【第五話】 親は烏帽子親ですら選べない (清水大史)
『世界の』花津大介
41歳
花津家の現当主。
株式会社花津興産代表取締役社長。
身長207センチ体重149キロの巨漢。
幼少期より膂力の卓絶で知られており、右握力の202キロが国際認定され世界記録となっている。
また少年時代に野球チーム『嶺北ボーイズ』を主将として率い、世界大会で優勝している。
その年度に打ち立てた『リトルリーグ最多本塁打』は世界記録となり現在に至るまで破られてはいない。
黒シャツ団の継承に関しては少年期より拒絶しており、暴力組織としての花津家に実質的な終止符を打っている。
だが、広域暴力団幹部の藤田正弘組長の娘・龍を妻と迎えるなど、一般の感性とは異なる行動も度々見受けられ、福井県警からは父以上に警戒されている。
未だ実権は父・敬介が握っているものの徐々に家産を譲られており、毎月多額の生前分与を贈られている。
今年に至っては、花津敬介の成功の象徴である御徒町花津ビルを継承する事が確定しており、資産面での当主継承は順調に進んでいるとみられている。
本人の口から語られる事はないが孟嘗君をロールモデルにしており、IT・学術系の人材を中心に積極的に集め活用している。
最大の成功例はボーイズリーグ時からの後輩に国産SNSイドバタを作らせ普及させた事。
一乗谷の奪還がその副産物なのか主目的だったのか、真意を知る者は居ない。
僕の名前は清水大史。
年齢は12歳。
最近は名前でバレてしまう事が多いのだが、
残念ながら清水篤史は、僕の父だ。
福井の人は、ここまで話が進むと、皆黙り込んだり驚いたりしてしまう。
そんな時、僕はとても哀しく惨めな気持ちになる。
それまで親切に接してくれていた大人たちの眼に憎悪や恐怖や軽蔑が浮かぶ瞬間ほど辛い時は無い。
最近は母の動きもますます派手になってきており、母に対する不審や嫌悪も僕に向かい始めている。
本題に入る。
今回の異変に気づいたのは木曜日の放課後だった。
最近は一乗谷での寝泊まりが続いていたのだが、後輩達に譲る野球道具を屋敷に取りに帰って…
ここ数日の違和感を見過ごしていた自分の愚かさを痛感した。
会長も社長も青褪めた表情でタブレットを食い入る様に睨み付けている。
信じがたい事に、テーブルの上には資料が散乱しており、更にあり得ない事には床に数枚の紙書類が落ちていた。
恐らくは非常事態なのだろう。
生まれて初めて、この人達の動揺を目撃した。
僕が遠慮がちに帰宅の挨拶をすると、お二人が一瞬だけ眼を見開いてこちらを振り返った。
その表情があまりに険しいものだったので、『ああやっぱりこの人達は皆が言うように怖い人なんだな』と思わず、押し殺していた認識を直視してしまった。
「やあ、大史さん。
おかえりなさい。
気づくのが遅れてしまって申し訳ないです。」
次の瞬間には社長がいつものにこやかな笑顔で軽く手を上げてくれた。
会長が温和そうに頷きながら、その手だけが素早く手帳を胸ポケットに隠す。
間違いない、異常事態だ。
いつもの会長なら、僕如きに動きを読まれるなんてあり得ない。
何せこの人は福井県警のマークを半世紀以上平然と搔い潜っている。
まかり間違っても小学生相手にボロを出す人達じゃないのだ。
「外は暑かったでしょう。
昨日ね、山形の取引先がサクランボジュースを贈って下さったんです。
今、注ぎますよ。」
社長は、いつもと全く同じ柔らかい口調で後ろの戸棚に振り返った。
「氷はどうしますかー?
これ濃縮タイプかなー?」
ああ、この人がジュースの話をしているのは、僕から咄嗟に目を逸らしたかったからなのだ。
社長はグラスを選ぶフリをしてガラスに映った自分の顔を手早くチェックしている。
ああ、そうか。
大人はこうやって表情を整えるのだ。
これまでだって、きっと僕に対してそうして来てくれたのだろう。
それを上手くこなせない程の非常事態が起こっている。
「大史さん。
今気づいたんですけど、庄内柿ジュースも同梱されてました。」
数秒で表情を整え終わった社長が僕に振り向き、少しの間があって
僕の反応の所為か諦めた様に真顔に戻った。
「会長。
大史さんにも現状を報告させて下さい。」
僕の目から視線を外さずに、社長は会長に呼びかけた。
「そうだな。
頼む。」
会長はいつもの様に短く答えてから、その場で立ち上がった。
「大史君。
見苦しい所を見せて済まなかった。
トラブルに遭ってしまってね。
詳しい事は大介が話す。」
そう言うと会長はタブレットや書類を机の上に並べ直し、最後に胸ポケットの手帳を取り出すと、僕の方に向けて開けて置いた。
「大介。
少し休む。
渡辺君が来たら教えてくれ。」
「承知しました。」
社長は部屋に戻る会長の背中に頭を下げる。
渡辺君のお父さんまで呼んでるのか?
トラブル? 喧嘩?
「事態を把握したばかりなんです。
大史さんにも報告するつもりでしたが、情報が錯綜していて…
申し訳ありません。」
社長が大きな身体を丁寧に下げる。
「いえ、私こそ気が回らず申し訳ありませんでした。
お二人が大変な時に…
今から一条谷に戻りましょうか?」
「いや!
もう日も暮れます。
今日はこちらで休んで下さい。」
しばらく、お互いに押し黙る。
「…社長。
警察沙汰でしょうか?」
思わず、失礼な事を言っていた。
僕にとって一番恐れている事だからだ。
「そちらに転ぶ可能性も視野に入れてます。」
どういうことだ?
また警察が来たのか?
「…。
大史さんは今年で12歳ですね。」
「はい。
先月12になりました。」
「実は貴方を一人前の大人として迎えようという話が一部で出ております。
昔であれば元服の年齢ですからね。
ああ、元服という言葉は解りますか?」
「はい。社会科の授業で教わりました。」
「私は反対でしたが…
現代の通念に合わないので反対でしたが…
大史さんはしっかりとした方ですので、一人の大人として、そして私の家族として情報を共有して頂きます。」
「…ありがとうございます。
未熟なりに励みます。」
社長はジュースを注ぎかけたグラスを無造作に棚に戻した。
そうだよな。
大人は真面目な話をする時にのんきにジュースなんて飲まないんだろう。
「現在、当家は何者かの攻撃を受けております。」
「こ、攻撃ですか?」
出来るだけ意識しない事を心掛けてきた、この花津家の皆さんが僕に意識させなかった事実が突き付けられた。
そう。
僕が家族ぐるみで育った花津家は、暴力団の家。
会長や社長は正業を心掛けているようだが、近所の反応を見れば花津家のポジションは子供の僕にでも簡単に想像が付いていた。
「それは… 暴力団的な? その… それとも捜査されているという意…」
社長があまりにも苦しそうな表情をするので、僕は喋り過ぎた事を反省した。
子供だ、僕は。
「あ… アニメ関連の攻撃を受けている可能性があります。
いえ、受けてます。」
本当に言いにくそうに社長が、絞り出すように、そう言った。
アニメ?
何だ? 聞き間違えか?
アニメ? 攻撃?
「アニメ。 アニメというと、あの漫画のアニメですか?」
「はい。 TV等で放映されているあのアニメです…」
「すみません。 事情がよく呑み込めません。 その…」
「申し訳ありません。
手順を追って解説させて下さい。
こちらを。
先ほど会長が目を通されていた資料です。」
社長がテーブルに置かれた資料を薦める。
タブレットに電源を入れようとしてくれるが、僕は会長が隠そうとした手帳を手に取ってしまっていた。
一番新しいページには、無造作に人名が羅列されている。
『A案件
深見雄吾
井森
伊丹健一郎
松本社長
小原修
後田邦彦
土屋君?
平原勉
長瀬慎吾』
ひとつ前のページには大きく『八田』と書かれそのすぐ下に『不破操』と丁寧に書き留められている。
A案件、Aというのはアニメの略だろう。
この人名は…
「大史さん。
この名前、何だと思う?」
「心当たり… ですか?」
「つまりは?」
「よう… 会長が話し合いを望んでおられる相手ですか?
先ほど、社長が『何者か』と仰られましたし。」
寸前で『容疑者』という単語を呑み込んだ。
この二人は、さっきまで犯人捜しをしていたのだ。
「…大史さんはお父さんに似て聡明だ。
それともお爺様の血かな?」
祖父の名前出してから、流石に社長は口をつぐんだ。
「福井県を舞台にしたアニメの話はこれまでも何度かありました。
当家としても弊社としても、この動きに反対した事はありません。
実際に弊社所有のテナントをイベント会場として提供したこともあります。」
「今回のアニメは、問題がある… ということですね。。」
「ネットでは話題になっているようですが
こちらの放送計画書です。
我々も調査中ですが、これは本来、広告代理店かどこかの部内用閲覧資料でしょう。
半年後のアニメ放映計画が流出して…
そして、残念なことに当家の名前が勝手に使われてます…」
「え? ドキュメンタリー的な …ですか?」
「いえ、分家の皆様にも大至急確認を取ったのですが、その様な話は上がって来ておりません。
この資料の一番下です。」
社長の巨大な指が器用に紙をめくり、一カ所を指した。
「…のまどる。」
そこには平仮名四文字が記されていた。
花津という活字を必死に探して一瞬見つからず、そして『浜津』という文字を見つけた。
「はまつ… まみ。」
嘘だろ?
冗談にしては悪質すぎる
だって、その名は…
「大史さん。
貴方なら、私達が置かれている状況を理解して下さると思います。
我々は… 明らかに悪意による攻撃を受けており
身を護るためにも、大至急これを打開する必要があります。」
七田里奈。
これは県外の人間にとっても一目瞭然だろう。
福井が舞台で七田というヒロインが出たのなら…
「八田先生は何と仰っておられるのですか?」
「まだ八田先生とは連絡を取れておりません。
相手は妙齢の女性ですし、家同士の… 経緯もありますので
我々から直接連絡を取りにくい相手です。
ですので、仲介者を通した意見調整を望んでおります。」
「誰が、こんな企画を勝手に…」
「全くです!
…いや、怒っている訳ではないのですよ。
ただ何か事情があるなら説明をして欲しいし、放送というのは多くの方の利害が絡むものですから。
きちんと確認を取って欲しいのです。
我々は兎も角、八田先生にまで御迷惑が掛かってしまいますから。」
半年後…。
表を見返すと、放送局まで記載されている。
『のまどる』 は殆ど空欄か…
キャスト欄も制作会社欄も全て空白だ。
ただ、あらすじ欄に
『福井市の女子高生、七田里奈・浜津真美・富良美佐緒の三人は力を合わせてご当地アニメを作り始める』
とだけ書かれている。
はまつ、まみ。
「大史さん。
これから少しバタバタするかも知れません。
とりあえずは旅行や遠方出張の予定をキャンセルしました。
申し訳ありませんが、海水浴の件は…」
「いえいえ!
遊んでいる状況ではないですし!」
「埋め合わせは別の形でさせて下さい。
落ち着いたら大史さんが行ってみた…」
ベルが鳴ったのは、その時だった。
「渡辺君のお父さんです。
彼はこういう時、一番頼りになる。」
社長が心から安心したような満面の笑みを浮かべてインターホンに手を伸ばす。
渡辺弾社長。
僕の友人である渡辺兄弟のお父さん。
花津社長の幼馴染で世界大会優勝時のチームメイト。
僕にバッティングを教えてくれた人。
そして…昔、僕が生まれる前に…
「思ったより、」
モニターに言いかけて、花津社長は絶句する。
そして押し殺した声で叫んだ。
「大史君! 会長の部屋に報告行って!
不破が来た! 不破!
寝てても起こしてくれていいから!」
僕は怒られない程度の小走りで会長の書斎に向かった。
何だ? 何が起こっている?
攻撃? 敵? それこそアニメの中の話だろ?
大体、この状況両親は知ってるのか?
父さんも母さんもいつもと変わらない顔してたぞ?
後、あの人も。
あまりにも皆さんが自然に育ててくれてきたので、家庭環境の異常さに気づくのがやや遅れた。
僕はもう12歳。
自分を大人だとは思わないが、客観視くらいは出来る。
僕の名前は清水大史。
残念ながら清水篤史は、父だ。
そして僕は未だ何者にもなれておらず、世間的にはあの清水篤史の息子でしか無かった。
昭和時代。
まだ放送倫理が粗雑だった時代のわが国では、悪質な誇大広告が幅を利かせ消費者を著しく害していた。
医薬・健康商品の分野でそれは顕著であり、エビデンスの無い虚偽広告で巨万の富を築いた者が幾人かいた。
その様な輩での中で最も成功した男などは、五葷(仏教で忌避される5種の精力増進に繋がる野菜)を抽出したものに『不老不死薬』と命名し、誇大な効果を謳って暴利を貪り、更には『ニンジャエナジー』なる商品名を用いて北米市場で荒稼ぎをした。
この売上が暴力団関係者の資金源になっていた事を憂慮した日本国政府は薬事法・放送法の厳格化を急ピッチで行い、結果として我が国の放送倫理に若干の改善を齎した。
厚生労働省の警告により『不老不死薬』は販売停止に追いやられたが、『ニンジャエナジー』は今でも北米や東南アジアで根強い人気を誇る。
驚くべきは、『不老不死薬』販売の元締は当時まだ20代前半の青年だった点にある。
彼には農業を始めとして、飲食業・製薬業・広告業・販売業のどれに携わった経験も無かったが、ただ有り余る度胸と知能とカリスマを駆使して、このビジネスを独力で立ち上げ成功させた。
その青年は若くして伝説となり、事績は未だに各業界で語り継がれている。
名を、花津敬介という。