スクランブル・イン・シブヤ!(夏詩の旅人スペシャル)
1987年8月中旬
お盆明けの、東京午後6時
渋谷某所にある町工場の廃墟跡地内には、十数名の男女不良学生らが集まっていた。
パシンッ!
「きゃッ!」
茶髪の女子高生に、頬を叩かれた少女が叫ぶ。
叩かれた少女は、私服姿であった。
彼女を叩いたのは、リーダー格の黒田モエカ。
モエカは、叩かれた少女の髪をグイッと鷲づかみして言う。
「あんたさ…、ナメてんのかよ?」
両腕を男子高生に抱えられ、膝を付いた状態の少女にモエカは凄んで言う。
モエカの周りには、彼女の他に女子高生が4人、そして男子高生が10名、叩かれた少女を取り囲む様に集まっていた。
「あたしらが連絡してもシカトぶっこいて…、そのままバックレて、チームを抜けられるとでも思ってたのかよ!?、ええッ!、美久ッ!?」
男子高生に、取り押さえられているミクと呼ばれた少女は、恐怖で涙目になっていた。
「うう…、ごめんモエカ…、バックレたのは悪かった…謝る…」
「でも…、あたしもうイヤなんだ…。援交とか無理だし…出来ないよ…」
ミクがモエカに、震えながら涙声で言う。
「ふざけんなッ!」
バシッ!
先程より力強く、モエカがミクの頬を張り倒す。
「うう…、酷いよ…。なんで友達なのに、こんな事するの…?」
泣きながらミクが言う。
「友達ぃ…?」
はぁ?という表情で、モエカがミクを見下ろして言う。
一方ミクは、どういう事?という表情をして、無言でモエカを見つめる。
「ねぇみんな聞いて!、こいつあたしらと友達だと思ってるんだって!」
ミクをバカにしたような笑顔で、周りの仲間たちに振り返って言うモエカ。
仲間たちはクスクスと笑い出す。
それをミクは、黙って見つめていた。
「お前なんか、誰も友達だなんて思ってねぇよ…」
膝を付いて取り押えられているミクへ、前屈みで挑発的に語り掛けるモエカ。
「お前が友達居なそうでヒマそうだったから、利用しようと思って声かけただけだよ…」
「お前に援交でもやらせとけば、あたしらの遊ぶ金が集められると思っただけだ!、ばかぁ!」
「酷い!…、酷いよッ!、私、みんなと友達だと思ってたのにッ!」
ミクがモエカに、泣きながら震えて言う。
「友達になりたきゃ、エンコーして金集めて来いッ!」
小馬鹿にした表情で、ミクにそう言うモエカ。
「それはイヤ!、そんなのイヤッ!」
ミクが涙目で言う。
「だったらどうする?、チームを抜けるのかい?」
そう言ったモエカに、無言で頷くミク。
「ふざけんな…ッ」
モエカはそう言うとクルリと踵を返し、廃工場の蛍光灯を取り外し出した。
そして、その取り外した蛍光灯を手にしたモエカが、またミクに近づいて来た。
「こいつをてめえの中にぶち込んでやるッ!」
モエカの言葉に蒼ざめるミク。
「知ってるか?、蛍光灯は割れると破裂すんの…?」
「てめえにコレつっこんだら、てめえのハラを思いっきり蹴っ飛ばしてやるッ!」
「てめえを、一生ガキの産めないカラダにしてやるよ…」
イラついた表情のモエカが、ミクにそう言い放つ。
「や…、やめて…!、イヤッ!、ヤメテよぉッ!」
ミクがジタバタと暴れ出す。
しかし両腕を男子高生に押さえつけられているミクは逃げる事ができない。
「ちょっと、あんたたちも手伝って!、あいつの脚を抑さえてよッ!」
モエカの指示に、2人の男子高生が加わってミクの両脚をそれぞれが抑える。
「ちょっとッ!、ヤメテよモエカッ!、やめてってばッ!」
押さえつけられるミクが暴れながら懸命に叫ぶ。
「ほら!、ミクを寝かせて…!、脚広げて!、パンツも降ろしちゃいな…ッ」
蛍光灯を手にしたモエカが、目の前でミクを取り押さえている男子高生らに言う。
「やだぁッ!…、やだぁッ!、離してッ!、離してぇーッッ!」
ぎゃぁああああああッッ!
廃工場跡地で叫び声が響き渡った。
1週間前の渋谷センター街、ブリティッシュパブHUB店内
「こーさんは、なんで剣道をやってたんすかぁ?」
ロン毛で切れ長の瞳のヤスが、眼鏡越しで見つめながらバイト先のセンパイに聞いた。
彼ら2人は、渋谷のダイニングでバイトしている大学生であった。
バイトが終わった彼らは、2人で恒例のハブリに来ていたのだった。
「ハブる」とは、彼らがHUBで飲みに行く事を指す言葉である。
バイトが終わると決まってヤスや、金髪ソフトモヒカンで左耳ピアスのタカたちは、センパイに「どうすか今夜?、ハブりますか?(笑)」と、毎晩の様に誘うのであった。
いつもは3人で行くHUBであったが、秋田出身のタカが、この日はお盆で実家に帰省中だった為、その夜は2人だけの「ハブり」であったのだった。
「柔道もやってたよ…」
隣に座っているヤスに、先程の質問を笑顔で答える彼。
「じゅっ…、柔道もですか!?」
「うん…、でも初段取って辞めちゃったけど…」
「剣道は三段まで続けたんですよね?」
「ああ…」
「なんで剣道は辞めなかったんです?」
「剣道は実戦において、有効だと思ったからだ」
「そうなんですか?」
「ヤス…、お前、“剣道三倍段”って言葉知ってるか?」
「いえ…」
「極真空手の大山倍達の著作、“大山カラテ、もし戦わば”という本に書いてあった」
「あの、“牛殺し”のマス大山ですか?」
「そう…、その本に、どんな武術と対決しても大山カラテは負けはしない自信はあるが、剣道だけは別格だとその本の中で大山倍達が言っていた」
「剣道は別…?」
「ああ…、真剣を持たせたら、自分が空手五段でも、相手は自分の段位の3倍の強さを発揮すると…」
「だから剣道有段者と対決したら、相手が二段以上であれば勝つことは不可能だと言っている」
「へぇ~…、そうなんすかぁ…?」とヤスが感心する。
※実際の意味はそういう意味ではないのだが、大山倍達は、誤解釈していた様である。
ちなみに薙刀は、か細い女性でも、高名な剣道家を造作なく倒してしまったという記録が実際に残されている。
つまり、武器や刃物を持つという事は、素手の相手に対してそれくらい優位性を発揮し、武器の長尺によっては、相手の戦闘力を大きく凌駕するという事の証明なのである。
「ヤス…、お前はテコンドーをやってたよな?」
彼がヤスに聞く。
「はい…、最初は空手から始めて…、テコンドーに転向しました」
「そうか…、なら聞くが、お前がもし街中で暴漢に襲われたらどうする?」
「取り合えず戦うと思いますッ!」
「そうか、なら相手が10人いたら戦うか?」
「ううッ!、相手によります。弱そうなやつだったらガッツ石松みたいに、10人相手でもやってやりますよ!」
「じゃあ、その相手が刃物を持ってたらどうする?」
「えッ!?、そりゃ無理ですよ!、逃げます(笑)」
「だろ?、空手や柔道とかの格闘技ってのは、確かにスゴイし、俺が素手で向かったら簡単に倒されちまうよ」
「でもな…、実際に暴漢に出会うというのは、さっき言ったみたいな、相手が集団であったり、ナイフを持ってたりするもんなんだ」
「確かに…ッ!」
彼の説明にヤスが納得する。
「テコンドーや柔道を極めた人間は、理不尽に人を襲ったりしない。それは、そこまでなるには精神力も鍛えられているからな」
「だから素手の格闘技は、あくまで平等なルールがあった上で、1対1で戦い、己を競い合う」
「だが暴漢ヤロウたちには、そんなの関係ねぇ…、だから俺は剣道を選んだ」
「剣道なら大丈夫だと?」
「取り合えず、他の格闘技よりは暴漢対策は出来ている。まず剣道有段者なら、相手が刃物を持ってても、怖くない、当たりもしないからだ」
「そうなんですか?」
「お前だって、素人が殴りかかってきたら怖くないだろ?(笑)」
「はい…」
「剣道家に、刃物や棒を持って向かって行く行為は、プロボクサーに、目くら滅法に殴りかかりに行く行為に等しい」
「まず剣…、いや木刀でもいいや…、まず木刀を構えた剣道家を前にしたら、隙がなくて相手は打ち込めないよ。蛇に睨まれた蛙状態になるよ」
彼の話を、ヤスは興味深く聞いている。
「剣道家の打つ竹刀は、まるで鞭の様だ。凄いスピードで、とても目で追えない。いろんな角度から鞭のように、しなって襲い掛かってくる」
「俺なんか、高1の時に出稽古で、日体大のレギュラーに稽古つけてもらったら、斜め横からイキナリ突きが来て、舌咬んで口から血が出たよ(笑)」
笑顔で話す彼の説明に、ヤスがゾッとする。
「だから俺が棒を持てば、相手が武器を持ってても、当たりゃしないし、敵の目を突きでえぐったり、喉を突いて簡単に殺せるわけよ」
「そう言えば、以前サンデーで連載してた、“六三四の剣”ってマンガにも描いてありましたよ」
「主人公のお父さんが暴漢に襲われても、剣道の足さばきはプロボクサーのフットワークに等しいと言って、そのお父さんは素手なんだけど、相手のパンチを見切って当たらなかったシーンが…」
「そうなんだよヤス…。人間の手より長くて速い、鞭みたいに飛んでくる棒を、感覚で交わして、抜き技を決める(※カウンターを取る)んだから、当たるわけないのさ」
「スゴイんですね剣道って…!」
「だけど、棒がなけりゃボッコボコにやられちゃうけどな…」
彼はそう言うと、ははは…と笑い出した。
「俺も剣道習おうかな…?、だって剣道なら二段を取得すれば最強なんでしょ?」とヤス。
「ヤス…、お前には恵まれたその体格があるじゃないか?、だったらテコンドーを極めてみた方が良いよ(笑)」
「と、言いますと…?」
ヤスが彼に尋ねる。
「あらゆる武道や格闘技で、階級制が無いのは剣道だけだ」
「それは、剣道には体格差はあまり関係ないという事さ。だから技量があれば力の無い、女、子供だって護身技として成立する」
「俺はお前みたいに、プロレスラーの様な体格になれる自信がなかった。だから剣道を選んだのさ」
「そうなんすか…?」
「ああ、そうだ。だからお前はそのガタイを活かして、テコンドーに精進した方が良い。じゃないともったいないよ」
「はぁ…、なんか、ありがとうございます…」
ヤスが恐縮して言うと、彼が「ふふ…」と微笑んだ。
「イェ~イ♪お2人さん!、楽しそうね?」
すると突然、小柄でセミロングヘアーの女の子が、カクテルを手にして彼らに話し掛けて来た。
※現在は知らないが、当時のHUBでは見知らぬ異性が、自分たちの目の前に座り話し掛けて来る風潮があった。
何だぁ?と、女性の方を向く彼とヤス。
「男2人で飲んでて、ホント寂しいんじゃないの?、ふふ…」
目の前に座って来た女性が、彼らに微笑んで言う。
ヤスはニヤついて、その言葉に「うん、うん」と彼女に無言で頷いている。
「君は1人なのかい?」
彼が女性にそう聞いた。
「うん、一緒に飲んでもいいかな?」
「構わんよ…」
彼がその女性に言った。
「じゃあ初めまして♪…、かんぱ~い!」
そのコはノリ良くそう言うと、彼ら2人のグラスに自分のグラスを、カチンと合わせるのだった。
「君は大学生…?」
彼が目の前の女の子にそう聞く。
「ううん…、高校生」
顔を左右に振って、笑顔の女の子が答える。
「こッ…、高校生ッ!?」
彼の隣に座るヤスが、その言葉に喰いついた!
ヤスは女子高生大好きの、ロリなのだ。
※現在は知らないが(こればっか…(笑))、僕が当時通っていた渋谷のHUBでは、こんな感じに女子高生が飲みに来ていて、男性に話し掛けて来るのが当たり前だったのである。
「君、高校生には見えないなぁ…」
目の前の女の子に彼が言う。
彼女はメイクもしっかりキメて、女子大生の様なファッションをしていたからだ。
「ふふ…、女子高生はね…、夏休みが終わる頃、バージン捨てて大人の雰囲気に変わるのよ♪」
妖艶な眼差しで彼にそう言う彼女。
そして女性は次に、突然彼らにこう言い出す。
「ねぇ…、もしヒマならさ…、私と援助交際しない?」
「援助交際…?」
彼女が言った意味の分からない彼が、女の子に聞く。
※「援助交際」という言葉は、この頃から使われ始めたのである。
「売春!、売春しないか?って事ですよッ!」
隣のヤスが小声で、彼に素早く耳打ちする。
「ちょっとヤメテよぉ…、売春なんて下品な言い方は…」
その話が聞えた女の子が、むくれてヤスに言う。
「同じ意味じゃん!」
ヤスが女の子に言う。
「違うの…、援助交際は女の子に選択権があるの…」
「女が選んだ、ちょっと女遊びをしてみたいと考えてる男性が、疑似恋愛を楽しんで、その報酬を女の子に渡すのよ(笑)」
「だからそれ売春だろ!?」
「言い方変えてるだけで、意味は一緒だ」
彼が女の子に、少しムッとした表情で言った。
「分かってないなぁ~(笑)」
そんな彼の言葉に動じない彼女は、笑顔で言う。
「おお…、俺、どうしよっかな…?」
ヤスが喰いつく。
「ばか!、やめとけ!」
隣のヤスに彼が言う。
「君は何歳だ?」
続けて彼は、女の子にそう質問する。
「16歳(笑)」
あっけらかんと言う女の子。
「じゅッ…、じゅうろぉくぅぅ~~ッ!?」
またまたロリ好きのヤスが喰いついた!
「おい!、落ち着けよヤスッ!」
興奮醒めやらないヤスに彼が言う。
「金に困ってるのか…?」
ヤスをなだめた彼は、女の子に向いてそう言った。
「別に…」
しれっと言う彼女。
「売春って、金に困ってる女がするんじゃないのか?」
彼が聞く。
「だから売春じゃなくて、援助交際なんだってば!」
「ふぅむ~~~……」
女の子の説明に、理解できない彼が鼻息でため息をついた。
「その援助なんとかってので、稼いだカネはどうするんだ…?」
少し間を置いから、彼が再び女の子に質問をする。
「まぁ…、遊ぶ金かなぁ…?、チームのみんなで、飲んで騒いで盛り上がるのに使うのかなぁ…?」
天井を見上げながらそういう彼女。
「チーム…?」
それは何だ?という意味で言う彼。
「チームは、友だちみんなで集まって、遊ぶ仲間たちのことよ♪」
「大学生がサークルって言ってるやつを、高校生は、チームと言って活動してるのよ」
女の子が彼にそう説明した。
※解説をしよう。1987年当時の渋谷では、ポパイやホットドックプレスという情報誌で紹介された、アメリカンカジュアルのファッションが流行していた。
薄いパープルカラーの、ラガーマン仕様のポロシャツの襟を立てたりしたファッションが当時は流行っており、それを渋カジファッションと呼んでいた。
またこの頃の渋谷では、まだチーマーは存在していなかった。
そんな中、夕やけニャンニャンというTV番組で女子高生がブームとなり、女子大生がギャルならば、女子高生はコギャルだと名乗りを上げる。
チームとは、そんなコギャルや男子高生たちが、渋谷で遊ぶサークル的組織であった。
当初は、私立のおぼっちゃんやお嬢ちゃんらが結成したチームであったが、やがてその姿は暴力的なギャング組織へと変わって行く。
センター街で、他のチームの女の子を別の学校のチームの男性がナンパをすると喧嘩が起こる様になった。
やがて、都内の私立有名校だけがやっていたチーム活動を、公立高校も真似しだし、ついには埼玉、千葉、茨城などの他県の高校生も真似し出す事となった。
そうなると男女が集まるサークル的な組織だったチームは、段々とヤンキー気質な連中があつまる組織へと変貌し出すのであった。
※この頃になると高校生ばかりでなく、大学生やフリーターたちも参入し出す。
そして90年代に入ると、チームには女の子の姿は消え、男だけが集まる不良集団となり、渋谷界隈の縄張り争いをするギャンググループとなって行った。
人は彼らを、“チーマー”と呼ぶ様になるのであった。
さて、先程のシーンに戻ります。
「その“チーム”とやらの、活動資金を調達して来るのが君の役割なんだ?」
彼が目の前に座る彼女に聞いた。
「まぁ、そいうこと♪」
彼女はそう言うと、手にしたカクテルをグィッと飲み干すのだった。
「俺、ヤスって言うんだ!、この人は、こーさん!、君は何て言うの?」
ヤスが彼女に擦り寄り出す。
「あたしは美久!」
「この辺に住んでるの?」(ヤス)
「うん!、家は三茶(三軒茶屋)!」(ミク)
「三茶なんだぁ!?、タカさんと一緒ですね?、こーさん!」(ヤス)
「ははは…」
ミクとヤスの会話を聞いていた彼が、突然笑い出した。
「何ッ!?」
ムッとした顔で、彼に振り向くミク。
「いやぁ…、失敬、失敬…」
ミクに手を上げて詫びる彼。
「何が可笑しいのよぉッ!?」(ミク)
「君さぁ…、実はまだ売春なんてやった事ないだろ?」と彼が言う。
「えッ!?」
ちょっと驚くミク。
「それからさっき、バージン捨てたら大人の女になるとか言ってたけど…、それもまだだよな?」
彼がミクへそう言うと、彼女は悔しそうな表情で黙り込んでしまった。
「ええ~!、まだ処女だったのぉ~!?、ラッキー♪」(ヤス)
「うるさいッ!」
はしゃぐヤスに怒るミクは、続けて彼に言う。
「なんでそう思うのよ!?」
ミクがむきになって彼に問う。
「だってさぁ…、どこの馬の骨か分からないアイツに、君は自分の名前や最寄り駅までペラペラしゃべり出したじゃないか?」
「ええ…?」
どういう事?とミク。
「そんな脇の甘い、隙だらけの女が売春なんかしたら、今頃、弱みを握られて拉致られてるところだよ(笑)」
「男から金取るどころか、逆に自分の方が金をユスられるぜ(笑)」
彼を睨んでいるミクは、黙って話を聞いていた。
「今日がデビューだったんだろ?、最初に声かけたのが、俺たちで良かったなぁ?(笑)」
「君はそういう事するのは向いてないって事だ。もうやめとけ、やめとけ(笑)」
彼はそう言うと、グラスに入っている、テングのビーフジャーキーを1つ摘まんで口に運んだ。
「そういうワケにはいかないのッ!」(ミク)
「何故さ?」と彼。
「友達ともう約束したのッ!、私が活動資金を集めるから…、それが仲間に入れてくれる条件なの!」(ミク)
「友達が、仲間にそんな事さすかねぇ…?」(彼)
「え?」(ミク)
「友達だと思ってんのは君だけじゃないのか?」(彼)
「どういう意味よぉッ!?」(ミク)
「そんなやつらは友達なんかじゃねぇ…、友達のフリして君を利用してるだけだ」(彼)
「あなたに、何が分かるのよッ!?」(ミク)
「分かるさぁ…(笑)、いい加減に目を覚ませ…」(彼)
「気分悪いッ!、私、帰るッ!」
ミクはそう言って席を立つと、プィッとそっぽを向き、店の出口へと行ってしまった。
「あ~あ…、もったいないなぁ~…」
ミクの後姿を見ながらヤスが残念そうに言う。
「ホントのことなんだから、しょうがないだろ?」
彼がヤスに笑顔で言う。
「まったく…、こーさんは、いつも女を怒らせてますねぇ…」
ヤレヤレという感じで、ヤスが言った。
「いつも…?」(彼)
「ほら、先月のジュンちゃんだって、怒らせちゃったじゃないですか…」
「そんなんだからカノジョ出来ないんですよ…」
「やかましいわッ!」
彼はヤスにそう言うと、C.C.(カナディアンクラブ)の水割りをグィッと飲み込むのであった。
翌日
バイト帰りの彼は、ヤスと2人でまたセンター街のHUBへ訪れた。
階段でB1Fのフロアへ向かう2人。
ドアを開け店内に入ると、隣のヤスが彼に言った。
「あ!…、こーさん!、ほら、昨日のコ。また来てますよ」
そう言って、ミクがいる方向を指すヤス。
ミクは、チャラそうな20代半ばくらいのサラリーマンと談笑していた。
「おい…ヤス。ちょっとあの男を脅かしてやれ…」
「あい…」
顎をしゃくってヤスに指示をする彼。
ヤスはニヤッと微笑むと、ミクのいる方へと向かった。
「やったぁ~♪、じゃあ交渉成立ね!?」
ミクがそう言った目の前には、酔って顔を真っ赤にしたサラリーマンが、ニタニタしながら彼女を見つめていた。
「オイッてめえ!、俺のオンナに何か用かよぉッ!」
その時、ミクの背後から、ヤスがドスの利いた声で、サラリーマンを威嚇した。
「オンナぁ~!?」
ミクが驚いて後ろを振り返る。
「あ!」
ミクは昨日のヤスだと気が付く。
ヤスはサラリーマンにガンを飛ばしていた。
「わわ…、悪い!、俺さぁ、用事あるの思い出したわ!、それじゃッ!」
ヤスにビビったサラリーマンが、そう言って慌てて席を立つ。
「あ!、待ってぇ!」
ミクがそう言っても、サラリーマンは急いでカバンを抱えて店を出て行ってしまった。
その光景を茫然と見つめるミクと、睨みを利かせているヤスの姿。
「ちょっとぉッ!、どういう事ッ!?」
援助交際の交渉を邪魔されたミクが、ヤスに怒って言う。
「俺知らないよぉ~、だってこーさんが命令すんだもん…」
ヤスがミクにトボけた調子で言う。
「ちょっとぉッ、こーさんッ!」
ミクが怒って、彼の座る席までやって来た。
「まぁ座れよ…」
ミクをなだめながら、彼が言うと、ミクは憮然とした表情で彼の前に座った。
「エンコーは危ないから、ヤメとけって言っただろ…?」
そう言う彼に、そっぽを向いているミク。
そして彼は話を続ける。
「ミク…、もし相手がクスリとか持ってて、眠らされたらどうする?」
「撮影されて、裏ビデオに出ちゃうぞ…!?」
ミクは不機嫌そうに横を向いて黙っている。
「性病とか持ってたら感染るんだぞ…。エイズにかかったら死んじゃうぞ…!?」
「そんなのゴムすれば良いじゃない!」
「相手が、ちゃんとしてくれれば良いけどな…」
「それから性病は体液で感染するんだぞ…、梅毒はキスでも感染するぞ…」
「エイズは傷があったら粘膜感染するぞ…」
「傷なんかありませんッ!」
嫌味っぽく言うミク。
「君はバージンだろ…?」
ボソッと彼が小声で言う。
「あ…ッ!?」と気が付くミク。
「君にはリスクが大きすぎる…、だからもう、そういう事はやめとけ…」
「だから友達と、もう約束したのぉッ!」
怒り顔で彼に言うミク。
「昨日も言ったろ?、そんなやつらは友達なんかじゃねぇって…。学校には友達はいないのかよ?」
「いないよッ!」
「1人もか…?」
「そうだよッ!、学校のコたちなんて、みんなネクラで、気が合わなくて、つまんないんだよッ!」
「学校のコたち、みんなと話しても、そんな感じなのか…?」
「誰とも話してなんかないよ!、みんな見るからに真面目で、私とは合わないなぁ~って思って、話す気にもなれないよ!」
「それじゃあ分からないじゃないか…、君が勝手にそう思い込んでるだけだろ?」
「ああ~もうッ!、だから私、中学受験なんてしたくなかったのよ!、私には私立校なんて合わないんだって!」
「じゃあ、なんで受験したんだ?」
「親の言う事を聞いただけ…ッ!」
「その時に、ヤダって言えばよかったじゃないか?」
「その時は分からなかったのッ!、私も私立に入れば、楽しいのかなって思っちゃったのッ!」
「じゃあそれは、親のせいじゃないだろ…?」
「うるさいなぁ…、親みたいな事言わないでよ!、そういうのイライラするから!」
「そうか、それは悪かった…」
「もういいよ、別に…」
ミクが少し落ち着いたので、彼は更に話し掛けてみる事にした。
ちょうどその頃、サラリーマンを威嚇した後、WCに行っていたヤスも戻って来た。
「なぁミク…、君はそのチームの連中と、自分が高校卒業しても、そういう付き合いを続けて行く気なのか…?」
「それはご心配なく!、チームでバカやるのはハタチまでってルールを、みんなで決めてるの」
「ハタチまで…?」
「そう!、だってハタチ過ぎてこんな事やって警察に捕まったら“少年A”で済まないでしょ!?」
「へぇ…、ちゃんと考えてるんだなぁ…(笑)」
「ハタチ過ぎたらどうするんだ?」
「そしたら短大卒業して、良い会社に入って、良い男見つけて結婚でもするんじゃない?」
「結婚願望があるんだ?(笑)」
「あたり前でしょッ!、子供を産んで、育てて母親になるのが将来の夢よ!」
「子育てかぁ…、君の口からそんな言葉が出るなんて思わなかったよ(笑)」
「俺はてっきり、君は子供嫌いで、結婚願望なんて持ってないコなんだと思ってたよ(笑)」
「私、子供好きだよ!」
「ほんとかぁ~…?(笑)」
「ホントだよ!」
「この前、いとこのお姉ちゃんに子供が生まれたの!、女の子で抱かせて貰ったの!」
「小さくて、可愛くて…、あ~、私もゼッタイ女の子が欲しいって思ったもん!」
「じゃあ君は、自分の産んだ娘が、もしエンコーをやってみたいと言ったら賛成するんだな?」
「そんな事、するわけないじゃないッ!、絶対にダメだよ!」
「なんでさ?、エンコーは危険じゃないんだろ?」
「君はエンコーやってて、子供にはダメって言うのは、スジが通らないぜ…(笑)」
彼がそう言うと、ミクは黙ってしまった。
「視点を変えて見れば、真実が見えて来るだろ…?」
「ミク…、本当は、エンコーが悪い事だって、危険なんだって、君は分かってるんじゃないか?」
駄目押しで彼が言う。
「そうかも知んないけど…、そういう言い方がムカつくのよ!、親みたいなその言い方が…!」
「君は、子供を産む大人が、全て完璧な人間じゃないと、子供を産んじゃいけないんだと思ってないか…?」
「え?」
どういう意味?とミク。
「世の中には、君と同い年のコも、子供を産んで母親になるやつがたくさんいるぜ」
「そんなコたちは、人生の半分以下しか生きて来ていないのに、親になる」
「全然世間知らずでも、子育てをしなきゃならないよな…?」
ミクは目の前で語る、彼の話を黙って聞いている。
「君なんかが、もし母親になんかなったら、さっき自分が言ってた事を、自分の子供にそのまま言われるな(笑)」
「言い方が気に食わない!とか、イライラする!とか、きっと君も言われてるよ(笑)」
「それは何故だと思う?」
分からないミクは、彼の言葉に首をかしげる。
「親も君と一緒で未熟だからだ…。親だって子育てしながら、悩み、傷つき、日々成長してるからだ…」
「だから、君が気に食わない言い方をするかも知れない。だがその言葉の裏にある、真の意味を君は考えた事があるかい?」
「なんで娘に嫌われても、親は必死に君へ伝えようとする?」
「それは、その裏に親の愛情があるからだろ?、君も、将来娘が出来た時、その子がエンコーやるって言ったら、娘に嫌われたって必死に止めるだろ?」
「親だって未熟なんだから言い方や、進路のアドバイスで失敗したりするさ。でも、その裏側にある親の愛情を知ったら、それでも君は親を責められるかい?」
「表面的なものだけに反応して、いちいちムキになるんじゃない。学校のクラスメイトにもそうだ、勝手に気が合わないんだと決めつけるな!」
「その人が君に言った、その言葉に隠された真の意味を考えろ…」
「それが出来なけりゃ、君は一生、ただのバカな女で終わる…」
彼がそう言い終えると、ミクは黙って考え込むのであった。
「ミク…、友達ってのは、どういうやつの事を言う?」
しばらくして、彼が黙って座っているミクに聞いた。
「え?、それは…、一緒にいて楽しくて、何でも相談できて、趣味も合って…」
ミクが考えながら言う。
「そうだよな?…、それと、ここが重要なんだが、友達は決して見捨てない!」
「見捨てない…?」
「ああ…、そうだ。見捨てない…」
そう言って彼はミクに微笑んだ。
「ミク…、よく小学校に上がる時に、友達100人できるかな?なんて歌のCM見た事ないか?」
「ある…」とミク。
「そんなさ、本当の友達が100人もできるワケねぇよなぁ!?(笑)」
「ふふ…、そうね…(笑)」
「友達も縁なんだよ…、すぐ近くで見つかるやつもいれば、時間が掛るやつもいるってことだ!、だから今、友達が居ないからって気にする事はない」
「……、そうだね…」
ミクが笑顔で言う。
「だからチームのやつらは友達なんかじゃねぇ…、そんな友達なら居ない方が良い」
「もうやつらとは付き合うな…、これっきりにしろ」
「ありがとう、こーさん。なんかスッキリしたよ」
「私、モエカに会って、チームを抜けるって言うわ」
何かが吹っ切れた表情のミクが言った。
「モエカ…?」と彼が言う。
「チームのリーダーの女の子なの…」
「そうか…、なぁミク…」
「何?」
「チームの連中に会って、抜ける事を伝えるのはやめとけ…」
「どうして?」
「なんか嫌な予感がするんだ…、君がそう言ったら危害を加えそうな気がする」
「だから、やつらとの連絡は一切絶て、電話にも出るな」
「それから、しばらくは渋谷から離れて行動した方が良い…、分かったな?」
「心配し過ぎじゃないの?、こーさん…?」
「いいから言われた通りにするんだ。分かったな?」
「分かった」
「じゃあ今日はもう真っ直ぐ家に帰れ。16歳がこんな時間までフラフラ夜の渋谷にいるもんじゃない」
「ありがとう…、いろいろ心配してくれて…」
「こーさんって、口は悪いけど、実は良い人なんだね…?」
「良い人…?、俺がか…?」
「うん」
「俺は良いやつなんかじゃねぇよ…、だが…」
「だが…?」(ミク)
「悪いやつでもない…」
そう言うと彼は、ミクにニヤリと微笑んだ。
「ふふふ…」
それに釣られてミクも微笑むのだった。
「じゃあ気を付けて帰れよ!、それから学校のコたちとも、話してみるんだぞ!」
HUBを出た彼がミクに言う。
「分かったよ!、ありがとう」
「じゃあな!」
ミクに手を振る彼。
こうして、店の前で別れた彼ら。
ミクはそれ以来、HUBに姿を現す事はなかった。
数日後。
ヤスがバイト先の、ダイニング“D”へ行く前に、タワレコで掘り出し物を探していた後の事。
目ぼしいレコードが見つからなかった彼は、タワレコを出てから、東急ハンズの近くを歩いていた時であった。
※当時、タワレコはハンズの側にあったのだ。
「あれ!?、あのコは…?」
ヤスがそう言って見た先には、制服の女子高生2人と両腕を組んで歩くミクの姿が見えた。
しかし、何か様子がおかしいとヤスは感じた。
ミクの表情はどことなく強張り、困惑している様に見えたからだ。
まるで両腕を抱えられ、どこかに連れて行かれる感じであった。
そしてミクの周りには、ガラの悪い私立校の男子高校生らが、数人で取り囲んで一緒に歩いていた。
ヤスはミクを、相手から気づかれない様に尾行する事にした。
住宅街を抜けてしばらく歩くと、やや開けた空き地に出た。
そこには、廃墟となった町工場が建っていた。
その中へ、ミク達が入って行った。
ヤスもその建物に近づき、中をそ~と覗き込んで見る。
(あッ!)
ヤスが言葉を呑む!
そこには、男子高校生2人に両腕を押さえられて、地面に膝を突いているミクの姿が見えたからだ!
ヤスは、ミクが例のチームに拉致られたと確信した。
ミクの前に立つ茶髪の女子高生が、ミクに何かを話し掛けている。
パシッ!
するとその茶髪が、ミクの頬をいきなり張り倒した!
(やや…、やばい!、どうしよう!?、助けなきゃッ!)
(でもあの人数じゃ、俺1人じゃ無理だ…!、どうすれば…??)
ヤスは考える。
廃工場には20人近くの不良学生が居たのだった。
(そッ!、そうだッ!、ケーサツだッ!、ケーサツに知らせなきゃッ!)
そう思ったヤスは、急いでセンター街方面の宇田川交番へと走り出した!
はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……ッ!
ミクを救い出す為、ロン毛を揺らせながらヤスは懸命に走る!
ハンズを通過して、井の頭通りに出たヤス。
宇田川交番まで、あと少しだ!
(あれッ!?、こーさんッ!)
ヤスは交番の手前付近で、バイトに向かう彼を発見した!
彼はオクトパスアーミーで洋服を見ていたが、目ぼしい物がみつからなかったので、手ぶらで店を出たところだった。
「こ~~~~さぁ~~~~んんッッ!」
「大変だぁ~~~~~ッ!」
「ん!?」
遠くからヤスの声が聞こえて来たので、彼はその方向へと目を向ける。
すると大慌てで、彼の元に駆け寄って来るヤスの姿が見えた。
はぁ…、はぁ…、はぁ…。
彼の前で止まったヤスは、前屈みになって肩で息をする。
「どうした?」と彼が聞く。
「あの…、HUBで知り合ったミクってコが拉致られたッ!」(ヤス)
「何だとッ!?」(彼)
「俺、さっきあのコがチームの連中に連れて行かれるとこ見かけて尾行したんだ!」
「そしたら、この先の廃工場跡に監禁されたのを確認したんだ!」
「それでお前は何してる?」(彼)
「ケーサツに知らせようと、ここまで走って来たんだッ!」
「なぜ助けなかった!?」(彼)
「無理だよこーさん、俺1人じゃッ!、向こうは20人くらい居たんだからッ!」
額に汗をだらだらかいているヤスが、息を切らせながら彼に説明する。
「ヤス…、ケーサツはダメだ!」
「え!?」
「ケーサツに知らせたら、ミクもエンコーの共犯として補導される…」
「そうしたら、あのコは学校を退学させられちまう」
「じゃあ、どうすればッ!?」
「俺たちだけで救い出す…」
「ええッ!、無理ですって!、返り討ちに合うのが目に見えてますよぉッ!」
「ならお前は、ここで寝てろ…、俺が1人で行く」
「ちょっと、こーさんッ!」
ヤスが彼を引き留める。
「場所はどこだ?」
「え?、場所は、オーチャードロードの駐輪場を越えた先に、住宅街があるんですけど、それをNHK方面に進んで行くと、ちょっとした空き地がありまして、そこに、その廃工場があります」
「分かった…」
彼は、そう一言ボソッと言うと走り出した!
「ああ!、待って!、俺も行くよぉッ!」
ヤスも急いで彼の後を追う。
井の頭通りを併走する2人。
「こーさん!、何か作戦あるんすかぁ!?」
「無い…」
険しい表情の彼。
「ええッ!?、マジっすかぁ~…。勘弁して下さいよぉぉ…」
隣を走る彼に、ヤスは情けない声を上げる。
更に走る彼ら。
神南小前下の交差点が近づいて来た。
その時、彼は「東急ハンズ」の看板が目に入った。
それを見て彼が、何かを思いつく!
「ヤスッ!、ちょっとハンズで買いモンしてくるッ!」
「はぁい!?」
「お前はここで待ってろッ!、すぐ戻る!」
「こんな時に買い物って…ッ、何考えてんすかぁ、こーさ~んんッ!」
後ろからヤスの声。
彼は急いでハンズの中にある、アウトドア関連のフロアまで駆け上がって行った!
一方、廃工場跡地では…。
ミクをさっき叩いた茶髪の女子高生の他にも女子高生が4人、それと男子高生が10名が、ミクを取り囲んでいた。
「あたしらが連絡してもシカトぶっこいて…、そのままバックレて、チームを抜けられるとでも思ってたのかよ!?、ええッ!、ミクッ!?」
チームのリーダー、黒田モエカが、恐怖で涙目になっているミクを恫喝する。
男子高生2人に、両腕を取り押さえられているミクは、跪かされている。
「うう…、ごめんモエカ…、バックレたのは悪かった…謝る…」
「でも…、あたしもうイヤなんだ…。援交とか無理だし…出来ないよ…」
ミクがモエカに、震えながら涙声で言う。
「ふざけんなッ!」
バシッ!
先程より力強く、モエカがミクの頬を張り倒す。
「うう…、酷いよ…。なんで友達なのに、こんな事するの…?」
泣きながらミクが言う。
「友達ぃ…?」
はぁ?という表情のモエカがミクに言う。
ミクは無言で、モエカを見つめる。
「ねぇみんな聞いて!、こいつあたしらと友達だと思ってるんだって!」
バカにしたような笑顔で、モエカは周りの仲間たちに振り返って言った。
仲間たちがクスクスと笑い出す。
それをミクは、黙って見つめている。
「お前なんか、誰も友達だなんて思ってねぇよ…」
ミクへ、挑発的に語り掛けるモエカ。
「お前が友達居なそうでヒマそうだったから、利用しようと思って声かけただけだよ…」
「お前に援交でもやらせとけば、あたしらの遊ぶ金が集められると思っただけだ!、ばかぁ!」
「酷い!…、酷いよッ!、私、みんなと友達だと思ってたのにッ!」
ミクがモエカに、泣きながら震えて言う。
「友達になりたきゃ、エンコーして金集めて来いッ!」
小馬鹿にした表情で、ミクにそう言うモエカ。
「それはイヤ!、そんなのイヤッ!」
ミクが涙目で言う。
「だったらどうする?、チームを抜けるのかい?」
そう言ったモエカに、無言で頷くミク。
「ふざけんな…ッ」
モエカはそう言うとクルリと踵を返し、廃工場の蛍光灯を取り外し出した。
そして、その取り外した蛍光灯を手にしたモエカが、またミクに近づいて来た。
「こいつをてめえの中にぶち込んでやるッ!」
モエカの言葉に蒼ざめるミク。
「知ってるか?、蛍光灯は割れると破裂すんの…?」
「てめえにコレつっこんだら、てめえのハラを思いっきり蹴っ飛ばしてやるッ!」
「てめえを、一生ガキの産めないカラダにしてやるよ…」
イラついた表情のモエカが、ミクにそう言い放つ。
「や…、やめて…!、イヤッ!、ヤメテよぉッ!」
ミクがジタバタと暴れ出す。
しかし両腕を男子高生に押さえつけられているミクは逃げる事ができない。
「ちょっと、あんたたちも手伝って!、あいつの脚を抑さえてよッ!」
モエカの指示に、2人の男子高生が加わってミクの両脚をそれぞれが抑える。
「ちょっとッ!、ヤメテよモエカッ!、やめてってばッ!」
押さえつけられるミクが暴れながら懸命に叫ぶ。
「ほら!、ミクを寝かせて…!、脚広げて!、パンツも降ろしちゃいな…ッ」
蛍光灯を手にしたモエカが、目の前でミクを取り押さえている男子高生らに言う。
「やだぁッ!…、やだぁッ!、離してッ!、離してぇーッッ!」
「ねぇ、モエカ…、さすがにそれはマズイんじゃない…?」
モエカの仲間の女子高生が彼女に言う。
「何だい?、あんたはこいつの味方なのかい?」
モエカが、止めようとした女を睨みつける。
「そんなんじゃないって…、たださぁ、そこまでしたらモエカがパクられると思ったからさぁ…」
引きつり笑顔で、その女がモエカに言う。
「あたしがパクられる?」
「あんた、あたしだけがパクられると思ってんのかい!?」
モエカの言った意味が分からないその女は、無言で彼女の話を聞いている。
「バカだねぇ~…、あたしらは、みんな共犯なんだよッ!」
「あたしが、たまたま手を下しただけで、みんな黙って見てんだから同罪なんだよぉッ!」
モエカのその言葉に、周りの女子学生や男子学生らが、困惑した表情でお互いを見つめ合う。
「そんなぁ…、だったらあたし…」
さっき止めた女がそう言いかけると、素早くモエカが女の言葉を制止して言う。
「なら、お前もチーム抜けるってかい…?」
不気味な笑みで、モエカはその女を見つめる。
「ちょうど良い…、チームを抜けたらどうなるか、今見せてやるよ…」
「それを見れば、あんたも考えが変わんじゃね?」
そう言ってニヤリと笑うモエカ。
静まり返る廃工場内。
チームのみんなが、何かを考える様に黙ってしまった。
「ぎゃぁああああああッッ!」
その時、1人の男子高生が悲鳴を上げた!
モエカの言葉に動揺して、ミクを抑える手を緩めてしまった男子高生の手を、ミクが思いっきり噛みついたのだった。
「わわッ!」
その叫びに驚いた他の男子高校生たちの手も緩んだ!
ミクはジタバタと身体を揺らし、彼らを振り切る。
そして転がる様に、急いでその場からダッシュした!
「あッ!、待てッ!」
走り出したミクの後ろから声。
しかし慌てて走り出したミクの方向は、出口と正反対であった。
工場の壁に突き当たるミク。
「ははは…、どっちに逃げてんだよぉ!、出口はあっちだよ!」
モエカが勝ち誇った様に、ミクへ叫ぶ。
絶望的な表情のミク。
モエカを始めとした男子高校生らが、ミクの方へ、じわじわと近づいて来る。
「ちょっと待ったぁ~ッ!」
次の瞬間、吹き抜けになっている廃工場の入口側から男の声がした!
「…ッ!?」
モエカを始め、チーム全員が声の方にバッと振り返った!
入口には男が2人立っていた。
背の高い男と、ガタイの良いロン毛の男だと確認できた。
「なんだぁ…?、あの変なやつらぁ…?」
彼らを見たチームの男子高生が言う。
それは彼らが、スイマーが使用するゴーグルをかけて立っていたからだ。
「何だいあんたらはッ!?、『ちょっと待ったぁ!』って、ねるとんじゃねぇんだよッ!」
モエカが2人に叫ぶ。
「そのコを返して貰おうか…」
背の高い方の男が、ゆっくりと静かに言う。
「は!?、何だい?、あんたミクの知り合いかぁ?」(モエカ)
「友達だ…」
「ははは…、ミク!、あんたにも友達いたんだぁ?、ずいぶん変なやつらだけどね…」
ミクに振り返りモエカが笑って言う。
(こーさん…ッ!?)
入口に立つ2人を見たミクが、彼だと気が付く。
「あいつを取り返したきゃ、力ずくで取り返しなッ!」(モエカ)
「そのつもりだ…」(彼)
「お前さぁ?、頭おかしいな?、この人数前にして、たった2人でどうするつもりだよ!?」(モエカ)
「やってみなきゃ分からんだろ…?」(彼)
「意味分かんねぇ…?、自分がボコられてまで助けるもんかねぇ…?」
呆れ顔のモエカが言う。
「友達は見捨てない…」(彼)
「はぁッ!?」(モエカ)
「それが友情ってモンだろ…?」
ニヤッとして彼が言う。
「かぁぁぁぁーーーーッッ!、友だちぃ!?…、友情ぉ~!?」
「まったく、ヘドが出るぜッッ!、あたしはねぇッ、そういうコト言うやつがぁ、いっちばんキライなんだよぉおッ!」
身体を震わせて、興奮気味に怒鳴って言うモエカ。
「お前、今までどんな人生送って来たか知らねぇが、相当、屈折してンなぁ…(苦笑)」
「何だとぉッ!?」(モエカ)
「てめえの、その腐った性根を叩き直してやる!…、覚悟しとけ…」
目の座った彼が、低いトーンで言う。
「面白れ…♪、やれるモンならやってみッ!」
「みんなぁッ!、やっちまいなッ!」
モエカの号令に、男子高生たちがゾロゾロと彼らに向かって歩き出す。
手には、廃工場にあった鉄パイプや角材などを握りしめている。
男子高生たちが近くまで来ると、彼とヤスは背中合わせに立った。
その周りを不良学生たちが囲む。
円形に2人を取り囲んだ男子学生たち。
モエカは、その状況をニタニタとした表情で見つめる。
そしてミクは、固唾を吞んでその状況を見守るのだった…。
「ヤス、準備は良いか?」
背中合わせに立つヤスへ、小声で耳打ちする彼。
「あい…」
ニヤリとしたヤスが、彼に返事をする。
「かかれぇぇーーーッ!」
モエカが男子学生たちに合図した!
うぉおおおおおーーーーッ!
武器を手にした男子高生たちが2人に襲い掛かった!
「今だッ!」
彼がそう言うと、2人はヒップポケットから素早く何かを取り出す!
制汗スプレーの様な物を手にした2人は、安全ピンを引き抜いて襲って来た男子学生たちに向けて噴射した!
プシューーーーーーーーーーーーーーッ!!
赤色の霧が一直線に飛ぶ!
「うわぁッ!」
「ぎゃぁッ!」
「ああ~ッ!」
彼らは素早く時計回りに学生たちの顔を目がけてスプレーを噴射した!
そして赤い霧を顔に浴びた学生たちが、次々と悲鳴を上げる!
「うぎゃあッ!」
「痛てぇーッ!」
「何だこりゃあああッ!」
「ううううう…ッッ!!」
プシューーーーーーーーーーーーーーッ!!
少し離れて立つモエカの方にも、その赤い霧が漂う。
「プププッ…!、くぁッ!」
目をしばたいて、モエカが叫ぶ。
その後ろでは、仲間の女学生たちも、「きゃぁ!、きゃぁ!」と悲鳴を上げる。
2人が噴霧したのは、登山者が使う、射程距離が5mにも及ぶ、熊撃退用のスプレーであった!
彼が先程、ハンズのアウトドアコーナーで購入した物は、これだったのだ。
強烈なトウガラシエキスを使用した熊よけスプレーは、文字通り、熊も逃げ出すシロモノだ。
たとえ吹き抜けの広い工場内でも、室内に漂う赤い霧の威力は凄まじいものとなる。
2人がゴーグルをかけていたワケは、こういう事だったのだ。
人の目に入れば、半日は目が明けられない状態になる程の威力がある、このスプレー。
決して、みなさんはマネしない様にお願いします(笑)
「どうだキンチョールの威力は!?、恐れいったか!?」
彼がニヤリと言う。
「てめッ!、卑怯だぞッ!」
肘で顔を覆いながらモエカが叫ぶ。
「アホウッ!、どっちがだ!?」
彼がモエカに言い返す。
ああああ…ッ!!
目が痛てぇぇ~~ッ!
ぐぁあああああ…ッ!
悲鳴を上げる男子高生たちは、顔を覆いながら次々と地面に這いつくばる。
「どけ!」
ゴーグルを外した彼が、取り囲んでいた男子高生の1人を、そう言って突き飛ばす。
「どけぇッ!、こらぁッ!」
野蛮なヤスは、邪魔な男子高生にドカッと蹴りを喰らわす。
「どうだ?、だいぶ人数が減ったぞ。まだやるか?」
彼がモエカに言う。
敵はモエカを含んだ女子高生5人と、少し離れた場所にいたお陰で、辛うじてスプレーから逃れた男子高生2人だけとなった。
「くぉぉおおおッ!」
モエカが彼を睨みつける。
「勝負ありだな?(笑)」
彼がモエカにそう言った瞬間、後ろで倒れていたうちの1人が、顔をくしゃくしゃにしながら、彼に背後から襲い掛かった!
「てめぇッ!」
彼にそう言って飛び掛かる体格の良い学生は、熊よけスプレーのかかりが甘かった様だ。
「こーさんッ!、危ねぇッ!」
ヤスはそう言うと、脚をヒュンッ!と、頭上へ高々と上げた!
「おっと!」
それと同時に、彼が後ろの男の攻撃を、ひょいとかわす。
ドカッ!
ヤスの踵が、体格の良い学生の肩に背後から落ちる!
「がぁッ!」
「うぐぐぐぐ……ッ!」
学生はそう呻くと、肩口を押さえながらうずくまった。
「サンキュ!」
ヤスにそう言う彼。
「油断禁物ですよ、こーさん!」
「ヤス…、踵落としって、脳天に落とすんじゃないのか?」
「違いますよ…。踵落としは、相手の肩口に落とすんです」
「相手の鎖骨を粉砕して、腕を上げられなくして、戦闘能力を奪うんですよ」
「へぇ…、そうなんだぁ?、今度、参考にするよ…」
※後に起こる、鎌倉国立大爆破テロ事件で、彼はそれを実行するのであった。
「ったく…、おめぇらはなっちゃいねぇなぁ…」
それから彼は、モエカらにボソッと言う。
「お前らは、お坊ちゃん、お嬢ちゃん過ぎて、喧嘩のやり方を分かってねぇ様だな?(笑)」
「タイマンなんて、張った事もねぇだろ!?」
「大方、大人数で1人を取り囲んで、いたぶって来た卑怯モンと見た!、違うか…?」
「この野郎……ッ」
彼にそう言われたチームの生き残りが、鉄パイプを握って彼を睨んで言う。
「何だ?、やんのか?…、来いよ(笑)」
ニヤリと笑う彼が、奴を挑発した。
「がぁッ!」
鉄パイプを振り上げた男子学生が言う!
彼は素早く、サッと熊よけスプレーを奴の顔に向けた!
「うあッ!」
驚いた奴が顔を覆う!、動きが止まる!
「っとッ!」
そう言って彼は、相手の膝関節を正面から前蹴りした!
ガッ!
「がぁッ!」
男が悲鳴を上げる!
奴の膝関節が、反対側に負荷がかかる!
彼は情けで、五分の力で蹴った。
それは本気で蹴れば、靭帯断絶の大怪我となるからだ。
それでも五分の力で蹴られた膝靭帯は、損傷を起こし、ひと月は足を引きづって歩く事になるはずである。
「アホウ!、スプレーはもうカラだ…(笑)」
彼はそう言うと、柔道技の出足払いで、そいつの脚を続けて刈った!
バシッ!
「ぎゃッ!」
足を刈られた男が悲鳴を上げて倒された。
「ぐぅうううう…」
脚を抱えながら横たわる男子学生。
「男はあと1人だけだな?、どうだ?、まだやるか?」
彼は残った肥満系の男にそう言った。
「ほらぁッ!、お前男だろッ!、行けよぉッ!」
パニくってるモエカが、無責任に肥満学生を煽る!
「くッ……!」
煽られた男はそう言うと、彼にファイティングポーズを取った。
その構えを見た瞬間、彼は奴が喧嘩初心者だと確信し、ガードを下げたまま、左肩を前に入れる感じで男の前に立った。
「ふっ…、ふっ…、ふっ…」
呼吸でリズムを取りながら、じわじわと近づく肥満学生、素人丸出しである。
「いいぜ!…、来いよ…」
ニヤッと笑って、そう言う彼。
「がぁッ!」
そう叫び、拳を振り上げる肥満学生!
「あ!、お巡りさん!、こっちですぅッ!」
そのタイミングでヤスが、そう言った!
「えッ!」と、ヤスを見るその男。
バシッ!
瞬間、脇見した奴は、彼のストレートをモロに顔面へ受けた!
「ぐッ!」
苦悶の表情の肥満学生。
「やぁ~い!、やぁ~い!、引っ掛かった!、引っ掛かったぁ♪」
彼の後方で、ヤスが奴をおちょくる様に言った。
「てんめぇ~~ッ!!」
肥満野郎が発狂した!
奴は渾身の力を込めて、パンチをブンブンと振り回す!
それを彼は、難なくバックステップでかわす。
剣道の足さばきを使うまでも無い。
奴は完全に冷静さを失い、ハンマーパンチをブンブンと振り回し続ける!
何とか彼の顔面に、お返しの一発をお見舞いしたい奴は、大振りのパンチを繰り返すが当たらない。
これはもう、典型的な喧嘩初心者がやる行為だ。
ブンッッ…!
パンチが力み過ぎて、身体が横へ流れる!
ブンッッ…!
奴の顔面がガラ空きだ!
彼は前に踏み込み、ガラ空きの顔面へ、ショートレンジのストレートを打ち込んだ!
隙だらけの顔面だから、ワンツーどころか、スリーフォーまで打ち込めた!
「ぶッ!」
パンチを喰らった肥満が声を出す。
「ちくしょぉぉぉおおおーーーーッ!」
鼻血を出して、目を充血させた奴は、小梅太夫みたいな叫び声で、大振りなパンチを振り回す!
バックステップで、ハンマーパンチを余裕でかわす彼。
「はぁッ…!、はぁッ…!」
パンチを振り回す奴の息が上がって来た。
右ハンマーパンチを振り切った奴へ、バッと前へ踏み込む彼!
左ショートアッパーを奴の右脇腹へ打ち込んだ!
ドスッ!
「うッ!」
肥満がうめいた!
彼が打ったパンチは、ボクシングで言う「レバー(肝臓)」だ。
ボディーブローは腹筋を鍛えれば堪えられるが、ここは筋肉があまり無い箇所なので、踏み込みが浅くても強烈なダメージを与える。
人間の急所である肝臓にパンチを貰えば、たとえ一流の格闘家でもダウン必至である!
これを喰らえば、息が出来ず、地獄の悶絶が始まる。
「ぐぐぐ…ッ!」
肥満はそう喘ぐと、地面に沈み込んだ。
ピンポイントで狙わなければならない、レバーへの攻撃だが、なぜ彼はクリーンヒットさせる事が出来たのか!?
実はレバーのヒットポイントは、剣道でいうところの「胴」とまったく同じ場所だっだ。
鞭の様に飛んで来る、相手の竹刀をかわしながら、ピンポイントで抜き技を決める「胴」。
剣道高段者ならば分かると思うが、彼にとってレバーを打つという事は造作もない。
竹刀を使わない分、踏み込みが甘いレバーブローになったが、それでも急所だから効果はてき面なのだ。
蹲る肥満を見下ろしていた彼が、モエカに振り向く。
そして彼女の元へ、ツカツカと歩き出した。
「ひゃぁッ!」
「きゃぁッ!」
モエカの仲間の女学生が、近づいて来る彼から逃げ出す。
しかしモエカはその場に立ちすくんで、彼を睨んでいた。
向かい合うモエカと彼。
バシーーンンッ!
彼が勢いよくモエカの頬を平手で張った!
モエカが勢いで、後ろへ下がる!
叩かれたモエカは、彼を睨みつけ、髪を振り乱しながら叫ぶ!
「殴ったわねッ!?、親にも殴られた事ないのにッ!!」
「アムロ・レイか、てめえは…?」
冷めた表情で、ボソッと言った彼の言葉の意味が理解できないモエカは、困惑しながらも彼を睨み続けていた。
「女を殴るなんてサイテー野郎だねッ!」
モエカが捨てゼリフを言う。
「まったく男より悪さしておいて、よく言うぜ…」
「ちゃんと女扱いして、ビンタにしてやったろッ!」
「それとも最近流行りの、“男女平等”にしてもらいてぇか!?」
「男ならこういう時は、グーパンチだぞテメェッ!」
「お前ぐらい歪んでると車のヘコみと一緒でな!、鈑金工事みてぇに叩いてやらねぇと治らねぇんだよ!」
そして彼は続けて言った。
「いいかッ!、お前らがやってる事は、未成年だからって、“少年A”で済まされる事じゃねぇんだぞッ!」
「これだけの悪さをしておいて、1発も殴られる覚悟が無いなんて、虫が良すぎゃぁしねぇか…?」
彼がそう言うと、廃工場内の学生たちは、黙ってしまった。
「おい、お前、学生証を見せてもらおうか!」
彼が、目の前にいるモエカに言う。
「え!?」
眉をひそめてモエカが言った。
「学生証を見せろと言ったんだ」
「なんでよッ!?」
「いいから見せろ!」
「やなこった!」
「もう一発喰らわされてぇか!?」
「ひゃぁッ!」
顔をかばい、モエカが叫ぶ。
「ほぉ…、お前らA学の附属高校だったんだ…?」
モエカと仲間の女学生から、学生証を奪った彼が中身を見ながら言う。
「ヤス!、そっちはどうだ!?」
後ろにいるヤスに振り返って、彼が言った。
「はい…、全員回収しました!」
「やっぱ、こいつらも全員、A学ですね…」
男子学生らの学生証を、全て回収したヤスが言う。
「A学にも、オメェらみたいなのが居るのには驚きだな…?」
彼は、A学の軽音サークルと交流があるので、そう言った。
「さて…、聞くところによるとお前らは、前科が付かないハタチまではバカをやって、その後は何食わぬ顔をして、社会に戻るっていう考えらしいな…?」
彼の話をチームの連中は黙って聞いている。
「お前らはどうやら、金持ちや権力者のバカ息子やバカ娘の様だな?」
「親のコネや財力で、良いとこにでも就職して、自分も高給取りになるのが夢ってとこか?」
奴らを見回しながら彼が言う。
「だがな…、そう上手くいかないかも知んねぇぞ…」
「お前らの身元は全部押さえた!」
「俺がこれを警察に持って行けば、お前らは全員、学校を退学になるな?」
「そうなりゃ、お前らが描いていた未来の夢もオシャカになるワケだ…」
「うう…、やめろ…」
チームの中の1人が、呟く。
「それとも、これを持って、今回の事をフォーカスやフライデーに売り込む方が良いかな!?」
手にした学生証を奴らに見せながら彼が言う。
「そうすりや、これは大変な騒ぎになるぞ?、お前らだけじゃない、お前の親がやってる会社、または一流企業に勤めている親の役職は失墜するな…」
「お前らは家族共々、社会から抹殺され、あっという間に地位も権力も失い、貧乏人へ成り下がるという事だ…」
「即ち、お前らの将来思い描いている夢が、全てパーとなる…」
「うう…、やめてくれ…」
「頼む…、勘弁してくれ…」
「お前らにやり直せる、チャンスをやろうか…?」
そう言った彼の言葉に、喰いつく奴ら。
「条件を言う。今後一切、ミクに近寄らないと約束できるか?」
「する!、する!」
「分かったよ!、今後一切、関わらないよ!」
「ふん…ッ、やけに素直じゃねぇか…?、それともう1つ…」
次は何だ?と、奴らは彼を見る。
「こんな馬鹿げたチームは、今日で解散だ!、分かったか!?、それが条件だ!」
「か…、解散するよ…、だから…」
「悪いが信用できん…。だから少し様子を見させてもらう…」
どういう意味だ?と、奴らがたじろぐ。
「お前らが本当にチームを解散したのか、様子を見させてもらう…」
「いいか!?、俺たちはいつでも渋谷にいる!、今後、お前らがセンター街でタムロしてんの見つけたら、こいつはマスコミに売り渡す!」
手にした学生証をチラつかせながら、彼が言う。
「だが、本当に解散したと分かったら、ここに書いてある住所へ、この学生証を戻しといてやるよ…」
ニヤリとして彼が奴ら全員に言う。
「だからそれまでは、俺がお前らの学生証を預かっておく!、いいな!?、分かったかッ!」
奴らが、渋々と頷いた。
「じゃあ、これで俺たちは帰る…、お前ら何か言っておく事はないか?」
「いや…特には…」
チームの誰かが言う。
「無いのか?、言っておく事は…?」
彼が奴らを睨みつける。
「???」
動揺する奴らが、互いの顔を見合わせる。
「てめぇら、こんだけ酷い事しておいて、ミクに一言も謝らない気か?って言ってんだよッ!」
「ああ…ッ、ご、ごめん!」
「ごめんね~、ミク」
「悪かったねぇ~」
「す、すまん…」
「申し訳ない」
奴らが次々とミクに謝り出した。
社交辞令に過ぎないとは分かっていたが、こういう事はケジメをつけさせるべきと思い、彼は謝れと奴らに言ったのだった。
「ほら!、お前も謝れよ!」
1人だけ謝らないモエカに彼が言う。
そう言われても、モエカはふて腐れて謝ろうとしなかった。
「謝れって言ってんだろッ!」
「もう良いよ、こーさん…、ありがとう…、十分だから…」
モエカに謝罪を強要している彼に、ミクが止める。
「罪を憎んで人を恨まずか…?、立派な心掛けだなミク…」
彼はミクに振り返ると、そう言って微笑んだ。
「じゃあ帰るぞヤス!」
「あい…」
ヤスとミクが彼の後を着いて廃工場から出て行った。
外はもう日が暮れていた
彼らはセンター街方面へ戻る為、住宅街の中を歩いていた。
その時、ヤスが彼に言った。
「こーさん、どうしてあいつら警察に渡さなかったんですか?、良いじゃないですか、あんなやつらどうなったって…!」
「ヤス…、そういうワケにもいかんよ…」
「へ?」とヤス。
「あいつらは少なくとも、期限を決めて悪さを止めるつもりでいた」
「あのくらいの年齢のガキなら、調子に乗って度が過ぎてしまいがちになる…」
「あいつらの中には、もしかしたら悪い事だと分かってても、周りの同調圧力で止む無く、ああいった行動に出てしまったやつがいたかも知んねぇ…」
「そういうやつまで、一律同罪にしてしまうのは、どうかなと俺は考えたんだよ…」
「俺は更生を促す少年法なんてモンには、疑問を抱いている」
「身体が大人なら、または、大人と同じ悪さをしたのなら、たとえガキでも、どんどん実名出して罰するべきだという考えだ」
「だけど俺が警察やマスコミにタレ込んで、奴らの将来を奪えば、もう奴らの過去は消せなくなる。奴らはますます悪事に手を染める道しか、なくなっちまうんじゃないかってな…」
「そうなるとあいつらの親も気の毒だ…。いや、親に見放されるやつもいるかも知んねぇ…」
「幸いミクは大事には至らなかった。だから俺はやつらにチャンスを与えて見る事にしたんだ」
「ふ~ん…」とヤス。
「なぁ、それで良いだろ?ミク」
彼が隣を歩くミクに言った。
「うん…私は構わないよ…」
ミクがそう笑顔で言うと、クスクスと笑い出した。
「何だ?」
笑うミクへ彼が聞く。
「ふふふ…、あなたって、やっぱり良い人なのね…?(笑)」
「俺は良いやつなんかじゃねぇよ…、だが…」
「悪いやつでもない!」
彼が言おうとした言葉を、笑顔のミクが先に言った。
あっけに取られ、ミクを見る彼。
「ふふふ…」
笑うミク、それに釣られ彼も微笑んだ。
「ところでミクちゃんは、何でやつらに捕まっちゃったの?」
ヤスがミクに聞く。
「大中で雑貨見てたら、見つかっちゃった(笑)」
「お前なぁ…、あれ程、渋谷にはしばらく来るなって言ってたのに…」
ヤレヤレと彼が言う。
「でも、もう大丈夫でしょ!?」
笑顔で言うミク。
「大丈夫にはなったが、もうHUBには来ンなよ!、未成年なんだから…」
「これからは高校生らしく、“人間関係”にしとけ!」
彼が、大中の隣にある喫茶店の名前をミクに言った。
「ねぇ?、ところでどうして2人は、私があの場所に監禁されたって分かったの?」
ミクが2人に聞いた。
「ああそれは、俺がバイトに向かう途中で…」
ヤスがそう言いかけると、隣の彼が突然叫び出した
「ああ~ッ!、バイトの事すっかり忘れてたぁッ!」
「やっべーッ!、大遅刻だ!、オイ!、ヤス!走るぞッ!」
「ねぇ、2人は渋谷でバイトしてるの?」
「おう!、ダイニング“D”でバイトしてる!」
「ああ、そうだ!、ミク!、友だちがなかなか出来なくて辛くなったら、いつでもそこへ来い!、俺たちは毎日そこにいる!」
「分かった…」
「だからHUBには、もう来ンなよ!」
「分かったって…(笑)」
「じゃあなッ!、気を付けて帰れよ!」(彼)
「ミクちゃんまたね~!」(ヤス)
2人はそう言うと、バイトに向かって走り出した
「ありがと~~!、ほんと~に、ありがと~~~!」
走り去って行く彼らの背中に、ミクはそう呼びかけるのだった。
「それにしても、今日は走ってばっかだなヤス?」
隣を走るヤスに彼が言う。
「こーさん、あのコ、店に来ますかね?、そうしたら俺、あのコと付き合っちゃおうかなぁ~?」
ヤスがニタニタして言う
「ヤス…、俺はあのコは来ない気がするよ…」
「え!?、何でですか?」
「あのコは、友だちが出来なくて辛いから、俺たちに会いに来るって事は無いと思う…」
「なぜです?」
「あのコがもし、俺たちのバイト先に現れるとしたら、それはミクに本当の友達が出来た時じゃないかな?」
「“私はもう大丈夫だから、安心して!”って、それを俺たちに伝える時に、彼女は現れる様な気がするよ…」
「へぇ~…」
一緒にバイトへ向かうヤスは、感慨深くそう言うのであった。
数日後、暦は9月になった。
午後の4時
彼はヤスと六本木のWAVEで、レコードを漁って掘り出し物を探していた帰り道の事。
バイト前に六本木へ寄っていた彼らは、バスで渋谷へ行く為、六本木通りを歩いていた。
同じ頃、付近の学生たちの下校時間だった様で、たくさんの女子学生らも六本木通りを歩いていた。
「ほら!、こーさん!、あれッ!」
ヤスが隣の彼に、指を差しながら言った。
ヤスの指す方向を見る彼。
そこには、笑顔で友達と楽しそうに歩いているミクの姿が見えた。
ミクは髪をおさげにして、化粧もしていなかった。
(友達が出来たのかな…?)
ミクを見つめる彼が、微笑んでそう思った。
「ひぇ~!、あのコ、東京和英女学館だったんだぁッ!?」
するとヤスが突然言う。
「それがどうかしたのか?」
彼が振り向いてヤスに聞く。
「チョー!、お嬢様学校ですよッ!、あのコが、あんなチームに入って、エンコーしようとしてたなんて親が知ったら卒倒しますよ!」
「中学受験で私立に入れて、子供に都会を見させるってのも考えモンだな…(笑)」
「そうですよ!、俺もお受験(中学受験)でK大なんですけど、ハッキリ言って、私立の方が公立校よりも、かなりワルです(笑)」(ヤス)
「そうなんだぁ…?、ヤス、実はな…、俺、幼稚園受験なんだよ(笑)」
「うっそだぁ~!(笑)」
「いやホント、マジだって、お前、G星って知ってるだろ?」
「あのサッカーの強い高校の?」
「うん…、それ(笑)」
「G星に、こーさんみたいなやつはいませんよぉ~!」
「いやぁ…自分で言うのも何だけど、浮いてたよ!(笑)、だから小学校は公立に行った!(笑)」
「ゼッタイ嘘でしょ?(笑)」
「ホントだって!(笑)」
そんなやり取りを交わしながら、バス停へ向かう2人。
「しかし、こうして制服姿のミクを見る限り、その辺にいる普通の高校生と変わらないな…」
彼がヤスにポツリと言う。
「まぁ…、オンナは化けますから…、化粧で…(笑)」
ヤスがそう言って笑うと、彼も釣られて笑うのであった。
彼らが歩く頭上には、ビル風に吹かれた街路樹の葉っぱが一枚舞う。
その風は少しだけ冷たかった。
夏が終わり、秋の訪れを少しだけ知らせる、ひんやりとした風であった。
END