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06 父親

 これから好きな女の子の父親に結婚を認めてもらうために会う。普通ならガチガチに緊張しても仕方がない状況だけど、いまの僕はむしろ期待に胸を膨らませていた。


 高1の時、鈴原とその友だちとの会話を耳にした僕は彼女の祖母が入院したことを知った。彼女の声から隠しきれない不安を感じた僕は、その時に初めて探偵事務所に行って入院先を調べてもらった。

 8年前に鈴原の祖父が亡くなった時、彼女がひどく落ち込んでいたことを僕は覚えていた。そんなことがまた彼女の身に起こるのかと心配になった僕は、その祖母の様子を確認したくなった。

 認知症だった祖母の悦子さんは、出会った僕を死んだ自分の家族と勘違いした。そのおかげで僕は彼女から何日にも渡って鈴原家のことを詳しく聞くことができた。


 一言で言うと、さすがは鈴原が育った鈴原家だと思った。悦子さんの子どもや孫への欲目はあるだろうけど、聞いていて羨ましいと思うほどの良い関係が築かれていた。彼女の父親も勿論その1人だ。


 ◇◆◇◆


 鈴原の父親が家に帰ってきた。客室に入ってきた大男を僕は立って出迎えた。僕の体重の倍ほどある筋肉質の体で、まだ若く見える母親と並ぶと親子と言われても不自然じゃない落ち着いた外見だった。


「優香。体は?」

「今は大丈夫」

「それで君は?」

「優香さんの同級生です。ここには彼女に付き添ってお邪魔しました」

「そうか。世話をかけたな」

「いえ。僕にはその責任がありますから」


 僕の言葉を聞いて父親が眉をひそめた。


「優香さんの体のことで、ご両親にお話したいことがあります」

「娘の?」

「はい。彼女からお二人には口にし難い話なので、僕とご両親とで話ができませんか?」

「……優香。部屋に戻っていなさい」

「……はい」


 鈴原は少し迷う素振りを見せながら客室を出て行った。足音が遠ざかるのを聞いてから話を始めようと思ってたけど、部屋の防音性が良過ぎるのか音は全く聞こえなかった。


 少し待ってから僕が部屋の空いたスペースに移動すると、父親が怪訝そうな顔で僕を見た。


「どうした? 座りたまえ」

「いえ。短い話ですからここで」

「娘の体のことと言ってたな」

「はい。優香さんのお腹の中には子どもがいます。僕にはその責任があります」


 もちろん全ての責任ではないけど、あるかないかで言えばある。僕は自分の行動次第では鈴原の妊娠を防ぐことができたと考えている。

 ただし遠回しに忠告した時の彼女の反応から考えたら、僕が知った内容をそのまま鈴原に伝えていても彼女の信頼を失うだけで2人は別れなかっただろう。

 でも妊娠する前に別れさせる方法ならあった。湊川の悪行についてある程度の情報が集まった時点ですぐに両親に伝えていれば、無理矢理でも彼女は湊川から引き離されていたはずだ。


 その権利もないのに違法な手段で情報を集めていた僕は優香から嫌われるだろう。そんな僕の言葉を彼女が信用するわけがなく、引き裂かれた湊川への未練が彼女の中に残ることになる。僕にとってそれは歓迎できる事態じゃない。

 つまり僕は、彼女が妊娠する可能性より自分が嫌われないことの方を優先したわけだ。その点で責任があると言っても間違いじゃないだろう。


 父親はゆっくりと立ち上がると僕の前に立った。


「もう一度言ってくれるか?」

「優香さんのお腹の中には子どもがいます。その責任をとれるとしたら僕だけです」


 ◇


 気がつくと僕は床に倒れていた。左の頬が燃えるように熱かった。


「大丈夫みたいね」


 膝をついて僕の顔を覗き込んでいた母親がそう言った。僕は起きあがろうとしたが、頭がクラクラしてすぐには立てなかった。


「何が目的だ?」

「え?」

「儂を訴えるか?」


 敵意を持たれるのは仕方がないけど、父親の怒りの方向は僕の想定とは違っていた。


「殴られたことを、ですか?」

「他にも何かあるのか?」

「いいえ。それに殴られて当然のことを言いました」

「それなら何故笑った」

「笑った? ……すみません。記憶が飛んでしまったようで覚えていません」

「間違いなく笑ったぞ。それも殴られる瞬間にな」


 なるほど。それで何かを企んでわざと殴られたと思ったのか。


「覚えていませんが、笑った理由なら何となくわかります」

「何だ?」

「本気で殴ろうとしたからです。今の発言でもわかるように貴方なら暴力を振るった方の立場が悪くなることは理解してるでしょう。それでも我慢ができないほど優香さんを愛してるということですよね」

「……」

「確かに、嫌な笑い方じゃなかったわ」


 母親の方から僕に対するフォローが入った。父親は彼女を軽く睨んでから僕に視線を戻した。


「それで? これからどうするつもりだ?」

「優香さんと結婚したいと思っています。今は彼女へのプロポーズに対する返事を待っている状況です」

「あら」

「随分と簡単に言うんだな。まだ高校生なのに、これからの生活をどうするつもりだ?」

「それはこれを見てください」

「ん?」


 僕はまたスマホの投資アプリを開いて金額を見せた。


「これは僕が祖父にもらった100万円を原資にして増やした、僕が自由にできる金額です。優香さんに住む場所を用意して、授業料も含めて大学での4年間を過ごしてもらうのに十分な額だと思っています」

「む……」

「今は投資だけでなくコンサルタントの仕事もさせて貰っています。この名刺の会社に確認していただければ、僕の仕事とその評価はわかると思います」


 父親は僕の差し出した名刺を受け取ると、チラッと見てから懐にしまった。


「当面の生活資金は心配いただかなくて大丈夫ですが、できれば優香さんのお母さんには彼女の子育てを支援して欲しいです。まだ詳しくは相談していませんが、出産とその後の子育てを優先して大学受験は1年か2年遅れて受けてもらうつもりです。高校はやめて高卒認定試験を受けてもらおうと考えていますが、もちろん全て優香さんの意思を尊重するつもりです」


 僕は床に正座した状態でそう話した。


「優香ちゃんを愛してるのね?」

「はい。小学校以来、彼女以外の女性に好意を持ったことはありません」

「そう言われると、貴方の顔には見覚えがあるわね。もしかして優香ちゃんが初恋?」

「そうです」


 母親の顔に、あらあらといった感じの笑顔が浮かんだ。父親の顔にもさっきまでの怒りを感じられなくなっている。


「僕から伝えたかったのは以上です。後は優香さんと話し合ってください。彼女が軽率だったわけではありません。悩んだ上で拒みきれなかったんです。全て男の側の責任です」

「神崎くんの気持ちはよくわかりました。あなたもいいわね? 優香ちゃんを呼んで話しましょう」

「あ、いえ。今日はこれで失礼しようと思います。全員で話すのはこの顔が戻ってからにしてもらえませんか?」


 そういって僕は痛む自分の頬を指さした。


「あ……そうね」

「優香さんには考える時間を十分にとってもらいたいと思います。ご両親も僕がどんな人間かを確認する時間が必要でしょう」


 その意見を両親に受け入れられた僕は、呼んでもらったタクシーに乗って自宅に帰った。


 鈴原は僕の提案を受け入れてくれるだろうか。勢いで何とか押し切れそうな気がしたけど、後になるほど彼女らしい冷静さが戻っていた。

 恋人でもない女性の付き合っている男をこっそり調べていたことは、客観的に見てストーカー扱いされても仕方がないだろう。


 鈴原は尊敬する人に先ず挙げるほど両親のことを大切に思っている。だから2人にこれ以上心配はかけたくないと考えて僕の話に乗ってくれるんじゃないか。僕はそれを期待するしかなかった。

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