裏切りの砦 ― 黄砂は背後から
いよいよカロル砦戦です。
砂漠の連合軍が初めて「正面から国」とぶつかる日。
そして同時に――
黄砂旅団の裏切りによって、サンドイーグル隊の運命が大きく傾き始める日でもあります。
ジージーにとっては、
「止めるために戦いたい」という願いが、
戦場の現実に引き裂かれていく最初の大きな戦いです。
少し重い回になりますが、どうかお付き合いください。
◆ 石壁の向こうに見えるもの
カロル砦は、思っていたより“完成に近かった”。
ジージーは、
砂丘の陰から身を伏せて覗き込み、息を呑んだ。
土台は石。
上半分はまだ木の柵だが、
その隙間にはすでに新しい石材が運び込まれている。
東側には、
仮設の木製の門扉――
ここがグラドの言っていた「補給門」だ。
(本当に……こんな短期間で)
砦の内側には、
エルビアンヌ式の鎧を身につけた兵士たちが行き交っている。
その足並みは、国境で見た正規兵よりは乱れているが、
それでも「戦うために揃えられた動き」だ。
ジージーの隣で、
セルグレンが低く息を吐いた。
「やっぱり、
“仮の歯”っていうより、
もう半分噛みつく気満々って感じだな」
「……守り、固そうですね」
「固い。
だからこそ、
“外側”から揺らせる場所がある」
セルグレンの視線は、
砦の東門と、西側の斜面、
それから南の砂丘を何度も行き来する。
少し離れた岩陰には、
サンドイーグル隊と“拳の隊”が身を潜めていた。
山側の斜面にはナジルの山羊隊。
盆地の反対側の尾根には、
黄砂旅団の黄色い旗がちらりと見える。
エイリアスが、
短く合図を送った。
手のひらを開き、
指を一本、折る。
――もうすぐだ。
「ジージー」
「はい」
「今日の仕事は、
“前に出て暴れること”じゃねぇ」
セルグレンが、
ちらりと横目でジージーを見る。
「隊長の周りの“隙間”を埋めろ。
倒れそうな奴、突き飛ばされそうな奴、
足が止まりそうな奴――
見つけたら、杖で押して引いて止めろ」
「……倒すんじゃなくて、支えるほう?」
「そうだ。
お前の杖は、今日から“そういう杖”だ」
モハンが補強してくれた杖を握りしめる。
ひびは埋められ、
重心は少しだけ下に来ている。
(支える杖……)
胸の奥で、
小さく言葉をなぞった。
⸻
◆ 攻撃開始の合図
最初の合図は、山からだった。
ナジルの山羊旗の陣から、
白い煙が三度、短く上がる。
次に、
街道側からイレナの拳旗が揺れ、
何本もの矢が砦に向かって飛んだ。
門番たちが慌てて動き始める。
弓兵が城壁の上に走る。
(今だ)
エイリアスが、
指を二本、折る。
「行くぞ」
短い言葉とともに、
サンドイーグル隊が砂丘の陰から飛び出した。
ジージーも、
喉が乾くのを感じながら駆け出す。
足裏に意識。
砂を深く踏まない。
土踏まずと指。
(倒すんじゃなく、止める)
胸の中で、
いつもの言葉を繰り返す。
「門へ!」
エイリアスの声に、
リースたち弓隊が先行し、矢を放つ。
砦の上からも矢が返ってくる。
「伏せろ!」
セルグレンに引っ張られ、
ジージーは砂の上に身を投げた。
ひゅん、と風を切る音。
数本の矢が頭上を越えていく。
「ジージー、右!」
「っ!」
横手から飛び出してきた兵士の影。
エルビアンヌ式の胸当て、
ぎこちない剣の構え。
ジージーは、
反射的に杖を振り上げた。
――カンッ。
刃と木がぶつかる音。
手首に伝わる振動。
(重い……!)
前世で相手にしてきたのは、
木刀やスパーリング用の棒だった。
これは――本当に人を殺すための鉄だ。
「うおおっ!」
兵士が、力任せに押し込んでくる。
ジージーは、
ぐっと杖を滑らせるようにずらし、
相手の手首に“絡める”。
師匠に教わった崩し方を思い出す。
――力にまっすぐぶつかるな。
流せ、外せ、空振りさせろ。
「っ……はぁっ!」
ジージーは、
相手の剣を外側へ弾き、
同時に杖の石突きで足首を払った。
兵士の足が絡まり、
砂の上に転がる。
「ぐっ!」
ジージーは、
倒れた兵士の胸のあたりに杖を押し付けた。
(止める。
ここで止める)
刃を奪い、
動けなくする――それが限界だ。
「動くな。
死にたくないでしょ」
兵士は、
驚いたような目でジージーを見た。
その目の奥には、
何かに追い立てられるような怯えが混じっている。
「お、女……?」
「女でも何でもいいから、じっとしてて」
ジージーは、
兵士の剣を蹴り飛ばしながら、
再び前を向いた。
東の補給門が見える。
木の扉の前で、
拳の隊の仲間たちが兵士たちと組み合っていた。
イレナの叫び声が飛ぶ。
「押せぇっ!!
木なんて、拳で割れ!!」
「無茶言う!」
街の連中の笑い混じりの怒号。
それでも、
少しずつ門扉の板が軋み始めていた。
「ジージー」
セルグレンが、
息を荒げて駆け寄ってくる。
「門の前は任せろ。
お前は隊長の後ろにつけ!」
「はい!」
エイリアスの姿を探す。
門へ向かって突き進む隊列の中央、
ぶれない速度で走っている背中。
ジージーは、
必死でその少し後ろに追いついた。
「隊長!」
「来たか」
エイリアスは振り向かない。
「門が開きかけたら、中に飛び込む。
そのとき、“後ろ”を頼む」
「後ろ……」
「中に入るとき、一番危ねぇのは背中だ。
“門の影”から出てくる刃を、
お前の杖で払え」
「……できますかね」
「できると信じて頼んでる」
それだけ言って、
エイリアスは前を向いた。
ジージーは、
深く息を吸い込む。
(怖い。
怖いけど――
前を向いてる人の背中は、守りたい)
⸻
◆ 黄砂旅団の「遅れ」
そのときだった。
砦の西側――
黄砂旅団がいるはずの尾根方向から、
遅れて上がるはずの合図の煙が、いつまで経っても見えないことに
エイリアスが気づいたのは。
「……おい」
リースが、
砦の上をちらりと見上げる。
「黄色い旗、動かないよ」
「まだ合図を待ってるのか?」
セルグレンが舌打ちした。
「こっちはもう動いてんだぞ。
遅ぇな……」
エイリアスの目が細くなる。
「……嫌な“間”だ」
その瞬間、
砦の西側の城壁の上に、
ひらりと何かが翻った。
黄色。
十字。
星。
「黄砂……?」
ジージーは目を凝らした。
黄砂旅団の旗が、
砦の内側の城壁の上に掲げられている。
(内側――?)
思考が追いつく前に、
砦の上から笛の音が響いた。
鋭く、
耳を刺す音。
次の瞬間――
サンドイーグル隊の背後、
さきほどまで誰もいなかった砂丘の陰から、
矢が一斉に降ってきた。
「後ろだ!!」
セルグレンの怒鳴り声。
ジージーは咄嗟に身を低くする。
ひゅん、ひゅん、と空気を裂く音。
悲鳴。
誰かが倒れる音。
振り返ると、
連合軍の後衛に、
黄色い布を腕に巻いた連中が襲いかかっていた。
「黄砂……!」
リースが顔を歪める。
「あいつら、砦と一緒に――」
エイリアスの表情から、
すべてを悟った色が消える。
「裏切りだ」
その一言が、
砂漠の空気を一気に冷やした。
⸻
◆ 黄砂の真の顔
砦の城壁の上、
黄色い旗の横に立つ男がいた。
グラドだった。
昨日までの“柔らかい商人の笑顔”ではない。
今の彼の口元には、
遠くの獲物を眺める猛禽のような光があった。
「諸君ぃ!」
彼の声は、
砦の上から砂漠じゅうに響いた。
「砂はいつも、風上につく!
我ら黄砂旅団、《巌上の黄砂》は――
“国家平和理事会”の名の下に、
反乱者の首を刈り取る!」
「っ……!」
ジージーの胸がぎゅっと縮まる。
(理事会……)
「馬鹿な……!」
小屋の中から飛び出してきたイレナが、
拳を握りしめた。
「ふざけんな!
あんた、自分で“理事会をひっくり返す”とか言ってたじゃない!」
「ひっくり返すのは、“下”ですよ、イレナ殿」
グラドは笑った。
「古い王も、
古い部族も、
古い兵法も。
全部壊して、“上”だけが残る。
それが、我らが仕える“新しい砂漠”の形です」
「黙れ!!」
ナジルの怒号が、
山側から響いた。
同時に、
山羊の旗の下でも激しい戦闘が始まっていた。
砦の北側から出撃した部隊が、
山の斜面を駆け下り、
山の民を押し返そうとしている。
「隊長!」
リースがエイリアスを見る。
「これ、やばいって!」
「わかってる」
エイリアスは、
瞬時に視線を巡らせた。
東の門はまだ完全には破れていない。
西側は黄砂に塞がれた。
北は山の民が押されている。
南は砂丘――だが、
砦の弓兵たちの射程の中だ。
(挟み撃ちだ)
完全に、
理事会と黄砂旅団の計画通りの形だ。
「下がれ、エイリアス殿!」
レム翁の声が、
どこからともなく響いた。
「ここで無理をすれば、
サンドイーグルは丸ごと死ぬぞ!」
イレナも叫ぶ。
「一回散開して、仕切り直し!
あんたの隊が潰れたら、
こっちまで持たない!」
エイリアスは、
ほんの一瞬だけ目を閉じた。
そして、
決断した。
「――全隊、いったん後退!」
腹の底から絞り出した声。
「山の民と街の拳に伝えろ!
“退きながら殴れ”。
ここで全部死ぬな!」
その決断は正しい。
誰が聞いてもそう言うだろう。
だが、
黄砂旅団と砦側は――
その“退きながら殴る”隙間さえ奪うつもりでいた。
⸻
◆ 崩れていく陣形の中で
「ジージー!」
セルグレンが、
ジージーの腕を掴んだ。
「後ろ下がるぞ!」
「う、うん!」
東門から離れ、
砂丘のほうへ向かって走る。
背後では、
砦の上から矢が飛び、
黄砂の連中が笑いながら追いすがってくる。
「逃げるのかよ、“連合”がよぉ!」
黄砂の戦士の声。
「逃げるやつから殺されるんだぜ、戦場ってのは!」
ジージーは歯を食いしばった。
(逃げるんじゃない。
退きながら、止めるんだ)
倒れた仲間の腕を掴み、
引きずるようにして立たせる。
つまづきそうな隊員の背中を杖で押して、前に出す。
「前見て!
足、ちゃんと動かして!」
サルーシャが、
負傷者の肩に腕を回しながら叫ぶ。
「立てる人は動いて!
立てない人は、這ってでも!」
ジージーの視界の端で、
若い隊員のライルが矢に肩を貫かれ、
倒れるのが見えた。
「ライル!!」
ジージーは反射的に駆け寄る。
黄砂の兵士が、
その上に槍を振り下ろそうとしていた。
「やめろぉっ!」
ジージーは、
杖の中程を握り、
槍の柄を横から叩き上げる。
槍先が逸れ、砂に突き刺さる。
「なんだこら、女!」
男が怒鳴る。
ジージーは、その足元を素早く払った。
兵士が尻餅をつく。
その胸ぐらを掴んで、ジージーは怒鳴った。
「退け!
こっちはもう退いてるんだから!」
「退く?
お前らみたいなゴミが?」
男は、
唾を吐いた。
「俺たちは“理事会”についた。
上のほうから褒められる側なんだよ!」
「……だから、背中から刺すの?」
「戦争ってのは、そういうもんだろ!」
怒鳴りながら、
男は短剣を抜こうとした。
ジージーの頭の中で、
何かがぷつん、と切れる音がした。
(戦争ってのは――
そういうもの、で終わらせていいわけない)
「――なわけ、ないだろ」
ジージーは、
相手の手首を叩き、短剣を落とさせ、
杖の石突きを男の顎下に押し上げた。
「“止めるために戦う”って、
誰かが言ってたんだよ」
「は、ぁ?」
「そんな戦い方、馬鹿にされるのかもしれないけど……
だからって、
“背中から刺して当然”なんて言い方、絶対に許さない」
男の目が一瞬たじろぐ。
だがその瞬間――
横から別の兵士が突っ込んできた。
「ジージー!!」
セルグレンの叫び声。
彼が体当たりするように間に割り込み、
その槍をいなした。
「何やってやがる!!
立ち止まるな!
ここはもう“殴る場所”じゃねぇ!」
「でも――」
「“殴っていいとき”じゃない!」
セルグレンの怒鳴り声が、
ジージーの胸に突き刺さる。
「今は、生きるほうを選べ!!」
エイリアスの言葉が蘇る。
(生きるほうを選べ)
ジージーは、
ライルの腕を肩に回し、
セルグレンと一緒に再び走り出した。
背後で、
山の民の叫び、
街の拳の怒号、
老兵の命令が入り混じる。
それでも、
砂の上に倒れていく影は増えるばかりだった。
⸻
◆ 追い詰められる真ん中
退きながら殴る――
それは理想だ。
だが現実の退却は、
往々にして「崩れながら逃げる」に近い。
南の砂丘の手前で、
サンドイーグル隊は一度足を止めざるをえなかった。
前には砂丘。
その向こうにはまだ何とか逃げ道がある。
だが、
背後からは黄砂と砦からの追撃。
「隊長!」
リースが叫ぶ。
「このまま砂丘登ったら、
上から矢の雨ですよ!」
「かと言って、
ここで止まれば押し潰される」
エイリアスの額にも汗が滲んでいた。
「山の民と拳の隊は?」
「散り散りになりながら、
なんとか下がってきてるけど……」
そのとき、
ナジルの山羊旗が、
南側の砂丘の向こうにちらりと見えた。
彼らも、
ボロボロになりながら退いてきている。
「エイリアス!」
イレナが叫ぶ。
「こっから先、
あんたの隊が“楔”にならなきゃ、
全員砂丘の下で潰れる!」
「わかってる」
エイリアスは、
短く答えた。
「サンドイーグル、半円隊形!
山羊と拳を通せ!
通したあとは――」
一拍置いて、
わずかに笑った。
「“真ん中”が残る」
その言葉の意味を、
ジージーは直感で理解してしまった。
(ここで、
隊長たちが“楔”になる)
自分たちサンドイーグルが、
黄砂と砦の軍勢の前に立ち塞がり、
その間に他の隊が撤退する――
そういう形だ。
(そんなの――)
喉の奥が熱くなる。
「ジージー!」
セルグレンが、
強く彼女の肩を掴んだ。
「ここから先は、
“隊長の仕事”だ」
「でも――」
「お前の仕事は違う。
隊長の言葉、忘れたのか」
セルグレンの目は真剣だ。
「生きるほうを選べ。
お前が生きてなきゃ、
“止めるために戦う”なんて言葉も、
ここで全部消える」
「……あたし一人が生き残ったって――」
「一人じゃねぇ」
セルグレンは、
砂漠の向こうを顎でしゃくった。
「砂の端っこに、“次の夜”が待ってる。
そこまで行くまでに、
お前に教えることは山ほどある」
その言葉が、
未来への細い糸みたいに感じられた。
「セルグレン」
エイリアスの声が飛ぶ。
「後で“頼みごと”がある。
今はまだ言わねぇが――
覚悟だけしておけ」
その声には、
もう“冗談”の成分は一滴もなかった。
ジージーは思わず、
隊長の背中を見つめる。
砂漠の太陽を背に受けながら、
彼は槍を構える。
「サンドイーグル!」
乾いた空気を裂く、
いつもより少しだけ大きな声。
「ここが、お前たちの“仕事場”だ!」
山の民が、
拳の隊が、
次々とサンドイーグルの背後を駆け抜けていく。
「恩に着るよ!」
イレナが叫ぶ。
「死んだら許さないからね!」
「死んだら許せねぇだろ!」
リースが返し、
少しだけ笑いが生まれる。
ナジルの声も飛ぶ。
「負けて死ぬなよ、蠍殺し!
うちの山羊に笑われる!」
「そっちこそ、
足滑らせて転ぶなよ!」
エイリアスが短く答え、
前を向いた。
黄砂の旗が近づいてくる。
砦の城壁の上で、
グラドが薄く笑っている。
(ここから先が――
サンドイーグル隊の“終わりの始まり”なんだ)
ジージーは、
まだ戦いの輪の外側にいながら、
そのことだけははっきりと理解してしまっていた。
そして同時に――
この戦いのあと、自分が
「セルグレンとともに砂漠を越える」ことになる未来も、
薄ぼんやりと見えてしまった気がした。
(生きるほうを選ぶ)
胸の中で、
もう一度強く繰り返す。
砂を踏む音。
矢の唸り。
怒号。
黄砂が風上で笑い、
砂の連合が“真ん中”で踏ん張ろうとしたその瞬間――
カロル砦前面の砂漠は、
血と叫びで真っ赤に染まり始めた。
ジージーが、
エイリアスに“最後の命令”を受け取るのは、
その、ほんの少しあと――
次の話でのことになる。
⸻
黄砂旅団の正体。
国家平和理事会との繋がり。
そして、連合軍を挟み撃ちにするための「カロル砦+黄砂」の罠。
サンドイーグル隊は、
いままさに“楔”として、
他の隊を逃がすために踏みとどまろうとしています。
この第16話では、あえて
・戦いの全景
・黄砂の裏切りの瞬間
・退きながら殴ろうとする連合の奮闘
までで止めました。
次回第17話では、いよいよ
•エイリアスの覚悟
•「お前はその子を連れて行け」という隊長の命
•セルグレンとジージーの“二人旅”の第一歩
を、しっかり描いていきます。
サンドイーグル隊としての物語はここから一気にクライマックスですが、
ジージー=ジギーの長い冒険にとっては、ようやく最初の大きな節目です。




