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9月①

岡田課長が着任してからというもの、品質保証課にはよどんだ空気が流れていた。欺瞞ぎまん、不正、圧迫。だが、決定的な悪ともいえず、中には自分の保身のためかり寄る者さえいた。私はやるせない気持ちだったが、かといってそうした人たちを責める気も起きなかった。ただただ、嵐が過ぎ去って熊野課長がいたころのように、純粋に仕事に向き合える日が再び来ることを祈っていた。だが、また事件は起こった。


量産判定会議直前で昭和おじさんから岡田課長に担当が変わったヘッドフォン「ファイン・イヤー」で市場問題が報告されたのだ。不具合といっても致命的なものではない。ヘッドフォンを充電のためにパソコンにつなぐと「Debug_Ver」という文字列がシステムトレイにポップアップ表示されるというものだ。私はおじさんから担当を強奪した罰だ、くらいに思っていたのだが、ことはそう単純ではなかった。


「面道さん、この責任はどう取るんですか?」

課定例の場で岡田課長がおじさんを糾弾きゅうだんする。

私は、え? なんで? 担当は岡田課長でしょ? と思っていたのだがそうではなかった。

そもそもおじさんの担当していた「ファイン・イヤー」は99%完成した状態で岡田課長に引き継がれている。つまり、引き継いだ時点で既に不具合が混入こんにゅうしていたのでは? という疑いをかけられているのだ。そして、それは常識的に考えて非常に可能性が高かった。


「ご迷惑をおかけします。

 この問題については私の方で引き取って調査します」

おじさんは努めて冷静に答える。だが糾弾は止まない。

「そういうことを言っているんじゃないですよ、私は。

 不具合のある商品を引き継がせた上に市場問題まで起こして、どう責任をとるんですか? と聞いているんですよ」

岡田課長のこのセリフを聞いて私は頭に血が上る。まるで自分が会議での説明に失敗したのも引き継いだ時点で問題があったからだ、と言わんばかりではないか。会議の説明とは全く関係のない不具合なのに。


「それについては調査が終わってからとさせてください」

「いま、終わってから責任をとると言ったね?

 ここにいるみんなが証人ですよ。

 私は損害がいくらになるか計算しておきますから。首を洗って待っていてくださいよ」

おじさんは『責任をとる』なんて一言もいっていない。だが、岡田課長は言葉を先回りして拡大解釈して、悪い方向、悪い方向へ持っていこうとする。私はこの場、おじさんの岡田課長による公開処刑のような場にいることがただただ辛かった。


翌週、完全ではないもののある程度の調査結果が出そろった。

根本的な原因はソフトウェア設計課の新人がリリース用ソフトウェアを作成する際、デバッグ用の間違った設定でビルドしてしまい、それがそのまま市場に出てしまったということだ。市場問題の主要因はソフトウェア設計課にある。ソフトウェア設計課長の諸星さんは平謝りで、関係各所に謝罪行脚(あんぎゃ)をしていた。

それで終わればよかったのだが、そうはならなかった。岡田課長が、市場問題の責任は不具合を見逃した品質保証課にもあると主張しだしたのだ。いつの間にか品質保証課もソフトウェア設計課と同じくらい悪いという空気を醸成じょうせいする。

私はおじさん憎しで自分が返り血を浴びることすらいとわない岡田課長のやり方に、怒りを通り越して恐怖を感じ始めていた。


こんな状況下において、再び課定例の日がやってきた。

「原因についてはわかりました。

 ですが、私としては品質保証課も同罪という認識です。

 当時の担当としてどのように責任をとりますか?」

岡田課長はおじさんを断罪する際のニヤニヤ顔を隠そうともしなくなっていた。

「次の査定を好きなようにしていただいて結構です」

おじさんは言い放つ。

「査定、たったそれだけですか?

 あなたの査定を最低ランクにしたってたかがしれていますよ。

 今回、この不具合を含んだ商品が何台市場に流出したか知っているんですか?

 1万台ですよ」

岡田課長は責任をとるといっても大したことができないと知っていながらチクチク攻撃しているのだ。


岡田課長は責めることがひたすら楽しくて仕方ないようで、声がどんどん大きくなり口も滑らかになる。

「仮に1万人のお客様が全員返品したら、それだけで2億の損害ですよ。

 あなたの査定を下げて2億円、回収できるんですか?」

むちゃくちゃな論理だ。これしきの不具合なら返品する人は少数派だ。100人に1人もいないのではないか? だが証拠が出せない以上、反論の糸口がない。


「そうは言われましても、私としてはこれ以上責任のとりようがありません」

おじさんは疲れた顔で答える。

実際、サラリーマンは責任なんてとりようがないのだ。政治家や経営者なら例えば報酬の返上を自分で決めることができるが、サラリーマンには制度上そんなことはできない。


それを見て岡田課長は手を緩めるどころかさらに追い打ちをかける。

「問題はこれだけではないですよ。

 実はいま、コンプライアンス部門がこの部を調査しているそうです」


話が一気によそに飛んだ。何を言わんとしているのだろう?

みんな、おじさん含めて話の飛躍についていけていないようだ。下衆げすな笑みを浮かべたまま岡田課長が続ける。

「この間、調査を受けたんですよ。

 セクハラが横行していませんか? とね。

 例えば特定の女性だけを『チャン』付けしたりとか。

 これ、あなたのことじゃないんですか?」


そこまで聞いて私は立ち上がる。

「そんな、私、コンプライアンス部門に通報したりなんかしていません!」

だが、岡田課長はニヤニヤしたまま聞き返す。

「つまり、それはそうした事実があるが今まで言い出せなかったということですか?」

「ち、違います。

 私、仮に私がそんな風に呼ばれても不快、セクハラとは思わないということです」

全身全霊をもっておじさんを弁護する。

「しかしですねぇ、コンプラ部門への通報は匿名でできるものですから誰がセクハラと感じているかまでは、わからないのですよ」


ここまでやるのか。

私は戦慄せんりつした。

目ざわりな人間を排除するのに、ありとあらゆる武器を使うのだ。

恐らくはコンプライアンス部門への通報も課長自らが匿名とくめいでおこなったのだろう。

証拠はない。

だが、私は確信していた。


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