第七話 摩訶不思議な世界
そんなこんなで、幻中遼太郎は『異世界召喚』された。だが、まさかどこにでもあるような鏡から、その様な現象が起きるとは思ってもみなかった。まだ夢を見ているような気分だ。
でも、夢じゃない。現実だ。美和も人質に捕られている。
黙って従うしかないことに、遼太郎は歯がゆい気持ちに駆られる。
しかし、遼太郎は鏡人に怒りはあるものの、憎むことはできなかった。遼太郎が不甲斐ないばかりに、鏡界で言う不幸、『表面上裕福な暮らし』をずっとせざるを得なかったのだろう。自分の生き方が惨めだと思う境遇は、きっと同じだ。
これは罰なんだと、遼太郎は自分に言い聞かせる。
鏡人が満足するのを鏡側から見守る。今はそれに耐えて、美和だけは何としても守らなければならない。
鏡界に飛ぶ前に、不意に掴んだマフラー。美和が遼太郎の誕生日に初めてくれたプレゼントだ。
大学に行くとき、常に着けていたマフラーがほつれ始めたのを気にして、美和が密かに編んでくれていた。
休み時間に、編み物をしている美和に「何作ってるの?」って聞いたら、「な、なんでもいいでしょ!」って突き放されたのを遼太郎は思い出す。無邪気で素直なくせに、当日に限って、照れ隠しつつ渡してきたあの顔は忘れられない。
「ほんと、俺は美和に救われたんだ。あの入学試験の時、彼女に出会わなければ……。きっと、俺は……。だから今度は俺が救う番だ」
遼太郎はそう自分に言い聞かせる。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「さぁ、ここが鏡界だ。見たまえ! 鏡は同じでも、部屋も間取りも生活も、全く違うだろ?」
辺りを見回すと、そこには華やかな世界が広がっていた。
「なんじゃこりゃー」
明らかに遼太郎の住む部屋とは真反対の世界。
シャンデリア、ステンドグラス、高級そうなダイニングテーブルと椅子、大型のテレビとソファー、庭にはプールが付いている。高級ホテルなんじゃないかと、遼太郎は召喚先の誤送を疑う。
「鏡の世界、気に入ったろ? 遼ちゃんにとって幸せなものだらけだ」
「それは、憧れだらけだけど」
あんなに嫌がっていた『入れ替わり』なはずなのに、高級部屋に入った途端、遼太郎の心は舞い上がっていた。
「何故こんなにも違うんだ? 鏡に映っているときは現実と同じ背景だったのに」
「鏡に映るときだけさ、あれは。境となる鏡の本質だけが残り、空間が自然と出来上がる。後は話した通り、鏡の役を演じる。現実に支障がないようにね。それと、鏡界には法則がある」
「法則?」
「この世界で言う常識や特徴みたいなものさ。テストに出るぞ?」
そう言うと、紙を取り出し、続けて鏡人はルールを読み上げた。
一、現実と鏡界とは容姿と心の充足感、趣味を除き、正反対の特質や立ち位置、性格を持つ。
二、演技時間、及び、鏡界内で鏡の存在を現実者に知られてはならない。上記を破った者は現実者、黙認者をも含み、後日消滅の運命をたどる。
三、鏡界は天界、地獄界、現実世界、あらゆる未知との橋渡しを行う。
四、鏡界で起きることは、全ての世界に影響を与える。逆に、他の世界で起きた出来事にも影響をうける。バランスを保つために互いが互いに影響しあう関係にある。
五、現実で存在するものと鏡界で存在するものとで比べると現実の方が強い。つまり、現実に存在していたものが仮に失われると、鏡界でも失うが、鏡界で存在していたものが失われても、現実では失われない。あくまで、鏡界は現実の一時的な写し絵。仮初の存在。また、鏡界のものを現実に持っていくことも条件が整えばできる。
六、不幸によって幸せを感じ、裕福によって絶望を感じる体質を鏡人は持つ。
七、演技時間は管理者により動向を監視されている。
八、演技を磨き、鏡の役割を全うしましょう。
「以上がこの世界の理。法則さ。わかったかい?」
遼太郎は手を挙げて質問する。
「お前らって、演技の対象者の事を現実者って言うんだな」
「鏡人の位置付けは『真似をする従者』みたいな感じだからな。現実の人以外も真似ることが時々あるけど、その時もマスターって言うぜ」
「なるほど。その紙、貰えるかい? 忘れそうだ」
「遼ちゃん、記憶力弱すぎじゃない? 面倒だから気合で覚えて。まぁ、慣れだよ、慣れ。やるっきゃない」
くっそ、ぶん殴りてぇと、遼太郎は右手で拳を作り、グッと堪える。
「兎に角、遼ちゃんは先ず練習だ! 少しでも鏡のように動けるようにするんだ。でないと、怪しまれる……。それは、マズい」
鏡人は珍しく焦っているようだ。
「そんな直ぐに、出来る芸当ではないと思うが……」
「つべこべ言わない! 最悪は俺が真似するからさ」
それ鏡の意味なくないかと、遼太郎は鏡人の矛盾に心の中で突っ込みを入れる。
仕方なく、遼太郎は鏡人から指導を受けようとやり方を伺う。
「で、具体的にはどうするんだ? コツとかないのか?」
「うーん、勘ですな。台本読めばいい。顔を向ける方向も指示されてるし。兎に角、怪しまれない様にするしかない!」
「それで上手く行くのかよ……」
教える気がない事に呆れつつも、多分そうなるだろうなと遼太郎は予測していた。徐々に鏡人のペースをつかみ始める。
「フィーリング! 感じるままに生きるのさ! と、まぁこんな感じのところなので、後は宜しく~」
鏡人は、例の鏡を介して現実世界に入ろうと足を伸ばす。
「お、おい。待て。話は終わって……」
「二人が同時に存在できる時間は限られているんだ。じゃあな」
鏡人はいつものペースで遼太郎をお構いなしに、そそくさと現実へ去っていった。
「俺の彼女に変な事したら、ただじゃ置かないぞ!」
「あ~、わかってるよ~。大丈夫、大丈夫。デートも卒なくこなすから」
声だけが鏡から聞こえ、しばらくすると普通の鏡に戻った。
遼太郎は鏡界に一人取り残される。これからどうしたものか。
身の回りのものは、確かに現実世界で欲しかったものばかりだ。人気アニメの期間限定フィギュアが棚に飾られている。それを見て、遼太郎は不意にフィギュアへ手を伸ばす。
が、触れる直前になって手を止める。本当にそれでいいのだろうかと、遼太郎は立ち止る。
『入れ替わった』とはいえ、自分はこの家の主人ではない。鏡人は現実を堪能するまでが拘束の条件とか言っていた。それが終わったら、自由にしていいとも言っていた。
余計な問題を起こさないように、今はやるべきことをしようと、遼太郎は気持ちを入れ替える。
先ずは、自分にとって不利なこの状況を変えよう。その為にも、この世界の情報を集める。
遼太郎はクローゼットの扉をを開け、中に掛けてあった高級そうな服一式とジャケットを手に取り着替えると、外に出ようと扉を開けた。
が、どこを開けようとしても、大通路に繋がるか、扉だらけになる。
「一体どこが出口なんだ?」
かれこれ二時間以上歩き続けている。
途中でメイドとすれ違ったが、出口はどこか聞いておけば良かったと遼太郎は反省する。
というか、メイドもいるのか。
「はぁ、はぁ、はぁ……。何だ、この迷宮は」
散々歩き続けたが、遂に一周回って元の部屋に戻ってきてしまった。
「ご主人様、管理者から演技台本が届いておりますの」
メイドが話しかけてきた。
フリルのついたフェミニンなメイド服を着ているが、見た目はとてもクールでおしとやかな感じだ。白銀の髪をポニーテールに結んでいて、目は薄い青色。手足は細く、お人形みたいだ。正に異世界にぴったりというか。そんな雰囲気を漂わせる女性だ。ついでに、胸も美和より大きい。
「何をじろじろと見ておりますの? 早く準備をお済ませくださいまし」
マジか、もうやるのかと、遼太郎は焦る。まともに真似のレクチャーを受けていない。
「十分後が本番ですの。準備ができましたら、鏡の前までお越し下さいまし」
遼太郎はなんて呼びかけて良いのか分からず、咳払いをして、少し紳士風にメイドに話しかける。
「き、君、私を誰だと思っているのかね?」
「失礼致しましたわ、ご主人様。何か粗相がありましたかしら?」
メイドは頭を下げる。
「うむ。そうではなくてだな」
「はて? では一体?」
顔を上げ、上目遣いでメイドは尋ねられている内容を確認する。
遼太郎は緊張しつつ、咳払いする。
「聞いていないかね、ほら、客人が来るような予定を」
「いえ。伺っておりませんの……」
鏡人はどうやら何も伝えていないらしい。
「ええっと、なんでもないのだ。気にしないでくれ」
不思議そうにメイドは遼太郎を見つめる。
「はぁ。どことなく今日のご主人様は挙動不審なように見えますの……。まぁいいですわ。早くご準備を」
メイドは台本と衣装とをまとめて遼太郎に差し出した。
「あ、これはどうも」
「それと、私は君ではありませんわ。いつもはソフィアと呼んで下さいますのに……」
ソフィアは怪しげに遼太郎を見つめる。
面倒な空気になってきたと、遼太郎は誤魔化しの言葉を考える。
「いやぁ~、うっかりしてたなぁ~。昨日、ワインを飲み過ぎたせいかな~」
「本当にしっかりしてくださいまし。鏡人としてのお役目を果たさなければならないのですから」
「ああ、大丈夫だよ。ありがとう」
「それよりいいのかしら? 本番まで後三分ですの……」
「えっ! マジか!」
遼太郎は、口調を気にする余裕がなく、慌てる。
「ちょっ、ちょっと待って。まだ台本も読んでないんだ」
ソフィアはいつもの様子と違う主人を不審に思ったのか、首を傾げる。
遼太郎は急いで衣装と共に更衣室へ飛び込む。着替えが終わると、残り時間が一分を切っていた。
台本を開くと、『洗面所で歯を磨く』と、ごく有り触れたシーンが書かれている。パジャマを渡された理由に納得。もう見様見真似でやるしかない。
「ご主人様~! お時間ですわ。台本をお預かりしますの。行ってらっしゃいませ」
ソフィアの呼び掛けが聞こえ、更衣室を飛び出る。
台本をソフィアに渡すと同時に、周りの風景が歪みだした。