『杖の勇者ジージー』第9話「エイリアスたちの状況を知る」
軍隊アリの黒い波から逃れて、どれくらい時間が経っただろう。
太陽はすでに高く昇り、砂を白く光らせている。
サンドイーグル隊は、大きく回り道をして、岩が連なる小さな盆地に身を落ち着けていた。
ここなら、しばらくは蟻も、国軍の目も届かない。
「ふぅ……死んだかと思った」
ジージーは、岩陰に背中を預け、荒い息を吐いた。
全身が重い。砂を踏み締め続けた足裏はじんじんしているし、腕も肩も筋肉痛だ。
だが――胸の奥は、不思議と軽かった。
(守れた)
あの一瞬。
サルーシャの足がもつれ、軍隊アリの波が迫った時。
身体が勝手に飛び出した。
(前の世界と、同じだな……)
誰かが危ないとき、迷う間もなく身体が動く。
銃を持った男の前に飛び出した時と、何も変わっていない。
ただ違うのは――あの時は死んだが、今は生き残ったことだ。
「おーい、新入り。まだ生きてるか?」
岩場の上から声が降ってきた。
見上げると、セルグレンが片手をひらひらさせていた。
「生きてる」
「なら上がってこい。隊長が話があるってさ。
それと、お前も聞いといた方がいいってリースが言ってる」
「リースが?」
「おう。『そろそろ、この国の事情を教えとくべきだ』ってよ」
ジージーは少しだけ躊躇ってから、岩場をよじ登った。
◆ ◆ ◆
岩の上には、布を広げた即席の“作戦卓”があった。
布の上には、粗く描かれた地図が広がっている。
砂漠の輪郭。
点々と描かれたオアシス。
幾つかの“×印”――潰された村。
地図の端には、この砂漠国家の中心となる王都が記されていた。
「来たな、ジージー」
エイリアスが顔を上げる。
いつものように厳しい目だが、その瞳の奥には“何かを見定める光”が宿っている。
その周りには、セルグレン、リース、サルーシャ、モハンも集まっていた。
いつもの賑やかさは少し影を潜め、全員の顔が真剣だ。
「そんな固くならなくていいよ」
リースが苦笑する。
「ただの“状況説明”だからさ。
俺たちが何と戦ってるのか、そろそろ教えといた方がいいだろ?」
「……聞かせてほしい」
ジージーは布の上の地図を見つめながら言った。
「あたし、今まで自分のことで精一杯で……。
でも、ここにいて、生きていくなら……知らなきゃいけないと思う」
エイリアスは小さく頷いた。
「そうだな。
――では、改めて説明しよう。ジージー。
私たち“サンドイーグル隊”が、何者なのかを」
◆ ◆ ◆
「まず、この国の名前からだ」
エイリアスは地図の中央を指で叩いた。
「ここは“シャール=ダン王国”」
「シャールダン……」
「大陸南部の砂漠と半乾燥地帯を支配している砂漠国家だ。
昔は、そこそこの“交易の国”だった。
キャラバンが行き交い、オアシスごとに小さな町があった。
水と塩と香辛料――砂漠らしい、穏やかな国だったらしい」
“だったらしい”という言い方が、既に何かを物語っている。
「……今は違うの?」
「今は、ただの“王の胃袋”を満たすための国だ」
セルグレンが低く呟いた。
「シャール=ダンの今の王様は、“ハルマド三世”。
豪奢と贅沢が大好きで、
『砂漠のど真ん中に世界一の宮殿を建てる』って言い出した男だ」
リースが肩をすくめる。
「そのために何やったと思う?」
「……税金を上げた?」
「それだけならまだマシさ」
リースが指で地図のあちこちをなぞる。
「まず、王都以外のオアシスを全部“王家の所有物”にした。
水を売る権利を独占して、村々に水税をかけた。
それでも足りなくなると、今度は“奴隷市場”に手を出した」
サルーシャが眉をひそめる。
「外から奴隷を買うだけじゃなくてね。
国内の村からも、借金や罪を理由に人を“商品”にし始めたの。
払えない家から、娘や息子を連れていく。
村をひとつ潰して、残った人をまとめて売る――今日みたいに」
(……ギルバート家と、同じだ)
ジージーの胸がざわりと揺れた。
借金。
罪。
“国のため”。
そんな言葉で、家族は簡単に奪われる。
「それに逆らう人たちが……」
「あたしたち、よ」
サルーシャが少し誇らしげに笑った。
「砂の民。元軍人。追放された官吏。商人。
村を焼かれた生き残り。
いろんな人が集まって、“レジスタンス”を作ってる」
エイリアスが続ける。
「サンドイーグル隊も、その一つだ。
私たちは“シャール=ダン王国の国軍”と戦っている。
奴らは王の命令で、村を焼き、奴隷を集め、オアシスを奪う」
「……どうして、そんなこと……」
口にしてから、自分でもその質問がどれほど無意味か気づいた。
欲。権力。恐怖。
理由はいくつもあるだろう。
けれど、結果はいつも同じだ。
“弱い方が潰される”。
「王だけのせいでもないさ」
リースが、乾いた笑いを漏らした。
「王の周りに群がる“連中”もいる。
楽して儲けたい貴族。
出世したい軍人。
他国とのコネを持ってる連中。
……そういうのが、全部で一つの“腹”になってる」
(どこの世界も、似たようなものだな)
ジージーは、前の世界の政治ニュースを思い出した。
大した権力者でもないのに、弱い者から搾り取ることだけは一人前の人間たち。
ここはそれが、もっと荒っぽく、血なまぐさい形で表に出ているだけだ。
◆ ◆ ◆
「隊長、あれも話しといたほうがよくない? “外”のこと」
セルグレンが少し真顔になる。
「……そうだな」
エイリアスは、地図のさらに外側――砂漠の外の部分を指先でなぞった。
「シャール=ダンは、砂の国だ。
だが、この砂漠の外には、いくつもの国がある」
ジージーは黙って聞いていた。
(エルビアンヌ……あたしのいた国も、そのひとつ)
「近隣の小国、大国、交易都市。
その中には、シャール=ダンと“手を組んで”いる国もある」
エイリアスは、わざと国名は言わなかった。
その配慮が、逆に“何かを隠している”気配を強める。
「そいつらが武器や金を運び込み、シャール=ダンに“調子に乗る口実”を与えている。
最近の国軍の装備、見ただろう?」
セルグレンが腕を組む。
「槍も剣も、昔の砂漠の鍛冶屋が作るものとは違う。
硬くて、妙に軽くて……変に質が揃ってる」
「それって……」
「どこかから、まとめて流れてきているってことだ」
リースが低く言う。
「誰が流しているのかは知らない。
でも、奴らの“上”に、何かがいる。
シャール=ダンの王が、好き勝手に暴れてるだけじゃない」
(……エルビアンヌの裏にも、何かいた。
ここも同じなんだ)
ジージーは唇を噛んだ。
(世界は広いのに、悪い奴の考えることは、どこも一緒だな)
◆ ◆ ◆
「サンドイーグル隊は、そんなシャール=ダンの“喉”を狙って動いている」
エイリアスが言った。
「オアシスを一つ解放すれば、奴らの補給が止まる。
奴隷隊列を潰せば、人の流れが変わる。
軍隊アリを避けるルートを潰せば、国軍の行軍は鈍る」
「軍隊アリまで“地形兵器”扱いかよ」
リースがぼそりと呟く。
「砂漠は、生き物ごと味方にも敵にもなる。
だから私たちは、“砂の読み方”を覚えた」
エイリアスはジージーを見た。
「お前も、いずれそれを覚えることになる。
今日、お前はよく動いた。
だが――今はまだ、“守られる側”だ」
ジージーは拳を握った。
「……守られるの、嫌いってわけじゃないけど」
「“それだけ”で終わるのは、嫌か?」
問われて、即答できなかった。
前の世界では、ジージーはいつも“誰かを守る側”だった。
リングの中でも外でも。
だからこそ、誰かに守られる感覚には慣れていない。
けれど――昨日から今日にかけて、何度も、仲間に助けられた。
(守られるのも、悪くない)
そう思う自分もいる。
だが――。
(……やっぱり、あたしは)
「――守りたい。
あたしも、誰かを」
言葉が自然に口をついて出た。
「お前がそれを言うと思って、呼んだ」
エイリアスは薄く笑った。
「ジージー。
お前は“杖の勇者”になれるかもしれない」
「ゆ、勇者……?」
勇者という言葉は、この世界でも特別だ。
剣の勇者、槍の勇者、盾の勇者――いくつかの伝承は、ジージーも聞いたことがある。
「勇者って……あたしが……?」
「別に“国に任命される”必要はないさ」
リースが肩をすくめた。
「ここでは、“誰かを護る覚悟を持って立つ奴”は、そいつの仲間から“勇者”って呼ばれてもいい」
「……そんなの、ちょっとこそばゆい」
「こそばゆいくらいでちょうどいいのよ」
サルーシャが微笑む。
「でも、本当にそう思う。
ジージーちゃん、今日、あたしを助けてくれたもの」
「それは……たまたま」
「たまたまでも、命は命だ」
モハンがぽつりと言った。
「たまたま俺の鍋を一杯多く食ってくれる奴がいれば、俺は嬉しい。
たまたま誰かを助ける奴がいれば、そいつはもう“仲間”だ」
彼なりの照れ隠しだろう。
ジージーは胸がじんと熱くなった。
◆ ◆ ◆
「――さて」
エイリアスは地図を見つめ直した。
「状況を整理するぞ。
サンドイーグル隊の現状と、これからだ」
リースが地図の南側に印をつける。
「軍隊アリが通ったルートは、ここからこう」
線が一本、地図に引かれる。
「たぶん、あの先に“別の獲物”があった。
オアシスか、村か。
運が悪ければ、別のレジスタンスだ」
「放っておいていいの?」
ジージーが思わず口を挟む。
「……いい質問だ」
エイリアスが腕を組む。
「助けに行くべきかもしれない。
だが、軍隊アリが通った後は、その匂いを追って“獣”も集まる。
今の私たちの戦力で飛び込むのは、自殺行為だ」
「じゃあ――」
「情報だけは追う」
リースが短く言った。
「近くのキャラバンや、砂の民、旅人から話を聞く。
“どこで、何が起きたか”を知るだけでも、意味はある」
「それが――第九話のタイトルみたいなもんだな」
セルグレンがぼそっと言い、リースに肘で小突かれる。
「なんだよ」
「メタいこと言うな」
「メタってなんだ」
「知らん」
唐突なやり取りに、ジージーは思わず吹き出した。
こんなふうに、重い話の中でも笑いが生まれる――。
それが、この隊の好きなところだ。
◆ ◆ ◆
「まずは、身を隠す場所を変える」
エイリアスは指で新たなポイントを示した。
「北東。ここに小さな“廃村”がある。
水脈はまだ生きているが、王の税から逃れるために人が捨てた場所だ」
「そんな所が……」
「砂漠には、そういう場所が腐るほどある。
そこを“つなぎ合わせて”私たちは生きている」
エイリアスは言う。
「そこで数日休みながら、情報を集める。
軍隊アリがどこに向かったのか。
国軍の動きはどうなのか。
他の隊はどうしているのか」
「他にも、隊があるんだよね?」
「ああ」
セルグレンが指を折った。
「サンドウルフ隊。
“砂の隠者団”。
キャラバン独立軍。
他にも名前のない連中がいっぱいいる」
「皆、王と戦ってるの?」
「戦い方はそれぞれだ」
サルーシャが言う。
「正面からぶつかったり、
補給路を断ったり、
情報だけを横流ししたり。
“できることを、できる場所で”やってる」
「いつか、皆で組む日も来るかもしれない」
リースがぼそっと付け足す。
「あんたもその時には、もうちょいちゃんと戦えるようになっててくれよ」
「がんばる」
ジージーは小さく拳を握った。
(いつか、ここにいる人たちが――)
サルーシャ。
モハン。
リース。
セルグレン。
エイリアス。
(皆、笑っていられる世界にしたい)
それが、理想論だとわかっていても。
◆ ◆ ◆
作戦会議がひと段落したあと、ジージーは岩場の端に腰を下ろして、砂漠を見渡した。
どこまでも続く砂の海。
うねるような砂丘の群れ。
その向こうには、見えないけれど、確かに村やオアシスや、人々の暮らしがある。
(シャール=ダン王国……)
ギルバート家が滅び、連れ去られた先で聞いた国の名前。
奴隷商の荒い笑い。
「バカにしやがって」というセルグレンの悪態。
全部が、一本の線で繋がっていく。
(あたしの家族を潰した国じゃない。
でも――同じように、誰かの家族を潰している国)
前の世界で見たニュースが脳裏を掠めた。
遠い国の戦争。
難民キャンプ。
誰かの“当たり前”が、簡単に消えてしまう世界。
(あたしは、その“消される側”だった。
でも、今は“消させない側”に立ちたい)
拳を握ると、砂が指の間からこぼれ落ちた。
その感触が、なぜか心地良かった。
「……難しい顔してるな」
背後から声がした。
セルグレンだ。
「考えごと?」
「ちょっとだけ」
「ちょっとの顔じゃねぇけどな」
セルグレンはどっかりと隣に座り、同じように砂漠を見下ろした。
「隊長の話、どうだった」
「……重かった」
「軽く話せる内容じゃねぇからな」
セルグレンは空を見上げた。
「でも、知っといた方がいい。
自分がどこで立ってるか、知らずに動くのは、真っ暗な部屋で殴り合いしてるようなもんだ」
「これも、経験談?」
「まぁな」
セルグレンの横顔に、一瞬だけ寂しさがよぎった気がした。
「セルグレンは……どうして、サンドイーグル隊に?」
「長くなるぞ」
「聞かせてよ。
あたし、みんなのこと知りたい」
セルグレンは少しだけ目を細め、そして笑った。
「――そのうち、な。
まずは今夜、ちゃんと寝られるだけの体力回復が先だ」
「そこに戻るんだ……」
「戻る。全部は“身の回り”からだ」
セルグレンは立ち上がる。
「お前、今日の訓練は免除だ。
その代わり、水汲みと火の番を覚えろ。
戦えるようになる前に、“生き残る下準備”だ」
「……了解」
ジージーも立ち上がった。
今はまだ、“守られる側”だ。
けれど――いつか必ず、“隣に並んで立てるようになる”。
そう心の中で決めながら、岩場を降りていった。
◆ ◆ ◆
その夜。
シャール=ダン砂漠の空には、無数の星が瞬いていた。
どこか遠く、軍隊アリの通った先で何が起きているのか、ジージーにはわからない。
だが、明らかに“何か”が変わり始めている。
風が、少しだけ冷たくなった気がした。
(嵐が来る)
直感的にそう思った。
まだ見えない“嵐”。
それは、王国の軍かもしれないし、
他のレジスタンスとの衝突かもしれないし、
もっと遠くの“見えない手”の影響かもしれない。
けれど――。
(あたしは、逃げない)
焚き火の火を見つめながら、ジージーは拳を握った。
ここで出会った人たち。
第二の家族。
砂の中で笑う仲間たち。
その背中を、二度と見失わないと心に誓いながら。
シャール=ダン砂漠の夜は、静かに更けていった。
――やがて訪れる、大きな戦いの前触れとも知らずに。




