第32話 いつか聞きたかったセリフ
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七月の中旬の週末の朝。
今日は、ソフィアとジークハルトが、共に出掛ける日である。
ソフィアは、ジークハルトと共に食堂で朝食を摂っているのだが、今日のことを思うと胸がいっぱいになり、普段ならジークハルトに食事の感想を一分ほど述べているところを今日は三十秒ほどしか述べられなかった。
だが、ジークハルトは時折頷いて終始興味深そうに聞いてくれたので、心が満たされるように感じるのだった。
それから、朝食後に自室へと戻り侍女のテレサと共に外出用のドレスに着替え始める工程に入った。
ちなみに、ソフィアが元々持っていた外出用のドレスは、元は彼女の姉のお下がりでありサイズも合っておらず、そもそも露出が多めな上に派手な飾りが付いておりはっきり言ってソフィアには全く似合っていなかった。
なので、それを身につけることはできないので、元々私室に用意されていた外出用の紫色のドレスを身につけることにした。
「奥様。本日の飾り物ですが、こちらのシンプルなネックレスはいかがでしょうか」
そう言って、テレサが宝石箱から取り出したのは、先端の台座に真珠が嵌められたネックレスだった。
また、ソフィアは屋敷で暮らすようになってからはレースの施されたチョーカーを身につけており、チョーカーも好みだがネックレスも素敵だなとぼんやりと思った。
というのも、屋敷に住み始めた当初、テレサは飾り物として初めにネックレスを提案したのだが、ソフィアはもし壊してしまったら一大事だと思い断ったのでそのため基本的にチョーカーを身に着けることになったのだ。
「は、はい! そちらで大丈夫です!」
「はい。それでは失礼いたします」
テレサは、静かな動作でソフィアの首にホックをかけてネックレスをつけた。
ネックレスを身につけた三面鏡に映る自分自身が見慣れず、少々気恥ずかしくなる。
「奥様。ネックレスは敢えてシンプルなデザインのものにいたしましたので、後ほど改めてお選びになられる際は、これとは趣向が異なるものをお選びいただけたらと思います」
「? は、はい」
(テレサさんは後ほど選ぶと仰いましたが、本日は改めて選ぶ機会があるのでしょうか……?)
テレサの言葉に疑問は浮かぶが、ともかく髪も結い上がり化粧も施されて身支度は完了したので、待ち合わせ場所の中央玄関へと向かうことにした。
そして、テレサと共に中央階段を降りて玄関に到着すると、すでにそこにはジークハルトの姿があった。
彼は外出用の銀糸の刺繍がそれぞれ施された黒色のウエストコートの上に、黒色のフロックコートを羽織っている。
「申し訳ありません! お待たせしてしまいましたか?」
「いや、私も今来たところだ」
その言葉を受けて、ソフィアは固まった。
(今来たところ……。いつか、誰かにそのセリフを言ってもらいたかったのですよね!)
ソフィアは、内心で非常に感慨深いものを感じた。
「それでは行ってくる。エドワード、留守を頼む」
「はい、旦那様、奥様。お気をつけて行っていらしてください」
「ああ」
トーマスの声を背に二人は玄関の扉をくぐり、ゆっくりと外に出た。
屋敷の玄関の外には公爵家専用の馬車がすでに付けられており、ジークハルトは自然な動作でソフィアの手を取った。
(‼︎ い、一体、何が起きているのでしょうか⁉︎)
ソフィアの思考は大混乱を起こしそうになるが、掠れる意識の先でなんとか今の状況を把握すると、どうやらジークハルトは馬車に乗るために自分をエスコートしてくれようとしているのだと理解をする。
「だ、旦那様。ありがとうございます……!」
ソフィアは緊張と喜びで震えだす手をどうにか抑えて、ジークハルトの手に触れた。
(とても温かいです……)
思えば、初めて殿方の、いや他人の手に触れたので心臓の鼓動がバクバクと鳴り響きどうにかなりそうだが、ふと見上げた先のジークハルトの表情が穏やかだったので、不思議と徐々に心中が落ち着いてくる。
そうして、ソフィアはジークハルトのエスコートで馬車に乗車したのであった。




