第38話 君との契約結婚の破棄を考えている
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あれから、二人は無事に特別室へと案内され、互いに向き合って座っていた。
壁際の窓ガラスからは、夜景が煌めいて見えた。
魔法灯が遠くで無数に煌めいており、幻想的に感じられる。
ただ、あのようなことがあったあとなので、ジークハルトは食事自体をキャンセルすることも考えたのだが、一度予約してあるものを反故にする方がソフィアを傷つけてしまう可能性もあると思案し、ひとまず席に着いて彼女の状態を確認することにしたのだ。
「ソフィア、大丈夫か」
どのように声を掛けてよいかと迷ったが、ここは飾らずにストレートに訊くことにした。
「……はい。わたくしは大丈夫です」
そう言って微笑んだソフィアの顔は、どこか苦笑しているように感じる。
きっと、心が泣いているのに傷ついているのにも関わらず、無理をして笑っているのだろうと思った。
「……旦那様」
ソフィアの眉が顰まる。
何かを伝えることを躊躇しているように見受けられた。
「何だろうか」
「……先ほどは父が、……わたくしの家族が大変失礼をいたしました」
そう言って、ソフィアは頭を下げた。
「旦那様に、大変不快な思いをさせてしまいました。心からお詫びいたします」
両肩を小刻みに震わせて、自分自身のことではなく父親らの醜聞を謝罪するソフィアの姿にジークハルトは胸を痛める。
そんな彼女を見ていると、ジークハルトの心中に珍しく動揺が広がった。
「ソフィア、先ほどの件は君にはまったく落ち度はない。気にする必要はない」
だから、ジークハルトにしては珍しく語気が強くなったのでソフィアが怯えていないかとすぐに視線を移すが、彼女は動じていないようだ。
「……旦那様。ありがとうございます……」
そう言って、再び微笑んだソフィアの表情は、心なしか先ほどよりも和らいでいた。
そして、少し間を置いたのちにジークハルトは手元のベルを鳴らして給仕を呼び、食事を運ぶように指示をした。
まもなく、前菜の色鮮やかなテリーヌが運ばれジークハルトが口にしたのを見届けると、ソフィアも次いで口にした。
ソフィアは必ず主人である自分を立てるように行動をするのだ。
思えば、今までソフィアは夫人教育を施されたことはないはずだが、彼女の作法は完璧だと言えた。
細かいところは夫人教育を施し追々身につけていけばよいのであるし、王宮での夜会などの特別な行事がない限り問題はないだろう。
そして、ソフィアは音を立てずにスープを飲み終え、口元をナプキンで拭った。
「こちらのカボチャのポタージュは、とても甘くて優しいお味ですね」
「ああ、そうだな」
ソフィアの、飾らない率直な言葉が心地よかった。
「旦那様、こちらのお肉、柔らかくてとても美味しいです!」
メインディッシュに進み、最初は優れなかったソフィアの顔色が徐々によくなってきた。
「ああ、とても美味い。君と一緒に食事をしていると、より美味く感じられるな」
「旦那様……」
ソフィアは目を見開き、両頬を染めて次第にその目を潤ませるが、ハンカチで目頭を押さえると姿勢を整えた。
そして、デザートが終わりそれぞれに食後のコーヒーと紅茶が提供されると、ソフィアはより背筋を伸ばした。
「旦那様、実はご相談があるのです」
ジークハルトは、ソフィアの気配がスッと変わったように感じた。
それは静寂の中に何か張り詰めた緊張感のようなものを感じる。
そもそも、普段ならばジークハルトを立てて自分の用件を先に切り出すことはしないので、余ほどの用件なのだと察した。
「何だろうか」
「……契約の終了後のわたくしの身の振り方に関してなのですが……」
ソフィアは、言い出し辛そうに切り出した。
「その、わたくしはどのような身の上になるのかは存じませんが、できれば離縁後しばらくしたら、……わたくしはどこかで働きたいと思うのです」
言い切ると、小さく息を吐きだす。
「もちろん、離縁後すぐには世間の目もあるでしょうし、わたくしは修道院などで身を潜めることになると思いますが、五年とか十年とか時間が経ってからどこかで働けるように取り計らっていただけると、とても嬉しいです」
ソフィアは、更に深く息を吐きだすと背筋を伸ばしてジークハルトの瞳に視線を向けた。
ジークハルトは、ソフィアの言葉を受けて自身の思慮の浅さを思い知った。
(俺は愚かだ。……なぜ、彼女にもっと早く契約破棄のことを伝えなかったんだ。……いや、俺は伝えられなかったんだ。この言葉を伝える資格は俺にはないと、どこかで思っていたからだ)
そう思うと、思考がクリアになっていくように感じる。
「ソフィア。俺にはもう契約を履行する意思はない。実のところ、エリオン男爵には再三契約破棄の旨の書簡を送っているのだが、はぐらかされていてな。それが正式に破棄されるまで伝えるのは憚れたのだが」
ソフィアは、身体の動きをピタリと止めてジークハルトから決して視線を逸らさなかった。
(加えて、きっと筋を通さなければこの件を伝える資格もないとどこかで思っていた。だが、それは違った。ソフィアを一瞬たりとも不安にさせてはならなかった)
そう思案をすると、ジークハルトは先ほどのエリオン男爵の荒げた態度の姿が脳裏に浮かび、決心をする。
「俺は、君との期間限定である結婚の契約を破棄したいと考えている。本来の契約期間の終了後も、君には俺の妻として俺のそばにいてほしいんだ」
ソフィアは目を見開き、しばらく固まった。
一分ほど経過しても動かないので心配になり、声を掛けようとしたタイミングで一瞬早くソフィアが口を開く。
「それでは……、契約は……延長……していただけるのでしょうか」
「いや、延長ではなくあくまで……」
破棄したいと言い掛けたが、ソフィアの虚ろな瞳と目が合うとその言葉は飲み込んだ。
きっと、ソフィアはまだ自分にはジークハルトの正式な妻になる資格はないと心のどこかで思っているのだ。
それに、先ほどのエリオン男爵や姉らからの言葉を浴びせられたあとでは尚更だろう。
「旦那様、……ありがとうございます……! わたくし、契約延長後もお飾り妻として努めて参ります……!」
「いや、君にはもうお飾りである必要はない。むしろ、堂々と公爵夫人として振る舞って欲しい」
ソフィアの動きが、ピタリと止まった。
「……よろしいのでしょうか」
「ああ、もちろん」
ソフィアはスッと目を細めてすぐに俯く。小刻みに身体を震わせているので心配になるが、すぐに察してハンカチを手渡した。
それを受け取ると、ソフィアは涙を浮かべた顔で綺麗な表情で微笑む。
「旦那様、ありがとうございます」
その笑顔を受けて、ジークハルトは改めて自覚をした。
(ああ、俺はたまらなくソフィアのことが好きなんだな)
「いや、礼には及ばない。こちらこそ、いつもありがとう、ソフィア」
ジークハルトがそう言うと、ソフィアは大きく目を見開いて再び穏やかに微笑んだ。
ジークハルトは、今夜のソフィアの笑顔を一生忘れないようにしようと思ったのだった。
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