三 予定完了
「授業中、失礼します」
標的の居る教室のドアを開けて、一言声をかけて入る。
教室の生徒たちの表情が、怪訝なものから、驚愕と戸惑いの混ざったようなものに変化していく。
まあ、授業中に突然、ナイフを持った血塗れの女子生徒が入ってきたら、こうなるのも当然かな。
「あ、あなた……その格好は」
困惑しながらも、口をひらいたのは、教壇に立つ二〇代の女性教職員。
数学を担当している藤川。
噂では、授業は丁寧でわかりやすく、生徒に対して、熱心に相談に乗ってくれたり、物腰柔らかく真摯に対応してくれるらしい。
私のときは、視線をそらして、気まずいような、迷惑なような表情をして、話しかけたり、相談したりして関わることを拒絶していた。
まあ、この学校の教職員としては、標準的な対応かな。
折本のように、積極的に加害者へなろうとしていないだけでも、この学校ではましな方。
それに、二〇代の様々な経験の少ない彼女が、私からイジメの相談されても、多分、適切な対応なんてできなかったと思う。
「大丈夫ですよ。用事を終えたら、すぐに出て行きますから」
本当に、次の職員室での殺しの予定があるから、ここで時間をかけるつもりはない。
「よ、用事って」
「そこの……彼女と彼女を殺すだけです」
教室を見渡して、標的の二人を指差しながら、事務的に淡々と言った。
指を差された標的の二人が、ビクリと反応する。
血塗れの見るからにヤバイ格好をした私の殺すという言葉か、それとも自分の過去の行いに対する後ろめたさか。
どちらにしろ、彼女たち二人を殺害する予定に変更はない。
「こ、殺すって、あなたは、なにを言っているの」
藤川の言葉に、私は首を傾げながら応じた。
「なにって……知ってますよね」
なんの脈絡もなく殺すと言えば意味不明だけど、私の置かれている状況を知っていて、血塗れでナイフを持った私が殺すと言えば、疑問の余地なんてない思うんだけど。
「……なにを」
藤川が、いつかのときのように、気まずそうに視線をそらす。
頭で理解してるけど、現実を認めたくないのかな?
「この学校で私が、日常的にどういう目に合っていたか」
私はある意味で、森山イツカと同じくらい、この学校で有名人だった。
まあ、ベクトルは全然違う、というかマイナス方向だったけど。
本当に、自意識過剰なんかじゃなくて、この学校の教職員が知らないなんてありえない。
私はある意味で、この学校の地雷のようなものだった。
だから、この学校で教職員が安全に過ごす上で、私の日常を知らないでいるなんて、そんな無謀なことをする奴はいない。
私から適切に距離をとって、関わらないためにも情報は重要。
「……それは。でも、それなら、なぜ、彼女たちなの?」
「なぜ? あれだけの行為をしてたんだから、当然なんじゃないですか?」
イジメの被害者が、イジメの加害者に復讐する。
とてもシンプルな理屈と、シンプルな関係性。
疑問の余地なんてないと思う。
もっとも、無力で無責任な良識ある傍観者は、復讐の方法として殺人を選択したことに異論があるかもしれない。
「でも、主導していたのは、森山さんたちでしょう。それなのに、いきな」
藤川の言葉を遮って、事実を告げる。
「殺しました」
「えっ?」
「だから、殺しました。森山イツカを中心とした、私のクラスにいたイジメのメンバーの一〇人は、すでに死んでいます」
「……そんな」
藤川は呆然として固まっている。
森山イツカのことを持ち出して、説得か、時間稼ぎをしようとしていたのかもしれない。
その目論見が崩れて、多分、思考がフリーズしている。
「それじゃあ、予定もあるので」
踏み出した一歩を、藤川の言葉が止める。
意外にも、藤川はフリーズした自己をすぐに立て直したみたい。
「待って」
「なんです?」
「確かに、この子たちはあなたをイジメていたかもしれない。でも、それは去年のことで、主導していたのは森山さんでしょう。付き従っていただけのこの子たちは、許してあげて」
まっすぐに私を見据えながら、藤川が告げた。
よく見れば、指先が震えている。
ナイフを持った血塗れの私が怖いのかもしれない。
それでも、視線をそらさないで、真摯に訴えかけてくる。
…………ああ、反吐が出るほど、笑える。
「ハハハッ、アハハハハーーー」
「あの、獅子堂、さん?」
「はぁー、笑わせないで下さいよ。去年のことだから許される? 付き従ってただけ? それ、本気で言っています?」
時間がたったら、イジメたことが許される?
中心にいなければ、イジメに加わっても許される?
なんだ、その理屈。
時に嘲笑い、時に罵倒して、私から自尊心を奪い続けた、あれが、そんな理屈で許されるわけがない。
「ふーん、そう。そうなんだ。なら、教えてくれる?」
視線を向けながら告げた問いに、標的の一人が肩を震わせながら応じた。
「わ、私?」
「そう、あなた。去年の冬に、私は藻の浮かんだ緑色のプールを裸で泳がされたけど、その時、あなたはどんな気持ちだった?」
「そ、それ、は……」
標的の女子は、怯えたように視線をそらして、うつむいてしまう。
「イヤイヤ、付き従っただけで、罪悪感に苦しんでいた?」
「…………」
「そんなことないよね。だって、あなたは寒さに震えながら泳ぐ私を、指差して笑っていたもの。それに、寒さに耐え切れなくなって、プールから上がろうとした私を蹴り落としたのも、あなただった」
「…………」
顔を青くしながら視線をせわしなく動かして、問いに沈黙して答えない標的の彼女から、私は視線を藤川に向けて口を開く。
「どうですか、これでも、付き従っただけで、去年のことだから、許せって、あなたは言いますか?」
「…………そうね、彼女たちのしたことは、許されることじゃないのかもしれない。でも、殺す以外の解決方法もあるんじゃないかな」
「ないですよ、そんなもの。私が彼女たちに望むのは、死だけです。謝罪も、後悔も、懺悔も、必要ないです。いまさら、されても、イラつくだけですけど」
もう、話すことはないと、足を進める私を、藤川が標的の女子をかばうように立ちはだかる。
「…………随分と熱心にかばいますね」
イライラする。
この藤川は、熱心だと言っても、イジメを見て見ぬフリをするような、他の教職員と同じように、底の浅いことなかれ主義の教職員だと思ったのに、血塗れでナイフを持つ私の前に立っている。
加害者を命がけで守ろうとして、覚悟を持って行う被害者の復讐を阻もうとする。
意味がわからない。
意味がわからなくて、本当にイライラする。
「……私は教師で、彼女は生徒だから」
怯えるように震えながら、唇を噛み締めながら、視線を落としながら、それでも告げた藤川の言葉が、より私をイライラさせる。
「そう。なら、誰にもかばってもらえなかった私は、生徒ですらないみたいですね」
「それは……」
藤川は言葉をそれ以上、紡がずに沈黙する。
それが藤川の回答。
私は藤川にとって、イジメの加害者よりも、関わる価値がなかったというだけ。
そう、それだけ。
これ以上、藤川と言葉を交わすと、イライラが増大しそうなので、黙らせる。
「ま、待って」
待たない。
黙らせる。
でも、藤川はイラつくけど、殺すほどの相手でも、復讐するほどの相手でもない。
だから、殺さないように、手加減して、なにも持っていない左手で、藤川のお腹を殴る。
予想以上に身体能力がレベルとかで上昇していたら、藤川を殺してしまうかもしれないけど、その時は、その時。
絶対に殺さないように、細心の注意を払うほど気づかうつもりはない。
「ウグッ」
藤川は吐血することもなく、床に倒れて沈黙する。
一応、かすかに苦痛でうめいてるから、存命している。
「「「イヤアアアァァァーーー」」」
倒れる藤川を見て、一〇人前後の生徒たちが、悲鳴を上げてドアに向かって逃走する。
学校という日常空間で、殴られて教職員が倒れるという非日常を覚悟もなく見せなれて、心の許容量をオーバーしてしまったのかもしれない。
まあ、それはいい。
それはいいんだけど、標的の一人が逃げようとする集団に混ざって、逃げようとしている。
これは認めない。
このクラスの生徒が何人逃げ出しても、知ったことじゃないけど、標的の逃走を許すほど私の殺しの決意は曖昧じゃない。
でも、集団に埋もれようとしている標的を、集団から発掘するのは少し面倒?
うーん、少し、集団に動いてもらおう。
「気をつけてね。積極的に傷つけるつもりはないけど、そいつの近くにいると大怪我する……かも?」
私が首を傾げながら、告げた言葉への反応は劇的だった。
「こっち、くんなよ」
「私まで、傷つくでしょ」
「離れてよ」
教室から逃走しようとする集団から、標的の女子が排斥されようとしている。
さすが、私のイジメを許容した学校の生徒。
自分のために、他人を簡単に切り捨てる。
藤川が身を挺して、守ろうとしたものが、こんな連中なんだから、なかなか皮肉な話だ。
「い、嫌だ、死にたくない。助けてよ」
標的の女子が涙を流しながら、自分を排斥しようとする集団にすがりつく。
「イジメたのは、自分だろ」
「そうだ、自業自得だ」
「自分でどうにかしたら?」
「森山さんに頼んだら?」
「そうよ、それがいいよ。仲がいいって、いつも自慢していたもんね」
私への恐怖も忘れて薄笑いを浮かべながら、標的の女子を揶揄する集団。
なんだろう、すごく気分が悪い。
別に、標的の女子に同情なんてしないし、許しもしない。
でも、それとは別のところで目の前で見せられた、この集団の行為が、私のなかのイジメの記憶を思い出させて、凄く不愉快。
不愉快だけど、殺意を抱くほどの相手じゃない。
だから、そう、私の復讐に協力してくれた連中に、お礼をしよう。
集団のほうを向いて、こちらを警戒していない標的の女子に、背後から静かに近寄って、一気に首を切り裂く。
「アグウァアアァ」
周囲に、濃密で生々しい鉄錆のような血の臭いが立ち込める。
『レベルが上がりました』
脳裏に、謎の中性的な声が響く。
標的の女子を殺したら聞こえた。
人を殺すことで、レベルが上がる?
もし、そうならなかなか趣味の悪いルール。
まるで、人を大量殺人へと誘導しているようで、どこか気持ち悪い。
「「「イヤァアアアーーー」」」
頭から大量の血を浴びて、パニックになる集団を冷ややかに見据える。
「皆さん、ありがとうございました。心より、感謝します。皆さんの協力で、彼女は死にました。記念に、彼女の血の臭いと、温度と、死顔を一生、脳裏に刻み付けてください」
閉め忘れた蛇口のように、ちょろちょろと血を首の傷から流す、死んだ彼女を見せつける。
「ち、違う。オレは殺してない。オレは関係ない」
「酷いですね、協力して、人一人の命を奪った仲なのに」
もちろん、仲間、連帯、協力、そんな意識をこいつらに持ったりしていない。
ただ、嫌がらせとして、こいつらに殺人の当事者だという意識を植え付けたいだけ。
「私は違う。なにもしてない」
「オレだって殺しに、協力なんて……」
「お前は、自業自得だって、言っただろ」
「それは……でも、それならお前は……」
集団は事実の否認から、罪の押し付け合いに移行する。
死者を目の前にして、後悔や謝罪の言葉もなく、自己保身に終始する集団。
経験的にある程度、予想していたけど、この学校にはクズしか入学できないのかな。
「落ち着いて、別に、皆さんがなにもしなくても、私は彼女を殺していました」
私の言葉に、集団はすがるように反応する。
「そ、そうよ、私は悪くない。悪くないのよ」
「オレだって、無関係だ」
「殺したのは、私じゃない」
「そうよ、私だって、殺してない」
「そうだ、殺したのはオレじゃない」
薄っぺらい自己保身の言葉に、私は応じる。
「そうですね、彼女を殺したのは私です」
「それなら……」
集団のだれかの、なにかを紡ごうとするのを、遮るように口を開く。
「でも、死際に彼女を、拒絶して、排斥して、絶望の底に叩き落としたのは、皆さんです」
「…………」
事実を拒絶するように、集団はそろって視線をそらす。
「本当に、感謝します。彼女に、死の間際まで、救いのない孤独というスパイスを提供できましたから」
「…………」
私の言葉に、それが不都合な事実であるかのように、集団の連中は表情を歪ませる。
こいつらは、これでいいかな。
クズだけど、私が殺すほどの連中でもない。
それに、いまさらだけど、こんなクズたちばかりに、時間を浪費していられない。
この教室には標的の女子が、もう一人いる。
「あれ?」
標的の女子が、見当たらない。
逃げた?
ありえない。
まだ、教室のドアは開閉されていない。
少々、うるさかったけど、ドアが開閉される音を聞き逃すほど気を抜いていない。
生きている標的の女子は、この教室にいるはず。
「おい」
背後から、聞き覚えのある女子の声をかけられて、少しだけ不思議に思いながらも、警戒することもなく振り返る。
「うん?」
「死ね!」
生き残っている標的の女子が、まさに鬼の形相というほど、表情を歪ませている。
衝撃。
振り下ろされるイスは見えたけど、回避や防御といった反応ができなかった。
ここまで一方的に殺せたから、反撃される可能性に思いいたらなかった。
「死ね、死ね、死ね!」
標的の女子が、わめきながら狂ったようにイスを振り回す。
イスが体に当たると、衝撃が襲ってくる。
けど、それだけ。
痛みもなければ、衝撃に受け止めきれないで後ろに下がることもない。
彼女の振り回すイスが、まるで発泡スチロールで出来ているよう。
彼女の振り回すイスは、私にとって、脅威でもなければ凶器でもない。
適当に望んだ、鉄皮という力の影響かな。
だとしたら、鉄皮は肌を黒くするだけじゃないみたい。
すぐに、心も落ち着いてきたから、彼女の攻撃を避けることも、防ぐことも、余裕で出来る。
でも、しない。
あえて、しない。
勇敢に戦いながら散っていく?
最後まで諦めずに反撃しながら散っていく?
そんな最後は、こいつに贅沢すぎる。
せっかくだから、無力感で満たされて、絶望で溺れるように、死んでもらおう。
「なんで、なんで、なんで、死なないのよ!」
焦燥に追い立てられているような表情の彼女に、私は淡々となんでもないことのように応じる。
「で?」
まあ、実際、私はダメージ〇で、痛みも不調も皆無。
全力で行った彼女の反撃は、私に傷一つ残していない。
「なんでよ……」
彼女はイスを振り上げることなく、床に膝をついて絶望するように、うつむきながら脱力している。
「もう、それは振り回さないの?」
「…………」
彼女はイスと私に、視線を何度もやるけど、立ち上がろうとはしない。
「もう、動かないなら、殺すけど?」
丁寧に、確認する。
そして、彼女に、自分の絶望的で起死回生の救いがない状況を認識させる。
絶望的な状況でも、死にたくはない彼女に、自分の死を了承させる。
「……化け物」
標的の彼女は、涙を流してつぶやく。
どうしょうもない自分の状況が認識できてしまうからか、大声で泣き叫ぶこともなく、けど死の運命を受け入れているわけでもなく、震えながら耐えるように表情が強張って歪んでいる。
でも、化け物か。
化け物ね。
確かに、私は二桁の人を殺しているわけで、一般的な価値観で言うと、化け物かもしれない。
でも、数年にわたって、人の心身を笑いながら踏みにじるものが、人と言えるのかな。
そっちのほうが、化け物のような気もする。
まあ、でも、この中学校の連中を見てると、人でいるよりも化け物のほうがましって気がしてしまう。
とりあえず、いい感じに絶望しているようなので、彼女を殺そう。
「ブハッ」
真上から、彼女の顔をナイフで縦に両断した。
刃渡りが短いから、頭部をキレイに両断とはいかなかったけど、彼女の命は奪えた。
床に倒れてから、数秒間、ピクピクと痙攣するように、四肢を震わせていたけど、すぐに動かない死体になった。
改めて、血に染まった折りたたみナイフを見てみる。
特に、目立つ亀裂や刃こぼれはない。
人の頭蓋骨を切断したのに、凄い。
とんでもない業物だな、この二〇〇〇円で買ったステンレス製の折りたたみナイフ。
…………冗談です。
人を斬るために作られた刀でも、数人斬ったら切れ味が悪くなると聞いたことがある。
それなのに、安物のナイフで一三人も殺せるのかな。
これも、あの謎の声の影響?
試しに、イスの金属製のパイプ部分にナイフを振るう。
わずかな抵抗もなく、金属製のパイプが切断される。
ほぼ、確定、私だけじゃなくて、ナイフも謎の声の影響を受けている。
だからと言って、すぐに、なにかがあるわけじゃない。
とりあえず、凶器として、普通のナイフよりも、信用できるってことかな。
もっとも、その原理は全然、信用できないけど。
まだ、授業中のはずなのに、教室の外でザワつきがある。
私のクラスの連中が、通報でもしたかな。
だとしたら、面倒な警察が来る前に、職員室に行かないと。
「授業中、失礼しました。それでは、皆さん、思い出に残る学校生活を送ってください」
一礼と共に、適当な言葉を残して、教室のドアを閉めて職員室を目指す。
廊下に出てみると、ザワつきがよりはっきりと聞こえてくる。
急がないといけない。