2月③
土曜日の午前、私は横浜市内の閑静な住宅地にある一軒家の前にいた。
嫌なこと、面倒なことはなるべく手早く済ませるという自らのポリシーに従い、家永君のお見舞いに来たのだ。
呼び鈴を押すと女性の声がした。恐らくは家永君の母親だろう。要件を伝えて待つこと30秒、玄関の扉が開き母親と思わしき女性が姿を現した。門扉を開けてもらうタイミングで挨拶をする。
「はじめまして。
家永さんの......満さんの先輩の咲山です」
家永君の家はみんな家永だろうと気付き、途中で下の名前呼びに切り替える。玄関まで短い庭を歩きつつ、駅前で買ったお見舞いの品のケーキを手渡す。
「わざわざありがとうございます。
満は二階におります。
お茶を入れますので先にお二階へどうぞ」
そう母親に促され二階に向かう。二階にはいくつか部屋があったが家永君の部屋はすぐにわかった。部屋の扉に木で造られた「みつるのへや」というネームプレートがぶら下がっていたからだ。
私は小学生か! と心の中でつっこんでからドアをノックする。
「家永君、咲山です。お見舞いに来たよ」
するとすぐにドアが開いた。ドアの向こうには、上はチェックのシャツ、下はスウェットというアンバランスな格好をした気の弱そうな家永君がいた。
「あ、ありがとうございます」
なんだか緊張してる? そう思いつつ案内されたちゃぶ台の脇にある座布団に座る。何から話そうかな? と思いを巡らせていると部屋のドアがノックされた。母親だと思い、慌てて立ち上がる。
「まあまあ、くつろいでくださいな。
お茶といただいたケーキをお持ちしましたね。
ゆっくりしていってください」
それだけ言うとお茶とケーキを配膳して一階に戻っていった。
「で、なんで休職したんだっけ?」
私はケーキを食べながら単刀直入に聞く。
「いや、あの、その......」
煮え切らない奴だ。昔はここまでおどおどしていなかったと思うんだけどな。岡田課長が来てから変わっちゃったのかな?
「ひょっとして、岡田課長?」
そういうと無言のまま家永君は固まってしまった。図星、ということか。固まって無言になってしまったので、私はしたくもないフォローをする。
「まあ苦手な人、多いもんね。
私も嫌いだし。
でも、家永君は課長とうまくやってた方じゃない?」
そう私が言うと家永君はうつむき、ちょっと押せば泣きそうな表情になってしまった。私は地雷を踏みぬいちゃったかな? と思い紅茶をすする。
しばらくすると、意を決したように家永君が話し始めた。
「岡田課長が苦手、というのはあります。
なにか面倒な雑用があると必ず僕が呼ばれるので。
でも、それだけじゃないんです」
「それだけじゃない?」
「僕のせいで面道さんが辞めちゃったから、それがずっと心に引っかかっていて......」
予想外におじさんの名前が出て一気に血圧が上昇する。けれど、詳細をまず聞かなければと自分に言い聞かせ、冷静を装い先を促す。
「僕が特許を書いた後、岡田課長から何度も面道さんを共同発明者として入れるように言われたんです。
それで週に一、二度、面道さんと顔を合わせる度にお願いしました。
そうしないと最終の出願許可を出さないと言われたので」
私は無言で何度かうなずく。
「だけれども、お願いしても面道さんはうんと言ってくれなくて。
それをまた岡田課長に伝えると、岡田課長は怒るので、また面道さんにお願いするというのを繰り返しました。
多分、4~5回はお願いしたと思います。
そうしたら面道さん、会社を辞めるって言いだしちゃって。
だから、面道さんが辞めたのは僕のせいなんです。
最終日も合わせる顔がなくて、挨拶できなくて、すみませんでした」
そこまで家永君は言い切ると、うつむいて黙り込んでしまった。目にはうっすら涙が見え、鼻水を時々すする。慰めてやってもよかったが、それよりも今の話には知らなかったことがあり、私は思考の海に潜った。
なぜ岡田課長は執拗に、おじさんを共同発明者にしようとしたのか?
なぜ岡田課長自身は共同発明者になっていないのか? 課定例で、みんなの聞いている前で共同出願者にするよう指示したではないか。
そして、おじさんが辞めた理由が家永君のしつこい要請であるという話は本当だろうか?
どれも私ひとりで答えを出そうとすると思い込みで誤った解答を出してしまいそうだ。家永君にひとつずつ確認することにした。
「ねえ、なんで岡田課長はおじさんを共同発明者にしようとしたんだろうね?」
「わかりません。
自分だけが共同発明者になるのが嫌だったんじゃないでしょうか」
まあ、ありそうな話だとは思いつつ、これはあくまで家永君の所感であるということを心の中でピン留めする。
「じゃあ、もうひとつ。
岡田課長は課定例の時に共同出願者として入れろって言ったのに最終的には入っていないじゃない。
あれはどうして?」
これはある意味、最大の疑問といってよかったかもしれなかった。なにせ、目立つことの大好きな岡田課長がみんなの前で表明したにもかかわらず、最終的には名前を入れていないのだ。
「それは、最終的に面道さんを共同発明者にできなかった後、面道さん抜き、つまり僕と岡田課長の連名で出願をしようとしたんです。
だけれど、その時になって岡田課長が自分も共同発明者から降りると言ったので、言われたとおりにしました」
表面上の事実としてはそうなのだろうが、これはよくわからない行動だ。私は
「謎行動だね」
とひとこと感想を述べ、家永君もそれに同意した。
「最後に、なんで家永君はおじさんが辞めたのは自分のせいだと思ったの?
おじさんがそう言ったの?」
「いえ、そう言われたことはないです。
でも、僕がしつこく言ったから嫌になったのだと思います」
そう答え、またしょんぼりする。
「いや、さすがにないと思うよ。
家永君にちょっと言われたから辞めるなんてことは」
「でも......実際に起きた事実としてはそうなので」
「なるほど。だから家永君は責任を感じて、特許自体を取り下げようとしたってことね」
家永君は私の推測をうなずいて肯定する。
今日聞きたかったことはだいたい聞けたはずだ。私としてはもう帰ってもよかったのだが、家永君を私が来る前より落ち込ませたままにするのは気が引ける。どうしようかな? と考えてあることを思いついた。
「そんなに落ち込む必要ないよ。
お姉さんが魔法をかけてあげる」
「魔法、ですか?」
「そう、魔法。
効くのに少し時間がかかるけど、1カ月くらいで元気が取り戻せる魔法」
はぁ、と家永君は半信半疑、いや疑いの度合いが70%といった目で私を見る。
「じゃ、目をつぶって」
家永君は素直に私の言葉に従い、私はそれを見て適当にドラマや映画で見た忍者のように印を結んだ。1分くらい適当に指を何度か組みなおして終わりにしようとしたら、家永君は何を勘違いしたのか目をつぶったまま唇を突き出してる。
うわっ、キモっ! そう思い、最後にその唇を人差し指の腹で弾いてやった。
「いいよ、目を開けて。
1~2カ月ゆっくり休んだら会社に来るといいよ。
きっと、前よりはマシになっているからさ」
そう言いながら、ケーキについていた紙ナプキンで人差し指を念入りに拭った。
聞きたいことは全て聞けたし、家永君も私のおじさん直伝、インチキ魔法のせいか顔に赤みがさして元気になったようだ。
「じゃ、帰るね」
玄関でそう言って家永君に別れを告げようとしたとき、家永君が言った。
「咲山さん、あの......今日はありがとうございました。
魔法も......ありがとうございます。
僕初めてだったので。
必ず4月までには戻ります」
「そ、そう。
がんばってね」
私は急に元気になった家永君にたじろぎつつ、家永邸を後にした。




