霧の脅威
「六芒星が一角"処刑女"リリス、ただいま帰還しました」
おどろおどろしい青白い焔。それも光源としては機能しておらず、ただの飾りでしかない。この場においては、かの処刑女すら小物に見える。この場にいるのは、かの王とあの男を覗いて五人。
一人は藍華と戦ったリリス。一人は巨人、妖精、小さな妖精。あるいは地に堕ちたモノ。彼らは王に忠誠を誓うもの、王の動向を伺うもの、己の悦楽の為と目的は一つの限りではない。それが統率とイコールかは、知る由もない。
広場と見紛う程に大きな謁見の間は、荘厳で、普通の人間なら吐き気を催すほどの畏怖を感じる。そのオーラは玉座から放たれていた。
「遅いじゃねぇかリリス。時間厳守は魔族だって同じだろ」
「貴方に時間の事で言われたくないわ。それに、今回は予想外が起きたと、事前に言っているわよ」
「我らが王は寛大だな、それだけでありがたく思えよ」
「はぁ、王の事で一々張り合わないで鬱陶しい」
その言葉が気に触れたのか、彼女の二、三倍はある巨人は怒りだした。
「お前、その首魔界の果てまで飛ばされたいか!」
すると先程まで黙っていた長髪の男が制止する。
「よしなさい。王がもうすぐ来るのですよ」
「テメェッ!貧弱なテメェらが俺達巨人族を止められると思ってんのかァ!」
「貴方の悪いところですよ、頭に血が上ると視野が狭い。王の信心は感心しますが、行き過ぎると見苦しい」
言葉がしっかりと耳に入り伝わったのか、巨人の男は黙り込んだ。そして腕を組み、少し下を向くとリリスの方を見て、
「お前の言う通りだな、今回は俺に非があることを認めてやる」
「貴方ねぇ、いやいいわ。もうこの話は終わりにしましょ」
仲がいいのか悪いのかは分からないが、どうやら魔界の山が真っ平らになる事はなくなったようだ。彼らがしばらく静かにしていると、男が突然現れた。
「あん?王はもう来ていると思ったんだが、ちと早すぎたか?」
「第一位の貴方に楯突く気はありませんが、少々時間の事を気にしなすぎでは?《剣聖》殿」
「時間感覚ってもんがイマイチ分かんなくてな。んな硬ぇこと言うなよ」
ヘラヘラとした態度とは反対に、彼の放つ殺気は留まらず彼の足元の床がひび割れていく。
「ちょっとやめてよ《剣聖》さん。補習するの私なのに。まぁ正確に言うと私の"お友達"だけど」
すると、先程まで壁に寄りかかりながら人形作り、もとい死体を弄っていた少女が、《剣聖》を制止する。
「ただのお遊びだろ、マジメちゃんかよ《人形師》」
《剣聖》はあからさまに両手を上げて降参のポーズをとると、殺気を収めた。少女はそれを確認したら、また死体弄りへと戻った。その手つきには愛が込められていると思うと、常人ならゾッとするだろう。それが例え、誠の愛でも。
「王が来たようだ」
黙りを決め込んでいた右翼をもがれたモノが口を開いたかと思えば、それは王が来た事を告げる内容だった。その冷ややかな言葉は、王を迎い入れる人の声色とは到底思えたかった。だがそれは皆が知っていた。彼はそういう男なのだと。
「へぇ。誰も魔王を見たことがないんだ」
「あぁ、だけど一部のギルドの人達はいると思ってる。まぁ魔王の配下を名乗る連中がいるからね」
「そうだね。火のないところに煙は立たぬ、だっけ?噂が出たって事は、居るって思っていいんじゃないかな」
魔王の配下、六芒星。リリスの他にあと五人居ると仮定すると、やる気が失せてしまう。幹部と言えどリリスにも手こずっている私に、他の配下が倒せるわけが無い。強く、ならなきゃな。目を閉じると、眉間に皺が寄っていることに気づき、深呼吸をする。私が人に心配をかけては、元も子もない。すると、外の方から私達を呼ぶ声が聞こえた。
「ちょっと、足元にある袋を取ってみて。貴女達のだから」
確認すると、椅子の下に麻袋があった。そこそこ大きいが、一体何が?
「姉さんから、女子二人に渡して欲しいとのことよ。まぁ貰っておいて損は無いわよ」
「藍華、開けてみて!」
巾着口を解き中を見てみると、布のようだがイマイチ全体像が見えない。中身を取り出してみると、それは上半身までを覆えるローブだった。ポンチョに近い形状だ。
「なるほどな。目立たないようにって事か」
確かにこの制服姿だと悪目立ちしてしまう。粋な計らいとお言葉に甘えて、ありがたく着させてもらおう。
「わぁ!ローブなんて初めて着たなぁ!」
緋華李は通常運転に戻ったようだ。だがそうも浮かれてはいられない。
フォーさん、妖精の森がどんな所か教えて。
《ナビゲーターのように使いおって、まぁ構わんがな。妖精の森は名の通り妖精が多く住まう森だ。注意するべき点はあるが、残念ながら我らにはどうしようも無い》
というと?
《あやつらの気まぐれで決まる。運が悪ければ三日から一週間は足を止める羽目になるのだ。だが妖精自体には脅威は少ない。妖精はピクシーという種で、羽を持ち、小さな妖精でな。魔力の総量も少ないからさほど心配せんでも、誰かが死ぬ事は無かろうて》
情報は多い方が良いからね、助かったよ。
《着くまで我は寝るぞ》
森の賢者ってこんな自由で良いものなのか?いやいいか、梟に構ってる時間なんてないし。
《聞こえておるぞ》
バレてたか。
「本当に何も無いとは」
数時間後、街道という名のでこぼこ道を通り森の入り口まで来た。森の中まではさすがに道は続いていないようで、妖精がいる領域は人間には手に余るようだ。あのアトラスよりかは近寄りやすい雰囲気なのは嬉しいが、歓迎はされていないようで。ここの森を抜けるのが一番の近道だから抜けようとしているが、普通なら迂回路を使うのだ。理由は、まぁ明白だが。
「うへぇぇぇ。絶対迷うってぇ、引き返そう!うん!」
「そうも言ってられないんですよ。迂回路は馬車なら速いんですけど、その分危険が増えてしまうんです。ソルティさんにそんな危険な事させられませんから」
「うーん、なら仕方ないか。よっし腹括ります!ソルティさん、ここまでありがとうございました!」
「私からもお礼を言わせてください、ありがとうございました」
「もちろん俺も同じ気持ちです、ありがとうございました」
「やめて、お礼なんていらないわよ。でも、そうね。お礼どうのこうのって言うのが気になるなら、生きなさい。じゃないと姉さんが悲しむから」
「ふふっそうですね」
私はついついおかしくて笑ってしまった。それが気に入らなかったのか、ソルティさんはしかめっ面をこちらへ向けた。
「何よ、姉さんは本当にそう言っていたのよ」
「えぇ、そうなんでしょう。それはちゃんと分かってますよ」
「ふんっならいいわ、私もう行くから」
特に最期の別れという訳でもなく、帰路での分かれ道のように。誰かに手を振って別れるなんて、いつぶりだろうか。体感的にはとても長かった気がする。久しぶりの感覚だけど、悪くないな。
「さぁ、行こうか」
森は霧が深く、気を抜くと直ぐにはぐれてしまいそうだ。今回は緋華李の炎魔法《エルモの導き》で照らしていても薄暗いが、文句も言っていられない。今のところは何も起きていないが、何だかざわつくのは気のせいだろうか。いや、気のせいではないのだろう。ここには妖精が居る、何でもありなのは間違いない。突飛な行動を予測するのは難しいが、警戒して損はな、っ!右から何か来る!
剣を最速で抜き防御するが、少しばかり間に合わなかったのか後ろへ弾かれる。痛みを感じその元を見ると、引き裂かれた傷跡から血が出ている。そこまで深くは無いが、剣を握ると若干の痺れがある。靄がかかり見にくいが、どうやら相手は爪を持ち合わせているようだ。
「二人とも走って!必ず追いつく!」
「そんなっ、手から血がっ」
「っ、ヒカリさん行きますよ!」
「まっ、待ってくださいレオンさん…!っ絶対だからね!藍華!」
目的の方角へ走って行く足音を確認すると、私は改めて戦闘態勢をとる。今回は視覚にあまり頼れないな。息からして獣だと思うけど、あの爪は?フォーさん、何か知ってる?
《情報だけの分析だと、あやつは"人狼"。お前が前の世でよく遊戯していた人狼ゲームとやらの元だ》
待て待て、何で人狼ゲームの事知ってるんだよ。
《主の脳内に我はずっと居るのだ、否応でも情報を仕入れる。我ながら良き例えだと思ったのだがな》
うん、私の事を気遣って例えを使って説明してくれたのは、嬉しいよ。そこは、もう何も言わないでおく。
ならさらに質問。私のイメージだと満月に変身するのがセオリーな筈なんだけど。
《主の体感から確認したが、この霧は魔力の濃度が随分と濃いようだ。そして人狼は満月の時に変化するのは合っているが、この霧にはそれを助長する効果があるようだ。察するに、妖精の悪戯、もしくは迎撃策だろうな》
なるほどね、ここに人がほとんど来ない理由が分かった気がする。ねぇ本当に許可を取ってここを通って居るんだよね?ソルティさんそう言ってたよね?
《国の許可はな。ここは国の内部にあるが、実際は独立した国家と思っても間違いはない。あの女王でもここを燃やし尽くすのは、己の死体そして国の命と引き換えで、やっと対価として成り立つぐらいだろう》
まとめると、人狼は霧の影響で人狼になっていて、不法侵入は私達だからどっかに行けと。
《霧の力で狂化しているとはいえ、敵意はあると見ていいだろう》
それが分かれば十分だよ。
脳内で話を終わらせると、一体だったのが更に数を増やしていた。ざっと数十体。全員今にも襲いかかりそうな威圧でこちらを囲っている。でも、こちらにも通すべき筋がある。
「ふぅ…押し通るッ!」
なるべく攻撃せず、迎撃だけに徹する。敵意があるから正当防衛だけど、なるべく傷つけないで進みたい。そもそも悪いというか火蓋を切ったのはこちらだ、私達が正義とは口が裂けても言えないからな。話の通じる人と鉢合わせると良いのだが。
「人狼達!この森を抜けるだけでいいんだ!行かせてくれ!」
聞く耳持たず。私の制止を無視して、鋭利な爪をこちらへ振り回してくる。前へ少しずつ進んではいるが、四方を囲まれていて間を抜けるのも一苦労だ。剣を持ってはいるが、反撃するのも気が引けるので弾くだけに留めている。でもその手加減と言うべきか、一欠片の良心がどうしても心から離れず、死にかけになってしまっている。全く面倒な性格をしていると、私は他人事のように思う。
「ガルルルルゥゥァァ!」
「なっ!?」
その人狼は、他の仲間とは毛色が違っていた。見た目の話もそうだが、素人でも分かる気迫の差。リリスとはまた違った強さを感じた、でもそれは、彼がリリスと同等の強さを持っているという証。そしてげんなりしていて忘れていたが、その人狼が私を吹っ飛ばしたんだった。剣で衝撃を和らげても、少し腕が痺れている。一回転し、空中で姿勢を立て直す。木にぶつかることなく着地することができた。
「だいぶ吹っ飛ばされたな。もう予定通りとはいかないか」
剣を構えながら独りごちる。あの二人が無事に王都へ到着できれば、援軍ぐらい出してくれると願おう。彼らはもう追いつきそうなのか、地面を蹴る音が近づいてきていた。
フォーさん、目視出来るまで何秒?
《五秒だ》
十分。
「権能《賢者の十字架》」
契約が私の権能だけど、それも詠唱に加えたら、カッコ悪くない?というか長くない?だからやめてみたけど、言いやすい。
《お前そういう事気にするのだな》
フォーさんの言うことは聞き流して、木に手で触れ権能を発動する。一回もやったこと無いけど、案外木の構造を把握するのは簡単だった。するとグッドタイミングで彼らが出てきた。
「ちょっと縛られてもらうよ!」
木の根を伸ばし、人狼らの下から十字架が出現する。驚いている姿を見てニヤッと笑う彼女は、さながら悪党のようだった。彼らが驚いている隙にあっという間に木で縛り上げると、安堵の溜め息を漏らした。
「私はこの森を抜けたいだけなの。貴方たちを傷付ける気はない」
「言葉だけなら何とでも言える」
しまった、あの十字架の範囲内に居なかったのか!
気づいた時には遅かった。後ろを振り返ると、さっき一撃入れられた人狼がすぐ近くに迫っていた。受身を取ろうと、後方へ下がろうとしたのが間違いだった。相手はそのまま勢いに任せ、私の方へ来ながら殴ってきたのだ。横へ避けていても、あの反射速度じゃ間に合ってたかどうか。
「かはっっ!!」
今度は剣のガードを見切られていたのか、剣をすり抜けてお腹に強い衝撃が来る。肺の空気が一気に出た気がする、実際に出たと思うけど。後方へ下がっていたせいで、体がどんどんと後ろへ飛んでいく。木の枝を折りながら吹っ飛ばされた。背中と頭に強い痛みを感じると、青い空が遠のいていく。
痛過ぎたせいか意識が少し飛んでいたようで、もう空は暗くなっていた。寝っ転がりながら当たりを見回してみると、最初居た森よりも奥の方に居るらしく、かなり遠くまで殴り飛ばされたのが分かる。それにしても、我ながらよく生きていた。転生してから体が強くなっているのは実感しているけど、体が動かなくなる程度で済む程とは。
《目覚めたか》
「あれ、久しぶりにフォーさん出てるんだ」
霊体、あるいは思念体としてフォーさんが出ているのは久しぶりだが、どうしたのだろうか。私の事を心配して出てきたとかだったら嬉しい、でもそうじゃないのはよく分かってる。なんたって死にかけてるのに知らんぷりしてたからなこの賢者。
《我の目的地に辿り着いたようだ》
フォーさんの、目的地?必死に体を動かすと、つい「いたたたたっ」というなんとも情けない声が出てしまう。
私は一瞬、目をぱちくりさせてしまった。空気に雑味がないのは分かっていたが、理由を目にした時、なるほど、と反射的に理解した。修学旅行でふと目にした鯉の住む池とは比べ物にならないくらい、その湖の水は澄んでいた。妖精が住処にしていてもおかしくはないと思う程に美しいと、本能が伝えている。湖が美しいというだけで、周りの空気がこんなに変わるものなのか。
《おい主》
主って言う態度じゃなくない?
《その湖に小枝を投げ入れろ》
何言ってんの?意味があることのようには思えないんだけど。
《叩き起す意があるのだから問題無かろう》
嫌な予感がするから却下させてもら、
《何か言ったか?》
…分かった分かった、責任はフォーさんが取れよ。
会話をし終えると、私は手近な木の枝を拾う。枝、痛いだろうな、先に言っとこ。心中お察しします。
「そいっ」
投球フォームで投げ入れると、中から「いたっ」という声が響いた。やっぱり居るじゃんという納得と、この後マズイのではないかという不安が半々、いや、不安八割だな。
やはりというべきか、湖にいる女性は怒っているのか、風光明媚な湖が、その雰囲気を急変させた。
「貴方ね、私の湖に枝を投げ入れたのは。死ぬ覚悟は出来てるんでしょうね」
ひぇ、カンカンに怒ってる。
湖から霧が溢れ出して美しい女性が出てきたと思ったら、開口一番に殺害宣言とか洒落にもならんぞ。白のワンピース姿に、足と腕を組んで出てきた女性は、声色通りにその水色の瞳をこちらへ向けている。どうしたものかと思案していると、
《久しいな、ヴィヴィよ。丁度百年ぶりぐらいか》
「えっ、オジサマ!?」
ん?ウチのフォーさんが、叔父様??