第六話 交渉という名の脅迫
『ならばこちらにも考えがある』という鏡人のセリフが頭を過る。あれはやはり夢じゃなかったのかと、遼太郎は詰めの甘い自分の行動に後悔する。
駆け足で駅に向かう途中、ズボンのポケットに振動を感じた。すぐさま電話を取る。
「ふぁ~、おはよう、遼くん」
腑抜けた第一声を聴いて、緊張の紐が解けた。
「大丈夫か⁉ 何かあったんじゃないのか?」
「えっとね、夜中に誰かの視線を感じたの。最初は気のせいだと思って、お布団に入ったんだけど、目を瞑っている間、誰か私に乗っているような重さを感じて。でも、目を開けても誰もいなくて。それでも気にしない様にしてたら、首を絞めつけられるような感覚があって」
美和の生命に関わる危機が迫っていたことに、遼太郎は気が気ではない。
「なんだか怖くなって、電話したんだけど……」
話から鏡人の仕業ではないかと、遼太郎は推測。
「美和が無事で良かった。今は大丈夫なんだよね?」
「特に今は何ともないよ。目を瞑るとそれが起きるから寝る訳にいかなくて。それで太陽が出れば、遼くん起きるかと思って、場所も台所に移って無理やり起きていたら、流石に限界だったみたいで。眠くて十分ぐらい寝落ちしちゃったよ」
かなりの無茶と危険に遼太郎は気が動転する。
「えっ! さっきまで起きていたって事⁉ ほんとごめん。大変な時に……」
「うん、良いの。途中から逆に心配になって私も電話かけすぎちゃった。時々突っ走っちゃう所あるから、気を付けないとだね」
電話越しに「えへへ」と照れる美和の声。照れている様子が目に浮かぶ。
「傍で見張ろうか? 何かあってからじゃ遅いし」
「ううん。大丈夫。今日仕事もあるし。声聞けて元気出たから」
「それなら、良かった。今日は仕事早く上がって、ゆっくり休むんだよ。何かあったらすぐ連絡するんだよ。今度はスタンバっているから」
遼太郎の心配節が炸裂する。
「あなたは私のお母さんか!」
「彼氏です」
美和はクスッと吹き出して笑う。
「知ってるよ、そんなの」
「じゃあ、気を付けてね」
「うん、ありがとう。またね」
とりあえず命に別状はない事が分かって、遼太郎はふうと、胸を撫でおろす。
スマホを切ると、昨日登録した占いサイトから新着メッセージが入っているのを見つける。見出しが『今日の運勢』という内容でURLが貼り付いている。それを選択すると、昨夜見たように占い内容が表示された。
~今日の運勢~
今日は、チャンスを逃してしまわない様に注意しましょう。人生における大きな節目を迎えています。その為、沢山の誘惑やチャンス、同時に危機が訪れます。大事な局面で正しい決断をすることができれば、後にチャンスが訪れます。誤った選択をすると大きな悲劇が起きてしまうかもしれません。今のあなたにとって大切なものは何なのかをもう一度、振り返りましょう。
~未来へのアドバイス~
場合によっては、一方的に選択を強いられる決断もある運勢のようです。恐れずに進めば、その勇気ある行動に助力してくれる仲間が現れます。尻込みをしてしまうと、大事な何かを失うかもしれません。恐れないことが未来を切り開きます。
~ラッキーアイテム・キーワード~
スマートフォン・大切な方からのプレゼント・未知
「おいおいおいおい。何だよ、ほんとに」
思わず声が出てしまった。心当たりがあることだらけで、まるで自分を見透かされているような感覚に陥る。
遼太郎は怖くなって、スマホの電源を切る。やはり、どこかから見られているかもしれないと辺りを見回す。また美和の身に被害が及ぶかもしれない。
遼太郎は急いで家に帰ると、机の引き出しから鏡を引っ張り出して自分を睨みつける。
「よくもやってくれたな‼」
鏡からは返事がない。遼太郎は鏡の自分に向かって叫ぶ。
「とぼけても無駄だ‼ 美和に手を出しただろ? 何故そこまでした?」
ニヤッとあの不気味な笑みを浮かべ、鏡人が口を開く。
「俺は何もしていない。少なくとも『俺』はね」
鏡人はこちらの様子を愉快げに伺っている。
「どういうことだ」
「手を回したということだ」
遼太郎は怒りを抑えきれず、鏡を床に叩きつけた。が、柔に見えるそいつは、びくともしない。いつもの如く、鏡人は話を続ける。
「彼女に手をかけるのは簡単だということはわかっただろ? 悪く思うな。そもそもお前が直ぐ決断しないから、こうせざるを得なかったんだ。まぁ、上手く行かないだろうと思って、最初から脅迫するつもりだったがね」
「なんだと」
「昨日、お前が断った段階で彼女の鏡を弄らせてもらった」
遼太郎はスマホを取り出そうとする。
「彼女にそれを言ってみるつもりかい? 直ぐに跡形もなくなるぞ」
何もできず、そのまま携帯をポケットに入れる。
「毎日鏡ぐらい見るよな。女性ならなおさら。そのタイミングで、相方に殺ってもらう算段だ。つまり、俺の目の色が黒い内は、彼女は人質ってことだ」
「そんな……」
「残念だが、俺の方が一枚上手ということだ。そもそも、お前は契約ができる立場ではなかったんだ。だが、そこをだ、あえて交渉にした。わかるかな?」
「わからない。何故だ?」
素直に鏡人は答える。
「お前を殺せば仮初である俺も存在がなくなる。例えバレずに現実の人を殺しても、自分が不幸でなければ満たされない。理不尽なことに、お前が不幸になればなるほど、俺は益々裕福になる。それじゃつまらないじゃないか。飽き飽きなんだ。お前を殺しても、俺の望みは解決しない。だが、お前が強行してまでこの話を断るのであれば、不本意だが俺は殺人も躊躇わない」
「……」
遼太郎は言葉を失う。
「これはお互いにとって実にいい話だろう? この話に乗ってくれるよな?」
これは、既に交渉ではない。脅迫だ。
「じゃあ、条件を出そう。俺が堪能するまで、我慢するんだ。その間に問題を起こせば、どうなるかわかるよね? その後は、遼ちゃんが望むようにすればいい。鏡界から抜け出せればの話だがな、あははは。さぁ、取引再開だ。俺と入れ替われ! そして、お互いに幸福を得ようじゃないか。言っておくが次はない、その時は容赦なく消し屑にする」
以前のように断れば、鏡人は不本意ではあるが彼女を殺す。幸福を得るために鏡人は手段を選ばないだろう。そのうえで、強引に鏡界に引きずり込むだろう。
甘かった。でも、幸いなことに命までは取らない、交渉したいと言ってきている。現実の人を殺すこと自体に大きなリスクがあるのか。それとも、奴が言う通り、満たされたいだけなのか。何かまだ怪しいところがあるが、この運命から逃れられないのならば……。占いも、ここまで当たると信じるしかなくなる。
「さぁ、どうする? 彼女の死か、それとも、鏡界で変わり身となるか、選べ」
「お前にとってはゴミ同然でも、俺にとって、彼女が全てだ。もう何も俺には残っちゃいない。ここで失ってたまるか。いいだろう。救う道がこれしかないのならば、悪魔に命を預けようじゃないか」
恐怖を誤魔化してなのか、遼太郎は笑みを浮かべながら、悪魔の質問に応えた。
鏡人はそれを聞くと、歓喜と絶望とが入り混じった何とも言えない声で高らかに笑った。
「素晴らしい……。素晴らしい‼ それでこそ、遼ちゃんだ。そうだよな、そうでなくちゃつまらない。これで、目的を達せられる。遼ちゃんの分まで、全うしてやるよ」
鏡から手が伸びてきた。少しビビりながらも、その手を取って握った。上等だ。
「交渉成立だ。ようこそ、鏡の世界へ。鏡の理を授けよう」
そう言うと、鏡人は握った手を鏡に引き込み、遼太郎を中へと誘った。