50 新婚旅行#3
シャワーでざっと汗を流してから僕は彼女と向かい合わせに浴槽に浸かった。それから近くにある照明のスイッチを操作して明かりを完全に消した。
目が闇に慣れるにつれて見える星の数が増えていく。やがて見たことがないほど多くの星が窓を埋め尽くすようになった。
「すごい」
そう言って優香は浴槽の中で立ち上がると窓枠に手をかけた。僕から見える星空の一部が優香の形に隠れた。
僕も立ち上がって優香の隣に並んだ。十分に星空を楽しんでから彼女に視線を移すと、暗さに慣れた僕の目には優香の肌が僅かな明かりに淡く浮かび上がって見えた。
「こうしてじっと見てると、星の中に吸い込まれそうになるよね」
「優香が教えてくれた、露天風呂から星空を見上げた時と同じかな」
「その時よりも自分が小さな存在なんだって感じる。宇宙がこうやって目に見えるよりもっと遠くまで広がっていることとか、あの時より知ってることが増えたからかな」
宇宙については知れば知るほど不思議なことが増えていく。優香が理数系を目指すようになったきっかけの1つらしい。
「その時は心の中がスッキリしたんだよね」
「そんなに悩む必要のないことで悩んでたの。誠はそんなことない?」
「僕の悩みといったら優香のことだな。優香のことばかり考えてるから」
「誠を困らせてたの? だったら教えて」
「僕が悩んでるのは優香が一番幸せになる方法なんだ。答えを探してるだけだから悩みといっても嫌な気持ちじゃないんだ」
「……」
「優香の悩みは? 僕には言えないこと?」
「わたしも……悩んでるのは誠のことかな。だけどもっと自分勝手なことなの。誠に自分がどう見えるかとか、誠をがっかりさせないかとか」
「それって、自分勝手じゃなくて僕のためだよね」
「え? ……そうかな?」
「優香がそんなことで悩んでるとは思わなかった。言葉が足りてなかったかな」
「ううん! 十分だから。……でも、誠はわたしの嫌なところを1つも教えてくれないでしょう。無いわけじゃないよね?」
正直に言っても思い当たらない。だけど無いと答えたら遠慮してるからだと思われそうだ。
「嫌なこと……直して欲しいことなら、僕に対してもっと自信を持って欲しいってことかな。僕が本気で言ってても素直に受け取ってもらえないのは残念だから」
「……」
「不安になるのはわかる。優香が聞いて嫌なことでわざわざ言う必要の無いことなら、もしあったとしても僕は言いたくない」
「うん」
「だけどこの旅行中では、僕が思ったことは全て話すと約束するよ。だから優香もここでの僕の言葉は信じて欲しい」
「……わかった。全部信じる。こんなに素直な気持ちになれるのは星空のおかげかな」
「そうだとしたら、努力した甲斐があったな」
話をしている間に、僕の目はさらに暗さに慣れてきたようだ。窓の外から入る僅かな明かりだけで、優香の肌が淡く浮かび上がって見えた。
「優香のためだったけど、これは僕の方が得してるかな」
「何が?」
「優香には星空しか見れないけど、僕は星だけじゃなく優香の姿も見れるんだ。星の輝きと一緒に見る優香は幻想的なくらい綺麗だよ。……本当にここにいるのかって思うくらい」
僕が優香に触れようと手を上げると、彼女はその前に体を寄せて腕の中に入ってきた。僕は彼女の肩を強く抱いて確かに存在していることを確認した。
「少し体が冷えたね」
僕は優香の体を離すと浴槽に体を沈めた。すると優香は、愛香が生まれる前にしていたように、僕の脚の上に腰を下ろすと背中を僕の胸に預けた。僕も自然に手を優香のお腹に当てた。片手でも覆えるほど細い腰になっていた。
優香は僕の余った方の手を掴んで自分の左胸に押し当てた。手のひらに彼女の強い鼓動が伝わってくる。五感から感じる全てが僕の心臓も高鳴らせた。
「幻想じゃないから」
「そうだな。だから僕もこんなにドキドキしてる」
体が十分に温まると、優香は闇に慣れた目にはよく見える程度に浴室を明るくしてから浴槽を出た。
自宅と違ってホテルの浴室には椅子がなかった。ボディウォッシュ用の泡立て器を手に取った優香は、浴槽から出ようとした僕にそれを渡すと背中を向けて立った。
さっき優香は僕にどう見えるかを気にしていると言った。だから今日は遠慮なく彼女の美しさについて見たままを話すことにする。彼女に触れることで興奮する自分を抑えるため、目に映った全てを詳しく言葉で説明することに集中した。
洗い終わった僕が泡立て器を優香に渡そうとすると彼女はそれを受け取らなかった。今日の彼女は泡で境界線を塗っていない。いつもとは状況が違うから忘れたんだと思っていたけど、彼女は意図して塗らなかったようだ。
僕は何も言わずに彼女の体を洗い続けることにした。先ずは右腕からだ。肩から指先にかけて、肌、筋肉、産毛、指のシルエット、爪の色つや、その他を誉めながら洗っていった。彼女は僕にされるままだ。
続いて左腕、左脚、右脚と洗っていった。そこで僕がもう一度泡立て器を優香の前に差し出すと優香はようやく受け取ってくれた。ホッとした僕だったけど、彼女は下腹部に泡を塗っただけで泡立て器を僕の手に返した。
僕は彼女の後ろに立ったまま、黙って首から下の残った部分を洗った。浴室の暖色の明かりでは肌の色はわかりにくい。それでもわかるほど優香の全身は赤く染まっていた。
最後にこれはいつも通りに優香の頭を洗って、全身を泡をシャワーで流し終わると僕の役目は完了だ。洗った髪をタオルで拭いている優香に僕は言った。
「僕の体は洗わなくていいよ。優香は先にあがって待ってて」
「えっ!? でも…」
慌てたように後ろを振り返った優香が、僕の状態を理解してすぐに首を元に戻した。
「風呂で僕を1人にするのが不安なのはわかってる。でも優香に魅力があり過ぎるから、これ以上のスキンシップは僕の限界を超えそうなんだ」
「……じ、じゃあ、待ってるから」
「浴室のドアは開けておいて。出るまではずっと優香に話しかけるから」
優香を幸せな気持ちで膨らませると言ったけど、僕はまだ彼女の外見についてしか話してない。僕の記憶にある優香を好きだと思ったエピソードを、彼女はいつも嬉しそうに聞いてくれる。すでに話したのは優香と付き合うまでのことがほとんどで、エピソードの数はその後から増えた方がずっと多い。
もちろん体を洗っている間に話し終える数じゃないから、僕はその中でも特に感動したことを選んで話し始めた。話せばその時の気持ちが僕の中に蘇ってくる。涙が滲みそうなほど感動したおかげで、暴発しかけていた僕の性的な興奮はいい感じに治まってくれた。
話に夢中になって体を洗う手が止まったことが何度もあった。手早く洗って出るつもりだったのに、風呂から出て脱衣所の時計を見ると思ったよりも時間が経っていた。
「ごめん、優香。少し喋り過ぎた。……優香?」
体を拭きながら謝った言葉に優香からの返事はなかった。バスローブを羽織ってベッドルームに入った僕は、同じバスローブ姿でベッドの上に横たわっている優香を見つけた。膝から先がベッドの外にはみ出していて、ベッドに腰掛けていてそのまま倒れたような格好だ。
「優香? あれ?」
優香は完全に眠ってしまっていた。肩を揺すったぐらいでは目を覚さない。今日の彼女はずっとテンションが高かったから、僕が長く待たせ過ぎたせいで寝てしまったんだろう。
僕は優香を抱き上げるとベッドの真ん中に寝かせ直した。僕はその横に寄り添って横になる。僕の方は朝まで眠れそうにない状態だったから、優香の寝顔を見ながら彼女が目を覚ますまで待つことにした。
優香が目を開けたのは2時間ほど経ってからだった。もぞもぞと動いた彼女は一度動きを止めた後に、抱いていた僕の手を跳ね飛ばす勢いで体を起こした。
「えっ?」
そしてすぐに自分の体を確認して、それから自分を見上げている僕を見つけた。
「今日は色々あったから、疲れてたんだよ」
「わたし、寝てた? …………あっ、違う!」
「違うって、何が?」
「だから、その、わたし、破裂しちゃったの」
「破裂って……あっ!」
「お風呂から出たときには結構ギリギリの状態だったの。それなのに……誠があんなにわたしのことを話すから」
「あー」
「わたし、誠にもう限界だって言おうとしたのよ。でも、お風呂に届くほど大きな声にならなくて」
「ごめん」
悪かったのは完全に僕の方だった。
「そういうことなら、もう一度最初…」
「大丈夫。わたしはまだ萎んでないから」
優香はそう言って僕に抱きついた。
「今なら……たぶん破裂するまで余裕があるよ」
時計を見ると、朝というより昼に近い時間だった。優香はまだ僕の横で寝ている。その乱れた髪を指で整えながら、僕は幸福感と共に少しの自己嫌悪を感じていた。
予定では僕は優香に無理をさせないつもりだった。何しろ僕と優香にとって最初の日で、このホテルにはもう一泊する予定だし、家に帰ってからだっていくらでも時間はある。
それなのに僕は自分を止められなかった。優香がどんどん可愛くなっていくなんて予想外だった。3回目には優香の腕が突然僕を思い切り抱きしめてきた。びっくりした顔の彼女を見た時に、僕は息が苦しくなるほどの愛おしさを感じていた。
好きな女の子とのセックスがこんなに心も体も満たされるものだとは思っていなかった。童貞の僕の想像力を遥かに超えていた。
受験の前まで禁止していたのは正しかった。もし解禁していたら、冗談抜きで僕は勉強に身が入らず大学に落ちていたかもしれない。




