二 クラスメイト
「顔も黒い」
殺した女子生徒たちの持ち物を物色して、調度いい手鏡があったから、見てみたら想像以上に黒い私の顔がそこにあった。
もともと色黒じゃなくて、どちらかといえば色白だったから、見間違えとかの可能性はない。
手や顔の褐色へと変色した皮膚を触ってみるけど、色が変わったこと以外、硬くなっているわけじゃないから、とくに変化を感じられない。
謎の声とか、鉄皮とか、摩訶不思議で、思春期の男子なら好奇心を刺激されそうな現象だけど、私は男子じゃなくて、時間的、心理的な余裕もないから、わからないことは、横に置いておく。
まだ、殺すときに大声で悲鳴を連中が上げなかったから、警察に通報されているとは思わないけど、死体が永遠に見つからないなんてことはない。
いずれ死体を発見されて、警察に通報される。
そうしたら、警察に捕まって、ワイドショーで娯楽として面白おかしく世間に消費されるのかな。
それまでに、脳内に刻み付けた、殺したい人物のリストをできるかぎり消化していく。
物色したハンカチとタオルで、血のついたナイフと顔を適当にぬぐって、死体の上に捨てる。
まだ、右腕の袖を中心として、制服が返り血でベッタリと汚れているけど、ハンカチとタオルでどうにかできるレベルの汚れじゃないので、仕方ないから我慢。
「それでは皆さん、クソッタレの日常と、どうしょうもない非日常をありがとう」
死体に向かって一礼しながら、適当な言葉を口にして、血と化粧品の臭いが混ざってキツイので、それから逃れるように体育倉庫の扉を閉めて背を向ける。
「てめぇ、なに勝手にサボって……」
教室のドアを開けた私を、不愉快なだみ声が出迎える。
いきなり気分がげんなりしてくる。
この学校で、ある意味、森山イツカよりも、不愉快な存在。
飛び出たビール腹は、メタボどころか、普通にデブ。
これで担当科目が保健体育なんだから、笑える。
生徒に向かってなにか言葉を口にする前に、ダイエットしてこいと言いたい。
あるいは、こうならないようにという反面教師として、自ら体現している?
まあ、こいつの性格を考えるとないかな。
ただの不摂生の結果。
まさに、人に厳しく、自分にぬるいこいつの性格を体現している。
このクラスの担任で、保健体育の担当の折本は、他の教職員と同じように…………いえ、むしろ、率先して森山イツカに協力的だった。
他の教職員が私のイジメを見て見ぬ振りをする程度なのに対して、こいつは森山イツカの行動を黙認するだけじゃなく、積極的にサポートしたり、森山イツカと関係なく私にイジメというか、セクハラというか、パワハラのようなことをしてきたクズ。
例えば、保健の授業の一環だと言い張って、私の生理の周期や重いかどうか、もう妊娠できるぞとか、相手がいないのかとか、クラスの連中の前で堂々と聞いてきた。
それで私が恥ずかしくて沈黙していると、頭が悪いだの、真面目に授業を受ける気がないのかと、恫喝してくる。
毎回、私の方こそ、貴様は真面目に授業をする気があるのかと、言いたかった。
まあ、言えなかったけど。
その上、私を怒鳴ることで、授業時間が潰れると、てめぇのせいで授業ができなかったなどと、私には理解不能な、なかなかに愉快な思考をしていたりする。
…………思い出したら、色々な冷たくて黒い感情が膨れ上がってくる。
当時は、こんなクズでも、学校側の人間だから、機嫌を損ねて私が問題行動をしていると、母に連絡されるかもしれないから、森山イツカの行為以上にこいつの行為に対して、我慢して沈黙していた。
でも、もう、そんな制約はない。
我慢する必要も、沈黙する必要もない。
そう思うと、なぜか心と体が、縛りつける鎖から解放されて、軽くなっている気がする。
それに、折本を目の前にしても、森山イツカと対面したときのように恐怖で体が強張ることもない。
殺人を経験して、一時的に気が大きくなっている?
まあ、理由なんて、どうでもいいかな。
折本に怯えず、殺人に対して恐怖せず、抵抗なく行動できるなら、それでいい。
「て、て、てめぇは……」
折本が驚愕の表情を浮かべながら、酸欠状態のコイのように口を間抜けにパクパクと開閉している。
滑稽にも、こいつはなにを驚いているのかな。
私が、
森山イツカたちの返り血で汚れているから、
肌が褐色になっているから、
手にナイフを握っているからだろうか。
あるいは、その全部かな。
それでもなければ、いつも恫喝すれば体を強張らせて沈黙していた私が、視線をそらすことなく堂々としているからかもしれない。
……まあ、こいつがなにを考えているかなんて、どうでもいいか。
それよりも、さっさと殺して、殺しの予定を消化するほうが、はるかに有意義。
「アッガァ!」
「あれ?」
思わず声が出てしまった。
ナイフは根元まで、折本の腹に刺さっているのに、命を脅かしている手ごたえがない。
別に、人体や殺人術に詳しくもないから、確実じゃないけど、八人の殺しを経験した感覚から言うと、致命傷にはほど遠い気がする。
多分、厚い脂肪の壁に阻まれて、ナイフが内臓を傷つけられない。
それでも、腹にナイフが刺さっているのは痛くて怖いのか、折本は顔面蒼白でオークとドワーフのハーフみたいな脂ぎった醜い顔を盛大に歪ませている。
折本が苦しむのは結構なことだけど、こいつの殺しにあまり長い時間をかけられない。
殺しの予定も詰まっているから、さくっと殺そう。
うーん、ポケットに忍ばせやすいからって、殺人の凶器として刃渡りの短い折りたたみナイフを選んだのは間違いだったかな。
でも、出刃包丁や鉈なら、もっと殺傷能力が高いかもしれないけど、ポケットに忍ばせるなんてことができないから、殺す前に色々な良識ある連中にバレて取り押さえられていたかもしれない。
そう考えると凶器として、この折りたたみナイフという選択は、ベストじゃないかもしれないけど、無難でベターなものだったと思う。
「て、てめぇ、よくも、よくも、よくもーーーー」
折本がわめきながら、腹に刺さるナイフを保持した両腕をつかんできた。
…………あれ?
一応、男で、成人の折本につかまれた両腕が、痛くもないし、微動だにしない。
腹にナイフが刺さって、力が入らない?
でも、冷静に見て、折本に力が入らないほどのダメージを与えているようには見えない。
なら、さっき脳内で聞こえてきた、鬼だの、レベルだの、鉄皮だのという謎の幻聴が関係している?
とりあえず、検証は後にして、こいつを殺そう。
「てめぇ、フザケンナーーー!」
折本は現状が気に入らないのか、さらに大声でわめく。
まったく、ふざけんなはこっちだ。
私にとって、折本は存在自体がキモくて、嫌悪感をかき立てるのに、冷や汗か知らないけど、全身から滝のように噴き出して汚らしいくて、害虫に等しい。
「アガアアアアァァァーーー」
折本の脂肪に阻まれて効果の薄そうなビール腹に見切りをつけて、首をナイフで切ったら簡単に血が溢れ出て、うめくような断末魔を上げながら床に崩れて動かなくなった。
「チッ、汚い」
首を切ったことで、折本は簡単に死んだけど、噴出した返り血を正面から浴びてしまった。
偏見かもしれないけど、折本の血は、森山イツカたちの血よりも、ネットリとして臭そうで、森山イツカたちを殺して返り血を浴びたときよりも、心理的にも気持ち悪い。
すぐにでも、この気持ち悪いものを、シャワーでキレイに洗い流したい。
ついでに、折本の血で汚染された服も着替えたくなる。
まあ、いまは他にも殺さないといけない相手がいるから、我慢する。
この学校での殺しの予定を消化したら、警察が来ていても、運動部の部室棟でシャワーを浴びて、学校指定のジャージに着替えよう。
「やあやあ、いつも薄情なクラスの皆さん。自分が傷つきたくなければ、いつも通り黙って静かにしていて下さい」
私の言葉に、クラスの連中は石化したように反応しない。
……いえ、この沈黙が答えかな。
自分が傷つかないように、目の前で人が殺されても、通報することも、悲鳴を上げて異変を周囲に伝えようともしない。
ああ、素晴らしい自己愛。
反吐がでる。
まあ、でも、この死んだクズ教職員のためにリスクを背負うなんて、そっちの方が異常かな。
教室全体に視線をやれば、過敏に反応するのが二人。
なかなか察しがいい。
自分の過去の行為や言動に、自覚的か。
一応、イジメをしていたって、自覚はあるのか、少し意外かも。
まあ、それでこの二人が、私の殺しの予定から除外される、なんてことはないんだけど。
一歩、一歩、標的の女子に近づいていく。
二人の標的のうちで、私に近いほうが、恐怖からか震えだす。
一歩、一歩、近づくごとに、標的の震えが徐々に大きくなって、わざとやっているんじゃなかってレベルになる。
もしかしたら、沈黙に支配された教室で、やたらと響く私の足音が、死へのカウントダウンに聞こえたのかもしれない。
でも、そうなら、間違っていない。
なにしろ、私のナイフが、届く距離に近づいたら、彼女は死ぬ。
「オェエエエ」
ありゃ、吐いちゃった。
よっぽど、彼女は死ぬのが怖いらしい。
「じ、じにたくない」
ゲロと涙と鼻水で汚れた酷い顔で、標的の彼女が告げる。
「奇遇ね、私もイジメられたくなかった。でも、あなたは私をイジメた。それも、積極的に。だから、あなたを殺す」
今日、目の前の彼女が、体育倉庫に居なかったのは、ただの偶然。
特別、彼女が私をイジメることへの良心の呵責に苦しんだ結果とかじゃない。
ただ、直接、森山イツカに誘われなくて、私をイジメる気分じゃなかっただけ。
森山イツカと鴨居カエデ以外のイジメのメンバーは固定されていなくて、そのときの状況である程度メンバーは増減する。
このクラスで私をイジメていたメンバーは全部で一〇人。
他にも、去年までイジメていたけど、クラス替えで別のクラスになったメンバーが二人いる。
なので、このクラスの二人を殺したら、別のクラスの二人もきっちりと殺す。
今年になって、イジメに加わっていないから、許す?
検討しようとすら思わない選択肢。
「じにたぐ、ウガアァー」
壊れた機械のように、じにたくないと繰り返し口にする彼女の首を切り裂いたら、うめきながら床に崩れて、死体になった。
「クソッ」
折本を殺したときに、首を切ったら返り血が凄いって経験したのに、再び吹き出る大量の鮮血を正面から浴びてしまった。
まあ、折本の汚い血を、彼女のましな血で中和したと、思い込んで自分を慰めてみる。
「「「イヤアアアァァァーーー」」」
死んだ女子の近くに居た女子数人が、狂ったように悲鳴を上げて走り出す。
まだ、この学校で殺そうと思っている相手が何人かいるから、ここで教室外に逃げ出されて、このクラスで起こったことが伝わって警察に通報されると困ってしまう。
けど、困るからって、悲鳴を上げて逃走する女子たちを殺すのは違う気がする。
私は、復讐、けじめ、あるいは過去の清算をしにきてる。
無差別の虐殺をしにきたわけじゃない。
まして、殺すのは、誰でもいいわけじゃなくて、私を積極的にイジメていた森山イツカたちじゃないと意味がない。
逃げる彼女たちは、イジメの傍観者で、消極的な加害者と見ることもできなくはないけど、根本的に森山イツカたちに比べて、彼女たちに対して殺したいという情熱をあまり持てない。
もっとも、私は別に、彼女たちの生存を願っているわけでも、殺人を忌避して殺さないですむ理屈を構築しようとしているわけじゃない。
ただ、単純に彼女たちへの殺すほどの興味がないだけ。
妨害しようとするならともかく、逃げるなら少し迷惑だけど好きにしたらいい。
理屈の上では通報されて、警察がくるのがまずいって理解しているけど、感覚的な部分で警察を脅威に感じていない気がする。
人間を短時間で殺しすぎて、殺人ハイになって正常な判断ができない?
あるいは、災害時などに、脅威を過小評価するという正常性バイアスかな?
まあ、どっちでもいい。
結局、私の決断と行動に変更はない。
彼女たちを見逃して、警察が駆けつけて殺す予定の連中を全員、殺せなくても、それはそれで仕方がないと思う。
「「「オェエエエ」」」
悲鳴を上げる女子が教室から逃げ出して、静かになったと思ったら、殺した女子生徒の近くにいる生徒たちが、男女関係なく吐き出した。
血と吐瀉物の臭いが混ざって、気分をげんなりさせる。
早々に、もう一人のイジメていた女子を殺して、この教室から出て行くこう。
「い、いや、だ。イヤァァァーー」
次の標的の女子は、叫びながら半狂乱で走って逃げ出した。
「逃がさない」
悠々と余裕をもって、逃げ出す彼女の進路に立ちはだかる。
さっき逃げ出した消極的な加害者たちと違って、彼女は積極的な加害者。
見逃す理由がない。
「エミ、逃げろ!」
顔面蒼白で絶望している標的の彼女のお腹に、ナイフを刺そうと思っていたら、横から男子にタックルされてしまった。
これが日常で、男子から積極的なアプローチだったら、抱いた感想も変わってくると思うけど、いまの私にとっては、ただ、邪魔でうっとうしい。
まあ、日常だったとしても、タックルのような強引なアプローチは嬉しくないかな。
それよりも、同学年の男子に全力でタックルされたのに、微動だにしない私はなんなんだろう。
これも、鬼とか、レベルとかの影響?
「タ、タッくん」
標的の女子は戸惑いながらも、教室のドアを目指して走り出す。
この私の腰にしがみつく推定タッくんは、標的の女子と恋人関係にあるのかな。
自分の命を顧みないで、恋人を助ける。
素晴らしい。
感動した。
けど、邪魔。
しがみつくタッくんを蹴り上げる。
「ガッハァ」
タッくんが床に倒れて、吐血した。
インドアな中二女子に、蹴られて吐血とは、タッくん貧弱すぎる。
…………うん、冗談です。
ちょっとした、現実逃避。
明らかに、私の身体能力が上がりすぎている。
あの謎の声は、無意味な幻聴なんかじゃなくて、肌の色が変化する以上の影響が出ている。
それはともかく、医学の知識なんてない素人だけど、自分の吐いた血の上に倒れたタッくんのダメージがそれなりに重傷だと、推測できる。
助かるか、死ぬか、わからないし、興味もない。
積極的に殺そうとも思わないから、追撃を加えたりしないけど、彼の生き死にを心配したりもしない。
私の殺しを邪魔したんだから、これくらいのペナルティは受けてもらう。
標的の女子は、教室のドアの目前まで移動していた。
彼氏は命がけで、時間を稼いだのに、彼氏の心配をしないなんて薄情な彼女。
それとも、共倒れの愚を犯さない、合理的な決断と見るべきかな。
まあ、どっちでも、彼女の結末は変わらない。
駆け出した私は、彼女がドアに手をかけるまでの間に余裕で追いついて、背中にナイフを突き立てる。
「アッアアアアァァァー」
彼女は叫びながら痙攣して、ドアにもたれかかるように崩れていく。
「薄情な皆さん、ご協力感謝します。自己愛の肥大した皆さんは、私が教室を出たら、お好きにしていただいてけっこうです。まあ、私の行動の邪魔をしない範囲で、ですけど」
いまにも死にそうな青い顔をしたクラスの連中に、適当な感謝の言葉を告げて教室を出る。
「「「オェエエエ」」」
閉めたドアの向こう側から、複数の嘔吐する音と、人が倒れる音が聞こえてきた。
私の精神を追い詰めて、すり潰した連中にしては、なんとも繊細で脆弱な精神をしてる。