開戦前夜 ― 砂の連合軍、境へ向かう
砂漠の廃オアシスで結ばれた、小さな連合。
山の民、街の拳、古い兵法を知る老兵、そして蠍殺しの隊。
彼らが向かう先は――
エルビアンヌ王国との国境近くに築かれた、前線拠点。
今回は「殴る前の夜」。
出陣前の準備、旗が揃う光景、
そして、じわりと紛れ込んでくる“裏切りの芽”を静かに置いていきます。
ここから、ジージーの世界は一気に広がり、
同時に、一気に壊れていきます。
⸻
◆ 砂漠の「軍隊」を初めて見る日
数日後。
ジージーは、自分の目を疑った。
「……多い」
砂丘の向こう、乾いた盆地一帯に、
焚き火の煙と旗がいくつも立っていた。
ラクダ、馬、ロバ。
粗末な天幕と、むき出しの荷車。
あちこちで武器を研ぐ音、
喧嘩の声、笑い声、歌。
砂漠のあちこちから集まった連中が、
ひとつの「軍」の形をとり始めていた。
「これが……連合軍……?」
思わず口から漏れた言葉に、
隣のセルグレンが鼻を鳴らした。
「軍ってほど揃ってねぇさ。
どいつもこいつも、好き勝手な格好してるだろ」
「でも、旗がたくさん立ってる」
盆地の中央には、
三つ――いや、四つの旗が揺れていた。
山羊の頭骨の旗。
シャール=ダンの古い槍の旗。
街の拳を象った布。
そして、新しく見えるもう一つの旗。
薄い黄色の地に、
黒い十字と、その交点に小さな星。
「ありゃあ……」
セルグレンが、少し目を細めた。
「“黄砂の団”だな」
「きさ……?」
「黄砂旅団。
元々はただの山賊崩れの集まりだ。
最近になって、“反乱軍”を名乗るようになった」
「同盟に入ったの?」
「らしいな。
今朝、話がまとまったって隊長が言ってた」
ジージーは、
黄色い旗の下に立つ連中を見た。
他の隊より、装備が妙に揃っている。
革鎧も槍も、新しい。
だが、動きにはどこか「荒っぽさ」が残っていた。
(……エルビアンヌの兵士たちと、
どこか似てるような、違うような)
そんなことを考えていると、
背後から声が飛んできた。
「余所見してる暇があったら、
ラクダ降りろ、新入り」
「はいはい」
ジージーは慣れない鞍から降りながら、
内心のざわめきを誤魔化すように深呼吸をした。
砂漠の空は高く、
太陽は容赦なく照りつけていた。
それでも――
盆地に集まる人々の熱気のほうが、よほど暑く感じられた。
⸻
◆ 戦の相談は、地図と喧嘩と笑いでできている
中央の大きめの天幕の中では、
エイリアスたち幹部が地図を囲んでいた。
ジージーは幕の外から、
行き交う声だけを聞く。
「標的は、ここだ」
エイリアスの声。
「エルビアンヌ側が、
シャール=ダンとの国境近くに築いた前線拠点。
名はカロル砦」
「砦と言っても、
まだ完全な石造りじゃねぇらしいな」
イレナの声だ。
「街道を押さえるための“仮の歯”ってところか」
「だからこそ、今叩く」
レム翁の落ち着いた声。
「完成してからでは遅い。
補給の要を壊せば、
理事会とやらの“遊び場”も少しは狭まろう」
「問題は、守りの厚さだ」
ナジルが、
指で地図を叩く音がした。
「山側の斜面は半分岩だ。
砂嵐が来れば、こっちも近づけねぇ」
そこで、
聞き慣れない声が割り込んだ。
「そこは、我々“黄砂の団”にお任せを」
ねっとりとした男の声。
ジージーは、それだけで嫌な汗がにじんだ。
「カロル砦の建築に、
我々の仲間が“徴用”されておりましてね。
内側の構造は、ある程度わかっております」
幕の隙間から覗き見ると、
黄色い旗の下にいた一団の中年男が立っていた。
細い体つきに、
やたらと質のいい布服。
口元には愛想笑い、
目だけが笑っていない。
「名はグラド。
しがない砂商人のなれの果てです」
「商人が、どうして反乱軍の頭に?」
イレナが眉をひそめる。
グラドは、
大げさに肩をすくめて見せた。
「砂漠の商人は、
“誰が儲けているか”を見るのが仕事ですからね。
理事会やら帝国やらが、
この辺りで好き勝手やり始めれば――
自然と“誰が損をするか”が見えてくる」
「それで反乱軍?」
「ええ。
損をさせられるくらいなら、
先にひっくり返してしまえ、と」
言葉だけ聞けば筋は通っている。
だが、その笑みは、
どこか油っぽくて薄っぺらい。
(……この人、嫌い)
ジージーは、
自分でも驚くほどはっきりそう思った。
「中の構造は、どこまでわかる?」
エイリアスが問う。
「東側の補給門は、
まだ門扉が仮の木板です。
夜間は番兵が二人。
交代のタイミングは――」
グラドは、
指を折りながらスラスラと答えていく。
情報は、どれも魅力的だった。
本当にそれが正しければ、
カロル砦への奇襲はずっと楽になる。
「ただし」
最後に、
グラドはわざとらしく指を立てた。
「我々“黄砂の団”は、
砦の“西側”を任せていただきたい」
「西側?」
ナジルが目を細める。
「西側は斜面がきつい。
登るだけで骨が折れるぞ」
「その分、守りも薄い。
そこを我々が押さえ、
東側の門からの奇襲と挟み撃ちにすれば――
砦はひとたまりもありますまい」
イレナが、
エイリアスのほうを見た。
「どう思う?」
「……悪くはない案だ」
エイリアスは、
率直にそう言った。
「ただし、“お前たちが本当にそこに来る”ならな」
グラドは一瞬だけ目を伏せ、
すぐに笑顔を作り直した。
「疑われるのは当然です。
では、証として――」
彼は自分の胸元から、
小さな銀の板を取り出した。
そこには、簡素な紋章が刻まれている。
星と十字と、その周りを囲む輪。
「エルビアンヌの官用貨物に押される印――
これを一つ、
あなた方の隊にお預けしましょう」
「そんなもの、証になるか?」
ナジルが鼻を鳴らす。
「それ、どこから拾ってきた」
「拾ってきたのではなく、
“お取引”で手に入れたのです」
グラドは平然と答えた。
「これを使えば、
砦の中の倉庫にある物資を、
“誤配送”に見せかけて少し拝借できますよ。
戦が終わって、
皆さまが困ったときのための備えにもなりましょう」
イレナが小さく舌打ちした。
「……性格は好きじゃないけど、
頭は回るわね」
「生き残るために、頭は使わねば」
グラドは、
銀の板をエイリアスのほうへ差し出した。
エイリアスは、
わずかに逡巡してからそれを受け取る。
「渡すからには――
裏切ったときの“証拠”にもなると、
わかっているんだろうな」
「もちろん」
グラドは笑った。
「裏切るのは、
いつだって“上のほう”ですよ」
その言葉に、
レム翁がわずかに目を細めたのを、
ジージーは幕の隙間から見ていた。
(上のほう……)
父を売った貴族たち。
国境の向こうの「誰か」。
理事会。北の帝国。
“上”という言葉は、
もうジージーの中で完全に汚れていた。
⸻
◆ 杖の手当てと、戦の前の手当て
夕方。
盆地の一角で、
ジージーはひびだらけの木杖を抱えて座っていた。
モハンが、
手拭いを片手に近づいてくる。
「貸せ」
「え?」
「杖だ。
昨日から軋む音がしてる」
「あ、やっぱりバレてるんだ」
「バレバレだ」
ジージーは、
素直に杖を差し出した。
モハンは木目を指でなぞり、
ひびの入った部分を確認する。
「これはもう、“戦場用”じゃねぇな」
「えっ」
「叩き折れる。
今度みたいに、蠍の尻尾を受けたらな」
「じゃあ、どうすれば」
「補強して、役割を変える」
モハンは、
荷車のほうへ歩いていき、
細く削った木と布、金属の輪をいくつか持って戻ってきた。
「これは“戦う杖”から、
“生き残る杖”に変える」
「……違うの?」
「違う」
手際よく、
杖の先端に木を継ぎ足し、
布をぎゅっと巻いていく。
「お前の足は、まだ砂の上に慣れていない。
戦場で転べば死ぬ。
杖は“転ばないための脚”にも使える」
「戦うだけに使うなってこと?」
「当たり前だ」
モハンは、
杖をジージーへ戻した。
握ってみると、
今までより少し重い。
だが、芯が通ったような安定感があった。
「ありがとう」
「礼はいらねぇ。
戦の前に道具の手入れをしない奴と一緒に戦うのは、
料理人としても御免だからな」
「料理人基準なの?」
「そうだ」
そこで、
サルーシャが包帯の束を抱えてやってきた。
「はーい、次は人間の手当ての時間ですよー」
「誰だ」
「ジージーちゃん」
「何も怪我してないよ?」
「心」
サルーシャは、
おどけた顔で指をさした。
「戦の前は、
心に包帯巻いとくといいの」
「そんなの巻けるの?」
「巻けるよ。
こうやって――」
彼女は、
ジージーの額に軽く触れた。
「『今は怖くていい。
怖いけど、逃げないって決めたなら、それで充分』」
「……それ、包帯?」
「言葉の包帯」
サルーシャは笑う。
「ほどけてもいいんだよ。
何度でも巻き直せばいいんだから」
「……じゃあ、一個もらっとく」
「はい、一個」
ジージーは、
額を指でとん、と叩いた。
(怖い。
砦に行くのも、
エルビアンヌの国境に近づくのも、当然怖い)
それでも――
(ここで目を背けたら、
きっと一生“あの夜”から動けない)
連合軍の焚き火が、
盆地のあちこちで灯り始めていた。
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◆ 隊長の背中にあるもの
夜。
盆地の端。
高い砂丘の上で、
エイリアスはひとり星を見ていた。
「……隊長」
ジージーは、
自分でもなぜかよくわからないまま、
足を向けていた。
「邪魔でした?」
「いや」
エイリアスは、
視線を空から外さない。
「蠍の尻尾を止められる奴なら、
ここに立つ資格はある」
「そんな基準なんだ」
「わかりやすいだろ」
ジージーは、
彼の隣に立った。
風が、
連合軍の焚き火の煙を運んでくる。
「……明日、出発なんですよね」
「ああ」
「怖くないんですか」
「怖いさ」
あっさりとした返事だった。
「怖くなかったら、
とっくの昔にどっかで死んでる」
「……ですよね」
「怖いから、準備する。
怖いから、逃げる方向も考える。
怖いから、“ここで死ぬかどうか”を選べる」
エイリアスは、
砂丘の下、夜の闇に沈む盆地を見下ろした。
「お前はどうだ」
「……怖いです」
「何が一番怖い」
「わかんないです。
砦も、エルビアンヌも、
“理事会”って名前もみんな怖いし……」
ジージーは、
自分の胸に手を当てた。
「一番怖いのは――
また“何もできないまま”
誰かが死ぬのを見てること、かもしれません」
「そうか」
エイリアスは、
少しだけ目を細めた。
「何もできなかった夜が、あるのか」
「……はい」
エイリアスは、それ以上は聞かなかった。
代わりに、
ふっと息を吐いて言う。
「明日から先の戦いは、
“全部、誰かが何かを失う戦い”だ」
「……そんなの、イヤです」
「俺も嫌だ」
エイリアスは肩をすくめる。
「だから、“全部”じゃなくするために、
せいぜい足掻くしかない」
彼は、
ジージーを横目で見た。
「何かあったら――
セルグレンの言うことを聞け」
「セルの?」
「あいつは、逃げ時を間違えねぇ。
生き残ることを恥だと思ってない。
そういう奴は、案外珍しいんだ」
「……隊長?」
「生き残ることは、面倒だ。
次の戦いの面倒まで引き取ることだからな」
エイリアスの横顔は、
焚き火の光と星の光の間で、
年齢以上に疲れて見えた。
「だからこそ、
“逃がせる相手”には生きていてほしい」
ジージーは、
胸の奥がきゅっと締め付けられるのを感じた。
「……それ、“今”言う話ですか」
「今だから言う」
エイリアスは、
砂を一握りすくい上げた。
「明日からは、
そんな余裕もなくなるかもしれないからな」
砂が指の隙間からこぼれ落ちていく。
「嫌な予感、してるんですか」
「戦の前に“いい予感”がする奴のほうが信用できねぇ」
「……たしかに」
ジージーは少し笑った。
エイリアスも、
わずかに口元を緩める。
「いいか、ジージー」
「はい」
「ここから先、
何があっても――
自分で“生きるほう”を選べ」
その言葉が、
なぜか遺言のように聞こえた。
(やめてよ)
喉元まで出かかった言葉を、
ジージーは飲み込んだ。
「……わかりました」
代わりに、
短くそう答える。
砂漠の夜風が、
静かに二人の間を通り過ぎた。
⸻
◆ 行軍の朝
翌朝。
まだ星が薄く残る時間に、
盆地はざわめき始めた。
焚き火の火が落とされ、
天幕が畳まれる。
武器が確認され、
ラクダと馬の鼻が撫でられる。
山羊の旗が揺れる。
槍の旗が揺れる。
拳の旗が揺れる。
黄砂の旗が揺れる。
ジージーは、
自分の荷物と杖を確認した。
「よし」
深呼吸。
サルーシャが、
ジージーの肩を軽く叩く。
「包帯、まだ巻いてる?」
「たぶん」
「ほどけたらまた巻いてあげる」
「ありがとう」
セルグレンが、
前列で槍を担ぎながら振り返った。
「ジージー、
足の裏、忘れるなよ」
「土踏まず、指。
深く踏まない」
「よし」
リースが弓を背負って笑う。
「初めての“ちゃんとした戦争”だね」
「嫌な言い方しないで」
「でも、
“ちゃんとしてない戦争”よりはマシだよ」
「そんなのあるの?」
「この世界、そういうのだらけ」
リースの軽口が、
少しだけ緊張を和らげる。
エイリアスが、
隊列の先頭に出た。
周囲の旗が、
彼の動きに合わせるように揺れる。
「目標、カロル砦」
その声が、
盆地に低く響いた。
「山の民は北側斜面。
街の拳は東の街道沿い。
黄砂の団は西の尾根。
サンドイーグルは――」
一拍置いて、
エイリアスは笑った。
「いつも通り、真ん中だ」
くすり、と
あちこちから笑いが漏れる。
(真ん中、か)
ジージーは胸の奥で呟く。
(前にも後ろにも、
どっちにも行ける場所)
それは、
簡単そうでいて、一番難しい場所かもしれない。
「行くぞ」
エイリアスの号令ひとつで、
砂漠の連合軍が動き始めた。
砂を踏む足音。
革紐のきしむ音。
武器同士が触れ合う微かな金属音。
朝の光が少しずつ強くなり、
背中を照らす。
ジージーは、
ひびを補強された杖を軽く突いて歩き出した。
(生きるほうを選ぶ)
隊長の言葉を、
何度も何度も心の中でなぞる。
(でも――
もし選ばなきゃいけない瞬間が来たら、
きっと痛い)
砂丘の向こう。
まだ見えないカロル砦。
その石壁の陰で、
既にいくつかの目が、
静かに連合軍を待ち構えている。
その中には、
エルビアンヌの紋章をつけた兵士たちと――
理事会の印を胸に忍ばせた男たちも、確かにいた。
ジージーはまだ知らない。
今日の行軍が、
サンドイーグル隊にとって
“最後の出陣”になることを。
⸻
【後書き】
連合軍、ついに「戦いに向けて動き出す」回でした。
・黄砂旅団の頭グラド
・カロル砦という具体的な標的
・“国家平和理事会”の影
・エイリアスの「生きるほうを選べ」という言葉
これらが揃った今、
次の第16話で、いよいよ 「裏切り」 が火を噴きます。
黄砂旅団がどう動くのか。
カロル砦の内側には誰がいるのか。
エイリアスがどんな決断をするのか。
そして、
ジージーとセルグレンがどうやって“生き延びる”のか。
次回は、
第16話「裏切りの砦 ― 黄砂は背後から」(仮)として、
連合軍壊滅の引き金となる戦闘と裏切り行為が…




