確に首を刎ねた。
「もう一人は!?」
フレアは、師匠の方を見る。
「じゃあな、魔女もどき」
二人目の男の膝が、フレアの顔面に直撃する。
衝撃で、大きく後方へ吹き飛ばされた。
⸻
頭がくらくらする。
「頭をかち割るつもりでやったんだが、よく防いだ。
いい反射神経をしている」
男は紫色の魔力を纏った直剣を抜く。
フリントの時と同じだ。
「いやなものを思い出させないでください。
もういいから、さっさと……」
瞬間移動で、男の背後を取る。
「死ね!」
腕に炎の杭を形成し、打ち込んだ。
「爆裂杭<パイル・バンカー>!」
低い姿勢から放たれた一撃は、男を消し炭にし、
学園の天井に大穴を開けた。
外は雨だった。
冷たい雫が、フレアの頬を伝う。
「師匠!」
辺りを見渡し、師匠を探す。
あの人は極端に打たれ弱い。このまま放置するのはまずい。
⸻
回復魔法を準備しながら、倒壊しかけの廊下を走る。
「師匠! やっと見つけました!」
うつ伏せで倒れる師匠。
「待っててくださいね。今回復します」
地面に手をつき、魔法陣を形成する。
ビチャっと、何かに触れた。
両手が、赤く染まっていた。
「師……匠……?」
体を起こす。
胸は、大きく切り裂かれていた。
半開きの口から血を吐き、虚ろな目。
音が聞こえない。
まるで、時間が止まったかのようだった。
「師匠……?
なんとか……言ってくださいよ……」
炎は勢いを増す。
瓦礫が肩に落ちる。
涙が、止まらない。
「わた……私のせいで……」
⸻
天井が崩壊する。
降り注ぐ瓦礫に、フレアは気づかなかった。
「防御魔法<ドーム>……」
掠れ声で詠唱する。
瓦礫を防ぎ切ったとき、
師匠の腕は、力なく倒れた。
もう、動かない。
亡骸を抱き抱え、フレアは咽び泣く。
誰にも届かない、悲痛な叫び。
⸻
遠くから足音。
「生存者を発見! 一名死亡、もう一人は――
待て、この死体……まさか、“厄災”じゃないか?」
男が後退る。
「つまり、こいつも……拘束しろ!」
無抵抗のまま、地面に押さえつけられる。
師匠の亡骸に触れようとした男を見て、
フレアは叫んだ。
「触るな!
私の! 私のだ!」
「このガキ!」
頭を殴られ、意識が途切れる。
⸻
目を覚ますと、見知らぬ部屋だった。
正面には、軍服を着た女。
机を挟んで座っている。
「目が覚めたか。
私はアリシア・ドーレ。君の聴取を担当する者だ」
「率直に聞こう。
君はなぜ、こんなことをしたんだ?」
ボサボサの髪。
涙の跡が残る目元。
フレアは下を向いたまま、黙っていた。
数瞬の沈黙。
やがて、顔を上げる。
その顔には――
ニヤリとした笑み。
「そんなことより、私から一つ質問がある」
「君は、この世が好きかい?」




