07 理由
鈴原家を訪問した次の日。昨日の件でクラスは大騒ぎになっているだろう。できるだけ面倒な話をしたくなかった僕は前日より更にギリギリに学校へ行った。
教室に入った途端に全員の目が僕に集まった。でも先生が来るまでの短い時間に彼らが僕に話しかけてくることはなかった。僕を見た先生がギョッとした表情を見せたほど僕の顔は左側が腫れ上がっていたからだ。
最初に僕に話しかけてきたのは、鈴原や僕と一緒にこの高校に進学した女子の1人だった。
「神崎。それ、どうしたの?」
「鈴原のお父さんに殴られた」
「えっ!? つまり……そういうこと?」
「昨日教室で言っただろ。そういうことだよ」
「えっ、でも。湊川くんは?」
「まあ、こうなったのは湊川の責任でもあるな」
「えっ? どういうこと?」
「僕の口からは言えない。湊川が学校に出てきたら好きなだけ聞いてくれ」
今日はまだ登校していないようだ。説明責任はあいつに押し付けることにした。わざと曖昧な言い方をしたのは後で話の辻褄を合わせをするときのためで、湊川が余計なことを言った場合にそれをひっくり返す方法も考えている。どんな作り話をされたとしても鈴原はもう登校しないだろうから誤解を解くのは急がなくていい。
鈴原が湊川の恋人だということは知れ渡っていたから、鈴原に横恋慕していた男子は全員すでに失恋済みだ。相手が僕に変わっても恨み言を言うやつはいなかった。
偏差値トップの公立高で受験を控えた3年だということも、クラスメイトから面倒なやつが現れなかった理由の一つだろう。
それでも事情が気になる何人かは僕に話しかけてきた。喋ると頬が酷く痛むからという理由で会話を全て断われたことは、鈴原のお父さんに感謝しよう。
湊川は放課後になっても学校には来なかった。監視させている探偵事務所からの情報では今日は全く部屋から出ていないそうだ。
◇◆◇◆
放課後。鈴原の母親から電話があった。
「神崎くん。今日、家に来れるかな?」
「え? えっと……顔は昨日より酷い状態なんですが」
「それはもういいの。優香ちゃんもそのことは知ってて、貴方に直接話をしたいって言ってるの」
「それはつまり?」
「神崎くんへの答えが決まったってことよ。内容は直接会って本人から聞いてね」
「わかりました。すぐに伺います」
母親の僕への話しぶりから考えると悪い答えではないのか? いや、単純な答えじゃないから本人にしか説明できないということもありえる。
タクシーが鈴原家の前に着くと本人が玄関の前で待っていた。もうここで彼女からの答えを聞くことになるのか。まさか門前払いをするために待ってた訳じゃないよね?
タクシーから降りた僕の顔を見て、鈴原が息を呑んだ。
「酷い……」
「あー、見かけほどじゃないんだ。いや、お父さんが手加減したってことじゃないよ? 僕がいきなり話したから思わず手が出てしまったって感じで、鈴原への愛情を感じるような一発だった」
僕がそう言うと鈴原はその目を細めて眩しそうに僕を見た。その表情に彼女からの好意を感じて僕は少し胸を高鳴らせたけど、単に僕の後ろにある夕日が目に入って眩しかったのかもしれない。
「そ、その。お母さんに電話で聞いてから来たのよね?」
「ああ、そうだよ」
「ごめんなさい!」
いきなり謝られた。えっ? 本当に家にも入らず鈴原に断られた?
「わたし、お父さん達に本当のことを話したの」
「本当のって……子どもの父親のこと?」
「……うん」
ああ……鈴原は話しちゃったのか。彼女らしいと言えばらしいんだけど、これで僕の旗色はかなり悪くなった。
「それでもお父さん達に会ってくれる?」
「勿論だよ。君の大切な両親だ。認めてもらえないと鈴原を幸せにするって約束は守れないだろ」
鈴原の後を追って客室に入ると両親は既にソファーに座っていた。僕と彼女はその前のソファーに並んで腰掛けた。
父親の顔は最後に見た時より渋い表情だった。母親の顔も昨日の笑みが消えている。これは良くない兆候だ。電話の母親は明るい声だったから例の件を鈴原から聞いたのはその後か。
「優香から聞いたよ。お腹の子は君の子じゃないんだって? 娘には手を触れたこともないそうだな」
まずい展開だ。僕の見たところこの父親は鈴原を溺愛している。まだ高校生の愛娘が妊娠させられて、そこにお腹の子とは無関係な男が現れて代わりに責任を取ると言い出した。冷静に考えたらそんな人間に娘を任せようと思う父親はいないだろう。
「君の優香に対する気持ちも娘から聞いた。正直に言って理解できない部分もある」
まあ、そうだろうなとは思う。歳の差はあるけど鈴原の両親は容姿に関してならお似合いと言える夫婦だ。この2人から鈴原が生まれたのも納得できる。僕のようなストーカー男の気持ちがわからないのも当然だ。
ということは、もう僕は必要ないってことかな? 両親が事態を受け入れたのなら、僕が彼女に提供できそうなことを親からはもっと簡単にできる。
「何故、他の男の子を孕んだ優香を受け入れようと思ったんだね? これまで娘は君の好意を知りながら無視してきたのに」
「あ、そっちですか」
「そっち?」
「いえ。……えっとですね。上手く説明できるかわかりませんが」
「上手くなくていい。頭に浮かんだままを話して欲しい」
「優香さんは中学の頃に半数以上の男子が好きな相手として挙げていました。彼女がその全員の気持ちに応えるのは無理です」
「君の思いはその男たちと同じだったか? とてもそうとは思えないが」
「わかりません。それを確認する機会がありませんでした。それは優香さんにとっても同じです」
もし僕が鈴原に対して自分の気持ちを全て伝えていたら……ストーカー認定に直行していたと思う。自分で言うのもなんだけど僕のこの想いは普通の人が受け止めるには重すぎる。
「こういう状況になって初めて僕は優香さんに自分の気持ちを伝えることができました。もちろん、それを受け入れろと彼女に強要するつもりはありません」
僕はそう言ってから鈴原を見た。彼女が出したという答えを聞くためだ。彼女さえ僕に応えてくれるなら、僕は自分の誠意をあらゆる手を使って両親に認めさせてみせる。
「神崎はわたしのどんなところが好きなの?」
「最初はやっぱり目立つほど可愛いかったところかな。でもその頃は好きというより無視できないって感じだった」
「そう。それから?」
「簡潔にまとめて言うのは難しいんだ。好きだと思ったエピソードでもいい?」
「うん」
「印象が変わったのは同じ美化委員になった時。打ち合わせの時にいつも僕の目を見て真面目に考えながら話をしてくれた。僕の言葉を聞き落とすこともなかった」
「それって、当たり前よね?」
「当たり前じゃない子も多いんだよ。そんな子だって鈴原に対しては違ったと思うけど、僕はまあモブ……」
「もぶ?」
「その子たちから見て特別じゃなかったんだ。鈴原は周りの人間に引っ張られずに、間違ってると思えばそう言うし、本人のいない場所で悪口を言ったりもしない。育ちがいいって、こういうことなんだなと思った」
「……それって、皮肉で言ってるんじゃないのよね?」
「皮肉? 好きになった理由なんだから違うよ」
「……そう」
「それから、人の手助けをしてる時に笑顔だったところとか、赤ん坊を抱いてる時の優しい顔とか、虐められている人を見つけた時の毅然とした態度とか、苦手な競技を一人で一所懸命に練習していたこととか、放課後に一人で残って皆んなが放り出した壁新聞を書いてたこととか、捨て犬の飼い主を探していたこととか……」
彼女との一方的な思い出を順番に口から出していく。しばらく続けていると優香の頬が赤くなって視線がうろうろし始めた。自分が普通だと思ってしていたことを次々と褒められて照れくさくなったのかな。
「……掃除の担当が決まってないゴミ箱のゴミをいつも捨てていたこととか、中庭で低学年がケガをした後に石を拾い集めてたこととか、屋根の上に…」
「も、もういい!」
「あ、うん」
「よくわかったから」
まだ中学に入った頃までしか話してないんだけど、少し言葉に熱が入り過ぎてたかもしれない。それくらい彼女の行動の一つひとつが僕の心には刺さっていた。
鈴原は俯いてしまって隣から見下ろしてる僕にはその表情が見えない。身長の10センチを超える差がそのまま座高の差だからだ。
「と、いうことなんです。だから僕が優香さんを好きになった沢山の理由と、彼女が妊娠したこととは関係ありません」
「そうか。君はそんな風に考える人間なんだな」
鈴原の父親は穏やかな声でそう言った。
「僕がどうこうじゃなくて優香さんが特別なんです。彼女みたいな優しい人が不幸になるのを僕は許せないんです」
「……」
「どう? お眼鏡に適った?」
母親からそう聞かれて、父親の表情に少し渋いものが浮かんだ。
「神崎君。もし君が娘を哀れだと思って結婚を口にしたのなら、儂はその申し出を断るべきだと考えていた。望まない妊娠ぐらいで娘の将来を台無しにはさせない。儂にはその責任と自信がある」
「はい。それは僕もわかっています」
「……君の気持ちには感謝している。だがそれと結婚は別だ」
「お礼として結婚を認めてもらおうとは思いません。僕が彼女を幸せにできるかどうかで判断してください」