『杖の勇者ジージー』第8話 軍隊アリ襲撃! ― 砂漠の底は生きている
砂漠の朝。
昨日よりも、さらに静かだった。
ジージーは寝起きの身体を起こし、無意識に耳を澄ませた。
風の音。
砂粒がこすれる音。
遠くでラクダが鼻を鳴らす低いうなり。
――そして。
何か、小さく“ざわ”っとした音。
(……なんだ、この音)
テントの外に出ると、セルグレンはもう武器の点検をしていた。
今日も、異様に早い。
「おはよう、小娘。なんだその顔」
「……なんか、音が聞こえる気がする」
「気のせいならいいがな」
セルグレンは空をちらりと見上げた。
「今日は風が弱い。そういう日は“音”で色々わかる」
「色々?」
「生き物の気配、砂の下の空洞、地熱……
それと――“群れ”の足音」
ジージーは一瞬、息をのんだ。
(群れ……?)
◆ ◆ ◆
朝食の席でも、どこか空気が違った。
モハンの作るスープの香りはいつもと同じなのに、皆の動きが少しだけ早い。
無駄がなく、静かで、どこか緊張が漂っている。
リースが低い声で言った。
「……ジージー、昨日の蟻の列、見たろ?」
「うん」
「今日もっと増える。たぶん“来る”」
サルーシャも顔をしかめた。
「蟻って……そんなに危ないの?」
「普通の蟻ならね。ただの害虫。でも“軍隊アリ”は別。
あれはね、砂漠で生き物を一番殺してる“無数の刃”よ」
(刃……?)
イメージが追いつかない。
(蟻が刃……?)
でも、サルーシャの声は震えていなかった。
これはすでに“慣れた恐怖”なのだろう。
「隊長は?」
「もう偵察に出てる。セルがついてった」
「隊長は何でも先に動くのよ」
サルーシャがため息をついた後、ジージーの手を握った。
「怖がらなくていい。ただ、離れないこと。
軍隊アリの恐ろしさは“数”なの。
一匹はなんてことない。でも千匹は? 万匹は?」
ジージーはごくりと唾を飲んだ。
(……想像できない)
◆ ◆ ◆
「戻った」
数分後、エイリアスとセルグレンが戻ってきた。
エイリアスの顔は冷静だが、目だけが鋭く光っていた。
「全員、聞け」
その声が響いた瞬間、隊の動きが一斉に止まる。
「“南東”に軍隊アリ確認。規模は……そこそこデカい」
「そこそこって……隊長、どれくらい?」
リースが問うと、エイリアスは淡々と答えた。
「この隊がやる気出せば、ギリギリ間に合うくらい」
全員の顔がわずかに強張った。
「撤収準備。でも戦える準備も同時に」
「どっちつかずだな」
「どっちにつくかは奴らのルート次第だ」
セルグレンがジージーに近づいてきた。
「小娘。今日は“つかまってろ”。離れたら死ぬ」
「……わかった」
◆ ◆ ◆
その時だった。
地面の下から、微かな振動。
最初は虫が這っている程度。
だが、数秒ごとに増えていく。
ざ……ざざ……ざざざざざ……
ジージーは反射的に足を止めた。
(……これか)
砂の下で、何かが“集まり”、“寄せ合い”、“ぶつかり合っている”。
音は小さいのに、量が多すぎて、反響している。
「来たな」
エイリアスの声は低く、冷たかった。
「全員、配置につけ。絶対に“横”に広がるな。
横に広がると包囲される。縦に並べ」
隊は迷いなく動いた。
長年の経験があるかのように、縦へ縦へと陣形を作る。
「ジージー」
エイリアスが振り返り、ジージーの肩を押す。
「お前は最後尾。サルーシャと一緒にいろ」
「はい」
◆ ◆ ◆
――そして、砂が“爆ぜた”。
まるで地面が破裂したように、砂が一斉に盛り上がる。
「出るぞ、構えろ!」
エイリアスの叫びと同時に、黒い波が地面から溢れた。
蟻――。
だが、ジージーの知っている蟻ではなかった。
一匹一匹は小さくても、密度が異常。
黒い粒が“絨毯”になり、砂の上を覆っていく。
「うわ……なに、これ……!」
「近づくな!! 踏むな!! 噛みつかれるぞ!!」
リースが叫ぶ。
蟻たちは流れるように走り、隊の足元めがけて一直線に突っ込んでくる。
「火線!!」
エイリアスが手を上げると、前衛の数名が火炎瓶を取り出した。
ぶん、と振りかぶった瞬間――
「投げろ!!」
火が走る。
ぱあああっ!!
砂の上に火の帯が生まれ、その向こうで軍隊アリが一瞬怯むように蠢いた。
「よし、第一列後退!! 第二列前へ!!」
隊の動きは見事だった。
まるで“何度もやってきた動き”だ。
◆ ◆ ◆
だが――蟻の量は減らない。
黒い波が、火を迂回して左右から迫る。
「囲まれる!! 下がれ!!」
セルグレンが叫び、隊が後ろに下がる。
ジージーもサルーシャに腕を引かれながら走った。
「ジージー! 足の裏見ろ!! 踏むな!!」
「わかってる!」
必死に砂を読みながら走る。
昨日覚えたばかりの“砂渡り”の感覚が、無意識に身体に出る。
足の下に固い層――そこを選んで走る。
(負けたくない。死にたくない。みんなを……守りたい!)
◆ ◆ ◆
「隊長!! 右側の火が消える!!」
「左に寄れ! 縦を維持しろ!!」
蟻はほんのわずかの隙間を突いてくる。
エイリアスは瞬時に進路を読み、仲間の位置を把握し、指示を飛ばす。
(……すごい)
ジージーは思った。
砂漠の生き物、隊の動き、地形、風、火の残り。
すべてを一瞬で判断し続けている――。
(これが……リーダーなんだ)
◆ ◆ ◆
しかし――蟻の波は止まらない。
黒い線が一気に“ジージーたちの方向”へ。
「来る!!」
ジージーは咄嗟に足を踏み替えた。
――その瞬間。
サルーシャの足が小さな石に引っかかり、体勢を崩した。
「きゃっ……!」
「サルーシャ!!」
黒い波が、一気に広がる。
サルーシャの足首を狙って、数百匹が一斉に――。
(間に合え!!)
ジージーの身体が勝手に動いた。
自分でも驚くほど速い。
砂の層を的確に踏み、前へ、前へ。
伸ばした手が、サルーシャの腕を掴む。
「起きて!!」
そのまま引き寄せ、蟻の波の届かない位置へ転がり込んだ。
蟻がすぐ横を通り抜け、砂に穴を開けて走っていく。
……セーフ。
「ジージー……!?」
「立てる!? 早く!!」
「う、うん!!」
サルーシャが立ち上がるのを見届け、ジージーは息を切らす。
腕も足も震えていたが――
胸の奥で熱い何かが燃えたままだった。
(守れた……!)
◆ ◆ ◆
「隊長!! 蟻の動きが重くなってきてる!」
リースの声。
エイリアスが指を鳴らした。
「“引き潮”に入ったな。
全員そのまま数十歩下がれ!」
蟻の波が、少しだけ薄くなり始める。
黒い絨毯が“方向転換”を始めたのだ。
「よくあること?」ジージーが問う。
「いや、珍しい」セルグレンが答える。「いつもより早い」
その時、エイリアスが目を細めた。
「……群れの本体が別の獲物を見つけたんだろうな」
「別の……?」
「いい。今は逃げる方が先だ」
エイリアスが再び手を挙げた。
「全員! 撤退!! 縦を崩すな!!」
サンドイーグル隊が一斉に走り出す。
砂の上に残った蟻の跡は、黒い波形を描き、遠くへと伸びていった。
◆ ◆ ◆
安全地帯まで後退したところで、ようやく皆が息を吐いた。
「……はぁ……はぁ……」
「死ぬかと思った……」
「俺もだ……」
「蟻ってあんな速いのかよ……」
隊員たちは肩で息をしながら、それでも笑っていた。
エイリアスがふっとジージーを見た。
「――ジージー」
「はい……」
「お前、今日ひとり救ったな」
「……!」
顔が熱くなる。
「だが」
エイリアスは近づき、ジージーの額を軽く指で弾いた。
「次からは“助けた後”も周囲を見ろ。
助けて満足して、そっから死ぬ奴はいっぱいいる」
「っ……気をつける」
「気をつけろ。
お前、いい動きしてた。砂の上の素人じゃない。
……これからもっと伸びる」
その一言が、ジージーの胸に深く刻まれた。
(もっと……強くなりたい)
ただ生きるためじゃない。
(みんなを守れるように――)
◆ ◆ ◆
「よーし! 生き残ったんだから祝杯だ!!」
リースが叫ぶと、隊から歓声が上がった。
「まだ昼だぞ!!」
「いいんだよ、昼でも!!」
「水で乾杯するの!」
わいわい騒ぐ声に、ジージーも思わず笑い出した。
(……生きてる)
砂漠の恐怖を知って、
それでも笑える仲間がいる。
(ここが……あたしの場所なんだ)
そう思えた夜だった。
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