55 産学連携
この大学の経済学部では、講演会や交流イベントに学生だけでなく多くの社会人も参加している。
優香がどこかの大企業に就職して研究に専念するつもりなら別だけど、自ら道を切り開いていくつもりならその分野に知人がいるかどうかは重要だ。
AIの持つ可能性は非常に大きいが、それが社会に浸透していくときに避けられない様々な問題が発生する。
性能が他より優れているだけでは使ってもらえない。ユーザーに受け入れてもらう前に何か一つ問題が起こって対応に失敗すれば、巻き返す機会を永遠に失うこともあり得る状況だ。
「人脈づくり?」
「それほど深い結びつきを求めてるわけじゃないんだ。いずれ仕事の幅を広げようと思ったときのために、先入観なしで話を聞いてもらえる相手を色々な分野に確保しておきたい」
「……わたしも一緒に参加していい?」
「優香にその気があるなら、僕の方からお願いするよ」
僕はこの大学に入学した時から人脈作りに動いてきた。でも成果の方は目覚ましいとは言えず同期の中では先行していると言える程度だ。
僕が投資に積極的で仕事としての経験もあることには、経済学部の学生でも胡散臭さを感じる人が少なくない。研究室のメンバーと違って、僕のこれまでの成果と実力を付き合いの浅い人に信じてもらうのは簡単じゃない。
優香は自分にどれだけ人の目を惹きつける力があるかをわかっている。僕は遠慮なく彼女の協力を受けることにした。
◇
今年度の最初の交流会。予想はしていたことだけど、優香と一緒に顔を出した交流会はそれまでとは注目度が全く違った。
優香は会場の入り口から少し進んだ場所で立ち止まって中の人々を見回した。するとこちらを向いていた人の多くが驚いた顔になり、それに気づいた人がその視線を追ってまた彼女に目を止めた。
衆目が集まったところで優香は堂に入った素振りでお辞儀をした。それから満面の笑みを浮かべて横にいた僕の方を振り向いた。自然と人々の目は僕にも向けられた。
この交流会はそれほど格式張った場所じゃなく、入退場が自由で雑談がメインの会場だ。服装もカジュアル寄りで、入る時に連れの女性をエスコートするような人はいない。
だけど優香が自然に僕の肘に手を添えたので、僕はそのまま会場の中へ踏み進んだ。肘に軽く伝わってくる力からすると、彼女には行きたい場所があるようだ。
優香が向かったのは会場の中でも大きな集団の1つだった。年配のそれなりの役職だろうと思われる男性が多くて学生は数人しかいない。僕が1人だったら話しかけなかっただろう。
「お久しぶりです。須藤さん」
優香が話しかけたのは40前後の男性だった。過去の交流イベントでもその顔は見たことがあって、いつも集団の中心にいる人だ。
「やっぱり鈴原社長のお嬢さんか。優香さんだったね。3年ぶりですか」
「以前お会いしたのは父に連れられて伺った新年会でしたから、そのくらいになりますね」
「そちらの男性は?」
そう入って須藤氏が僕を見た。表情は穏やかだけど自然とカリスマ性を感じるような男性で、僕一人なら気圧されていただろう。
でも、全幅の信頼を見せてくれている優香が隣にいれば僕の心が乱されることはない。僕は軽く頭を下げて彼女が紹介してくれるのを待った。
「主人の神崎誠です」
「よろしくお願いします」
「こちらはイエルニ社の須藤さん。お父さんとは親しくしていただいてるの」
須藤氏は驚いて咄嗟には声を出せない様子で、僕はその間に挨拶をした。
「結婚されたんですか?」
「はい。今は神崎優香です」
「かんざき……では、あの?」
「ご存知でした?」
「つい先ほど、その話をしていたところなんです」
イエルニといえばIT部門でも国内にかなりのシェアを持つ大企業だ。この交流会に顔を出すほど学生に関心のある人なら、機械学習オープンソースの件に興味を持つのは当然だろう。
「鈴原さんから優秀とは聞いてたけど、失礼ながらここまでとは思ってなかった」
「誠のおかげなんです。この人がわたしの適正を見抜いてアレンさんと親しくさせてくれなかったら、この進路を選んでなかったと思います」
「ほう?」
須藤氏の僕を見る目に鋭さが増した。周りの人たちも僕に関心の目を向け始めた。その一人が優香に話しかけた。
「結婚は卒業してすぐに?」
「いえ。一昨年のお盆の頃です」
「えっ? じゃあ、まだ在学中に?」
「はい。わたしは中退してしまいましたけど、それで良かったと思っています」
「一昨年の……そういえば、その頃の鈴原さんは明らかに機嫌が良さそうでしたね」
「自慢の娘さんがこんなに若く結婚したのに?」
「いや、それはあれだけ会社の業績が伸びていたんですから」
「それは一昨年じゃなく昨年の話でしょう」
「父は結婚を喜んでますよ」
年配者たちの会話に優香がそう口を挟んだ。
「同じ家で暮らしてますから、寂しがってはいないと思います」
「それは……ご主人も?」
「もちろんです。父はわたしとより誠と話をしています。男同士だからでしょうね」
本当のことだけど、わざわざ口にしたのは僕に対する信用を稼ぐためだな。
「須藤さん。他の方にも挨拶をしておきたいので、今日はこれで失礼します」
「ああ。次はもう少しゆっくりと話をしたいな。そちらの誠君とも」
「はい、是非とも。若輩者ですがよろしくお願いします」
名の知られた企業の創業家社長の超がつく美人の一人娘。黙って立っているだけでも、その表情からは彼女の溢れるほどの自信が感じられる。
僕はその彼女の親から高校生で結婚を認められて、大学との交渉でも企業側の代表として参加している。
社長令嬢から容姿で惚れられたとは全く思えないこの平凡な外見も、僕の能力を過大評価させる方に働いたようだ。
◇◆◇◆
お義父さんの会社でも本格的なAIの導入を図ることになった。ただし単に大手の開発したツールを導入するだけではなく、独自の技術基盤も確保したいという考えだ。
その計画の1つとして、有望な大学に出資して共同研究を進めるという提案が社長から出されて、取締役会と経営会議で承認された。
そしてお義父さんの人脈では最もAIに詳しい僕と優香が、会社代表の一員として大学との交渉に参加することになった。
大学において、研究費をいかに調達するかは慢性的な悩みの種だ。新たな研究に対して国や自治体から資金を出してもらえる割合は高くない。
民間企業から調達するのも簡単じゃない。まず大学の研究テーマに合ったニーズのある企業を見つける必要がある。完全に一致しなければ研究に制限がかかることがある。そして短期間での成果が求められる。
今回の件では、僕たちが大学の研究テーマをよく知っているからニーズのアンマッチは起こらない。研究に参加する優香から正確な情報が得られるから、企業としてはかなり高額な資金でも安心して用意することができる。
大学から見てこの産学連携のキーマンである僕たちは、ルールから外れない範囲なら学生の立場を超えて意見を通せるようになった。
自分の研究には安定して予算がついているから、資金調達には関心の薄い教授たちもいる。一部の教授を経由してアレンの発言が伝わったおかげで、その人たちからも割と高い評価を受けている。
僕は優香のオマケとしての知り合いだけど、アレンには妙に気に入られている。彼が言うには、研究者を上手くサポートできる人材というのは貴重らしい。
僕としてはこの立場を最大限に利用して、優香が可能な限り自由に研究のできる環境をこの大学に作り上げたいと考えている。
優香の方でも僕の力になりたいと思っているから、上手く相乗効果を働かせれば彼女の幸福度を更に上げることができそうだ。
優香の書いたプログラムは、その後アレンやその知人の手が入った上で、例のオープンソースの公式ライブラリに追加されることになった。YUKA.KANZAKIの名はそのソースコードに残り続けることになる。
このライブラリに主要な貢献者として名を連ねたために学術界で広く知られるようになり、多くの研究者から注目を集めるようになった人物もいる。
そこまでの効果はないだろうけど、これが優香の技術力と信用を示す経歴として有益なのは間違いないだろう。
◇◆◇◆
「矢内教授。少しお時間はいいですか?」
「ああ、神崎さん。構いませんよ」
よく知っている学生には名前を呼び捨てで話す教授だけど、僕には企業の関係者として話をしているのでさんづけだ。
「先日のご希望の件ですが、供与ではなく貸与であれば、汎用のサーバーではなくずっと高性能な専用サーバーが用意できますよ」
「それは使える者がなあ。……ところで、どのくらい違うのかな」
「この用途なら実時間で10倍以上の差が期待できると思います」
「む!? うーん……」
「今後規模を拡大していくなら、準備の手間を考えても格段に効率が違います」
「でも、肝心なのは使えるかだよ。持ち腐れにならないか?」
「使い始めは優香がお手伝いできますよ。既に何度か使ってますから」
「そうなのか?」
「その後も時間の余裕をいただけるならサポートします」
「忙しいんじゃないか? 彼女」
「そこは配慮をお願いします。それでもメーカーに質問するよりは格段に楽でしょう」
「まあ、そうだな」
「専用サーバーの使い方を学ばせるのは、卒業後の学生にとっても有益ですよ」
「……わかった。じゃあ、それでお願いしよう」
これで優香が希望していた通り、専用サーバーの扱いにより慣れる機会と、担当外の研究について知る機会が得られることになった。
研究室全体の利用状況を把握していれば、サーバーのその時に余っている能力を自分の研究に使うこともできる。
後は彼女の負担を上げ過ぎないための工夫だけど、少し強引な手を使っても苦情までは出ないだろう。教授と対等に話している姿を見ているからか、年上の学生も僕には強い言葉をかけてこない。
◇◆◇◆
優香が絶好調だ。僕が知っている最盛期の彼女をポジティブさで超えたと言っても間違いじゃないだろう。
まだ1年目ながら、既に同じ研究室に所属する先輩の卒論研究に協力している。しかも複数のテーマに対してだ。どちらか先輩かわからない人間関係になっている。いや、むしろ助教授というべきかも。
実績も考慮した上での学力の評価から、優香は基礎的な科目の多くを取得済みとして扱われている。かなり高い確率で早期卒業により僕と同じ年度に卒業することになりそうだ。
大学側としては今から大学院に進むことを期待されているようだけど、それは優香の意向次第だ。大学院生は半数が社会人なので、働きながらなら彼女も別に構わないだろう。
学食で2人で食事をしている時に、稀に優香が学生から遊びに行かないかと誘われることがある。
「ごめんなさい。予定が一杯で空き時間がないの。それにもし少しでも時間があるのなら、主人や娘と一緒に出かけたいな。わたしが飛びつきたくなるプランをいつも用意してくれるから」
そう言いながら優香が僕に微笑みかけると、それでも彼女を誘い続けようとする者は男女ともにいなかった。




