第28話 旦那様の職場は緊張します
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それから二日後の月曜日。
ソフィアはグラッセ公爵家専用の馬車を降りて、石畳の上で大きな建物を見上げていた。
息を呑み、目を大きく見開きながら呟く。
「と、とても大きな建物です……!」
グラッセ公爵家が運営している「マジックガジェット商会」は、魔法道具の国内シェア二位を誇る商会だということであるが、実際に建物を目の当たりにすると相当に利益を上げている商会のように思う。
それは、レンガ造りの堅固な大きな建物で、屋根の上部には鐘が吊られた時計塔が設けられており、地域住民の生活を支えているのだろう。
ちなみに、建物は王都の商業地区の一等地に建てられており、公道に面しているので人通りも多い。
また、間隔を置いて設けられている魔法灯により、この区域が繁栄していることをより象徴していると思った。
「それでは奥様、参りましょう」
「は、はい!」
テレサは穏やかに微笑んだ。
今回のお供にと率先してついて来てくれた彼女は、外出用のコートを着込んでおりいつものお仕着せ姿とは違うので新鮮に感じる。
ちなみにソフィアも今日は紺色のあまり装飾の少ないデイドレスを着ており、首にはチョーカーを身に着けている。
それから二人は外階段を登って玄関扉をくぐり、一階の受付へと向かった。
「十三時からアリア・テレジアさんと面会の約束をしている、……ソフィア・グラッセです」
ソフィアは自分の名前を告げるとき、少し躊躇をした。
契約結婚とはいえ、今は書類上ではジークハルトの正式な妻であるのでそう伝えることは当然のことなのだが、何分初めて他人にファミリーネームの「グラッセ」を伝えたのでより緊張をするのだ。
「! 会長の奥様でいらっしゃいますね。お待ちしておりました」
受付の女性は立ち上がり丁寧に辞儀をすると、速やかにソフィアを二階の事務所へと案内した。
事務所には三名の職員が皆帳簿に何かを書き込んでいたのだが、ソフィアらが入室すると一斉に立ち上がる。
その様にビクリとしながらも、ソフィアはすうっと深呼吸をしてから意を決して口を開く。
「皆さん、初めまして。わたくしはジークハルト・グラッセの妻、ソフィア・グラッセです。以後お見知り置きを」
そう言ってソフィアはカーテシーをするが、契約期間が終わったら去る立場の自分が果たしてこのような自己紹介を行ってもよかったのかと内心ヒヤリとする。
チラリと周囲を見渡すと、皆次々に辞儀をして返してくれたのでホッと一息ついた。
「はい、奥様。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
事務員らは男性が二人で女性が一人の計三人のようだが、肝心のアリアはいなかった。
いないことを疑問に思っていると、それに気がついたのか事務員の男性が「ご案内をいたします」と言って事務室の奥へと案内してくれた。
事務員が扉を叩くと「どうぞ」と小気味のよい声が響く。
「失礼いたします」
次いで彼が扉を開けると、扉の奥にはロングの黒髪を頭上に髪紐でまとめてバレッタで留め簡素なドレスを着込んだアリアが事務机に座っていた。
「ソフィアさん、よくいらしたわね」
「お義姉様、本日はお招きいただきましてありがとうございます」
そう言ってソフィアは、アリアにバスケットを手渡した。
「こちら、よろしかったら皆様でお召し上がりください」
「まあ、ありがとう」
アリアはバスケットの蓋を開けて中身を確認した。中身は公爵家のパティシエ特製のクッキーだった。
「あら、懐かしい。わたくし大好きだったの」
「それは何よりです!」
ソフィアは、アリアの嗜好を屋敷の使用人らに聞いて回って事前に調査をし、その結果を受けてパティシエにクッキーを作るように頼んだのだ。
「わたくしは今日の仕事は午前中までで、午後からは休暇をとっているの。なので、早速商会の中を案内するわね」
「そうでございましたか! ありがとうございます!」
自分のためにわざわざ配慮をしてくれたことは申し訳なかったが、事前にジークハルトから「皆承知して動いているので気にしないように」と言われているので、それ以上は考えないようにした。
ちなみに、アリアのみ別室にいるのは彼女が伯爵夫人であり現会長の姉という特殊な立場のためだそうだ。
「そうだわ。よかったらジークに会っていったらどうかしら」
「旦那様にですか? い、いえ! 旦那様のお時間を煩わせるわけには参りませんので……」
「少し会うくらいだし、働いている彼を見ることができてよいと思うのだけれど」
「そ、それは」
確かに、少し見てみたいという気持ちが湧き上がってきた。
「ね。少し会話をしたら商会の中を見学して、今日はおしまいにしましょう」
「……承知しました」
アリアはテレサと顔を見合わせて口元を綻ばせるが、ソフィアは何のことか分からなかった。
それから、アリアは二人を連れて「会長室」へと向かい扉をノックするのだがしばらく待っても返答はなかった。
「あら、いないのかしら」
「そのようですね」
「……では、別の部署を回りましょうか」
「はい」
一同は振り返り歩き出すが、すぐに前方から男性が早足で駆けてきたので立ち止まった。
「あら、オリバー主任じゃない。会長なら今こちらにいないわよ」
「そうですか。ちょっと急ぎの用件があったのですが」
「もしかして、また?」
「はい、そうなんです」
話が見えないのでソフィアがチラリとアリアの目を見遣ると、彼女は小さく頷いた。
「最近、なぜか魔法道具に組み込む魔法陣が発動しづらいらしいの。ただ、納期の関係もあるので技術開発課の主任である彼が、相談のためにジークを訪ねに来たのね」
「そうでございましたか」
ソフィアは目を閉じて、思考を働かせた。
彼女は、アカデミー時代は普通科の生徒だったので魔法学の専攻はできなかったのだが、魔法学の専門書が収蔵されている図書館の立ち入りは許可されていた。
そのため、ソフィアは昼休みや放課後などを利用して図書館の大方の専門書を読破していたのだ。
普段のソフィアであれば自分から何かを提案することは考えないのだが、今は緊迫している空気だし、なんとなくだが自分の知識が役立てるのではと直感が過ったのである。
「あの……、もしよろしければですが、その魔法道具を見せていただいてもよろしいでしょうか?」
「テレジア夫人。こちらの方はもしや……」
「ええ。ジークの妻のソフィアさんよ」
「会長の奥様でしたか! これはご挨拶が遅れました。ただ、奥様。魔法道具に関しては精密機器ですので技術者以外の者が触れるわけにはいかないのです」
「そうですか。……でしたら魔法式を拝見することは叶いますか?」
「それは……」
渋るオリバーをよそに、アリアは強く頷いた。
「それであれば親族範囲で見せられるはずよ。そうよね、オリバー主任」
「え、ええ、まあ、そうですが」
「であれば問題はないわ。早速行きましょう」
そう言ってアリアはソフィアの手をとった。ソフィアはその手がとても力強く感じられた。
「はい!」
そうして一同は「技術開発部」へと向かった。
自分たちのために時間を割いてもらうのではなく、あくまでも「日常的な作業を見学する」という名目だ。
ソフィアは、逸る鼓動を抑えながらオリバーらに続き開発部へと足を踏み入れたのだった。
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