第25話 テレサの事情
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今日はあと1話投稿いたします。
テレサは朝食のワゴンを厨房へと運ぶと、使用人の休憩室へと足取り軽く向かった。
テレサの主人であるソフィアは、午前中は部屋で調べ物をしたり家令のトーマスの手伝いをして過ごすので、テレサにとってこの時間は空き時間なのだ。
現在休憩室には執事のセバスのみがおり、彼は椅子に腰掛けて優雅にお茶を飲んでいた。
「戻りました」
「ああ、ご苦労。それで、奥様にはお伝えしたのか?」
「はい、お伝えいたしました」
「そうか、よくやってくれた」
セバスは現在三十歳であり、三年ほど前からフットマンから執事に昇格し、家令のトーマスと共にグラッセ公爵家の日常における様々な仕事を対処している。
「旦那様が、多忙のために最近は中々奥様と共に夕食をおとりになられないことを気にしておられたので今回のことを提案したのだ。だが、旦那様は奥様に普段なら就寝している時間にわざわざ時間を作ってもらうのは気がひけると仰っておられたが、うまくことが運んだようで安心した」
「はい。……セバスさん。契約結婚の期間はあと約十一ヶ月です。その間になんとしても」
「ああ、そうだな。このグラッセ公爵家のためにも、アリア様のご意志のためにも、なるべくお二人が共に過ごす時間を我々が作ろう」
「はい」
テレサは強い眼差しを向けたまま頷いた。
セバスの言う「アリアの意志」というのは先日食事会の翌日アリアが帰宅する前に秘密裏にこの休憩室に集められた一部の使用人らへの指示のことだ。
その指示とは「なるべく二人をよい雰囲気にする」というざっくりとしたものだったが、そのときに集められた使用人らはこの結婚が契約結婚だと知っていたので、皆一様に納得しその指示を遂行することにしたのである。
また、テレサは本音をいうとソフィアには契約結婚の期間の終了後も、このまま屋敷に留まりジークハルトの正式な妻になってもらいたいと考えている。
というのも、彼女は先代の公爵夫人であるジークハルトの母親のことを知っており、貴族女性の中には労働層の自分たちをまるでゴミのように扱う人間もいることを知っているからだ。
セバスとテレサは、共に十代の頃からこの屋敷で働いていた。
テレサは没落した子爵家の娘で、教養はあるのだが何分実家にはまったく余裕がないので奉公に出ることになったのである。
運よく実家のコネで紹介状を作ってもらいこの屋敷で働くことができたのだが、先代の公爵夫人から厳しい叱咤を受けてきたのだ。
何しろ、実子であるジークハルトに虐待を行うような女性である。
そのときのテレサは侍女ではなくメイドの身分であったし、当時は新入りでまだ十歳だったこともあり目を付けやすかったというのもあるのだろう。
テレサに対しての仕打ちは、とても目に余るものだった。
ただ、前夫人が愛人と駆け落ちをしたことにより、屋敷には仕える主人らはジークハルトと姉のアリア、先代の公爵のみとなり彼女にとっては平穏が訪れた。
また、正直なところジークハルトが結婚をしてその相手にまた目をつけられたらと思うと恐怖でしかなかった。
予感は的中し、実際のところジークハルトの元婚約者の伯爵令嬢のアイリスは、貴族令嬢のご多分に漏れず中々クセの強い性格をしていた。
一見無欲で小動物を思わせ品がある女性だったのだが、ひとたびジークハルトが席を外すと本性を曝け出し、ジークハルトに色目を使ったなどと言いがかりをつけてテレサを厳しく叱責した。
テレサは、このことをトーマスやジークハルト本人に打ち明けてよいものなのかを非常に迷った。
だが、当時のテレサの実家は彼女の稼ぎがなければ立ち行かないほど家計が厳しく、彼女が何か問題を起こして公爵家のメイドの職を失うことがあれば一家が路頭に迷うことにつながりかねず、怖くて打ち明けることはできなかったのだ。
そういった経緯があるので、テレサはジークハルトと同様貴族の女性が大の苦手なのだが、なぜかソフィアに対しては初対面のときから全く悪い感情は湧き上がらなかった。
というのも、貴族令嬢であるはずの彼女は、テレサに対して初対面のときから物腰が柔らかく対応が丁寧だったからだ。
ソフィアは、常に謙遜し一つ一つのことに対して当然のこととは思わず感謝を忘れない。
ソフィアが屋敷に到着した当日にトーマスから軽く聞いた事情によると、彼女は実家で貴族令嬢とは思えない仕打ちをされていたらしい。
それを聞くと色々と納得をしたのだが、ソフィアはどうも能力的にも色々とずば抜けているように感じる。
そもそも、あの他人に厳しいアリアが彼女を推していることからして異例のことだと思った。
なので、テレサは個人的にもソフィアに心酔していて、彼女に生涯仕えたいとさえ思っており、是非グラッセ公爵家の正式な女主人となって欲しいと考えているのだ。
そして、その思惑を持つのはテレサだけではなく、執事のセバスをはじめ、事情を知る公爵家の使用人らは皆同様に考えているらしく、皆暗にソフィアとジークハルトの間を取り持とうとしているのである。