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神恋語

作者: 葛城 壱

 しん、と静まり返った白を基調とした神殿。

 すべての生き物が眠りについた夜、月光に照らされた神殿は昼とは比べ物にならないほど、美しく荘厳な雰囲気をまとっている。

 町半分ほどの広さの割には人気の全くない神殿。ここの主の意向によるそれが、彼らには好都合だった。

 様々な花々や木々が少なく優雅さをまとって配置された中庭。そこを囲む回廊、その闇に隠れるように二つの影があった。

 赤銅色の長い髪の青年。

 青みがかった銀髪の少女。

 古代風の衣装の服をまとい、どこか人間離れした神秘的な雰囲気の二人は、闇の中、互いの温もりを、存在を確かめるように抱き合う。縋りつくように、ほんの隙間さえ惜しむように。

 だが、二人の顔にあるのは再会の喜びだけではない。

 やがて再び離れねばならない嘆きと、そして背徳心が彼らの表情に影を差す。

 それでも、二人には後悔だけはない。

「お会いしとうございました」

「私もだ」

 少女が青年の胸に頬を寄せ囁けば、青年もより強くその華奢な体を抱きしめる。

 互いの鼓動を感じあいながら、確かめ合いながら二人は言葉を交わす。

「ずっと、宮の中で貴方だけを思っていました。貴方に逢える時を心待ちにしておりました」

「ああ、私もだ。ずっと、そなただけを…」

「たとえ、ほんのひと時でも貴方とともに在れるだけで私は幸せです。たとえ、どれだけ離れていても、許されないとしても」

「ああ。私も、そなたを想う、そなたと一時でも想いを交わせたそれだけで、孤独を恐れずにいられる。そなたのいない場所でも笑っていられる」

「誰よりも貴方を慕っています」

「誰よりもそなたを愛している」

 愛を囁くのは二人同時で、見合わせた顔がわずかに綻ぶのも同時だった。

 密やかな少女の笑い声が静まり返った空気を震わす。

 少女の静謐さを宿した蒼の瞳と、青年の苛烈さを宿した緋の瞳がただ互いの姿を写す。

 絡まった視線、引き寄せられるかのように重なる唇。

 少女の瞳から幸せが一滴、滑り落ちた。







 その重なる二つの影を屋根の上から見ている影が一つ。

 月光を受けて輝く銀糸をなびかせ、二人を見守る儚さをまとった妙齢の女――この神殿の主が闇の中浮かび上がっていた。

 二人を見る双眸は慈愛に満ちていながらも憂いを含んでいて、それがより一層女の儚さを際立たせる。

「……」

 無言で互いの温もりを求めあい抱き合う、恋人たちを見守る。せめて、その時間が一分一秒でも長く続くよう、祈りながら。

 不意に、女の目がひそめられた。何もない虚空を、強く睨みつける。

 と、

 突如おこった風が、女の髪を舞いあがらせた。

 長い銀糸に一瞬遮られた視界、それが元の位置に戻った時には、まるで必然のように、当然のように、何もなかった空間に一人の青年の姿があった。

 一瞬にして、周囲が明るさを増した。

 女と同じく翻る髪は太陽を思わせる明るい金で、その明るさが辺りの闇を鮮やかに侵食する。

「何か、用か?」

 睨みつけながら問いかける女の声は低く、あからさまな棘を孕んでいる。

 青年は小さく苦笑すると、そっと屋根に座る女の隣に腰をおろした。空を舞う女の銀糸を愛しげに指に絡める。

「君に、会いに」

 秘め事を口にするように、女の耳に囁く。

「君に会いたくなって、来た」

「……」

 甘いその言葉を拒むように、女は青年を睨む。

 青年は、それを、激しく憎しみすらこもったそれを見ても委縮などせず、楽しそうに笑った。

「そうしたら、先客がいたみたいで驚いたよ」

 青年の視線の先には、未だに抱き合う少女と青年の姿。

 とたんに、女の双眸に恐怖と焦りが浮かんだ。唇を強く噛むその姿は悔しげで。

「…邪魔はさせない」

 低く唸るような声で女が言うと同時に、青年の周りに冷たい、肌を突き刺しそうなまでに冷たい空気が張り詰めた。それは、無言の圧力、無意識の圧力だった。

 だが、常人ならばすぐに恐怖に慄き、許しを請うだろうそれにただ、青年は苦笑した。

「信用ないねえ、俺。安心してよ、言うつもりなんて最初からないから」

「何故?」

 なおも疑わしげな女の問いに、青年は神殿の影の中抱き合う二人、青年のほうに視線を向けた。

「君と同じだよ」

「……」

「君が、娘である彼女の想いを叶えてやりたい、そう願ったのと同じように、俺もかわいい息子の許されない恋路を応援してやりたいのさ」

「…今にも崩れてしまいそうなほどに、あの子は彼を想っていた。許されない、禁じられた想い、だと泣きながら。可哀想な娘。だから、せめてあの子のためにできることならば何でもしてやりたかった」

「だから、自分の神殿を逢引の場として貸したってか」

 女は無言。だが、それは肯定の返事に他ならなかった。

「まあ、確かに、最高の場所だよね。月女神たる君の神殿には誰も手を出せない。しかも、時間が君の司る夜となればなおのこと」

「唯一堂々と入ってくるとしても、どこかの物好きな馬鹿な太陽神だけ、だからな」

 青年から顔をそらしたまま、女が言い放つ。

「相変わらず、つれないね、君は。まあ――」



――そういう所がいいんだけどね



 愛おしげに、呟かれた微かな声は女に届くことなく、夜風に溶けていった。

 女は聞こえなかった言葉を特に気にする様子もなく、冷たく夜空を照らす、己の根源たる月を見上げる。

 その冷たく麗しい横顔に、青年はただ見惚れた。

神の中でも上位に位置する彼女。

 誰よりも矜持高く、冷徹にして慈悲深い無表情の彼女。

 孤独を何よりも好む、他を寄せ付けぬ孤高の女神。

 合うはずのない性、火と水のように逢うはずのない太陽と月、けれど、どうしてだか彼女に惹かれてならない。

 「昼」の象徴たる彼にとって、「夜」はあまりにも冷たく相容れないのに、それでも最も彼女が輝く時に逢いに来てしまう。

 彼の眷属たる火神と彼女の眷属たる水女神の、彼らの眷属には決して許されない恋の逢瀬、それを見にきたなどただの言い訳だった。

ただ、彼女の元を訪れる理由が欲しかっただけ。

「君は、どう思っているの?」

 ただ無性に彼女の声が聞きたくなって問いかければ、向けられたのは訝しげな、嫌悪をむき出しにした目。

「何が?」

「あの二人のコト。協力してるんだから、反対じゃないよね」

 視線の先、幸せそうに、けれど苦しそうに言葉を交わす、火と水を司る本来ならば触れ合うことの許されない神の姿。

 答えなど期待していない。ただ、彼女に自分のほうを向いてほしかっただけ。

 だが、

「…うらやましい」

 彼の予想に反して、月女神はどこか自嘲するように朱唇を歪め、ぽつりとこぼした。

「うらやましい、と思う。私たちはあくまでも、この世界を支える存在、歯車の一つ」

 歌うように、女神は紡ぐ。

「誰かを愛するなんて、知ることさえない。だから、あの二人が、少しだけうらやましい。あんな風に、誰かを愛しいなんて思えるのがうらやましい」

 それは、他と距離を置く彼女が珍しく洩らす、本音だった。

 互いを想いあう、決して許されないとしても惹かれあい求めあう、その姿がうらやましくてたまらない。矜持も何もかなぐり捨てて、自分に泣いて縋ってでも逢いたい、と望んだ彼女が。

 抑えた胸の下、高鳴ることを知らない心臓が、わけもなく哀しい。凍てついた「心」が哀しい。

 夜風が悲しみと憂いに表情を曇らせる彼女の頬を慰めるように撫でた。

 女は月女神。朝神と夜神より今となりにいる太陽神とともに生まれ、そして彼と交わり風神をはじめとする空の眷属を生み出した。けれど、そこにあの二人のような恋情は一片たりともなく、ただ必要だからそうしただけ。もちろん他の神と交わり水女神をはじめとする水の眷属などの子を成しているし、彼とて大地神と交わり火神をはじめとする大地の眷属を生んでいる。

 神にとっては、他との交わりなどその程度のことなのだ。

 だが、それ故にそこから外れる覚悟さえ持って求めあうあの二人がうらやましくてたまらない。

 神として、他から許されぬと知りながらも惹かれ、焦がれ、愛し合う二人がまぶしくてたまらない。

 そして、決してそんなものを抱けないと知りながら、そうなりたいと願う自分が…おかしくてたまらない。

 そんな彼女から見れば幼い二人に、憧れ、せめて彼らは幸せな終末をと願う自分が…らしくなくておかしい。

 けれど、そんな自分に嫌悪だけはない。

 すっと、頬を撫でられ、女はその手の主を見た。

「どうして、そんな泣きそうな顔をしているの?」

「何を言っているんだ?私には、そんな感情、あるわけないだろう」

「どうして、そんなにも孤独であろうとするの?」

「私は、月。冴えた夜空に一人浮かぶ月。何よりも、誰も冷たく冴えた私に近づこうとはしない」

「……俺が、いるよ」

「どういう意味だ?」

「意味、か…。君を愛しいと想う者が、ここに、少なくとも一人はいるってことだよ」

「そんな口説き文句など、他でやれ」

「君だけだよ、こんなことを言いたいと思うのは」

「私は、お前を好いてなどおらん。そんな感情は知らない」

 女は拒絶するように吐き捨て、青年の手を振り払った。立ち上がり彼を見下ろす姿は、まさに気高く美しい空の月。

 青年が焦がれてやまない、姿だった。

 青年は振り払われた手を見下ろし、自嘲の笑みを浮かべた。

 女が中庭の回廊を見ればもう二柱の許されぬ恋人たちの姿はなく、月光の届かぬ闇だけがただわだかまっていた。

 彼と語らううちに、互いの在るべき場所へと戻っていったのだろう。

「あの二人も、もう去ったようだ。お前も、もう帰れ」

 冷たく言い放つその瞳はけれど、今にも泣き出しそうなほど切なく眇められている。

けれど、うつむいた青年にはその双眸もためらいがちに伸ばされた白い指にも気づくことはなかった。結局、彼に届くことのなかった指、それを握りしめる彼女にも。

気づくことはなかった。気づいていれば、確実に「何か」が変わっただろうそれらに。

切なげに押し殺した溜息をつく女を、ふいに青年の苛烈さを宿した瞳が射抜いた。その激しさの割には優しく伸ばされた手が女を捕らえる。

冷たく慈悲深く夜に光をもたらす月の下、矜持高く、冷徹にして慈悲深い無表情の月の化身を腕の中におさめる。精一杯の愛しさと切なさをこめて。

青年は知っている、自分たちの間にはあの二人のように、神として在るべきでない形になれるほどの情熱も、諦めの悪さもないのだと。それ以前に、そんな形になるにはもう遅すぎた、ということも。

「…っ。離せっ」

抱きしめられたと知るなり体を強張らせる女の額に、指で掬った銀糸に唇を落とし、

「おやすみ、いい夜を」

 そっと耳元で囁く。

 顔をしかめた月女神は己を抱きしめる片腕が緩んだすきに抜け出し、青年を睨みつける。

 どこからともなく吹き上げた夜風が彼女の銀糸を乱した刹那、もうそこに彼女の姿は無くなっていた。

 誰もいない、ただ冷たい夜気だけがある、彼女がいた空間を青年はただ見据えていた。まだそこに残る見えない彼女の気配の残滓を愛おしげに両手で包みこむ。

 すぐに、それは空へと溶けていったが、それでも、青年は満足だった。不器用で情熱だけで相手を求められない冷めた彼らには、それだけで、十分すぎるくらいだった。

 彼女と話せて、彼女に触れられて、彼女がこの世界に存在している、それだけで彼には十分なのだから。


「月女神、俺は君に恋しているんだよ」

 

誰にも届くことのない言葉をこぼし、彼は踵を返した。月女神同様、すぐにその姿は風にさらわれるようにして消える。










 ―――彼らが去った後には、何も残らず、

 彼らの想いを知るものはいなかった―――



このたびは、「神恋語」をお読みいただきありがとうございました。


突発で書いたものなので、プロットとかなしで読みにくかったら、本当にごめんなさいな感じです。


そして、激しくタイトルセンスがほしい今日この頃です…

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