始まり
母が死んだ。
最愛の家族で、かけがえのない大切な母が死んだ。
なのに、
それなのに、
私の心を満たすのは、悲しみや寂しさじゃなくて、そっとため息をついたときのような安堵だけ。
私、獅子堂リオが母をなによりも愛していたことに、間違いや嘘なんてない。
そう…………嘘なんてない。
父が早くに死んで、母一人で私を育てるために、文字通り命を削ってくれたことは、この胸に深く深く刻まれている。
やせ細りボロボロになりながら、それでもこけた頬で優しい笑みを向けてくれた母。
何年も同じく服を着て、最低限の化粧すらままならず、オシャレなんてかえりみずに私を育てることをなにより優先してくれた母。
それは、間違いなく真実で、心を振り返れば、鮮明に思い出せる。
でも、
だけど、
母は知らない。
知らずに、死んだ。
知ることなく、この世から旅立ってくれた。
私が学校で、イジメられているということを。
私は小学校高学年の頃から、中学二年の現在まで、継続的に途切れることなくイジメられている。
例えば、私はいつの頃からか、母の作ってくれたお弁当を食べた記憶がない。
どんな味をしていたのか、思い出すことができない。
けど、どんなメニューだったかは覚えている。
彩り豊かで、お金はないけど、午後の授業で空腹にならないように、創意と工夫がなされた母らしいお弁当だった。
でも、そのお弁当が台無しになる光景は何度も見た。
…………いえ、見せられた。
ある時は、わざわざ連れてきた犬に食わせていた。
ある時は、地面にぶちまけて、靴で執拗に踏みつけられた。
ある時は、トイレに流された。
いつでも、あいつらは笑っていた。
あいつらは、なんでもないヒマつぶしだとでもいうように、笑いながら母が一生懸命作ってくれたお弁当を台無しにした。
そう、事実、あいつらにとって、深い意味も思いもない、あれは適当なヒマつぶしでしかない。
それでも私は、毎日、お弁当箱を洗って、母に感謝の言葉を告げていた。
その言葉に嘘はない。
食べられなかったし、味もわからないけど、毎日、私のためにお弁当を作ってくれたことは偽りなく嬉しかった。
イジメられていても、
辛くもなくて、
悔しくもなくて、
怒りもわかなかった。
そんな感情は最初の一ヶ月で、ボロボロに擦り切れてとっくに磨耗した。
ただ、母に気づかれないように、
バレないようにという思いで一杯だった。
そう、それだけが不安だった。
毎日、母にイジメられていることを気づかれて、さらに心労をかけてしまうんじゃないかと、気が休まらなかった。
それに比べれば、学校での出来事なんて、些細なことでしかない。
学校で私の使う机や椅子が、多種多様な人格否定と人生否定を羅列した文字で汚れていても、それを周囲の連中が笑うか、軽蔑の眼差しを向けてきても、それを目撃した教職員がなぜか被害者のはずの私を徹底的に罵倒しても、些細なことでしかない。
死を暗示するように花瓶が机に飾られても、周囲の連中から無視されても、汚物のように扱われても、些細なことでしかない。
ただ、服や露出した肌への暴力は、汚れたり傷やアザが残ると、母にイジメが気づかれてしまうかもしれないから、少しだけ嫌だった。
でも、耐えられた。
出てこようとする感情にフタをして、耐え切った。
友人も味方もいない孤立無援で、楽しくも嬉しくもない灰色の日常だったけど、母を思えば沈黙して耐えることなんて、なんでもなかった。
でも、もう必要ない。
こんな我慢も必要ない。
こんな気づかいも必要ない。
ただ、通り雨が退ることを願うように、耐え続ける必要もない。
だから、解放された私の心には、母を失った悲しみよりも、母の前で強がらなくいいと安堵で占拠されている。
けど、母の死を悲しみとして、感情のままに涙を流して悲しめないのは、なんだか薄情な気がして少しだけ寂しい。
それでも、いつか時間がたって、落ち着いたときに、悲しみを悲しみとして表出できるかもしれない。
まあ、でも、それ以外にも、母の死は私に色々なことを教えてくれた。
人が死ぬと、それなりにお金がかかり、けっこうな手続きを必要とすること。
死後でもお金がかかるというのは、なかなか世知辛い。
他にも家族が死んだ人間に近づいて、営業をかけてくる連中がいるのは、たくましいとすら感じてしまった。
まあ、死後の徳だの安心だの言われても、まったく心に響かなかったけど。
生前の母が苦しいときにいない人が、死んだ母を幸せにできる?
ありえない。
それに、どうしても、死後というものに共感できなくて、母の遺骨を母じゃなくて、ただの骨という物にしか思えなかった。
だから、母の遺体は火葬して、遺骨になったら行政に引き取ってもらった。
そして、他にも、死肉を食い散らかすハイエナのような人間は、どこにでもいるということを教えてくれた。
母の死を知ると、会ったことも、聞いたこともない、遠い親戚という連中が弁護士と一緒にきて、未成年の私の後見人として面倒をみるから、この家に引っ越してくるというのだ。
この家の住宅ローンは、死ぬ少し前に母が払い終えているから、あの連中には魅力的な資産に見えたのかもしれない。
納得できないし、嫌だったけど、特に抵抗とかはしなかった。
こういうことには慣れている。
世の中は理不尽なことで満ちている。
向こうに弁護士がいる時点で、未成年の無知な子供が騒いでも、状況は覆らないと察することができたから。
昨日、もろもろの手続きと、話し合いという一方的な通告を終えた自称親戚だという連中は、一週間以内に引っ越してくると告げて帰っていった。
まあ、そこまで、この家に住みたいなら好きにすればいい。
私はそれに付き合うつもりはない。
学校の制服に着替えて、必要な物を通学に使っている学校指定のスポーツバッグに入れて、身支度を整える。
スポーツバッグを玄関に置いたら、用意しておいた複数のサラダ油のボトルを手にして、家中にまいていく。
平均的な二階建ての家だけど、家中に満遍なくサラダ油をまくのには、予想よりも時間がかかった。
本当はガソリンか灯油がよかったんだけど、悪目立ちして通報されそうだったので、自重して特売のサラダ油にしてみた。
冷静に考えてみると、大量のサラダ油を未成年の私が購入したのは、それなりに悪目立ちしたかもしれない。
でも、ガソリンや灯油と違って、サラダ油なら不審に思われても、通報されないと思うからセーフかな。
玄関を開けて、家の中を振り返る。
…………油臭いだけで、心に去来するものがなにもない。
心が死んでいるようだ。
走馬灯のように色々と思い出すかと思ったけど、なにも浮かんでこない。
この家がなくなって、二度と戻ってこないから、もっと情緒的な気分になるかと思ったけど、そうでもなかった。
一本のマッチに火を付けて、油をまいた場所に投げ落とす。
すぐに、火は家中に燃え広がるけど、最後まで見ないで玄関を閉めて、振り切るように、振り返らずに登校する。