第23話 あなたはどう思っているの?
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ジークハルトは、姉のアリアに「エリオン男爵から契約結婚を持ちかけられたこと」「それを承諾してソフィアを冷遇したこと」「結婚をしないと授爵状を発行しないと国王から条件を課されたこと」など、これまでの経緯を説明した。
説明を一通り聞き終えると、アリアは深く長い溜め息を吐いてから額に手を付いてうなだれた。
「……事情があったとはいえ、最低ね」
「自覚している」
「……それで、ソフィアさんはどうなる予定なの……」
「予定では、彼女は病床に伏せたことにして領地の別邸で療養をすることになっている。また療養に時間がかかるために離縁をすることにして、彼女にはその地で平民として暮らしてもらう予定となっていた」
アリアは、再び深い溜め息を吐いた。
アリアはジークハルトを激怒をするのかと思ったが、その力もないのか彼女は深くソファにもたれ掛かっている。
「……最低。どうしてそのようなことが思い浮かぶのか、全く理解に苦しむわ」
アリアが額に手をついて息を吐き出すと、ジークハルトも深く頷く。
「同感だ。……いくら俺が結婚に消極的でありテナーが爵位の継承ができなくなるとはいえ、本来ならばあのような申し出を受け入れるべきではなかった」
その言葉を受けてなのか、アリアは目を細めた。
「申し出を受け入れたあなたも最低だけれど、そもそも、そんな提案をしてきたエリオン男爵は最低最悪よ。……そう思うと、ソフィアさんを親元から引き離せたことに関してだけは、……こんな言い方をするのは違うかもしれないけれど、よかったのかもしれないわね」
ジークハルトの心は揺れたが、その言葉を受け入れる資格は自分にはないとも思った。
そもそも、ソフィアが自発的に動いたことで彼女の取り巻く様々なことが好転したのだが、裏を返すとそれはソフィアが自発的に動かなければ、ジークハルトはソフィアに対してアリアの言うところの「最低な行い」をし続けていたことにもなる。
「そうだな。俺にはそう思う資格はないが……」
「……今だから言うのだけれど、わたくしは学生のころのほんのひととき、弟のあなたを差し置いて自分が爵位を継ぐことを考えたの」
この国では女性が爵位を引き継ぐことが可能なので、割合は低いのだが爵位を持つ女性もいるのだ。
だが、その場合は大抵親族に爵位を継げるような男性がいない場合であり、アリアは弟を尊重していたし、そもそも父親や親族が賛成をしないだろうからと夜会で知り合ったレオと結婚をしてテレジア伯爵家へと嫁入りしたのだ。
また、「公爵家を継ぐのはアリアの二歳年下のジークハルトにする」ことは随分前に父親が決定したためなのか、元々アリアは社交界デビューをしてから婚約者を選定することになっていた。
ただ、ジークハルトはアリアが爵位を受け継ぎたいと思っていたことは彼女が結婚してから知ったのだった。
というのも、アリアが嫁入りしてから所用のために立ち入った彼女の私室の本棚に所狭しと並ぶ、領地や使用人に関する大量の資料を目の当たりにしたからだ。
「俺としてはそれでもよかった。むしろ、事業の手伝いができれば立場はなくても構わない」
「わたくしが構うわ。それに、お母様の件もあることだし、お父様や親族はわたくしが爵位を継ぐことは絶対に許さなかったでしょうし……。加えて、あなたには民を統率できる素質があるけれど、わたくしにはないわ。それは自覚があるもの」
ジークハルトとしては国王から「結婚をしなければ授爵状の発行をしない」と宣言をされたときは、アリアに爵位を継いでもらうことも考えた。
だが、それはアリアが結婚をしてグラッセ公爵家を出た時点で難しく、仮に無理を通そうとしても結局は国王の許可が必要になるのでその案は却下したのだ。
アリアは、小さく息を吐き出してから背筋を伸ばした。
「けれど、きっとまだグラッセ公爵家に未練があるから、今わたくしは実家の事業の手伝いをしているのかもしれないわね」
アリアが手伝いをしたいと申し出たのは昨年で、丁度ジークハルトが爵位を継いだ頃であった。
それまでは、アリアとはほとんど交流を持っていなかったが、アリアとしては実家と絶縁したような状態でいるのが心苦しかったのかもしれない。
加えて、ジークハルトが爵位を継いだときに父親のポールが引退をすることになり、そのとき久しぶりにこの屋敷にて三人で食事をしたのだ。
その際に、ジークハルトはテナーを自分の養子にして爵位を継がせたいとアリアに相談をしたのである。
アリアとしてはテレジア伯爵家はテナーが継ぎ、娘のリリは良家に嫁がせたいと考えていたらしく、あまりよい顔はしなかった。
その際、アリアから「テナーを養子に出す代わりに、アリアが商会で働くことに異を唱えない」という条件を提案されて承諾をしたのである。
補足をすると、この国では授爵状の発行自体は養子の手続きを行わずとも可能であるので、まず授爵状が発行されてから養子に出すとアリアから条件を出されたのだ。
「わたくしは、……本音を言うとソフィアさんにはこの家の本当の家族になってもらいたいと思っているわ。ソフィアさんは優秀であるうえに、細かな配慮のできる素敵な人よ。けれど……」
「酷い提案をしたあなたにはソフィアさんはもったいない」という言葉も続けて聞こえてくるようで、ジークハルトは内心で小さく頷いた。
「ソフィアさんに無礼を謝って、少しずつでも距離を縮めなさい」
「だが、俺にはそのような」
「資格がないなんて言わせないわ。……けれど、きっとあなたの性格やソフィアさんの性格では、全く関係が進まないうちに契約期間が終了してしまうのでしょうね」
遠い目をしたアリアを見ていると、ジークハルトは確かにその通りだと内心思った。
「俺としては当初の計画通りではなく、契約期間が終了したら彼女の意思を尊重して好きな道を進めるように全面的に協力するつもりだ。そのために、俺と離縁をしたことが彼女にとって負の事態とならないように最大限に対策をする」
「……それはダメ。ソフィアさんにはこの家の、あなたの本当の妻になってもらうのだから」
旨までを言うと、アリアの瞳の色がふっと変わったように感じた。
「もう、いっそのこと……」
流石に躊躇ったのか、アリアは扇子を口元に当ててジークハルトの耳元に直接囁いた。
「な、何を言い出すんだ」
「エリオン男爵からの契約結婚の申し出を引き受けた人に、言われる筋合いはないわ。もちろん、同意のない行為はもっての外だけれど、このままではあなたは自分に資格はないとか言って、律儀に契約を遂行してしまうのでしょう? わたくしは、それにきっとお父様もそれは望まないわ」
アリアはスッと立ち上がった。
「あなたは、ソフィアさんのことをどう思っているの?」
「俺は……」
◇◇
ジークハルトは先日のアリアとのやり取りを思い出し、小さく息を吐いた。
「俺は、彼女のことを……」
呟くと、これまでのソフィアの姿が過ぎる。
『精一杯、お飾り妻として励んでいきたいと思います‼︎』
『わたくしが公爵様のことを、……旦那様、とお呼びしてもよろしいのでしょうか?』
『キャパオーバーです……』
ソフィアの笑顔を思い出していると、扉から四回ノック音が響き渡った。
「旦那様、お茶をお持ちいたしました」
「! ああ、どうぞ」
「失礼いたします」
扉を開いて入室したのは、紫色のシンプルなデイドレスを身につけたソフィアである。
「旦那様、お仕事お疲れ様です」
普段であれば、古参の侍女のマサが持ってくるのだが、今日はソフィアがお茶を持ってきたのでジークハルトは不思議に思った。
「……ああ。ところで、今日はもうウィルソン夫人が当番のはずだが」
ウィルソン夫人というのは、侍女のマサのことである。
「はい。そのとおりなのですが、今日はわたくしがお持ちしたいと思いまして」
「そうか」
ジークハルトは、そっとティーカップを手に取ると途端に芳しい香が華やぐ。
一口飲んでみるとよりその香りを感じられた。
「とても美味しいな」
「本当ですか? 安心いたしました!」
パッと表情を綻ばせるソフィアを見ていると、心が浮立ってくる。
「ひょっとして、君がこのお茶を淹れてくれたのか?」
ソフィアはピタリと動きを止め、瞬く間に両頬が紅潮した。
「は、はい。あまり手慣れていないので自信はないのですが」
「いや、とても美味しい。ありがとう」
更に顔を赤めたソフィアに対して、ジークハルトはこれまで感じたことのないような気持ちを抱いていることに気づいた。
『あなたは、ソフィアさんのことをどう思っているの?』
先日のアリアの言葉が耳に響いた。
(ああ、俺はきっと彼女にたまらなく惹かれているんだ)
そう自覚をすると、胸の奥でつかえていた何か黒いものがスッと消えていくような感覚を覚えたのだった。