24 録画再生#2
「こんなに長く話してたんだな」
そう言って僕は動画のシークバーを動かした。動画の録画時間は2時間以上だけど、僕は風呂を出てた後に録画を止めることを忘れていた。つまり途中からバッテリーが切れるまでは洗面室が映ってるだけだ。
◇
「……てるのに。……えっ、そうなの?」
『意外とそういうことも多いんだ。まあ、それが可愛いんだけど』
「努力してるんだ。優香お姉ちゃんってもっと簡単にできちゃうイメージがあった。でも、そうだよね」
『がっかりした?』
「ううん。全然! 優香お姉ちゃんはアタシの憧れなんだけど、目標にもしないといけないって思った。そうだよね。アタシも頑張らないとダメだよね」
『優奈がそうやってるところを見たら、きっと応援してくれる人だっているよ。僕だって頼ってくれれば力になる。優香だってそう思うよ』
「うん。ありがとう、誠お兄ちゃん。でも、まず優香お姉ちゃんの力になってあげてね」
『それはもう全力で。何せ僕の奥さんだから』
「そうだよね。もう陰からじゃなくていいんだもんね」
『好きなだけ優香を手助けできるようになったけど、今度は過保護にし過ぎないように気をつけてるところだよ。お腹に子どもがいるから心配なんだ』
「それについては自業自得だよね?」
『まあ……そうだけど』
「アタシとしては、そこは誠お兄ちゃんらしくないと思うんだ。まだ高校生なんだよ」
『ちょっと言えない事情が色々とあったんだよ。僕がもっと上手くやれてたら良かったんだけど』
「後悔してるの?」
『それはない。お陰でこんなに早く優香と一緒になれたんだ。優香にだって後悔はさせない。僕がこんなに幸せなんだから優香はもっと幸せにする』
「そこは信用してる。誠お兄ちゃんはそう言えるだけのことをしてきたから」
◇
優奈が色々と話している場面だったから、つい区切りの良いところまで再生してしまった。また早送りして場面を進める。
僕が優奈と話をしていた時間は思っていたより長かった。優奈が立ち上がったのが見えたところで再生に戻すと、まだ僕からの話は続いていた。
「この辺は僕と優香が付き合い出してからの話だよ。そろそろ終わりかな」
「わたしのこと……誠にはこんなに話すことがあったんだ」
「優奈も君のことが大好きだから話した時の反応が楽しくて、それで思い出したことも多かったな。……どうかした?」
優香はただ僕の顔をじっと見つめるだけで何も言わなかった。僕の顔なんて見ていても面白くないと思うんだけど、そんな自分を卑下する言葉はもう口にしない。彼女から言わないでと頼まれた。
「わたしも負けないくらい誠のことを知りたい。たから、これからもずっとわたしと一緒にいてね」
その言葉に胸を打たれた僕は思わず優香の肩を抱いて引き寄せた。彼女は赤くなった顔を僕の胸にぐりぐりと押し当ててきた。
まるで懐いてくる子猫のようで、僕の手は自然にその頭を撫でていた。そしてしばらく髪の感触を楽しむように優しく撫で続けた。
◇
『……だとか。まあ、そんなとこだな』
「それでどうなったの?」
『えっと、……あ、この辺は言って良いことと駄目なことがあるんだ』
「えー」
『もう十分に話したと思うんだけど。僕もそろそろ…』
「ここで終わり? もうちょっとだけ聞かせて。せめてさっきの話がどうなったかまで」
『最初の方で言ったけど他の人には話せないこともあるんだ。どうしようかな』
「お願い」
『うーん。じゃあ、ちょっと頭の中で話せることを整理するよ。これだけ話してるとさすがに疲れたから、続きはしばらく休んでから』
「うん!」
◇
僕がついウトウトとしてしまったのはこの後だ。湊川のことは言えないけど話から完全に省いたら辻褄が合わなくなる。どう話そうかと考えているとどんどん時間が経っていく。長湯でのぼせて頭が働いていなかったのも原因だろう。
「そろそろ終わりだな。少しだけ飛ばすよ」
◇
浴室の引き戸の前に立って不安そうな表情をしている優奈が映っている。彼女はどうしようかと迷った後でまた椅子に座った。
「誠お兄ちゃん。まだ? ……ねえ。お兄ちゃん? …………どうしたの? ずいぶん時間が経ったよ。……大丈夫なの?」
また立ち上がった優奈は、今度は引き戸の取っ手をつかんで揺さぶった。ガチャガチャと音がしたが浴室の中からは返事がない。それから優奈は我慢できなくなったように手で戸を叩いた。バンバンという音が少しずつ大きくなっていった。
「お兄ちゃん! 返事して! これ以上黙ってたら開けるよ。本当に開けるからね!」
5秒ほど待って優奈は引き戸を大きく開けた。
「……お兄ちゃん? ……いない?」
優奈はゆっくりと浴室に入った。カメラに映る範囲から姿が消えて、数秒がたってから掠れたような悲鳴が聞こえた。浴槽に沈んでいた僕を見つけたんだろう。
意味不明な叫びの後にバシャンという水音が聞こえた。10秒ほどの沈黙の後に優奈の叫び声が続けて聞こえた。
「起きて! お兄ちゃん! 起きろ! ああっ! 沈んじゃダメ! …………あっ!」
ダンッという音と同時に動画の端に優奈の頭が映った。浴室の床に倒れたようだ。すぐにその頭が見えなくなると、数秒後に何かが浴室から脱衣所の床に飛んだ。続けて2つ。脱ぎ捨てられた優奈のパジャマだ。
それからさっきより大きな水音が聞こえ始めた。その音は一分ほど続いて、重い物がぶつかる鈍い音と共に止まった。優奈が自分の体を僕の下に潜り込ませて、一緒に浴槽の外へ這い落ちた時の音だろう。画面の端にそれまでなかった僕の足が映っている。
「起きて! お兄ちゃん! ダメ! やだっ! お兄ちゃん!」
べしべしと肌を打つような音がした。それからしばらくして、はあっという大きく息を吸う声と空気が漏れるような音が聞こえた。もしかして優奈は人工呼吸をしてくれたのか?
「起きてよ……お兄ちゃん。ダメだよ。優香お姉ちゃんを幸せにするって…………死んじゃやだあぁ」
優奈ちゃんの悲痛な叫びが浴室内に響いていた。
◇
想像していた以上に緊迫した状況になっていた。もしかしたら死んでいたかも知れない。そう思わせる雰囲気が漂っている映像だった。
必死だった優奈ちゃんには悪いけど真相はそうじゃない。改めて動画であの時を再体験した僕は、実際に何があったのかを思い出していた。
優奈と最後の会話をした後、眠気が増していた僕は楽な姿勢をとるために、仰向けになって顔面だけを湯から出していた。この姿勢は耳が湯の中に浸かっているから、耳栓をしているように外の音が聞こえなくなる。
優奈が声をかけたり戸を揺すったり叩いたりしていた時、僕は溺れてはいなかった。そして戸が開いて優奈が入ってくるのもこの目で確認していた。
なぜ優奈が入ってきたのかわからなかった僕は、咄嗟に体全体を湯の中に沈めた。中学生の女の子に僕の裸を見られるのは拙い。湯当たりして鈍くなった頭でそう判断したのだ。
湯の中に沈んだ僕を見つけた優奈は急いで浴槽に駆け寄った。そして浴槽に脚をぶつけて中に飛び込みそうになった。湯の中から倒れてくる優奈を見た僕は、支えようと体を起こしながら手を伸ばして……その後の記憶はない。
だけどが何があったかは想像はつく。おそらく勢いよく倒れた優奈の額が体を起こした僕の頭にぶつかったんだ。僕はその衝撃で気絶してしまって、その後は動画で見た通りだ。
証拠は僕の頭頂部にある大きなこぶだ。優奈の額にも僕より小さいけどこぶがあった。頭の骨で一番分厚くて衝撃に強いのが額で逆に頭頂部は薄くて弱い。湯あたりしていたこともあって僕だけが気絶したんだろう。
優奈ちゃんが知ったらショックを受けるだろうから、このことは誰にも話すつもりはない。そもそもこの風呂場であったことは優香にしか話すつもりがなかった。他の人に伝えるかどうかは優奈と優香の判断に任せるつもりだ。




