22 入浴事故
「ごめんよ、優奈ちゃん。できれば顔を合わせて謝りたいんだけどそれは嫌かな? 家族の誰かに側にいて欲しいなら、言ってくれたらすぐに呼んでくるよ」
優香と1字違いの優奈と言う名前はすぐに覚えていた。返事を待っていると1分も経たずにドアが開いて、半袖膝丈のパジャマを着た優奈ちゃんが現れた。
「ごめんなさい」
「え? いや僕が…」
「家だとお風呂でノックするのはお母さんだけでタオルとかを運んでる時だから、音を聞いたら考える前に開けちゃったの」
優奈ちゃんの顔は真っ赤だった。裸を見られた女の子なら当然の反応だ。
「それより大丈夫? 恥ずかしいなら無理して僕と話すことないよ」
「う、ううん。平気。……優香お姉ちゃんの旦那さんなんだから、家族みたいなもんでしょ? それに……昔は叔父さんや春樹お兄ちゃんともお風呂に入ってたんだよ。それとお兄ちゃんに聞いてるんだ。優香お姉ちゃんのことをとっても大事にしてるって」
「当然だよ。僕の大切な人だからね」
「いいなあ。アタシの知ってる男の子なんて、スカートを捲ったり更衣室を覗いたりするヤツもいるんだよ。さすがに中学になったらあんまりいなくなったけど。神崎さんも子どもの頃はそんなことした?」
「いや。僕は優香にしか関心がなかったから」
「そうだよね! お兄ちゃんはそんな男はマンガの中だけだって言うけど、そんなことないよね?」
「あー、どうだろ。僕は自分がちょっと特殊だって知ってるから」
「そうなの? やっぱり優香お姉ちゃんが好きになるような人だからか」
そう言いながら優奈は洗面台の鏡を見た。
「うーん。まだ顔が赤いよね」
「本当にごめん。やっぱり平気なんじゃなくて僕に気を使って話をしてくれてるんだよね? 後で何かお詫びをしたいな」
「え? お詫びなんて必要ないよ。神崎さんはちゃんとノックしてくれたのに」
「でもこのままだと、優奈ちゃんが僕を見る度に恥ずかしかったことを思い出すから。何か僕に対して楽しい思い出を作って欲しいんだ」
「楽しい思い出?」
「これでも意外とお金は持ってるから、ちょっとくらい贅沢なことでもいいよ」
「まだ高校生なのに自分でお金を稼いでるんだよね。すごいなあ。……でも、お詫びだったらお姉ちゃんの話を聞きたい。アタシの知らない小学校の頃の話とかをよく知ってるんだよね?」
「それでいいなら。いつ時間をとればいい?」
「だったら今から。こんな赤くなった顔は見られたくないんだ。お姉ちゃんの話を色々と聞いてたらその間に戻ると思う」
「ごめん。気を遣わせて」
「謝るのはなし! 誠さん……は馴れ馴れしいかな。神崎さん?」
「名前でいいよ」
「じゃあ、誠お兄ちゃんって呼んでいい?」
「いいよ。話はどこでしようか?」
「ここでいい。誠お兄ちゃんにはお風呂に入ってもらって、アタシはここで」
「ん?」
それはちょっと拙いんじゃないかな。困った顔の僕を見て優奈が焦ったように言った。
「アタシもちょっと恥ずかしいんだよ。だからなの。明日の朝ごはんの時に誠お兄ちゃんと顔を合わせたら、きっとアタシまた赤くなっちゃうと思うの。それってマズいでしょ?」
何かあったと思われそうだな。確かに何かはあったんだから。
「だからここで話してたら慣れてドキドキしなくなると思うんだ。誠お兄ちゃんはどう思う?」
「他の場所に行くよりここで話す方が優奈ちゃんがさっきのことを意識するから?」
「そうなの。赤くなって顔を誰かに見られるのも嫌だし。じゃあいい?」
「いや、でも。僕と風呂場にいたって後で誰かに知られたら、優奈ちゃんまで怒られたり傷つくようなことを言われたりするかも知れないよ」
「じゃあ、何もなかった証拠があればいいよね」
「証拠?」
「スマホは持ってる?」
「ああ」
「それをここに置いて、アタシがここを出るまで動画で撮っておくの。そうしたら後で話してただけだって証明できるでしょ?」
「まあ、それだったらいい……のか?」
「お詫びなんだよね? だったらお願い」
「……わかった。僕が風呂に入るまでは外に出ていてくれ」
「うん!」
僕は浴室に入ると優奈に声をかけた。彼女が洗面室に入ってくる音をきいてから、僕は体を良く洗って浴槽に体を沈めた。頭にシャワーを浴びている時以外は彼女に小学校の頃の優香のことを話し続けた。
優奈はすごく良い聞き手だった。ちょっとしたことでも優香の話なら興味深く聞いてくれて、僕が心地良くなる受け答えをしてきた。
優奈は本当に優香が大好きだった。例えるなら同担歓迎なファンのようで、だから僕に対してもこれほど好意的なんだろう。推し語りをするように僕は優奈といつまでも話し続けた。
◇◆◇◆
「ブッ! ゴフッ! ゲッ……ゴホッ!」
喉に詰まった苦しい塊を吐き出して、僕はようやくまともに物事を考えられるようになった。
「……ちゃん……お兄ちゃん! お兄……」
「ゴホッ、……あ……あれ?」
「あ゛あ゛あ゛ぁぁ、お゛にいぢゃあああ」
僕の目の前には泣き続ける優奈の顔があった。後ろの照明で逆光になっているからその表情はよく見えない。上下の感覚が戻ってきた僕は自分が床に寝ていることに気がついた。優奈の顔から次々と水滴が僕の胸に落ちる。それは彼女の目から溢れた涙だった。
しばらくすると泣き声は少しずつ小さくなり、優奈の頭が近づいて僕の胸に押し当てられた。見下ろした目に彼女のつむじが見えた。
「あー、もしかして僕、溺れちゃってた?」
「う゛ん」
話に夢中になって、湯当たりに気づかずのぼせてしまったのか。
「優奈が助けてくれたのか。本当に命の恩人だな」
まだ喉が痛い。少しむせながら僕はそう言った。頭にもじんじんとした痛みがある。
「アタシの、せいなの。声が、聞こえなくなっ、た時に、すぐにか、確認しなかったから」
優奈の声はまだ涙声で、ときどきしゃくりあげるので言葉は途切れ途切れだった。随分と心配させてしまったようだ。
「しょうがないよ。僕だって逆の立場だったら開けるのは躊躇うよ」
「でも、アタシがお願いしたことなのに。もし誠お兄ちゃんが死んでたら、アタシ……」
優奈はそう言うと頭を上げて僕を見た。その目からはまだ涙がこぼれていた。僕はというと頭痛がして時々咳も出ていたものの、意識の方は既にはっきりとしていた。
僕の顔をじっと見ていた優奈は、ようやく安心したようで涙を拭うと僕に笑顔を見せた。体を起こすとそれまで逆光だった優奈の姿がはっきりと見えた。……裸だった。
「……服は?」
「脱いだよ」
「何で?」
「外から引っ張っても重くて無理だったから。お湯に入って誠お兄ちゃんを背中に乗せて。そうしたからやっと外に出せたの」
「脱がなくても…」
「お兄ちゃんの命がかかってたんだよ! 服を着たままだと溺れたりするんだから!」
「風呂なら別に……いや、ごめん。必死で頑張ってくれたんだよな」
そう言いながら僕は悩んでいた。これからどうするべきだろう。優奈が後で冷静になったら羞恥のあまり悶絶するんじゃないだろうか。このことが優奈のトラウマになったらどうしよう。
「もう大丈夫。先に出て服を…」
体を起こした僕が立ちくらみでふらつくと、優奈はすぐに僕の肩と背中を両手と胸で支えた。
「あっ、は、離れて!」
「気にしなくていいよ。今更だから」
「いいから! 外に出て服を着て! 早く!」
優奈が出て行った後、僕は湯当たりした頭をはっきりさせるためにシャワーで頭に冷水を浴びた。脱衣所への戸を開けると優奈がいたのですぐに閉めた。
「僕が服を着るまで外に出ててくれ」
「もう全部見てるよ?」
「それがマナーだから」
僕はいつも寝る時に着ている麻のパジャマを着ると、廊下への戸を開けて優奈を呼んだ。
「もう一度礼を言うよ。ありがとう。助かった」
「そもそもアタシのせいだから。もし死んでたらアタシ一生自分を許せなかった。もう少しで優香お姉ちゃんから誠お兄ちゃんを奪ってたんだよ」
あんなに必死だったのは優香のためでもあったのか。確かにここで僕が死んでいたら優香の受けるショックは酷かっただろう。
「後で優奈が傷つくかも知れないから、言い訳に聞こえるかも知れないけど言っておく。優奈の裸を見たからって、いやらしいことを考えたりはしてない」
「うん。わかってる」
「信じてもらうしかないんだけど、本当だから」
「本当にわかってるって。誠お兄ちゃん、大きくなってなかったよね。アタシのエロお兄ちゃんは起こした時に朝立ちってのをしてるから知ってるんだ」
……意外と冷静だった。従兄や叔父と風呂に入ってたって言ってたから、そういうものなんだろうか。




