階段天使
一番近い駅は、路上にある。
一番近い駅は、道路上の線路脇に作られた、細長いコンクリート台。
台は、道路から五センチくらい高くなっており、人がやっと通れるくらいの幅しかない。
線路をつたってやって来た電車は、その路上細長駅の際スレスレまで来て、止まる。
電車のドアが開くと、肩から前に、デカイ黒色がま口カバンを提げた車掌さんが、真っ先に降りて来る。
車掌さんは、路上細長駅で待ち受けていた乗客に、切符を売る。
改札鋏で、切符に記載された路上細長駅の欄に、パンチ穴を入れる。
各人おのおのに降車駅を聞き、降車駅の欄に、パンチ穴を入れる。
その降車駅までの料金を、車掌さんは徴収する。
おつりが必要な場合は、デカ黒カバンをまさぐって、おつりを取り出す。
切符を買った乗客が、全員乗り込む。
車掌さんは、前方後方その他諸々を確認し、良ければ、運転士に指示を出す。
車掌さんが乗り込み、ドアが閉まる。
一呼吸置いて、電車はゆっくり動き出す。
道路上の線路に居座っていた車達が、のろのろと動き、電車に道を空ける。
電車は、その道を、ゆっくりゆっくりと進んで行く。
車の海が割れて、一筋の道が伸びて行き、電車は進む。
車窓越しに見える空は、とても広い。
この辺りの家屋は、平屋から三階立てのものが、ほとんどだ。
建物の屋根のラインは ‥ この町のスカイラインは、とても低い。
ガタンゴトン
ガタンゴトン
線路の継ぎ目を越える音が、する。
継ぎ目を越える振動が、する。
線路は、道路から区画された軌道へ続く。
電車は、その線路をスムーズに、でもどこかぎこちなく進む。
路面から、塀で区画された軌道へ、滑り込んで行く。
電車が軌道に入ってしばらくすると、町の風景が変わる。
空が、狭くなる。
スカイラインが、高くなる。
七、八階立てのマンションやビルが目立つようになり、目立って来たら、アッと言う間に、林立する。
先程とは違い、遥かなる上空とも言うべき、空しか見えない。
空が、マンションやビルの隙間からしか、覗けない。
最近のマンションは、ベランダが斜めになっているものや、階段状になっているものが多い。
建ぺい率やなんやかんやの関係で、なんとか多く部屋数を取ろうとして、ああだこうだしているのだろう。
その結果が、斜めや階段といった、あの形状なのだろう。
前方から遠く見えるマンションの屋上に、雲がかかっている。
ベランダが階段状になっているマンションで、ちょうど階段を昇りきった踊り場を、雲が覆っている感じだ。
その雲は、どこかしら滑らかな光沢があり、そこはかとなく気品を感じさせる。
曇りや濁りは一点もなく、まごうことなき爽やかな白色をしている。
面白い雲もあるもんだ。
マンションが近附いて来る。
電車に乗ってるにしては、マンションの近附き方が、ゆったりしている。
こういうのを、《一炊の夢のように》と言うのだろうか。
こういうのを、《走馬灯のように》と言うのだろうか。
まるでコマ送りのように ‥ スローモーションのように、風景は進んで行く。
階段マンションに掛かっていた雲が、蠢き出す。
ザワザワッと、全体的に震えたとおもったら、収縮を始める。
その縮む速度ば、空気の抜ける風船や、塩を掛けられたナメクジを連想させる。
え ‥ 。
みるみる雲は縮むと、ひと一人分の大きさになる。
大人よりは小さめ、子どもよりは大きめの大きさなので、思春期ぐらいの少年大と思われる。
いや、体のラインは、それを否定している。
丸く滑らかなライン、大きめの胸部、大きめの臀部、ややポッコリとした腹部。
おそらく、思春期くらいの少女大と思われる。
いや、一番目を奪われたところは、そこではない。
雲が縮み少女大になるに連れ、逆に大きくなり明確になるものがあった。
雲の前部分は、縦に縮まり、少女になる。
だが、後ろ部分は、横に広がって縮まる。
後ろ部分の横雲は、前部分の縦雲よりも早く、収縮を止める。
左右腕二本分の大きさまで縮んで、止まる。
収縮を止めた横雲は、いっとき置くと、上下に広がる。
ちょうど、少女の背中を起点とするかのように ‥ 少女の背中に扇の要があるかように、広がる
少女の背中を要として、左右の扇が上下に開く。
それはまるで、羽を広げた鷹を二匹縦にして、背中にくっ付けたような様だった。
広がった扇は、上部・下部の二部分に分かれ、それぞれ音がするかのように、はためかせている。
バサッ バサッ
バサッ バサッ
音がするかのように、扇の羽は、はためく。
それは滑らかに、弾力性を持って、ともすれば、少女の体を包み込むように丸まり、はためく。
少女が、動く。
脚を上げる。
脚を下げる。
少女が、GO DOWN
降りて来る。
マンションのベランダ階段へ、踏み出す。
一段一段の高さが三メートルはあるので、とても降りられるものではない。
でも少女は、一段一段踏み出す度に、心なしか空中へフワッと浮き上がり、スウーッと沈み込むように降り、下の段に、滑らか静かに着地する。
その浮遊感に見とれている内に、少女の背中にある、羽というか翼みたいなものの色が変化する。
一段目に降り立った時には、翼の中に、渦が巻き起こる。
いや、翼の色に、何らかの色が混じり込む。
ちょうど、水にインクを何滴か垂らしたかのように、渦が巻き起こり、糸がゆっくりと下降するかのように、色が混じり込む。
二段目に降り立った時には、その色は、地の白色と合わさって、二色のグラディエーションを醸し出す。
翼の中のそこらじゅうに、インクを落としたかのように、翼の色は、白とその色が渦のグラディエーションを作り出す。
その色が、ようやく分かって来る。
その色は、明るい濃い緑色。
抹茶色に近い。
一段一段降り立つ度に、翼の中の抹茶色は、範囲を広げていく。
純白に濃緑 ‥ 牛乳に抹茶 ‥ 。
翼は、抹茶ミルク色。
ぐるぐる、ぐるぐる。
グラディエーションは、渦を巻く。
ぐるぐる、ぐるぐる。
渦は、白と緑を攪拌して、混ぜ合わせていく。
少女が最後の段から飛び降り、地面に降り立った時、攪拌混ぜ合わせは終了する。
白と緑は、グラディエーションの渦を失くし、均一化された色になる。
翼の色は、爽快な、フォレストグリーンになっている。
見ているだけで、森林浴に浸っているような、芝生に寝っ転んでお日さんを浴びているような感じ、になっている。
いつのまにやら少女は、弥生時代の人のように、貫頭衣を着ている。
スパニッシュオレンジ色の貫頭衣から、頭、腕、脚を出し、フォレストグリーンの紐を腰に結わえている。
翼を持った緑橙の少女は、天空から地上へ降りた速度そのままに、地上を進む。
スピードを緩めることも速まることもなく、道を歩んでゆく。
あ ‥ 。
電車は進む。
階段マンションを過ぎ去る。
少女の前を、過ぎ去ってゆく。
ガタガタゴーッ
ガタガタゴーッ
電車は、容赦無く進む。
階段マンションが、遠ざかる。
少女が、遠ざかる。
階段マンションが、小さくなる。
少女が小さくなる。
階段マンションが、点になる。
少女が、点になる。
完全に車窓から、階段マンションは消え去る。
少女も消え去る。
あれは、何だったんだろう?
天使?
妖精?
魔法少女?
疲れ目?
気のせい?
ロールシャハ・テスト?
電車は、何事も無く進む。
騒いでいる乗客も、いない。
目撃した乗客がいたら、騒いでいるはず。
車両中の話題になっているはず。
それが、以前と変わらす、穏やかな車内風景のまま。
人々は、スマホに励み、居眠りに励み、、ゲームに励み、雑誌に励む。
声を抑えたおしゃべりに励み、声を抑えないおしゃべりに励んでいる。
誰も先程の光景について、話題にしていないし、怪訝な雰囲気も醸し出していない。
おそらく、みんなは、あの光景を見ていないのだろう。
おそらく、みんなには、あの光景は見えなかったのだろう。
とすると、あの光景が見えたのは、自分だけである可能性が高い。
ならば、自分の領分において ‥ 自分の精神において、あの光景が見えた可能性が高い。
曰く、
『どうも俺、
思ったより疲れてるみたいや』
ゴトゴトゴーッ
電車は進む。
ゴトゴトゴーッ
どんどん進む。
ゴトゴトゴトゴト ‥
ゴトゴトゴトゴトン ‥
ゴトンゴトンゴトンゴトン ‥
ゴトンゴトンゴト‥ン シュー
電車は止まる。
駅に着いたようだ。
ホームに二列、キチンと並ぶ人々の前に、ピタッとドアを横附けして止まる。
運転手さん、グッジョブ。
ホームで待つ乗客の前に、ピタッと停止したドアが開く。
プシュー
車体に、ケイハングリーンのラインが入ったドアが開く。
開いた途端、フォレストグリーンがひらめく。
スパニッシュオレンジが、瞬く。
え ‥ えーっ ‥ !
一度目は眉間に皺を寄せて薄目で、二度目はキッチリ眼を見開いて、ガッチリ二度見する。
オレンジが、グリーンに時々遮られて、瞬く。
ドアが開いて、真っ先に目に飛び込むは、緑橙の少女。
電車に乗り込む乗客の列の先頭に、スパニッシュオレンジの貫頭衣を着て、フォレストグリーンの翼をはためかせる少女がいる。
少女は、何食わぬ顔で悠然と、車内に乗り込む。
いや、翼が邪魔やし。
他の人の迷惑やし。
ほら、他の人に当たってるし。
手荷物や手すりや、そこら中の物にブチ当たってるし。
てか、他の人、当たっても木気付かへんの?
え、ノーリアクション?
もしかして、見えてへんし、感じてへんの?
キョロキョロ、目を巡らす。
誰とも、目は合わない。
どうやら、やっぱり、少女が見えているのは、俺だけらしい。
少女を、見つめる。
少女の視線が、動く。
あ、やばっ
と思った時には、少女と眼が合っていた。
少女と俺の視線が、混じり合う。
いや、俺の視線に、少女の視線が絡みつくような感じ。
真っ直ぐな俺の視線のまわりを、少女の視線が絡み付いてスパイラルを描きながら、ジワジワと近付いてくる感じ。
まもなく、ジワジワスパイラル視線が、俺の眼に到着する感覚に囚われる。
囚われるとほぼ同時に、頭の中に、言葉が降って来る。
『見えんの?』
どうも状況的に、この言葉を発しているのは、目の前の奇態な少女しかありえない。
しかし、声を発して返事をしてしまうと、自分の方が『危ないやつ』と、周囲の人に思われるに違いない。
よって、声に発さず、頭の中で言葉を発することにする。
『うん』
『 ‥ そうか、見えちゃうんか』
少女は『あちゃ~』という顔を、一瞬浮かべる。
が、気を取り直したかのように、苦笑を浮かべて、こちらを見つめ直す。
『ほな、あなたに付くわ』
『へっ?』
話しが見えない。
見通せない。
『え~と』
『うん』
『俺に付いてくれるわけやんな?』
『うん』
『恋人として?
もしも、妻として?』
『んな、あほな』
『ですよねー』
少女が『ドまさか!』の顔をしたので、『そんなこと、ちっとも思ってないっすよ。一応、念の為、言ってみただけっすよ』の返事を返す。
少しは、十%くらいは、実は思っていたが。
『じゃあ秘書?マネージャー?』
『それとも違う』
『じゃあ、何なん?』
『☀☁☂☃☄★☆☇☈☊☉☋☋☌☍』
『何や、それ?』
『こっちの言葉で言うと、
花見小路三条清麻呂』
『はあ?』
『間違えた。
千三百年くらい間違えた。
え~と、《階段天使》』
『《階段天使》?』
『そう』
『階段って、昇り降り階段?』
『そうやと思う』
『で、天使は、背中に翼が附いていて、点から下りて来る天使?』
『そうやと思う』
『というと君は、何、階段を使って降りて来た、
俺を見守る天使ってこと?』
『そうやと思う』
煮え切らん。
なんか、煮え切らん。
奥歯に何か、挟まっとる。
首筋を、無性に掻きむしりたくなる。
ハッキリさせよう。
性格に言えば、階段やなくて、ベランダが階段状になったマンション、でもあることやし。
『で、メリットとデメリットは?』
『は?』
『君が付いてくれることで、俺が被る、メリットとデメリットは?』
『そうやな~ ‥ 』
少女は視線を宙に彷徨わせ、さも考えているフリをする。
確かに考えているかもしれないが、考えている内容は、『どうやって、俺を納得させようか』ということだろう。
『ま、おいおい』
『は?』
『ま、おいおい分かって来るわ』
あ?
流暢な関西弁の少女天使は、おっさんのような物言いで、煙に巻く。
『ま、少なくとも』
『少なくとも?』
『悪いことには、ならへんと思う』
力強い宣言だ。
しかも、『思う』系。
これ以上ツッコんでも、他のことを聞くのは無理らしい。
『ほな、ま、付いてもらうか』
『了解。
念の為言っとくけど』
おっと、念押し。
『桃色系はダメよ』の念押しか、『期待し過ぎてハードル上げるな』の念押しか?
『食事とか住むとことか、
服とか必要無いし、いらんから。
もちろん、給料とかもいらんから』
そっちか。
いや、それは元々、頭に無いですから。
それから、
バナナの皮で、滑って転んだ。
子どもに、水鉄砲で撃たれた。
おばちゃんの運転するママチャリに、轢かれた。
マイナスじゃん。
俺の生活、マイナスになってるやん。
ある日、ショッピングモールのフードコート内を歩いている時、落ちていたバナナの皮で、滑って転んだ。
失神しなかったのと、手に食いもんの乗ったお盆とかを持っていなかったのが、不幸中の幸いだった。
ある日、近所の公園内を歩いていたら、ベンチに身を潜めていた子どもに、水鉄砲を、ヒットアンドアウェイで撃たれた。
ちゃんとベンチを障害物にして、敵から身を隠しながら撃つところに、感心した。
が、敵をちゃんと確認して、撃って欲しい。
ある日、道を歩いていて、交差点に差し掛かった。
チリンチリンと音が聞こえたので、右足を前に出し踏みとどまり、歩みを止めた。
おばちゃんの乗ったママチャリは、俺の右足の先 ‥ 右足の指を轢きながら、サーッと滑らかに通り過ぎて行った。
いや、ハンドルの感触で分かるやろ。
「すいません」の謝罪ひとつも、無いんかい。
というわけで、悪いことが続いて起こった。
「どういうことやねん」
サファイアに、言う。
『なんで、不満口調なん?』
不思議そうに、サファイアは返す。
二人っきりの時、俺は声を出すが、サファイアの言葉は、俺の頭に直接流れ込む。
もし、この場面を、傍目に見られたら、俺が一人でしゃべっているように見えるだろう。
しかも、空気を相手に会話して。
まさに、危ない人だ。
これも、自称:階段天使が付いてからの、マイナスだ。
あれは、ある晴れた、蒸し暑い日のことだった。
テレビをなんとなく点けた俺は、チャンネルをパシャパシャとやって、ザッピングしていた。
関西弁の、少女の姿をした、自称:階段天使も横にいた。
地元のローカルテレビ局が、古いアニメの再放送をやっていた。
階段天使は、その主人公をひと目見て、叫んだ。
『わたし、これがいい!』
「は?」
アニメは、手塚治虫の《リボンの騎士》。
主人公の名は、サファイア。
階段天使は、そのアニメと、その主人公をいたく気に入った。
そして、自分を、そう呼ばせるようにした、
曰く、サファイアと。
サファイア ‥ 。
うん ‥ 高貴過ぎる。
でも、サファイアって呼ばないと、返事してくれない。
まさに、完全無欠スルーやから、呼ばざるをえない。
「あの~、サファイアさん」
多少、下から目線で、思い呼び掛ける。
『なに?』
多少、上から目線で、サファイアが変わらす不思議そうに、思い返事をする。
「確か以前、『悪いことには、ならへんと思う』って ‥ 」
『うん』
「『悪いことには、ならへんと思う』って、ゆわはりましたよね?」
『うん』
「サファイアさんが付いたら、
『少なくとも、悪いことには、ならへんと思う』って、
ゆわはりましたよね?」
『うん、言った』
サファイアの返事に、逆上。
「なんでやねん!」
『なに、怒ってんの?』
「何が、
『悪いことには、ならへんと思う』や!
悪いことばっかり、続いとるやんけ!」
『は?』
「『は?』やない。
胸に手え当てて、考えてみい!」
サファイア、目を閉じて、胸に手を当てる。
一呼吸置いて目を開け、眉間に皺を寄せて言う。
『はあ?』
分からんようだ。
思い付かんようだ。
ことさら急がず落ち着いて、言葉を胸に出す。
「『悪いことには、ならへんと思う』 ‥ 」
『うん?』
「『悪いことには、ならへんと思う』って、言ったよな?」
『うん』
サファイアの冷静な返事に、最逆上。
「悪いこと続いとるやんけ!
お前がついてこのかた、悪いこと、巻き続き起こっとるやんけ!」
サファイアは、キョトンと俺を見つめ、パタパタと、右手を平手にして振る。
『いやいや。
方向、間違ってますから』
「へっ?」
そんな物言いのサファイアに毒気を抜かれて、気の抜けた問いを発する。
『苦情を言う方向が、間違ってますから』
「どう間違ってんの?」
『ルビーさんが今言わはる『悪いこと』って、
むっちゃささいなことですよね?』
そう言われると、そうかもしれない。
交通事故や余命宣告といった、直接生命に関わることではない。
いじめやDVといった、精神的や身体的にもダメージが大きい事柄でもない。
ちなみに、ルビーは、俺のニックネームである。
『サファイアには、ルビーでしょ』である。
『その意味で言ったら、まだ、
『悪いことには、ならへんと思う』の“悪いこと”自体が、
起こってませんよね?』
「はい」
『起こってへんから、{なりようもない』ですよね?』
「はい」
『そういうことです』
そういうことか。
もっと大きな視点 ‥ マクロ的視点を持てと。
大きく構えて、懐深く生きて行けと、そういうことですか。
少女姿をした、説得力の無い階段天使に諭され、力ずくで自分自身を説得させる。
そうしないと、めんどくさいことになりかねない。
そんな事態は、真っ平ごめん。
「ほな、それは置いといて」
『『置く』んですか?』
ちょっとお、解決回答を一時棚置きにして、問題自体を先送りにして、『なんとかあやふやにしよう』ってんじゃないでしょうね。
サファイアは、心の叫びが聞こえるような、不満声を上げる。
「いやいや、置いときません。
それはOKです」
『ですよね』
サファイアは、『当然です』といった、満足そうな笑みを浮かべる。
「 ‥ え~と、それでは、ここで改めて、整理したいんですが ‥ 」
『はい』
「俺が遭った“悪いこと”は、
『ホンマの“悪いこと”に比べたら、なんでもない』、と」
『はい』
「『そんなささいなことに、こだわるな』、と」
『ええ』
「『もっと大きく、おおらかな視点で、ものごとを捉えろ』、と」
『そう』
やはり。
マクロとミクロによる、相対化。
集中と分散間の、自由な意識変動。
「 ‥ え~と、もうひとつ、聞きたいんやけど ‥ 」
『まだあんの』
サファイアは、口を半開きにして、もろ嫌そうな顔を向ける。
「じゃあ、今度こそ、明らかにして欲しいんやけど、
君は、具体的に何してくれるん?」
今度は、今度こそは、『少なくとも、悪いことにはならへんと思う』といったような言葉で、誤魔化されるわけにはいかない。
“悪いこと”の定義が、俺とサファイアで、隔たりがある以上。
『 ‥ 具体的にかー ‥ 具体的には ‥ 』
「具体的には ‥ 」
サファイアの言葉に、気をはやらせて、言葉をかぶせる。
『見守る』
「は?」
おっと。
予想外に、デフェンシブな言葉が出て来る。
「見守る?」
『そう』
「見守るだけ?」
『えっ?』
「実際的に、“手を出す”とか“手を貸す”とか無いわけ?」
『無い』
「 ‥ ふ~む ‥ 整理すると ‥
メリットは、行動を伴わない『見守る』で、
デメリットは、ものは考えようで、
『悪いことにならへん』から、『無い!』と」
『そやね』
いやいや。
「いやいや」
『なに?』
「それって、ていのいい《精神論》やん」
『そういう言い方もあるかも』
「だから ‥ 」
『うん?』
「実際的には、『何をするわけでもない』、と」
『うん』
「言わば、
『あなたの心持ちを、前向きにポジティブにしてあげるのが、
私の効果!』ってとこ?」
『まあ、そんな感じ』
衝撃の真実!
階段天使は、何もしてくれない!
階段天使に付かれたら、話し相手にならなあかんから、静かで穏やかな時間を好む人には、逆にマイナスかも。
人外の力がある(であろう)階段天使が“見守るだけ”の存在とは。
見守っている以上、ついた人間の危機的状況にも出会うはずだが、それでも“見守っているだけ”なのか。
『なのよ』
そうか、やっぱり、“見守っているだけ”なのか。
サファイアの返答に、理解しつつも釈然としないものを感じる。
でも、人外の力がある(として)ならば、せっかくついた人間がピンチに陥ったら、その力を使いたくならへんのやろうか。
ついた人間に、情が移るってこともあるやろうし。
そこんところをツッコむと、サファイアは複雑な表情を浮かべる。
『 ‥ う~ん、そうやけど ‥ あかんねん』
「なんで、あかんの?」
『階段天使界のルールとして、禁止されてるらしい。
たぶん、人間の人生に、必要以上に干渉せん為にやろうね』
「こっそり、ズルできひんの?」
『あかんあかん。
師匠に見張られてるから』
「師匠?」
ほう、階段天使にも、師匠がいますか。
って、師匠って何?
どういう風に、師弟関係を結ぶの?
『うん、師匠』
「どんな風に、弟子入りしたん?」
『っていうより、私の意志は入ってなくて、
私を階段天使にしてくれた人、イコール、師匠になるねん』
「ほお」
『天使にしてもらうだけでなく、なんやかんやのルールとか、
礼儀作法とかしきたりとか、その他一切合切教えてもらうから、
自然と師弟関係みたいになる』
「なりますか?」
『なる。
少なくとも、私はなってる』
「『なってる』と。
『師匠は、リスペクトしてるし、親しみを感じてる』と」
ふむ、サファイアにここまで言わす師匠は、かなりスゴイに違いない。
一度、会ってみたいもんだ。
「それで、師匠は、今いずこに?」
『今は、国へ帰ってる』
「は?」
『階段天使の国へ、帰ってる』
そーかー、階段天使も里帰りするよねー。
定期的に帰らんと、家族とか近所とか、うるさいもんなー。
えっ。
頭に、ちょっと引っ掛かる。
疑問がひとつ、浮かんで来る。
「ってことは、今 ‥ 」
『ん?』
「見張られてへんやん」
『そやね』
「ええの?」
『そこはホラ、
日頃の行ないってゆうか、信用されてるってゆうか、
そんな感じなんやない』
そういうもんか。
まあ、サファイアは、普段のん気で楽天的にしとるけど、《やる時はやる》やつなんやろうな。
メリハリが、ちゃんとついてるって言うか、そんな感じなんやろう。
なるほど。
ふむ。
路面電車は、ガタゴト行く。
路上駅で乗客が乗り降りし、ガタゴト行く。
車両は一両、運転手兼車掌兼駅の切符売りの乗務員、ひとり。
いつもの、愛用の、路面電車に乗って、俺は向かっている。
向かう先は、隣町の駅。
そこに、妹親子が住んでいる。
今日は、妹の子(つまり、俺の甥っ子)と遊ぶことになっている。
駅で待ち合わせて、甥っ子だけをピックアップして、目的地に向かうことになっている。
目的地は、府の施設である、ユニコーン緑地。
自然公園や植物園のようになっていて、春夏秋冬、色とりどりの植物が、生えほこっている。
常時オリエンテーリングができるように、園の至るところに、オリエンテーリング用の掲示板が掲げられている。
この時期は、その掲示板に簡単なクイズがプラスされている。
この時期は、つまり、オリエンテーリングならぬクイズラリーが楽しめる。
俺と甥っ子は、そのクイズラリー制覇を、今日の目的としている。
ユニコーン緑地に着く。
入り口横に、モニュメントが聳え立つ。
階段状になった、真っ白の円卓台座の上に、人体より一回り大きいユニコーン像が、聳え立つ。
今にも、天空へ駆け上がってゆきそうだ。
後ろ脚を台座にしっかと着け、前脚を駆けるように上空へ伸ばす。
入り口で回答用紙をもらい、ルールを確認する。
クイズは、全部で四問。
分からなければ、所々にヒントポイントが設けてあるので、それを参考にすること。
一問答えるごとに、ある単語が判明する。
全部正確に答えられたら(四つの単語が揃ったら)、新たに一つの単語が浮かび上がる。
それを最終的な答えとして、出口で提出する。
答えが合っていたら、正解賞として、ユニコーン緑地のゆるキャラの、クリアファイルをプレゼント。
回答用紙の最後の欄に、参加者への言葉が一言。
“では、健闘を祈る”
「尚、このテープは、自動的に消滅する」と、ぶつぶつ続けてつぶやいてから、声を大きくして甥っ子に言う。
「おお、健闘を祈られてんぞ」
「うん」
この手のクイズラリーは、まず問題のチェックポイントにトライするのが、セオリー。
おそらくそれで、クリアできそうな気がする。
それで分からんとこがあったら、ヒントポイントを参照しよう。
その方が、手早くクリアできそうな気がする。
そんなわけで、クリアにかかる時間を、一時間強と想定する。
「まあクリアまで、
一時間から二時間ってとこやろ。
焦らずゆったり、確実に行こ」
「うん」
甥っ子は、にこやかにうなずく。
眩しい。
さてと、一問目だ。
回答用紙の裏面に記載されている地図を辿り、一つ目のチェックポイントに向かう。
一問目は、なぞなぞだった。
“ 硬くて、
姿形が無くて、
病気を治したりするもの、
な~んだ? ”
「なんや?」
「なんや?」
『なんや?』
ん?
「う~ん」
「う~ん」
『う~ん』
んん?
『いや、だから』
『はい?』
『なんで、お前がおんねん?』
『いや、付き人としては、ハイ』
『じゃあ、クイズ答えんのに、参戦してくれるわけやな』
『もちろん。
まあ、二人よりも、戦力になるっしょ』
言ったな、こいつーーー!
サファイアの顔を睨みつけていると、甥っ子が、声を掛けて来る。
「おにじちゃん、おにじちゃん」
ハッと目をしばたき、甥っ子に目を戻す。
甥っ子に、サファイアの姿が見えない以上、何も無い空中を睨みつけていたららしい。
危ない人だ。
甥っ子も、キョトンと俺をみつめている。
「ああ、ちょっとあっちの世界に、トリップしてた」
「なんかええこと思いついた?」
「ちょっと収穫があった」
「なに?」
「戦力が増えたような、増えてないような」
「へ?」
「俺にも、よーわからん」
「なんやそれ」
目を細めて苦笑する甥っ子に、苦笑を返す。
問題を読み直す。
“ 硬くて、
姿形が無くて、
病気を治したりするもの、
な~んだ? ”
連想ゲームでいこう。
「とりあえず、一個ずつ潰していこう。
“硬い”と言えば?」
「ダイヤモンド」
「うん、確かに。
でも、他の二つの意味が、思いつかへん」
「てつ」
「う~ん。
短くて、なんかありそうな答えやけど。
なんか、しっくり来ん」
「いし」
「あっ!」
解けた。
一瞬にして、解けました。
右手を上げる。
頭上まで上げる。
右手を、平手からサムズアップ(親指を立てる)に変形する。
「解けました」
「えっ」
『えっ』
甥っ子もサファイアも、目を丸くして驚く。
「なに?!」
『何?!』
「まあ落ち着け」
両手を、胸の横で水平に上下させて言う。
ちと嬉しい。
「“硬い“は“石”やろ。
“いし”っていう言葉の発音に、注意してみ。
“姿形が無い”は?」
『あっ!
志すの“意志”!』
ニコリと笑って、サファイア(のいる空間)にうなずく。
甥っ子は、まだ考え込んでいる。
小学生には、この言葉を思い付くのは、酷かもしれない。
「じゃあ、“病気を治す”は?」
「おいしゃさん」
「別の言葉で言うと?」
「う~ん?」
「 ‥ 」
「う~ん」
「 ‥ “医師”って言わへんか?」
「あっ!
たしかに、そうとも言う!」
ちょっと小学生には、難しいなぞなぞ、であったか。
確かに、ボキャブラリーの知識はいる。
でも、柔軟なヒラメキも必要で。
だから、大人と子供のペアが、ええんやろうな。
とにかく、第一問は“いし”で正解らしいので、次に進む。
回答用紙の地図を頼りに、第二チェックポイントへ向かう。
第二チェックポイントは、「え~、お時間までお付き合いください」か。
“ 消防 と掛けて、
夢を食べる 獏 と解きます。
そのココロは? ”
二問目は、謎掛けか。
またもや、子供には難しいぞ。
大人が付き添う前提なのか。
「あっ、わかったかも」
「ええっ!」
『ええっ!』
甥っ子の高らかなる宣言に、俺とサファイアは、同時に驚く。
問うてみよう。
そのココロは?
「おじいちゃんが、むかし入っていたもので、近じょで火じがあったら、
出どうしていたのは?」
「消防団」
「せんそうで、ヒコーキとかで落として、こうげきするものは?」
「爆弾」
『あっ!
なるほど!』
サファイアは、気付いたらしい。
まだ、分からん。
いまだモヤモヤ顔をしている俺に、二人は助け船を出す。
「どっちにも使われていることばは?」
『共通する言葉は?』
モヤモヤ顔。
「ヒント。
おしりのことば」
『最後の言葉」
‥ モヤモヤ ‥ モヤモヤ ‥ あっ!
「だん!」
「そう」
『そう』
消防“だん”(団)、獏“だん”(爆弾)。
“だん”かー、“だん”なのかー。
これで、一問目を俺が解き、二問目を甥っ子が解いた。
次は、お前の番やな。
言葉を含んだ視線を、サファイアに投げ掛ける。
俺にヒントを出し、どや顔だったサファイアの唇が、少しトガる。
『分かってるって』
「おにじちゃん、今なんか言った?」
「あ?
言ってへんで」
俺の近くにいると、甥っ子にもサファイアの声が、ちょびっとだけ漏れ聞こえはするらしい。
詳しくは、聞こえないようだが。
『おかしなこと、言うやっちゃなー』の顔をして、甥っ子を見つめる。
見つめて、心の動揺をカモフラする。
ちなみに、甥っ子は俺のことを「おにじちゃん」と呼ぶ。
経緯は、次の通り。
「おにいちゃん」
「う~ん」
「どうしたん?」
「いや、その呼び方」
「うん?」
「俺の妹が、君の母親やねんから、お前がそう呼ぶのは分かる。
俺もそう呼ばれるのは、望むところや」
「ならええやん」
「でも、周りの人からしてみれば、『ちょっと戸惑うんちゃうかな』って」
「そうか」
「ほんで、『他のなんかええ呼び方、無いかな~』と思って」
「そうか。
じゃあ、おじさん」
「却下」
「おじちゃん」
「おじさんより親しみを感じるけど、望むところやない。
却下」
「じゃあ、おじいちゃんとおにいちゃんを、合わせて、おじいちゃん」
「おーい、
俺のポジションが変更されてます」
「めんどくさいなー。
じゃあ、おにじちゃん」
「う~ん、若干釈然としないものはあるが、まあええか。
‥ じゃ、それで」
「りょうかい」
「じゃあ、レッスン1。
コールミー、プリーズ」
「なに?」
「俺を呼んでくれ、ってこと」
「おにじちゃん」
「OK。
グッジョブ」
「なんで急に、えいご?」
「う~ん、今だけアメリカナイズの気分」
というわけで、俺は“おにじちゃん”になった。
まあ、「おじさん」「おっさん」「おじいさん」よりは、マシなような気がする。
過去の思い出に浸っていると、サファイアの声が聞こえて来る。
『次、次』
右手の人差し指を水平にして、胸の辺りで左右に動かしている。
おお、やる気満々やね。
今度こそ、解答ゲットってか。
回答用紙の地図を見ながら、歩みを始める。
甥っ子は、既に先々進んでいる。
情け容赦無し。
それが、子どもクオリティ。
甥っ子が先に、第三問のチェックポイントにたどり着く。
チェックポイントに掲げられた問題は、図だった。
《YES》と書かれた列と、《答え》と書かれた列がある。
《YES》の列には、肺(らしき絵)と、家(らしき絵)の中に(蜂の)巣(らしき絵)がある。
《答え》の列には、胃(らしき絵)の中に家(らしき絵)と、脳(らしき絵)がある。
まあ、こんな感じ。
“ 《YES》
肺(らしき絵)と、
家(らしき絵)の中に(蜂の)巣(らしき絵)
《答え》
胃(らしき絵)の中に家(らしき絵)と、
脳(らしき絵) ”
おそらく、左右に列はシンメトリーになっていて、各行それぞれ対応しているんだろう。
そして、《答え》に対応する言葉(あるいは図)が、第三問のそのものズバリの答えになるんだろう。
普通に単純に考えたら、“YES”に対応するのは“NO”やけど、そんな単純なものではないだろう。
他の図が、何を暗示しているのか、はてさて。
『楽勝やん』
耳を疑う。
サファイア?
サファイアなのか?
サファイアが言っているのか?!
『言ってます』
サファイアは言う。
改めて、言う。
『楽勝やし』
サファイアは、どや顔。
甥っ子は、はてな?顔。
俺は、は?顔。
ここは、サファイアに解説してもらおう。
甥っ子には、ちょっと悩んでおいてもらおう。
『どゆこと?』
『簡単やん。
YESに対応するのは、肺と家(の中の蜂の)巣、やろ』
『ふん』
『《答え》に対応するのは、胃家(の中にある)と脳、やろ』
『はい』
『全部、読みだけにしてみ』
『“いえす”には、“はい”と“いえす”。
《こたえ》には、”いいえ”と”のう”。
‥ あっ!』
『ね、簡単やろ』
サファイアは、『やっと、分かったんか』てな顔で、苦笑しながら、にっこりする。
『“はい”と”いいえ”、
”イエス”と“ノー”。
おのずから
導き出される《答え》は ‥ 』
『《NO》や』
マジで《NO》。
俺が最初に否定した《NO》。
《NO》なのか。
それでいいのか、ユニコーン緑地!
甥っ子に説明する。
甥っ子の目がみるみる見開かれ、口が「えっ?」の形に開かれる。
説明が終わった、甥っ子の第一声。
「マジで」
「マジなのだよ」
「それでええの?」
「俺もそう思たけど、ユニコーン緑地的には、それでええらしい」
二人は、『捻り無さ過ぎるやろ。もしかして、それが狙い?』の思いを押さえ込む。
でもなんか、モヤモヤする。
ひとりスッキリふたりモヤモヤは、第四問に向かう。
最後の問題、第四問チャックポイント。
問題は、以下の通り。
“ Aグループ
田
城
居留守
インク
駅
Bグループ
柿
気体
稚児
キス
本
Aグループに共通するもの+Bグループに共通するもの=
《答え》 ”
「こ、これは ‥ 」
甥っ子とサファイアは、俺の続く言葉に注目する。
「ナントカ頭脳パワーか、ナントカサプリか!」
二人とも、キョトンとしている。
しまった。
二人には、通じなかったか。
ああ、感じるジェネレーション。
しかし、そのジェネレーション・ギャップが、味方する。
この手の問題は、一連の《やわらかあたま番組》で慣れている。
二人より余裕を持って、解答を求め熟考する。
‥‥
‥‥
‥‥
三人とも、熟考する。
俺は慣れているので、余裕を持って熟考する。
‥‥
‥‥
‥‥
案外、難しいなこれ ‥ 。
ここに来てなんだけど、ヒントをもらってみるか。
一度も利用しないのって、なんか失礼やしな。
「 ‥ なあ」
「うん?」
「ヒント、もらわへん?」
「賛成!」
『賛成!』
二人とも、即答だった。
だいぶ苦戦しているらしい。
一番近くの、ヒントポイントに向かう。
ヒントポイントには、チェックポイントと区別できるように、ちゃんとタイトルをうっている。
“ 第四問のヒント
1.変換
2.文字加え
3.言葉になる。 ”
あ?
ヒント、大雑把過ぎるぞ。
何に変換すんねん?
mp3、Avi、mov?
jpg、pdf、html?
なわけねーか。
じゃあ、何?
とりあえず、クロスワードパズル式に、カタカナ変換してみるか。
Aグループ
タ
シロ
イルス
インク
エキ
Bグループ
カキ
キタイ
チゴ
キス
ホン
‥ 分からん。
で、次は、なんか文字を付けると。
この場合よくあるのは、前か後ろに付けるパターンやな。
アキ タ
アキ シロ
違うか。
シロ アト
イルス アト
違うか。
ウ イルス
ウ インク
ん。
ウ タ
ウ シロ
ウ エキ
おっ。
うた(歌)
うしろ(後ろ)
ウイルス
ウインク
うえき(植木)
おお!
よし!Aは解けた。
よっしゃ、B。
カキ ノハズシ
キタイ ノハズシ
違うわな。
キタイ ノシンジン
チゴ ノシンジン
おっ。
キス ノシンジン
ありそうやけど、違うやろな。
アマイ キス
アマイ ホン
う~ん。
甘々の恋愛小説とかそう言いそうやけど、なんか釈然とせん。
やり直し。
ツルシ カキ
ツルシ キタイ
違うな。
キタイ カン
チゴ カン
これも違う。
チゴ モチ
キス モチ
想像をそそられるけど、違うやろな。
エ キス
エ ホン
ん。
エ カキ
エ キタイ
エ チゴ
おお!
えかき(絵描き)
えきたい(液体)
えちご(越後)
エキス
えほん(絵本)
おお!解けた!
キターーーッ!
サファイアに、『おめー、まだ分かんねーのかよ』の一瞥をくらわす。
サファイアは、『ムカッ』の顔をする。
「君達、まだ分からないのかい?」
「君達?」
甥っ子が、怪訝な顔を浮かべる。
甥っ子にはサファイアが見えていないことを、つい忘れてしまう。
ぱあ~ん
右頬を右手でひっぱたいて、話を仕切り直す。
「君、まだ分からないのかい?」
「わからへんねん」
「もうちょい考えろや」
「あきた」
「早や!」
「ギブ、おしえて」
「しょうがねーなー」
と言いつつ、考えたプロセスを説明して、解答を導き出す。
サファイアも、ふんふん聞いている。
「なるほど」
『なるほど』
「そーくるか」
『そー来たか』
二人とも若干、上から目線。
もしかして俺、ちょっと見くびられていた?
一問目は、まぐれっぽく思われていた?
「そー来たんですよ、これが。
四問目の答えは、“う”+え”の“うえ”でいいと思う」
二人は、うなずく。
俺は、続ける。
「今までの答えをまとめると、
“いし””だん”“NO”“うえ”になる」
高らかに、声に出して言う。
言ってみて気付く。
いやこれ単純に、“石段の上”ってことでしょう。
石段の上に“何か”がある、っちゅう話なんやな。
その“何か”が、最終解答なんやな。
石段の上 ‥ ?
神社?
お寺?
城?
天守閣?
第六天魔王?
「 ‥ 分からん ‥ 」
『分かるけ?』の視線を、甥っ子とサファイアに飛ばす。
二人も、『頭、悩ましてます』の体勢で、考え込んでいる。
四、五分経過。
俺達は、ほとほと煮詰まってしまう。
埒があかん。
とりあえず、範囲を狭めて、連想しよう。
「とりあえず、範囲を狭めて考えよう」
「うん」
「ユニコーン緑地の中で、“石段の上にあるもん”を考えてみよう。
そう言ったら何やと思う?」
「ここの中で?」
「そう」
「花」
「う~ん」
「草」
「う~ん」
「木」
「う~ん」
「しばふ」
「う~ん。
どれもイマイチ、しっくり来んな~」
サファイアも、黙ったままだ。
やっぱりイマイチ、しっくり来てないらしい。
「石段の上な」
「石だんの上か~」
『石段の上ね』
三人して、考え込む。
最後が、ちょっと手ごわい。
「あっ!」
甥っ子が、叫んだ。
目を、見開いている。
口を、縦に大きく開けている。
頭上に、ピコーンと、何か閃いているような気がする。
「なんやなんや」
『なになに』
甥っ子は、にこら~と笑って、言う。
「わかったかも」
「分かったのか!」
『分かっちゃったのか!』
甥っ子は、俺(達)の突き刺さる視線を、ハッシと受け止めて、飄々と言う。
「思いついたら、ムッチャかんたん」
「いや、それが、思い付かへんから悩んでんねん!」
『右に同じ』
「かんたんカンタン。
入り口入るときに、なにがあったか、思いだしてみたらええねん」
「入り口に」
『入る時?』
俺(達)は、またしても考え悩む。
「ヒント、馬」
勝者の余裕で、ヒントを出してくれる甥っ子であった。
それに応えようとする伯父。
それに応えようとする伯父の付き人。
『あっ!』
サファイアが気付いたようだ。
俺に、『いや~、悪いね』の視線を注ぎ込んで来る。
『第二ヒント、角』
サファイアも、勝者の余裕で、ヒントを出して来る。
なんやねんなんやねん。
お前ら、なんやねん。
くそ~。
待っとれよ。
‥ ‥ ‥ あっ ‥ 。
ここに至って、やっと気付く。
なんや、原点回帰、輪廻転生か。
「ユニコーンっすか?」
「そう」
『そう』
いっちゃん初め、入り口から入る時、入り口の脇に、石段の上に鎮座していたユニコーンがいた。
確かに、いた。
それか。
確かに、ファイナルアンサーっぽい。
「よっしゃ。
じゃあ、解答受付のとこに行こか」
俺は、サムズアップ。
二人も、サムズアップ。
解答用紙に、第一問の答え・第二問の答え・第三問の答え・第四問の答え・最終解答を記入する。
出口横にある、解答受付へと向かう。
今回のクイズラリーの経過や内容について、ああだこうだと話しながら向かう。
ちょくちょく俺がサファイアの言葉を(甥っ子が不審がらないように)通訳して、三人で話す。
解答受付に、着く。
解答用紙を、差し出す。
受付の人が、答えを確かめる。
ちょっとドキドキしながら、待つ。
「はい、正解です」
パチン
(パチン)
俺と甥っ子、視線を交わしてハイタッチ。
こっそり、俺とサファイアもハイタッチ。
サファイアは、甥っ子の頭を、撫で撫でする。
甥っ子が、ヘンな顔をする。
「どうした?」
「なんか、アタマの上で、くうきがうごいてる」
サファイアが、甥っ子の頭を撫でている図を、見ながら言う。
「空気さんが、「よくできたました」とか褒めて、
頭撫でてくれてんのとちゃうか?」
甥っ子は、頭上に手をやる。
空気を、握りしめる。
サファイアの手を、握りしめる。
サファイアは、驚く。
「くうきさん、ありがとう」
空気を、手を、握りしめながら言う。
サファイアは、打ち震えるように固まる。
甥っ子は、手を放す。
サファイアは、一呼吸置いてひざまずき、甥っ子を抱きしめる。
甥っ子は再び、ヘンな顔をする。
「おにじちゃん」
「なんや?」
「くうきさんが、こんどは、からだじゅうで、うごいてる」
俺は、サファイアが甥っ子を抱きしめている図を愛でながら言う。
「空気さんが、《ありがとう返し》してくれてるんやろ」
「わざわざごていねいに、そんなことしてくれんでもええのに」
甥っ子は、にこっと笑って言う。
サファイアの抱きしめる力が、ギュと強まったように思う。
「おにじちゃん」
「なんや?」
「くうきさんのうごきが、からだに近くなったような気がする」
「気のせいやろ」
「気のせいかー」
気のせいやないんやけどね。
甥っ子に、謝り思いながら、甥っ子とサファイアの図を、見守る。
正解だったものの賞品とかあるわけでもなく、懸賞に応募できる権利が得られるだけだった。
一等は海鮮セット、二等は牛肉セット、三等はお米セット。
別段、どれもそそられないが、四等にちょっとそそられる。
「なあ」
「うん」
「この四等って、ちょっとええんちゃう」
「なに?」
「図書カード千円分」
「あ、いいかも」
「やろ。
ビリ当選で、あたる人数多いから、いけるんとちゃうか」
「おお」
二人して、四等希望で応募して、四等当選をお祈りする。
サファイアも、手を合わせる。
神とか仏とかその他諸々、基本的に信じているわけではない。
でも、甥っ子とサファイアが手を合わせているのを見ると、人の様として、手を真摯に合わせるのはええなと思う。
ユニコーン緑地の出口を、出る。
出口と入り口は隣接していて、帰りも石段上のユニコーンが送ってくれる。
『これかー』
サファイアが、石段を上り、ユニコーン像に近付く。
ユニコーンの角を、撫でる。
ユニコーンの顔に、頬ずりする。
ユニコーンと、それに添い慕う、緑の翼を持った橙貫頭衣の少女。
おお、ルネッサンス。
マジで、プレ・ラファエル。
眼前の光景に、時間と空間が揺さ振られる。
目をしばたいて、『おお!』とフリーズしていると、甥っ子が手を引っ張る。
「おにじちゃん、おにじちゃん」
「あ?」
「はよ行こうや」
「そやな」
ユニコーンと戯れるサファイアを置いて、歩を進める。
後ろから『ちょっと待ちいや』と声がするが、美しい思い出が壊れないように、構わず歩を進める。
翌日、石段から滑って、飛んで、落ちて、転がった。
ハッ ‥ ハッ ‥ ハッ ‥ ハッ
タッ ‥ タッ ‥ タッ ‥ タッ
軽快に確実に、丘の頂へ続く石段を登っていた。
ハッ ‥ ハッ ‥ ハッ ‥ ハッ
タッ ‥ タッ ‥ タッ ‥ タッ
頂に、着く。
石段を、登り切る。
石段を登り切り、頂に着くやいなや、地面に倒れ込む。
ハッハッハッハッ ‥
ハッハッハッ ‥ ハッハッハッ ‥
ハッハッ ‥ ハッハッ ‥
ハッ ‥ ハッ ‥ ‥ ハッ ‥
荒い息を整え整え、深呼吸に移る。
スゥーーーーーーーーーーーーーーー
ハァーーーーーーーーーーーーーーー
スゥーーーーーーーーーーーーーーー
ハァーーーーーーーーーーーーーーー
息が落ち着いて来たところで、立ち上がる。
立ち上がって、伸びをする。
頂にて、天空目がけて、伸びをする。
うーーーん
頂は、木々が取り払われ、日が燦々と当たる、こじんまりとした広場になっている。
広場の中央には、これまたこじんまりとした石塚が立っている。
いや、立っているというより、積み挙がっている。
おそらく登山者達が、自分の持てそうな石を頂まで登り運んで、積んだものだろう。
モンゴルやチベット、ネパールやブータンにありそうな石塚と言ったら分かるだろうか。
空は青。
所々、モクモクとした白。
周りは、緑と焦げ茶色。
地面は、緑と茶色がフィフティーフィフティー。
そこらへんの石の上に腰を下ろすと、ザックからチョコを取り出す。
水筒の茶で口と喉を湿らし、チョコを頬張る。
スイート&ビター、体中に浸透。
疲労感を感じていた体に、活力が甦って来る。
チョコをもう一粒頬張り、じっくりと味わい、体中に浸透させる。
茶を、ゴクゴクゴクッと飲み、一息つく。
風が、天空から広場へ、広場から木々へ、広場から石段へ吹き抜ける。
なんとも、心地が良い。
心地が良い内に、頂から降りてしまおう。
石段の手前で立ち止まり、膝屈伸を始める。
膝屈指を終え、「よしっ」と気合を入れて、石段を降り始める。
タンタンタン
タンタンタン
リズミカルに降りてゆく。
タンタンタン
タンタンタン
軽やかに降りてゆく。
タンタンタン
タンタタンタン
ちょっと、タイミングがズレる。
タンタタンタン
タタタンタタタン
わりと、タイミングがズレる。
タタタンタタタン
タタタタタタタタ
思いっ切りズレる。
ちょっとヤバイかも。
タタタタタタタタ
タタタタタタタターーーーーーーーー
脚の動きが、止まらない。
膝の回転、止まらない。
足が勝手に動き、加速度を増し、階段を駆け降りてゆく。
タタタタタタタターーーーーーーーー
タッ ‥
足が、石段から離れる。
体が、宙を飛ぶ。
水平方向への浮遊感に、包まれる。
そして、ひととき、世界が止まる。
すぐに、下方向への加速が始まる。
落下感は、増す。
石段が、迫って来る。
いや、その時間の長かったこと。
多分、ほんの数秒のことだろう。
が、本人の意識としては、石段を踏み外し、再び石段にぶつかるまで、『いつまでかかるねん。早よしてくれや』と叫び思った。
まずは、顔面がぶつかる。
体の中で、重く不安定な部分であろうから、頭がまず落ちて石段にぶつかるのは、納得。
痛さで、顔は引っ込む。
顎は、引かれる。
その為、頭頂部から後頭部にかけてが、前面に出される。
自然、背筋は曲がり、背中は丸まり、体は円を描くように丸まる。
丁度、脚を抱えて、体育座り(三角座り)をするような格好になり、石段をゴロンゴロン転がり落ちてゆく。
ゴロンゴロン
ゴロンゴロン
頭頂部→後頭部→背中→臀部→膝→頭頂部→ ‥ と順に痛みを感じて、縦回転縦回転して、落ちてゆく。
ゴロンゴロンゴロンゴロン
ゴロンゴロンゴロンゴロン
加速度を増す縦回転に、もうどこが痛いのか、追いつけなくなって分かんなくなって、石段を落ちてゆく。
ゴロンゴロンゴロンゴロンゴロン
ゴロンゴロンゴロンゴロンゴロン
いやもうホントに。
マジ痛っ。
どこまで行くねん。
ゴロンゴロンゴロンゴロンゴロン ‥
‥ ぐはっっっっっ!
一斉に息を吐き出し、息が一挙に詰まる。
最後の多大な痛みは、まず後頭部に来た。
続いて、背中。
そして、腰。
間髪入れず、脚が投げ出され、石段の踊り場に、踵を強く打ちつける。
吐き出した息と共に、口から液体が宙に飛び出す。
その液体が眼に引っ掛かる。
視界の全面が、真っ赤に染まる。
顔を歪める。
苦笑に、顔を歪める。
笑っちゃうぐらい、体中が痛い。
かなり痛い。
むっちゃ痛い。
後頭部が、なんや、じんわりして来る。
生あたたかーく、なって来る。
鉄の臭いが、空気中に混じる。
ああ、もしかして。
俺は、思う。
死ぬんちゃう、俺。
死ぬかも。
死ぬな、これ。
あああ ‥ ま、えっか。
色々あったけど、ま、総じてOK。
みんな、ありがとう。
視界が、闇に閉ざされる。
思考も、闇に閉ざされる。
BlackOut
WhiteUp
ん?
明るい。
光だ。
眼に、木々の緑、土の茶、石段のグレーが飛び込んで来る。
どうやら、視力を取り戻したらしい。
それに伴い、視界も広がる。
思考も流れ出す。
いつの間に、立ち上がったものやら、石段の踊り場に、突っ立っている。
視界が落ち着いて来るにつれ、足元に何かが転がっている、のに気付く。
何だ。
足元に視線を落とす。
俺だ。
俺が足元に倒れている。
口周りを血だらけにし、顔を血に染めている。
後頭部を血溜まりに沈めている。
右腕は、あらぬ方向を向いている。
左腕は、あり得ない方向を向いている。
右脚は、変な方向に曲がっている。
左脚は、笑っちゃうような方向に曲がっている。
あちゃー。
ダメだ、こりゃ。
ハタッと気付く。
思考が急速に、冷静化する。
なんやこれは、俺の屍体か。
ということは、かくなる俺は、霊魂ってことか。
俺は、どうやら死んだらしい。
いや、確実に。
ま、総じてOKの人生やったから、まあええか。
心残りがあるってすりゃ ‥
バサッ バサッ
バサッ バサッ
ん?
バサッ バサッ
バサッ バサッ
後ろから両脇に、腕らしきものが、差し込まれる。
差し込まれた腕は、俺の胸元で、両手をガッチリ、ホールドする。
投げられる?!
投げっ放しジャーマン?!
と思ったが、そんなことは無かった。
一呼吸置いて、また、あの音が聞こえて来る。
バサッ バサッ
バサッ バサッ
音に合わせて、俺の体(霊魂か)が、少しずつ浮く。
脚が、石段の踊り場から、浮き上がる。
バサッ バサッ
バサッ バサッ
みるみる、石段の踊り場が小さくなる。
石段を囲んでいる木々が視界に入ったと思ったら、これもみるみる小さくなる。
仕舞いには、麓から頂までの、石段全体が眼に収まる。
だいぶ、上空まで昇ったらしい。
ちょっとした高所恐怖症なので、股間から背筋に沿って頭頂まで、ゾゾ気が突き抜ける。
『霊魂でも、ゾゾ気が起きますか』
怖いながらも、可笑しさに囚われ、苦笑をこぼす。
でも、傍から見ると、泣き笑いの顔になっているような気がする。
バサッ バサッ
バサッ バサッ
だいたい、分かる気がする。
『分からいでか!』みたいな。
俺をガッチリ、ホールドして、天空高く運んでいくとなりゃ、あいつしかおらへんやろ。
音を立てそうな翼も、あることやし。
高度が下がる。
斜め下にスライドするように、高度が下がってゆく。
どうやら、着陸地点が近いらしい。
高度が下がって行くラインの先を見ると、どうもある建物の屋上が、着陸地点らしい。
あれ、あの建物は?
どっかで、見たことあるぞ。
その建物は、以前、路面電車から見た、マンションだった。
ベランダが階段状になっている、マンション。
階段天使が、ふわやかにカラフルに、降りて来たマンション。
マンションの屋上上空まで来ると、一旦、空中停止して、緩やかに慎重に高度が下げる。
衝撃を感じることなく、足からゆっくりと着地する。
バサッ バサッ
バサッ バサッ
バサッ バサッ
バサッ バサッバササ ‥
俺を吊り下げて飛んでいた人も、着陸して翼を仕舞ったらしい。
胸から、ホールドしていた腕が外される。
「おいおい、サファイア、
どうしたんや?」
振り向きながら、言う。
誰?
どちら様ですか?
髪をオールバックに撫でつけ、カイゼル髭を生やした初老の紳士っぽい人が、後ろに直立している。
背筋をピンッと伸ばし、踵と踵を音がしそうなくらい打ち合わせて、真っ直ぐ佇んでいる。
オールバック、カイゼル髭、隙の無い姿勢。
しかし、背中には、翼。
藍色ともディープブルーとも言える様な、紺の翼を背に負っている。
翼は、紳士の鼓動に合わせ、小刻みに振動しているようだ。
一種に、呆気が奔る。
ポカンと、口を開ける。
が、すぐに自分を取り戻し、尋ねる。
「 ‥ え~と、どちら様ですか?」
「 ‥ 師匠」
返事は、尋ね先とは違う方角から、届く。
その方角には、緑翼の天使が居た。
ピンと立って、少女の顔している。
「サファイア」
「だから、ウチの、師匠」
「は?」
このオールバック髪カイゼル髭の紺翼初老天使が、サファイアの師匠らしい。
「いや、師匠から、「もうそろそろお前も、弟子を持ってもてええ頃やろ」
って、お許しが出たから」
「は?」
「で、ちょうど、上手いこと死んでくれたから、
師匠が『こりゃええ』ってんで、お膳立てしてくれてん」
‥ えーと、イマイチよく分からないんですが。
俺にも分かるように、俺のことを考えた俺の立場を考慮した説明を、してもらえますかね。
カイゼル髭の師匠天使は、口元に笑みを浮かべるばかりで、説明に加わろうとしない。
いや、実際、俺をここまで運んで来たん、あなたでしょ。
サファイアに任せっ切り?
自由放任主義?
プチ放置プレイ?
「さてっ ‥ とっ ‥ 」
サファイアは、俺の腕を取って、引っ張って行く。
『どこ連れてくねん?』と思ったが、すぐに止まる。
止まった位置で、腕は体にピタッと付けさせられ、脚はキチッと揃えさせられ、背筋ピンと《気を付け》をさせられる。
その位置は、屋上の縁 ‥ 階段状になったベランダ群の際、だった。
視線を下げれば、スウーと地上へと続く階段ベランダが、見てとれる。
かなり怖い。
背筋をゾゾ気が走る。
視線を外す。
怖さを誤魔化す為、サファイアに雄弁にしゃべり出す。
「いや、、これはあかんやろ。
大体、俺、高所恐怖症の階段恐怖症やねん。
遊園地とかのジェットコースターは勿論のこと、観覧車もあかんし、
高い建物の展望台とかあかんし。
高くなくても、下が見える階段とかあかんし。
この前なんか、エスカレーターはあったけど ‥ 。
えっ? ‥ ええっ? ‥
えーーーーーーーーーーーーー!」
思わず、ヘタレ声を出してしまう。
だって、後ろから押された。
ガッツリ押された。
位置的に、サファイアだろう。
サファイアに違いない。
サファイアかよ。
なんや、あいつ!
と、怒りの感情噴出もそこそこに、ネガティブなイマジネーションに囚われる。
落ちる。
段に、ぶつかる。
痛い。
血が出る。
骨が折れる。
体が、飛び跳ねる。
転がり落ちる。
地面に、叩きつけられる。
ペシャンコになる。
体の下から、血が広がる。
先ほど経験したばっかやのに、また経験すんのか。
一日二回は、ヘコむな~。
ああ。
お母さんお父さん、お爺ちゃんお婆ちゃん、その他諸々みんな。
俺は、旅立ちます。
「いや、旅立ってるから」
サファイアの声音を伴った、当意即妙のツッコミに、不可解を感じる。
『は?』
イマジネーションに、裏切られる。
落下感を、一向に感じない。
感じたのは、浮遊感だった。
それも、ほんのちょっぴり斜め上の、上昇感を伴っている。
くわっ ‥ キョロキョロ ‥
思わず目を見開き、じっくりと周囲を見回す。
浮いている。
じんわりと、前方に進んでいる。
『マジで?』
どうやら、火事場のクソ力とか追い詰められての超能力発揮とかなんとかで、無意識に舞空術とかなんとかを駆使しているらしい。
おお、やるやん、俺。
やる時やります、俺。
そうです、これが俺です。
自分に浸っていると、唐突に急激に、ストーンと落下感が襲って来る。
『ですよねーーーーーーーーーーー』
と、『やはり』『さもありなん』と、ナチュラルに受け止めながら、思い叫ぶ。
自分の後引く心の叫びに重ねて、再び思う。
お母さんお父さん、お爺ちゃんお婆ちゃん、その他諸々みんな。
俺は、今度こそ旅立ちます。
「いや、ある意味、旅立たへんから」
サファイアの声音を伴った、再びのツッコミが入る。
バサッ バサッ
バサッ バサッ
背中に空気を感じる。
バサッ バサッ
バサッ バサッ
背に気圧が。
バサッ バサッ
バサッ バサッ
背面に、空気が渦巻く感じが。
落下感は、ふわりと止まる。
物理的にも、体の落下が、ふうわりと停止する。
バサッ バサッ
バサッ バサッ
目の前に、物体が二つ、降りて来る。
ふうわりふんわりと、降りて来る。
バサッ バサッ
バサッ バサッ
右の物体は、緑の翼を、はためかせて。
バサッ バサッ
バサッ バサッ
左の物体は、紺の翼を、はためかせて。
右に貫頭衣少女、左にカイゼル髭紳士。
右にサファイア、左にサファイアの師匠。
二人はそれぞれ腕を組み、ちょっぴり上から目線で、ほんの少し偉そうに言う。
「後ろ見てみ」
「うむ」
サファイアの言葉とサファイアの師匠の重厚なうなづきに促され、後ろを振り返る。
右肩越しに後ろを振り返ると、なんかわさわさとした、白い物体が目に入る。
いや白だけじゃなく、所々に、赤も目に付く。
赤の入った白いものは、波打ってひらめいている。
慌てて、左肩越しにも、後ろを振り返る。
慌てて振り返ったものの、左肩越しの後ろも、同じようなものだった。
所々赤、の白。
波打ちはためく。
そして俺は、途方に暮れる。
‥ え~と ‥
不可思議に怪訝な顔をして、考え込む。
そんな俺を見て、サファイアとサファイアの師匠(ああ、ややこしい。以後は、ウム師匠と呼びます)は、助け舟を出そうとする。
「説明すると ‥ 」
「うむ」
「いや!
みなまで言うな!」
俺は、サファイアの続く言葉を遮る。
「大体、分かった」
俺は、『全部聞くのめんどくさいから、みなまで言うな』の顔をして、サファイアにうなずく。
「じゃ、そういうことで」
「うむ」
サファイアとウム師匠は、ダチョウ倶楽部の《どーぞどーぞ》みたく、あっさりと引き下がる。
いや、いくらなんでも、それはあんまりです。
少しは、説明してください。
大まかなアウトラインでいいですから、提示してください。
サファイアとウム師匠は、口を開きそうにない。
『こいつはもう、分かったんだ。悟ったんだ』とばかりに、慈愛の瞳で俺を見つめている。
キラキラ
キラキラ
どうやら、俺が、話しを切り出すしかなさそうだ。
こういう事態に一方的に引き込まれ、当事者が想定する事情を説明するのは、釈然としないが。
「 ‥ え~とつまり、俺は、石段踏み外して死んだと」
「うん」
「で、霊魂だけここまで、師匠が運んでくれたと」
「うむ」
「で、サファイアが、マンションの屋上からベランダ階段に向けて、
俺の背中を押してくれたと」
「うん」
「そのお蔭で、俺は《階段天使》になったと。
以後、サファイアは、俺の師匠になると」
「そう」
そう、って。
「いやいや、納得してへん。
一度も、『階段天使になりたいな』とか言ってへんし。
フツーに死にたいし。
なにより、階段天使になって、何すんねん?」
サファイアは、両肘曲げて手の平を上にし、肩をすくめる。
『おやおやボブ、何を言うんだい』ってなもんだ。
「ま、気にしんとき」
は?!
はあ?!
いやいや、もう既成事実化?
出来上がった事実は動かず?
俺が、余りのことに声を出せず、口をパクパクしていると、ウム師匠もうなずく。
「うむ」
は?!
はあ?!
グル?
二人ともグル?
ハメられた?
見事にハメられた?
いつのまにか、とんでいる。
いつのまにか、空にいる。
せなかから、バサッバサッ、音がする。
せなかの服が、力づよくつままれている。
力の強いUFOキャッチャーにはさまれたように、つままれている。
車が近づいてきたのは、おぼえている。
車にひかれそうになったのも、おぼえている。
『うわっ!』とおもって目をつぶって、気がついたら、空にいた。
体は、小さく、うえしたにゆれながら、空をとんでいる。
『どこ、行くんやろう?』
わりと、空高く、とんでいる。
ビルとかマンションの、おくじょうくらいの高さだ。
あるマンションの上にくると、体は、おりて行く。
ベランダがだんだんになっていて、かいだんみたいになっているマンションだ。
スウーーーーー トン
足が、マンションのおくじょうの、じめんにつく。
しばらく、ボーッとしていると、せなかをかるくおされる。
「えっ」
うしろを見てみると、だれもいない。
前を、むきなおす。
「え?なんで!」
またもや、せなかをかるくおされる。
かるくやさしく、でもガッチリシッカリと、ズズズイーーーーーッと、てなかんじでおされる。
おくじょうに出る、かいだんの出入口までくる。
そこで、おされるかんじは、なくなる。
どうも、『かいだんをつかって、下におりろ』と言っているらしい。
出入口の前でじっとしていると、せなかをポンッとおされるかんじがする。
どうも、『はよ行け』と言っているらしい。
おそるおそる出入口のドアをあけ、中に入る。
タンタンタンと、かいだんをおりる。
『なんやったんやろう』
パーン
右のほっぺたを、はたいてみる。
いたい。
ドアが閉まる。
ふいーっ
甥っ子を送り出し、一仕事一件落着。
日の光りが、燦々と降り注いでいる。
おそらく上は、青い空白い雲、に違いない。
目を細めにして、上空を見上げる。
「げっ!」
屋上への甥段出入口の、屋根。
その屋根の上に、仁王立ちのサファイアがいる。
両肘を折り曲げ、両手を拳にして、両腰にしっかと据えている。
サファイアは俺を、じっと見つめる
じっと見つめる。
見つめる。
痛い。
痛熱い。
視線に、焼き尽くされそうだ。
視線に熱を持たせているのは、俺の罪悪感か。
サファイアは、じっと見つめる瞳を緩め、両目を閉じる。
そして、左腕を上にして、胸の前で腕を組むと、高らかに宣誓する。
「今から過去三十分間ほど、記憶喪失になります」
ありがとう。
有り難し。
サファイア、腕を組んだ状態から、左手の親指を上げて、サムズアップ。
ポストカード大の額縁に入れられて、俺の顔写真が微笑んでいる。
ポストカード大とはいえ、俺の写真が引き伸ばされて飾られているのは、照れ臭くて苦手だ。
写真の前には、ほうじ茶の入ったマグカップが置かれている。
どんぐりまなこの面長犬と、どんぐりまなこの面長男のキャラクターが描かれたやつだ。
甥っ子がマグカップの横に、漫画の単行本を供える。
「どしたん、それ?」
妹が聞く。
「かった」
「お金あったん?」
「このあいだ当たった、としょカードでかった」
「ああ、緑地のやつ」
妹は、漫画を手にとって、眺める。
「なんでこれなん?」
「おにじちゃん、よんでたから」
「へえ」
「あたらしいの出たから、かってきてん」
「お兄ちゃんも、喜ぶやろ」
喜んでいる。
喜んでいるぞ。
妹は、漫画を供え直すと、サクッと手をあわせる。
甥っ子も、サクッと、手を合わせる。
あの後、サファイアとウム師匠が、階段天使界本部に掛け合ってくれた。
そのおかげで、甥っ子からは見えないながらも、限定的ながらも、甥っ子に付くことになった。
曰く、
・姿が見える人が出て来たら、その人にも附くこと。
・その人が主で、甥っ子が従になるから、付く時間は、
三(附く人)対一(甥っ子)の割合にすること
こんな状態になってしまったけど、よう考えたら、こんな状態になったからこそ、甥っ子を助けることができたわけで。
サファイアの言う、
『悪いことにはならへんと思う』=《懐深く、大きな視点で臨め》
の通りの展開。
まあ、結果オーライ、総じてOK。
二人がいなくなると、漫画を手に取って、読み始める。
おお、こういう展開になるのか。
ええ、あいつが!
甥っ子、グッジョブ。
これからも頼む。
せめて、この漫画が終わるまで。
甥っ子が、部屋に入って来る。
{了}