五 職務質問
「脱出成功……かな?」
予想通り、フェンスと生垣は簡単に攻略することができた。
やっぱり、折りたたみナイフの切れ味が良すぎる。
金属製のフェンスも生垣もスパスパ切れた。
フェンスを抜けた先の通りに人影はない。
急いでここから離れたいけど、走ると目立つから普通に歩いて隣の県を目指そう。
隣の県と言っても、ここは県境に近い地域だから、歩いても二時間ぐらいでたどり着ける。
よく知らないけど、犯人が県を越えると警察は、管轄の問題で初動が遅れるらしい。
まあ、前に見たドラマの知識だから、間違っているかもしれない。
けど、他に目的地もないから、とりあえず隣の県を目指す。
その後は……隣の県に到着してから考えよう。
道に迷ったせいで、予想よりも遅くなって夕方になったけど、無事に県境を越えることができた。
でも、迷ったのは仕方がない。
それなりに近場で、電車に乗って何回も行ったことがあるけど、歩いて行ったことはないから、少しだけ迷うのも当然。
私が特別に方向音痴というわけじゃない。
それでも、来たことのない道で、目的地の方角が漠然としかわからないから、途中で迷っても迷ったことに、なかなか気づけなくて、結果として時間が予想よりもかかってしまった。
電車に乗ればすぐだったけど、中学校の最寄の駅の前に交番がある時点で、選ぼうという気にすらならない。
歩いていても、警察によって検問が設置されているかと、警戒していたけど、学校を出てから、一度も警察官どころかパトカーすら見かけなかった。
学校での事情聴取とかで人手を割かれて、私を追跡する警察の初動が遅れているのかもしれない。
それから、さらに歩いて、日が沈んだ直後に、何度か来たことのある、駅前のそれなりに大きいデパートに到着できたので、必要な買い物をしていく。
今後、返り血で汚れる可能性を考えて、何着が着替えのジャージとパーカーを量販店で購入した。
一応、一着ずつビニール袋に入れて、血が染みこまないようにしてから、スポーツバッグに仕舞ってある。
他にも、購入した財布には五万円ほど入れて、残りのお金はビニール袋に入れてスポーツバッグの中に入れた。
それ以外の買い物も終えて、ファミレスで早めの夕食を済ませたときには、一九時を超えていた。
買い物と言えば、もう少し楽しいもののはずなのに、まったく楽しめないかった。
特に、服を買うときに店員が近寄ってきたときは、必要以上に警戒して、挙動不審にならないか心配だった。
いっそのことパーカーのポケットに入れてあるナイフで、物言わぬ死体に変えてしまおうかなんて、物騒なことを考えてしまった。
それも、わりと本気で。
なぜか、警察自体は現在進行形で脅威に感じられないけど、周囲から疑われているんじゃないか、怪しまれているんじゃないかって、必要以上に心配して精神的なストレスになっている。
ストレスが限界を超えて、無差別殺人を開始する前に、泊まるところを探さないといけない。
けど、一般的な宿泊施設は利用できない。
平日に、未成年の女子が泊まりにきたら、よほど節穴じゃなければ宿泊施設側も怪しむ。
それでも、普通の状況でなら、問題なく泊まれたかもしれないけど、他県とはいえ近隣で一〇人を超える殺人が起きていて、容疑者が未成年の女子とわかれば、泊めるフリして警察に通報されるのがオチ。
宿泊施設側が、見逃してくれる可能性にかけて、挑戦してみる気にはならない。
一応、宿泊の当てとして、ネットカフェを考えている。
ただ、法律の関係で、最近のネットカフェや漫画喫茶は身分証の提示が求められるらしい。
森山イツカたちが私をイジメながら、そんな愚痴を言っていたので、なんとなく覚えている。
当然の話だけど、恐らく指名手配されている私が身分証を提示するわけにはいかない。
まあ、指名手配をされていなくても、夜中に宿泊を目的として未成年の私が身分証を提示したら、良識のある店は、多分、通報する。
こうなると選択肢は、野宿になってくるけど、まだ、希望はある。
実のところ、様々な理由でネットカフェや漫画喫茶の一部の系列店では、身分証を提示しなくても利用できるらしい。
この情報も森山イツカがイジメの途中で、雑談として言っていたことだから、確実とはいえない。
それでも、私にはこれぐらいの情報しか、当てがない。
まあ、通報されたら、その時は……その時、考えよう。
ただ、他にも、問題がある。
目指すネットカフェの名前はわかっているけど、場所がわからない。
一応、私のいる駅前エリアの近くにあるということまではわかっている。
スマホがあれば、すぐにわかるんだけど、私のスマホは家と一緒に焼かれて壊れていることだろう。
中学に入学したときに、母がなんとかお金を用意して、お祝いとしてプレゼントしてくれたものだから、せれなりに愛着はあった。
まあ、学校に持っていったら、森山イツカたちに面白半分で壊される可能性が大きいから、あまり持ち歩かなかったけど。
それでも、適当に歩いて、看板とかに注意していれば、目指すネットカフェはいずれ見つかる。
…………そう、思っていたんだけど、別のものを見つけてしまった。
具体的に言えば、警察官。
適当に歩いていたら、人通りのない道に来ていて、巡回中だと思われる制服を着た男性の警察官が二人いる。
二人の警察官までの距離は、三〇メートルぐらい。
足を止めて、なにやら相談している。
どうしようかな。
私は見つけてしまったけど、あの二人が私を見つけているかはわからない。
もしかしたら、相談に集中していて、こちらを認識していない可能性もある。
もしそうなら、すぐにUターンすれば問題ない。
でも、もし、すでに二人の警察官に認識されていのに、こんなところでUターンなんてしたら、自分は犯罪者だと自白しているようなもの。
それならいっそのこと堂々と近づいて、二人の横を通り過ぎればいい。
時間帯的に、女子中学生が歩いていても、不自然というわけじゃない。
塾や部活の帰りに、夕食を食べたら、このくらいの時間になる。
それにここは、人通りのない道だけど、繁華街というわけじゃない。
ただの閑静な住宅街。
いまさらだけど、歩いていて明らかに周囲が住宅街になった時点で、こんなところにネットカフェがあるわけないんだし、駅の方へ引き返していればよかった。
それはともかく、この時間帯なら堂々と歩く女子中学生に、職務質問をしてくる理由はないと思う。
もし、仮に、職務質問をされても、それこそ塾の帰りだと、堂々と言えばいい。
パーカーのフードで顔を隠してるのが、少し不自然かもしれないけど、今日は肌寒いからありえないというほどじゃない。
無害な一般人という気持ちで、堂々と二人の横を通り過ぎよう。
一応、すぐに対処できるように、パーカーのポケットにある折りたたみナイフを握る。
距離、二〇メートル。
二人の警察官がこちらに視線を向けてくるけど、声をかけてこない。
やっぱり、不思議なんだけど、二人の警察官を面倒だと思っても、怖いとは感じない。
これも不思議な声の影響かな。
距離、一〇メートル。
こちらに声をかけないで、二人で喋っている。
是非とも私が見えなくなるまで喋っていて欲しい。
九、
八、
七、
六、
五、
四、
三、
二、
一、
〇。
二人から声はかけられない。
「ふぅ」
静かに安堵の息を吐いて、さらに足を進める。
ポケットのなかでナイフを握る力をわずかに緩める。
けど、
「おい」
背後から、声をかけられた。
どうしようかな。
聞こえないフリをして、やりすごす?
無理。
より強行に止められるだけ。
ここは刺激しないように……
「聞こえねぇのか」
していたのに、強引に肩をつかまれて振り向かされる。
なんだろう、自分でも不思議なくらいイラ立ちと殺意がわいてくる。
せっかく、こっちが穏便に済まそうとしたのに、ことを荒立てようって言うなら、私も遠慮しない。
まあ、でも、一応、こいつらも、職務を遂行しようとして、やる気が空回りしてるだけかもしれない。
それに、大量殺人犯に職務質問をすることに、緊張しているだけかもしれない。
だから、こいつらの対応と言動次第では、こいつらは死ななくて済むし、私は不要な殺人をする必要がなくなる。
でも、私としては、こいつらが暴言を吐いてくれたら、遠慮なく殺せるのにって、少しだけ思っているけど、いまは我慢する。
なにしろ私は、感情の抑制ができない、見境のない虐殺者じゃない。
「おい、フードを取れ」
予想以上に横柄な口調に、私は間抜けな声で応じてしまった。
「は?」
「は、じゃねぇよ。フードを取れって言ってんだよ。耳が聞こえねぇのか、てめぇは」
これは、チンピラのカツアゲなのかな?
一応、警察官の職務質問ですよね?
それに、二人の警察官が私に向けてくる視線は見慣れたもの。
森山イツカや折本が、私に向けてくる視線によく似ている。
そう、同じ存在に向けるものじゃなくて、はるかに劣ったものに向けるような、侮蔑交じりの見下すような、あの視線。
「…………」
警察官の言動と態度に驚いて絶句していると、警察官の片割れがフードに手をのばしてくる。
「黙ってんじゃねぇ、フードを取れ!」
警察官の手を避けようと思えば、避けられたけど、今回は避けない。
顔を見せないで殺してもいいけど、こいつらも私の顔を見れば覚悟をきめるだろう。
そうすれば、私も遠慮なくこいつらを殺せる。
さすがに私でも、わけもわからず一方的に不意打ちで殺すのは、少しだけ気が引ける。
フードが外れて、顔を見られる。
「やっぱり、こいつ指名手配されている獅子堂だ」
私のフードを外した横柄な警察官Aが、やたらと嬉しそうな表情をしている。
予想外の反応。
もっと、驚くか、警戒すると思っていたんだけど、まるで宝物でも見つけたような態度をしている。
まあ、警察にとって、犯人は目標で手柄だから、この反応も変じゃないのかな。
けど、私が小柄な女子中学生だということを差し引いても、一〇人以上を殺した殺人犯を前にして、警戒感がなさすぎる。
「ああ、そうだな。一応、応援を呼んでおく」
もう一人の警察官Bは、もう少し私を警戒しているみたい。
警察官Bから出た応援という言葉を少し考える。
応援を呼ばれる前に、目の前の二人を殺すよりも、わざとこの地域の警察官を招き寄せて、一網打尽にすることで、一時的にこの地域が捜査上の空白地帯になるんじゃないかな。
その一時的が一時間か、一日なのかわからないし、失敗して捕まるリスクもあるけど、やってもいいと思っている。
もっと警察官が紳士的なら、二人以外の警察官まで殺そうとは思わなかったけど、この二人を見て遠慮する気がなくなった。
もしかしたら、この二人は警察組織の例外かもしれないけど、所属させて放置させているから一蓮托生になってもらう。
「別に、俺たちだけで、大丈夫だと思うぜ。こんなガキに、なにができるんだよ」
警察官Aがこちらを指差しながら、見下すような薄ら笑いを浮かべる。
その指を衝動的に圧し折るか、切り落としたくなったけど、なんとかこらえた。
深呼吸をして、気持ちを整える。
こいつを殺すのは応援がきてから。
「そりゃそうだが、一〇人以上を殺してる奴だぞ。万が一にでも逃げられたら、叱責ぐらいで済むと思うのか」
なぜか、こいつらのなかでは、すでに私は逮捕されていることになっているようだ。
けど、それなら手錠ぐらいはかけたほうがいいと思う。
明らかに、油断しすぎ。
「わかった、呼べよ。けど、見つけたのは俺だからな。そこは、はっきりさせとけよ」
「俺たち、だろ。まったく、すぐに、近くの四人が駆けつけてくる」
警察官Bの言葉に、思わず舌打ちをしそうになる。
目の前の二人と応援の四人を合わせても六人。
警察のことはよく知らないけど、たった六人を殺したぐらいで、空白地帯が生まれるかな?
「りょーかい。この手柄で、刑事になれればいいんだけど」
「お前じゃムリだろ」
「なんだと、てめぇ」
「お前が刑事ってガラかよ」
「ちょー似合ってんだろ、刑事」
チンピラ警察官二人の頭の悪そうなバカ話を聞いていると、気分が下がっていく。
プランが成功しても、予想したような効果は得られそうにないけど、応援の警察官には早く到着して欲しい。
できれば、私が衝動的に目の前のチンピラ警察官を殺してしまうよりも前に。
「おい、どうした」
応援と思われる四人の警察官が到着した。
これで、本当に二人のチンピラ警察官を殺せる。
応援の四人と一緒に死んでもらう。
労力に見合わなそうだけど、早めに警察官がどの程度の脅威なのか、体感しておくのも悪くない。
うん、多分、悪くない。
「こいつが指名手配されている獅子堂だ」
「なに、本当か」
「なぜか、肌が黒くなってるが、送られてきた写真と同じ顔だから間違いない」
「バカ! なにやってんだ!」
応援に駆けつけた警察官の一人が、チンピラ警察官の一人を諌めるのかと思ったけど、違った。
そいつは私にチンピラ警察官のような見下す視線じゃなくて、親の仇に向けるような憎悪のこもった目をしている。
学校で殺した誰かが親族だったのかな?
「なにがだ?」
チンピラ警察官の一人は応援できた警察官の態度が理解できないというように、首を傾げている。
「こいつが獅子堂なら、こいつも化け物の可能が高いってことだぞ」
警察官のこいつも化け物という言葉が私の気を引いた。
私以外にも、大量殺人をやった者がいるのか、それとも私のように、鬼やレベルという脳に響く謎の声によって、謎の力を手に入れた者がいるのかな。
「だが、こんなガキだぞ。ビビりすぎだ」
私を化け物と呼ぶ警察官の態度に、横柄だったチンピラ警察官が少しだけ引き気味だ。
「そうやって油断して、今日だけで何人も警察官が殉職しているんだぞ」
殉職という言葉から考えると、単純な大量殺人犯じゃなくて、捕まえようとした警察官を返り討ちにできる存在が複数いる可能性がある。
私以外も謎の声の影響を受けた存在がいるのかもしれない。
もしかしたら、謎の声の影響じゃなくて、警察官の不運が重なっているだけの可能性もあるけど。
「わかったよ。で、どうする」
「俺がこいつに手錠をするから、全員、拳銃を撃てるように構えておけ」
「おい、そりゃ大袈裟だろ」
「だから、侮るなと言っただろ。立花は、そうやって油断して、殺された。こいつらを人間だと思うな。フィクションの化け物だと思って対処しろ」
「……わかったよ」
チンピラ警察官を含めた五人がしぶしぶといった様子で拳銃を構えて、銃口をこちらに向ける。
本当に、不思議。
拳銃の危険性を想像できないからかもしれないけど、複数の銃口を向けられても、怖くもないし、脅威とも感じない。
「お前の……お前らのせいで、立花が」
手錠を手に目を血走らせた警察官に押されて、すぐ近くの電柱にぶつかる。
姿勢を崩すことなく耐えられたけど、油断をさそうために、あえてよろけた。
「痛っ」
別に、痛くなかったけど、自然と口から出てしまう。
「誰よ、立花って」
そっとスポーツバッグを地面に下ろしてから、パーカーのポケットに仕舞っていた折りたたみナイフを取り出し、刃を出して、血走った目をした警察官の首を切る。
「アッガグアアァ」
そいつは首から血を噴き出しながら、膝をついて顔面から地面に倒れる。