アトラスの森
「急に森が見えたね」
翌日、藍華の目の前には、なんの前触れもなくとてつもなく大きな森林が現れた。
「なんでも、何百年もこの姿を保ち続けてるらしい」
ここに森の賢者が居るのか、随分と深そうな森だな。早めに帰って来れるといいけど。あまり緋華李を待たせるのも可哀そうだ。
《汝ら人の子よ、何故この聖域に足を踏み入れる》
少年位の少し高い声が頭に直接響いて来た。テレパシー的なものか?耳元で聞いてる感覚がするのに、実際の耳からは自然の音しか聞こえてこない。
「森の賢者様ですか!彼女は」
《不要だ》
聞いたのに不要っておいおい。ほらちょっとレオンがシュンとなってるからぁ!
《汝よ、答えを知りたければ、その剣を持ち、来るがいい。汝の眼は、何を映すか、試させてもらおう》
「これ、私1人で行く説出てない?」
《言っておくが、そこな旅人は来てはならぬぞ》
「本当だ、ダメみたいだね」
いくら休憩時間に稽古していたとはいえ、何が起こるか分からない場所で"大丈夫"って胸張って言えるレベルには達していない。そんな状態で、未知の領域に行くなんて。
「アイカ」
「大丈夫」
弱いな、私は。
こんな月並みな言葉で心が揺れるなんて、真っ直ぐな眼差しに気圧されそうなんて、誰かにこう言って欲しかったなんて。思わず出そうになる言葉をぐっと飲みこんで答えた。
「・・・誰に向かって言ってんだよ。こんな試練、1時間で終わらせて帰ってくる」
「そっか、なら、俺はここで待ってるよ」
痩せ我慢とも思われるその行動。だがそんな事は誰もが承知している。だからこそ、藍華は己を奮い立たせた。
「じゃあ、行ってくるわ」
「気長に待ってるよ」
軽く上げた腕は宙を舞い、下げた掌には確かな絆を掴んだ気がした。
「暗っ、もう夕暮れ時だもんな」
まずいな、さっき狼が居るのも確認したし、他にも強そうな奴が居てもおかしくはない。早めに森の賢者とやらに会いたいところだ。
ふらふらと歩いていると、どこからか草木を掻き分ける音が聞こえると思ったその矢先、何かが飛び込んで来た。
その何かは牙をむき出し、周りを素早く囲んだ。その何かは狼だった。銀色の毛並みをした、気高い狼。
「フラグ回収のスピードおかしいだろ!」
囲まれてる、5、6匹は居るな。どのくらい強いかなんて考えてる暇は無いか。
鞘から剣を抜く音。アニメではよく聞く音だけど、今は、心臓の音を速めるのには充分だ。
鉄製の剣、長すぎず短すぎず、私の手にはまだ馴染まない。腰は低く、剣は水平に保ち体はフラットにする。左手は剣に添えて、大丈夫、頭はクリアだ。
狼と藍華の間に風が吹く。開戦の合図のゴング代わりに。
来た!
一斉に飛びかかって来るけど、よく見れば全然避けれる。藍華は前転して、飛びかかって来る狼の下をすり抜ける。
焚き火の音がよく聞こえる。それは聞き慣れない音なのに、精神統一には向いているのは分かる。心が、研ぎ澄まされていく感覚がする。あの時にもう、私の心は決まっている。自分のために、友達のために、剣を持って戦う。
「で、私はどうやって稽古すればいいの?」
「アイカは身体的な能力で言えば、恐らく俺と遜色ないと思う。でも、パワー押しにはまだ勝てない。なら、君の"速さ"を活かそう」
「私の速さ?」
「じゃん!」
そういいだされたものは、剣、でもレオンのより少し細めで軽そう。確か細剣とか言ったっけ。
「君の速さを活かすには小振りな剣が良いかと思って」
「剣を複数持ってるの?」
「戦う手段は多い方がいいからね。これは君が使ってくれ」
「いいのか?貰って」
「良いよ、君の役に立てるなら」
「あっさりしてるなぁ、でも、ありがとう。大切にする」
装飾は少なめ、よく手入れされてるのが素人目にも分かる。銀色の刀身が月光を反射して、きれい。
手に馴染まない、でも、これから世話になるんだ。
これが、誰かを殺す武器。誰かの夢を潰す武器。これを携えて、人々は死地へ赴くのか。辛いな、でもそうも言ってられないのが現実。誰かを守る為に、誰かを救う為に誰かを殺す。
嫌な世の中だな、本当に。
「アイカ・・・」
「お願い、教えて。覚悟はもう、出来てる」
「ふッッ!」
斬るより突いて攻撃し、手数で勝負するのが定石。
それにいくら敵とはいえ狼だからな、動物保護は大事だ。狼は一吠え、犬のように情けない声を上げると1体2体と、森の中へ後に続いて帰っていく。
すまん狼くん。
「一体だけだから大丈夫だと思うけど」
あっ、また独り言言っちゃった。一人になると、つい出ちゃう。
にしても、狼って1回反撃すると逃げるって話聞いといて良かった。軽く深夜を回ってる。早く森の賢者に会わないと。
《その思考は不要だ。来訪者》
「・・・どこに居るか、当ててあげようか?」
少し厨二病拗らせてた時、かっこいい言葉とか調べてた時期が私にもあった。今まで黒歴史だったけど、初めてそのことに感謝する日になるかも。
「上から見下ろして、こちらを見てる"梟"さん?あんただろ、森の賢者とやらは」
藍華はしっかりと梟、もとい森の賢者を捉えた。夜深くの木々の中に居たのは、黄緑色の瞳をこちらへ向けた、通常より一回り大きい梟。
《ホゥ、そこそこ頭は回るようだな》
口癖ホゥかよ、もうちょい捻ればいいのに。
「梟さん、私のお願い事は分かります?」
《魔法の使用についてだろう?》
ほんとに分かるんだ。半信半疑だったが、これで立証された。これなら、私のお願いごとのヒント程度ならもらえるかもしれない。
「どうしたら、私は魔法を使えるようになるの?」
《何かを得るには、何かを対価として差し出さねばならぬ》
「つまり、私の何かを差し出せと?」
《汝に興味がある。我の問に答よ。答によっては、汝に力を》
何が正解とかあるのかな。ない方が答えやすくて助かるけど、地理問題とか出されたら終わりだし。
《案ずるな、汝よ、心の声を聞け。其の声に従って問に答よ》
「よし、良いよ」
なにいってんだこいつ、とか思ってない。決して。
《汝に問おう。殺める事は罪か否か》
賢者に相応しい哲学的な問いだな。でもその答えを、私は知っている。
「私の国の法でなら"してはいけない"だろうな。でも、生きてく為には殺すのは"しなければならない"ことだ。だから答えは決まってる。ずばり、時と場合による」
《汝、やはり変わっているな。世の人間共は、してはならぬ、と口をそろえて言う》
「あぁ、当たり前だろ?じゃなきゃこんな世界で生きてけないっての」
梟さんの言う通りだ。そしてこの答えが不謹慎で、気味が悪い、ありえない答えだろうというのも承知の上だ。だが実際そうだ、食物連鎖は殺し殺され、人間も含まれる。
家畜は殺して良いのに同族はダメだなんて、そういう"観点"から言えば同じだと私は思う。
でも日本の法、というよりあの世界の法じゃあ禁止だからね"郷に入っては郷に従え"だ。ルールには割と従うタイプだし、好き好んで殺しなんてするものじゃない。
「ほら、答えたけど。お気に召した?」
《ならもう1つ、汝に問おう。人とは浅ましい生き物だ、ならば生きる価値など無い。汝はそう思うか否か》
「あのさ、さっきから哲学みたいな事聞くのなんで?」
《言っただろう、汝を試すと》
人の生きる価値、ねぇ。こういう問いを聞くと、ひどく懐かしい気持ちになる。私の答えは昔から変わらない。
「人間は、梟さんが言った通りクズだ。でもそれはそれで良いと思う。だってそれは、人間が不変であり、いくらでも変われる証明だから」
矛盾しているのは承知の上だ。大事なのは、根っこが真っ直ぐかってだけ。
《ホゥ、辻褄が合っていないが、自覚はあるのか?》
「辻褄が合ってない?馬鹿言うなよ、この世の中矛盾だらけだ。だから私はどちらも有り得ると言ったんだ」
《ホゥ》
それだけ?頑張って答えたら返事がホゥって。
《良いだろう、貴様を、我が主と認めよう》
「・・・えなんでそうなるの?」
《貴様には魔法とは違う力が備わっている》
「無視かよ」
まぁいいや、よくないけど。それにしても、魔法とは違う?なんだ?固有スキル的なやつか?
《貴様にはその名を知らせてやろう。1つ言うが、使い様によって、その力は天をも揺るがす。それを知る覚悟は、あるか》
「考える必要も無いな、私は友達の為に命張る覚悟は出来てんだよ」
《貴様の力の名は"契約"》
森の賢者は翼を羽ばたかせて、降下しながら答えた。
「契約ぅ?」
契約って言ったら、口約束のワンランク上って認識だけど、多分そういうことじゃないんだろうな。
《能力は単純だ、対象と契約を交わし、対象の能力を得るというものだ》
「ふーん、使い様によっては、確かに強いな」
《詳しい事は後に話す、今はどんなものなのか実践すべきだ》
実践?まさか。
《今から我と契約を行う》
「やっぱりそうなのね!」
話の流れ的にもしやと思っていたけど、なんでそうなる!
「なんで梟さんと契約するのよ?」
《貴様、我の事を侮っているな。我が力は森の賢者の名に通ずる力》
「というと?」
《簡単に言うと、"触れた植物を半径1km以内なら操作可能"とする力である》
半径1km!?しかも触れた植物なら操作可能って、強い…のか?
「それ、植物がなければ使えないという事の裏返しだろ?」
《阿呆が、頭を捻ればいくらでも汎用が可能となる》
右手からギリギリと拳が唸っているが、梟はそれを無視して話を進める。
「言葉どうりにするのはもんの凄く癪だけど、仕方ない。契約、やってみよう」
《ふっ、まぁよい、まずは我に触れろ》
「え、怒らないでよ?」
《貴様、その言の葉後悔するぞ》
「ごめんごめん、これでいい?」
森の賢者の体は見た目以上にモフモフで、肌触りがとても心地が良かった。ぬいぐるみに引けを取らないぐらい。
《契約には"絶対に守らなければならぬ三ヶ条"がある。細かく分けるともう少しあるが、今はそれだけで良いだろう。》
1つ、契約には対象との合意が必要
2つ、契約には相応の対価を示せ
3つ、契約時にはこう唱えよ
「契約」
彼女の髪色と同じ、藍色の光に2人は包まれ、その光が契約完了の証だが、彼女は言われる前に詠唱を唱えた。
《これで我との契約は完了だ。時に貴様、何故詠唱が分かった》
「何でだろうな?」
《おい》
「いや本当だって!私自身こう、何となく言わなきゃって気持ちになったんだ、ほんと、それだけ」
《(本来、そのような事あり得ぬはず。力を持つが故に、分かったというのか?)》
「これで契約は出来たんだよな?特に変化は感じないけど」
《権能が体に順応するには時間がかかる。我の権能は、ざっと五分ほどだな。」
「なるほど。そういえば、対価がどうとか話してたけど、私は何を失ったの?」
《我のような者は対価は必要無い。だが精霊や神等の類は対価が要る》
そんなの居るの?なるべく戦わない様にしようと心に決めた藍華だった。
「よし、なら行くぞ"フォーさん"」
《おい!なんだその珍妙な名は!》
「え?だって森の賢者って長いし、中々にネーミングセンスあると思わない?」
ホーさんにしようとも思ったけど、それだと捻りが無いから、森ってフォレストだし、そこから取ってフォーさん!
中々センスがある、と自慢げに語る藍華。
《まぁ良い、だが1つ言っておくが、我は着いて行かぬぞ》
「力は貸してくれるのに着いては来てくれないのかよ」
《仕方がない。策が無い訳では無い、我が良いと言うまで目をつぶれ》
何をするのかよく分からないまま、藍華は瞳を閉じる。
《終わったぞ》
?特に変わった事は・・・
ポムッと不思議な音が肩からするのでそちらを見てみる。
《うむ、存外上手くいくものだな》
「わっ!?何これちっさ!」
なんと、フォーさんが肩にとても小さくなって乗っているのだ。
しかし先程の姿より少し透明で翠色をしている。
「これでどうするの?」
《我は旅には着いて行かぬが、その思念体となって貴様の脳を伝い外界へ顕現出来るのだ》
「つまり、この状態でなら旅に一緒に行けるって事?」
《その解釈で間違いないぞ》
これも賢者の力なのだろうか。この世界便利すぎるぞ。
「多分5分経ったけど、1度使ってみていい?」
《構わぬが、貴様連れが居た筈だが》
連れ?ってレオン!!
「そうだったっ!速くって行かなくて大丈夫なんだっけ。じゃあ本体のフォーさんまたね!」
忙しなく駆け出す少女。それを首を回しながら昔にふける森の賢者。脳裏に映るのは、同じような背丈の少年だった。
《来訪者、か。いつぞやの勇者は、何処に居るのやら》