05 説得
湊川が鈴原に仕掛けさせる場所として彼女の友人も多くいる教室を選んだのは予想外だった。でもそれ以外は僕が計画した通りに話は進んだ。鈴原にとって湊川の出番はここまでだ。
タクシーから降りて周りを見た鈴原は、ひどく驚いたかのように目を見開いた。
「え、どうして?」
「どうしてって。職員室で僕が先生に話したよね?」
ここは鈴原の自宅の前だ。彼女は車中でずっと俯いていたから、タクシーの向かっている場所がわかってなかったようだ。
どうも鈴原は行き先が自宅じゃないと思っていたようだけど、他にどこに連れて行くというんだろう。僕の家か? 彼女にとっては気まずいだけだろう。
「妊娠のことを知って一番心配するのは鈴原の両親だ。まず2人に説明してからでないと今後の話なんて進められないよ」
「……でも」
「鈴原が自分で親に言えるならそれほど悩む前に話してるよね。だから2人には僕から上手く説明するつもりだ。僕の話が終わるまで鈴原は何も言わなくていいから」
そうして僕は玄関のチャイムを鳴らした。これを押したのは6年ぶりだ。すぐに玄関のドアを開けて鈴原の母親が現れた。
「えっと、貴方が神崎くんね。優香ちゃん。体調が良くないって聞いたけど、病院に行かなくて大丈夫なの?」
「う、うん」
「取り敢えず中に入りなさい。神崎くんもどうぞ上がってね」
「はい。おじゃまします」
「お父さんは仕事を抜けて戻るのに2時間ぐらいかかるわ。2人で聞かないと駄目なのよね?」
「はい。お願いします」
「じゃあ神崎くんは客間の方へ。優香ちゃんは部屋で休んでる?」
「ううん。神崎と話したいことがあるから」
「わかったわ。じゃあ、こっちへ。飲み物は何がいいかしら」
「冷たいもので。それ以外は何でも構いません」
客室に案内された僕は、鈴原が座るより早くスマホを取り出すと投資用のアプリを起動した。
「僕と話す前に、まずこれを見てくれ」
画面には僕の資産評価額が表示されている。
「えっと、これは?」
「これが今の僕に自由にできる金額だ」
「……ええっ!?」
「中学の時から投資を始めてここまで増やした。今は投資だけでなく、個人に対する資産運用のコンサルティングもやっている」
何が言いたいのかわからない。そんな顔で鈴原は僕とスマホの画面を交互に見た。
「つまりだ。僕には鈴原と2人で、いや子どもも含めて3人で暮らせるだけの資金がある。それに加えて鈴原と僕の大学の授業料も余裕で払える。もちろん鈴原がもっと贅沢をしたいというなら別だけど、そうじゃないよね?」
「う、うん」
「だからさ。これから僕が鈴原に提案するけど、頼っても無理だとか迷惑のかけ過ぎだとか、そんなことは気にせずに答えて欲しい。OKかな?」
「……」
「駄目ならその理由を言って。OK?」
「お、おーけー?」
まだ鈴原は今の状況を飲み込めていない。動揺が治らない今のうちに、これからする僕の突拍子のない提案を最後まで聞いてもらおう。
「鈴原はお腹の子どもを死なせたくないんだよね?」
「えっ、あ、あの」
「余計なことは考えずに僕の質問に素直に答えて。鈴原は自分の子どもを堕ろさずに産んで育てたいよね?」
「……うん」
「鈴原がいま一番心配なのは、まだ高校生なのに妊娠したことで鈴原の両親を悲しませることかな?」
「……うん」
「子どもを無事に産めて両親も悲しませずに済むなら、湊川とはもう会えなくなっても大丈夫?」
「え?」
「いま言った2つより湊川の方が大事?」
「う、ううん」
良かった。思ったほど湊川からの洗脳を受けていないようだ。正直に言って教室で鈴原があんな事を口走ったことで僕は彼女の状態をかなり心配していた。
「じゃあ、これが一番重要な質問だよ。鈴原はこの問題が解決するなら僕と結婚しても構わないと思う? 結婚したいかじゃない。結婚しても構わないか、だよ」
「……えっ! な、何で」
「結婚しても僕が鈴原に何かを強制することはない。なんなら別居でもOKだ。その場合は週に1度は僕とデートをしてもらう。譲れないのは僕以外の相手と恋愛をしないこと。少なくとも結婚している間はね」
鈴原の反応がいつもより鈍いのは、これまでの強いストレスと突然過ぎる展開で頭がよく回っていないからだ。僕はしばらく会話を止めて、彼女が僕のここまでの話を理解し終わるのを待った。
「……やっぱりわからない。どうして…」
「お腹に子どもがいる間はセックスを禁止にする。このことは契約書に書いてもいい。破ったら慰謝料を払ってすぐに離婚する」
「待って、そういうことを…」
「子どもが生まれた後でも鈴原は僕の要求に応えなくていい。妊娠すると大学の学業に困るし就職したらしばらく子どもは避けたいだろう。その間も僕は待つことを約束する。だけどいつかは僕と鈴原の子どもも欲しい。鈴原がその気になったら応じてくれ。僕といるのが嫌だと思ったら別れる前にまず相談してくれ。僕の方で直せることなら直すから」
「……」
「僕が欲しいのは鈴原ともっと親しくなるチャンスと、その間は鈴原を誰にも取られないという時間なんだ。その代わりに僕が払えるものがあれば何でも払う。僕から鈴原への提案はこのくらいかな。質問があれば受け付けるよ」
僕が話し終えても鈴原は黙ったままだった。
「……ぅ……」
「ん?」
「どうしてそこまでするの? 自分じゃない男の子どもがお腹にいるのよ?」
「その点はまあ、何というか。以前から僕にとっては織り込み済みだから」
「……何それ」
鈴原が当惑したように呟いた。まあ、こんな説明じゃ理解できないだろう。
「僕が鈴原のことを好きなのは知ってるよね。鈴原にはその気がないから友達として付き合ってくれてたけど」
「……だから?」
「正直に言って、僕も自分が鈴原と付き合えるとは思っていなかった。鈴原から特別だと思ってもらえるものが僕にはなかったから。だからといって鈴原以外の誰かと付き合う気にもなれなかった。それで僕は鈴原に対しては長期戦で対応することにしたんだ」
「どういうこと?」
「鈴原が誰かと付き合うのを僕が止めることはできない。だけど鈴原が最初の恋人といつまでも一緒だとは限らない。もし結婚したとしても若い時なら4割が離婚しているそうだから。湊川と付き合うまでは鈴原がずっと恋人を作らない可能性だってゼロじゃなかったしね」
これだと僕が鈴原の不幸を願っていたように聞こえたかもしれない。怒らせるかと思ったけど彼女は特に表情を変えなかった。
「その頃の鈴原だったら子どもがいてもおかしくない。だから僕はどうすれば鈴原の子どもと仲良くなれるかも考えていたんだ。子どもに嫌われるような男とは鈴原は付き合ってくれないだろうから」
「ふっ、ふふっ」
鈴原が堪えきれなくなったかのように笑い声を上げた。それほど可笑しくもないのにこんな状況で笑ってしまうのは、笑うことで心のバランスをとろうとする働きだろう。なんて分析してみたけど、これはある事情から本やネットで人の心理については調べたことがあるからだ。所詮は素人の考えたことだから正しいかどうかに自信はない。
「ご、ごめん」
「遠慮なく笑っていいよ。そういう訳で、こんなに早く鈴原と付き合えるなら僕としては期待以上で願ってもないことなんだ」
「……そうなんだ。……他には?」
「大体話したと思うけど」
「神崎はわたしが妊娠してるって知ってたのよね。それはどうして?」
「それはまあ、色々と」
「病院にも行ってないのに、どうやって?」
「湊川のことを調べててわかった。あいつが周りにその事を漏らしてたんだ」
「調べて?」
「ああ。率直に言って湊川は信用できなかった。嫉妬にかられたと言われても仕方ないけど。金はあるから探偵事務所に調査を頼んだんだ」
「それで何か出てきたの?」
「まあね」
「それを知って、彼のことどう思ったの?」
「どう言ったらいいのか……鈴原を任せたくないと思った」
「……もっとストレートに言ったら?」
「クソだったよ。……いや、イジメとか環境が酷かったみたいだから、あんなに歪んだ性格が出来上がったんだとは思うよ」
「気を遣わなくてもいい。わたしの目が節穴だったのよ。妊娠したって言った時にわたしに言った言葉なんて…… それなのにまだ、わたしは彼の言いなりになって……」
鈴原にこれまでのことを省みる冷静さが戻ってきた。追い詰められて視野が狭くなってた彼女に僕が他の選択肢を示せたからだろう。僕にとってはここからが正念場だ。
「ありがとう、神崎」
「どういたしまして」
「このお礼は必ず…」
「あっ! 待った待った。もしかして自分で両親に妊娠したことを話そうとしてる?」
「うん。だってこれはわたし自身の問題だから」
この考え方は本来の鈴原だ。だけど、はいそうですかにはしたくない。僕の力で鈴原を幸せにできる貴重なチャンスを逃したくない。
「本当のことをそのまま言ったら、お父さんが憤死しちゃうよ。怒りに任せて湊川に怒鳴り込みに行くかも」
「……」
「もし僕でも、娘からそんな話を聞いたとしたもそうなっちゃうよ。鈴原もそれを心配してたんだろ?」
「でも」
「湊川ならそんなお父さんの行動を利用しようとするかもしれない。逆にしおらしい態度で取り入るかもしれないけど、あの男を身内に近づけるのは危険だよ。冷静になった今ならわかるだろ」
「……」
「鈴原だって親が悲しむとわかっていて話すのはきついだろ」
「それは、そうだけど」
「相手のことを想ってのことでも感情的になったら話は収まらないよ。僕ができるだけショックが少なくなるように伝えるから。前にも言ったように僕に任せて。ね?」
「…………いいの?」
「鈴原には僕との結婚のことを真剣に検討して欲しい。言っておくけど、今回は断られたとしても僕の長期戦は終わらないからね」




