ぼやき事務員に突如生まれた、たまごの能力
トラックに刎ねられてまで異世界にいかなくても、能力というものはこの世界にもある。神様はちゃんと見ていて、私達に、いくつかもの才能をくれているのよ。
それでね、私に与えられた能力は────平日の毎朝八時八分にやって来る電車。通勤特急の、前から三車両目の列から乗れば、端っこの席に座れる能力らしい。
能力っていうかさ、ただの経験だよね⋯⋯人生経験。慣れれば誰にでも備わる類の雑魚能力。せめて電車に乗ると酒臭いおっさんとか、ウザ喋りするJkギャールズが近寄らない能力をくれよ‥‥そう神様に文句を言いたい。つまり何の特技もない平凡な会社員の事務員。それが私だ。
そして神様って言うやつはさ、試練を与えるのが大好きな存在なんだよね。ろくでもない能力しか与えてくれず、無理難題ばかり押し付けるんだよ。それに楽して稼げる才能よりも、怠惰で駄目な才能は、大喜びで奮発し沢山くれる存在だ。
いらないって、そんな能力。才能というか性分っていうの? 真面目で頑張り屋さんな才能をくれさえすれば、私だって認められたのかなって思う事はあるのよ。
────違うな。持っていたはずなのにさ。⋯⋯はいはい、言い訳の能力が出ましたぁっと。ぼやいてばかりで御免なさいねって‥‥素敵な神様にぼやき能力発動しとくよ。
⋯⋯ここ五年くらいで職場のパワハラやモラハラやセクハラは大体なくなって来た。ハラスメント滅ぼす能力持ちでもいたのかな。
だけどさ⋯⋯暴言ギリッぎりのロジハラや、朝から意味不明に不機嫌なフキハラ、遠回しな嫌味を吐くイミハラ増えた。戦いはまだまだ続くって感じ。
それに家庭に会社の仕事持ち込むなっていうけどさ、家庭の事情も会社に持ち込むなって言いたいよ。なんで私、会社と無関係な人間関係の被害にあってるのさ。だから華麗にスルー能力使い過ぎて、朝から余計に疲れてるんだよ。
────何だろうね、あの正しい、勝てる、とわかった瞬間にぶつけられる正論ってやつ。仕事中ならともかく、せっかくのお昼のランチの前に食欲減退させる能力でも授けられたの貴女、って思う。どうせなら夜食にポテチに手を出す前に使ってくれよ。
はぁぁぁぁ⋯⋯。ドラゴン顔負けのため息ブレスを習得したよ。
お昼ジャストに配達頼んだピザ帽子鳩屋の、超美味しいピザが冷めてしまったよ。私が自分のために予約してたんだ。上司だろうが、あんたの分まで頼んであるわけないだろ。勝手にキレるなって。
会社の給湯室に行けばレンチンして温め直せる。けどさ、無駄に絡まれて時間ないし面倒。はい、神様特製のものぐさ能力がここでも発揮したよ。
こうも毎日理不尽な怒りと、休憩時間に説教とかブラックな労働環境を生きてくには、癒やしのひとつやふたつ必要だ。よほど有用な能力持ちでもない限り、身体が持たないよね。
事務仕事だって、目は疲れるし肩は凝る。足だって浮腫むしストレス攻撃はお肌を蝕む魔法攻撃みたいなもの。温泉にでも浸かって、何も考えずにのんびりしたいよ。
それでもまだね、地獄のような炎天下で働く人よりマシか。会社に配送でくる宅配便のおっちゃんとか、外装の点検作業をしている兄ちゃん達とか、長距離移動の運ちゃんとか、暑くて大変そうだから。
────なんとなく、ありがとうと言いたい。心の中だけね。おっと、さりげなく感謝出来る能力がまだ私にも残されていたよ。
冷めても美味しいピザと、三日月堂の和菓子があれば、嫌な事が忘れられる。
私は単純なやつだからだろうな。神様は私には美味しいものを食べると嫌な事を忘れ、リセットする能力を授けていた。
欠点はというと、食べ過ぎると体重が増える能力が発動する事だろう。これも神様の能力のせいなんだよ⋯⋯絶対。
あぁーあ、私も食欲減退能力が欲しかった! 素敵な神様怨むよっ!
⋯⋯そしてそんな一般的な庶民的な能力で過ごす私は、人生で最大の危機を迎えている。
私の食べっぷりを、いつも観察していた営業の英男君が声をかけてキタノダヨ。
⋯⋯心の声なのに、カクカクと心が震えて噛んだよ。地味モブ事務員の私に、この展開を乗り切る能力はない!!
素敵な神様お願い、助けてぇ。腹黒く、直向きにお弁当を作っていた五年前の私に戻る能力を授けてほしい。しょぼい能力が覚醒して、実は〇〇なんですってパターンをくれたっていいんだよ?
────無理は承知。私は突如生まれた新鮮なたまごのように、新鮮な気持ちで恋に挑む能力を育てる羽目になった。
そんな初心な能力が、しがないぼやき事務員たる私にもあったのだから、驚きだよね。
気まぐれな神様の試練が思わぬ所で起きたために、私は与えられた能力を発動する。
────どうやらたまごは無事に孵ったようだね。私は神様から授かった自堕落な能力を、たまごの殻と一緒に捨てようと思ったのだった。
◇
◇
◇
ぼやき能力と自堕落な能力を捨ててたまごを育てるはずだった私。
勤続年数五年────ハラスメント能力の飛び交う事務員の仕事を辞めて、結婚して幸せな家庭を築くはずだった私。
無事に辞表が受理されて、結婚式までやる事はたくさんあるぞ~っと息巻いていたのに⋯⋯。
「君とはもう付き合っていられない」
そう言って私に惚れたはずの英男は、あっさりと別れを切り出して去っていった────
────……って、うぉい! どうなってるの神様さあ。婚約破棄ならぬ、恋人放棄かい。異世界でも現実でも、平穏無事が一番何だよ。
いくらなんでも会社辞めた後に酷くないかい。せめて婚約まで行けよ。見切り発車の能力なんて使った覚えないぞ!
結婚して幸せな家庭を築くはずだった私の計画は台無しだ。そんな上位能力なんて授かってなかったよ。神様は甘くない。甘いのは私だ⋯⋯。
五年も会社勤めしていたのに、モテた事など一度もないのに何で愛のたまごなんて信じたんだよ、私。まったくもって疑わなかった、愚かで浅はかな能力の持ち主。仕事と恋人を失って、ようやく気がついたよ⋯⋯悪魔達に騙されたらしい、と。
私なんかにって、一瞬浮かれたのは確かだ。非モテが舞い上がって図々しいと言われそうだ。でもさ、ぼやかないから、言い訳をさせてほしい。状況がそうさせたんだと。
毎日のように女上司がしつこく絡む理由が元彼⋯⋯英男だ。もうすぐ三十路突入、退路の断たれた女上司は、私以上に焦り余裕がなかった。
上司という立場と、私をチクチク弄る能力に長けた人物。人当たりが良くまぁまぁイケメンの英男を、女上司がロックオンしていたのも私は知っている。
あれは去年だったかな。雑談能力発動中の同僚達が、女上司の密かな逆鱗のスイッチを踏んだ。
余り物の私と、残り物の女上司を餌に冗談で英男と付き合っちゃえばいいじゃん────そんな流れになったのだ。こいつら裏ボスかってくらい、ザックリ抉りに来たよ。
英男は当時もフリー。女上司の想い人に、私まで舞台にあげられ女上司と戦う事になったのだ。酷い話しだ。冷やかされた肝心の同僚は弄るだけ弄られたのに、その気はない。暇つぶしのタネに私を修羅場へ送り出しておいて知らんぷりだ。
あのね⋯⋯会社に私がいたんじゃ華がないって、フキハラ部長にも言われたよ。奥さんと上手くいってないので、私に八つ当たり能力するなっての。部長まで絡んだ狩人達の策略。だからってさ、色恋沙汰の為に辞めさせる罠とか仕掛けられて、簡単にひっかかった私も私。
まったくどこの異世界だよと叫びたい。地球だよ、ぼやき能力復活だ。
────会社ぐるみで追放食らったんだ、ざまぁ展開至急求む!!
「緊急クエストが発動しました」
この期に及んでも、妄想能力だけは止まらない。もうね神様の試練もお腹いっぱいなんだ。心のライフと貯金はゼロだよ、ゼロ。
能力というか、密かな魅力があると、勘違いしていたよ、私。身の程知らず、ここにありだよね。レールの敷かれたトロッコに乗って、私は見事沼にハマッた。
趣味の沼じゃねー、行き先はガチの泥沼だよ。やっぱり神様のバカヤローだって叫んだ。心の中で。
円滑に私に退職を促す事に成功した英男。酷え男は社長令嬢と‥‥は流石に無理で、部長の娘と結婚するんだそうな。つまり女上司。焚き付けた同僚は知っていて、煽って遊びやがっただけだ。
ううウォぉぉーーーー!!!!
誰かこいつらに天罰を。私のぼやきじゃ、火も起こせない。しょぼい能力で泣き寝入り。悔しい。
今思い返すと、お昼に女上司がヒスったロジハラもどきの説教かますのも、行き遅れが焦った結果に見せ掛けて、部長の意向を叶えただけだった。
会社に来るのを嫌になってもらい、私の辞め待ち状態。昼飯食うと嫌な事を忘れる私の能力のせいで、埓があかないと思ったんだね。少しだけ役に立つ能力だったね。
でも⋯⋯もう全て終わった後だ。割れたたまごは元には戻らない。私に出来るのは、近場の居酒屋で、焼け酒でも呷るしかなかった。
居酒屋に開口一番入った。仕事もなく貯金なし。駄目な大人にランクダウンしたばかり。明日には厳しい現実の試練が待ち構えてる。酒を浴びるように飲めば、異世界に飛べたりしないかな‥‥。そんなに都合良い神様あるわけない。わかってるよ、私も。
とりあえずビール‥‥そう思って席に座る。フッと目についた金魚ビールと温泉たまごセットを思わず頼む。
どうせもう、私には何もない。ヤケになりつつ今後を思い、一番安くお腹を満たせそうな謎のビールとツマミを選んでしまう。ツマミを摘みながら今後の人生について考えるしかない。
「────って、ナニコレうまぁぁぁ〜」
思わず声が出た。金魚ビールは荒んだ身と心に染み渡り、温泉たまごの味まで引き立てている。
安いのに美味いものにありつける能力なら大歓迎だよ。
「いい、飲みっぷりだね事務子さん」
突然ひとつ離れた隣の席の若い女性に声を掛けられた。謎な探偵帽子を被るたまごもいた。まだ酔っていないはずなので、スルー能力が発動する。
「この金魚ビールはね、わたしの会社で作ったんだよ。美味しい?」
私は素直に美味いと思ったのでうなずく。金魚ビールの入ったグラスを片手に、ビール会社の社長とやらが、金魚ビールについて嬉しそうに教えてくれた。
試しに飲む呑兵衛はいたけれど、おかわりを頼む人は初めてだったみたいだ。私は今後を考えて、お金を節約しただけなのだけどね。
酔ってはいないけれど、ヤケになった私は、身体の毒素を吐き出すように身の上話しをしていた。全て私が悪い、でも騙され悔しくて途方にくれている事も。
「へぇ‥‥それなら是非ウチの会社に来て働いてほしいな。金魚人は日本の常識に疎くてね」
社長は酔っていたようで、言っている事は少しおかしかった。マヤが金星人とか、会社員は金魚人とかね。でも居酒屋で交わした約束は、しっかり覚えていてくれた。
こうして私は金魚ビール工場の作業員に⋯⋯ではなくて、何故か辞めた会社の親会社に務める事になった。
────金星人のマヤ社長の社長秘書として。金星人でも木星人でもいいよ、別にね。拾った恩は返させてもらうとマヤの故郷に誓うよ。
でもさ、いきなり社長秘書はない。最終的には酔った勢いで契約書に判子は押したよ。仕事も失いヤケだったし。でも、私はただの地味なぼやき事務員だよ? 知らんよ、秘書の仕事なんて。
金魚ビールの胡散臭い謳い文句はマジだった。金星人のおすすめって、ひと昔前の電波かよっ漫画かよって思い、笑っていたのに。
あっ、ちゃんと元の会社とは縁を切りました。マヤ社長が契約解除を申し出たから。まあマヤ社長といた私を見て、元の会社の社長も重役達も部長や女上司も始めは余裕そうに笑っていたよ。地方の怪しいビール会社の社長のくせにってさ。
「私の事はともかく、いいの?」
私情を挟んで、私の仇を討ってくれたようで嬉しい。ただ、ビジネスとしてはアウトだろう。
「ジーコのいた会社はね、わたしと気が合いそうにないんだよねぇ」
⋯⋯あの会社は試飲も断り、誰一人金魚ビール頼まなかったらしい。大々的に売り出そうとしている中で、取引先の消極的な態度にマヤ社長も腹を立てていたようだ。まあマヤ社長のニコニコ能力が強すぎて、わかりづらいけどさ。
⋯⋯神様は金星にいたようだ。私にはしょぼいぼやき能力しかないと思っていた。でも違った。金魚ビールと温泉たまごを美味しくいただく能力に目覚めたおかげで、新たな人生に踏み出す事が出来た。私を陥れた連中に、ざまぁぁぁーーーを添えて。
私が社長秘書として働く事になったマヤの会社は、大企業の真守グループの関連会社だった。それも会長自ら作ったお気に入りの。謎のたまごの会社員は、会長がマヤ社長につけたアドバイザーらしい。凄くどうでもいいや。たまごはたまごだ。
マヤの会社と契約を切った事で、私がいた会社はみるみると落ちぶれていった。契約がうまく決まり、会社の利益が順調に上がっていたのはマヤの会社とのつながりのおかげだったから。
マヤの会社はまだ出来たばかりでろくに営業活動もしていない。そこと契約を結んだのは私の元いた会社だけ。そりゃ、真守グループと関係性を持ちたい他の会社がこぞって優遇するよね、って話だ。
マヤの会社と縁が切れると、当然そうした会社も離れてゆく。マヤが金星人かどうかはともかく、座敷わらしのように金運に強く影響力がありそうだ。
こうして私はぼやき能力はそのままに、マヤとの出会いを経て、最終的にはざまぁを果たした。そして異世界に飛ばずに異世界にいるような人生を送る事になったのだった。
お読みいただきありがとうございます。