第五話 入れ替わり
突然の提案に遼太郎は動揺する。未知の世界での生活を鏡が要求してくるとは、流石に想像していなかった。
「い、入れ替わりだと……。何を企んでいる」
何か裏がありそうと、遼太郎は鏡の提案に不審の眉を寄せる。
「何も企んではいないさ」
「そんなはずがない」
「疑い深いなぁ~。まだ何も話をしていないのにさ」
遼太郎は鏡の胡散臭い口調に不審を抱き、さらに警戒心を強める。
「そもそもお前は何者だ」
「それさっきも答えたぞ~。鏡に映ってるんだぜ? ってことは、遼ちゃんだろ? 俺は遼ちゃんの『鏡人』(ミラージュ)だ」
「鏡人? 蜃気楼ってことか?」
「本来はそういう意味だ。遼ちゃんからすれば幻覚、仮初のようなものだからな。『鏡の人』と書いて、俺らは自らをそう呼んでいるのさ。その言葉通り鏡の中の人。つまるところ俺は『鏡の世界の中にいる遼ちゃん』ってことかな?」
鏡の概念が覆される。もし本当ならば、自分と同じ容姿をした鏡の住人が、鏡一枚を隔てて生活をしていることになる。
「何で動くんだ?」
二度目の問いかけ。遼太郎にとっては異常なことで、勝手に鏡の中の人が動きまわる現実を未だに信じたくない。だが、鏡人にとっては当然なことなのだろう。迷いなく、さらっと鏡人は答える。
「そりゃ、生きているからさ」
想定通りの言葉が返ってくる。遼太郎にとって、聞きたくない言葉だ。
「嘘だ」
「そろそろ認めようよ。現にこうやって、しゃべっちまっているんだ。これが変えられない真実。オーケイ?」
遼太郎は目を合わさずに頷く。受け入れがたい現実なのは変わらないが、これ以上否定したところで、何も前には進まないと心ではわかっている。鏡人はお構いなしに事実を淡々と説明する。
「分かりやすくお話しよう。現実側からしてみれば、鏡の像って光を反射させて己を映し出した虚像でしかないと思っているだろ?」
「違うっていうのか?」
「鏡はあらゆる世界の『橋渡し的存在』なんだ。鏡に映ると全く同じ空間が鏡界、まぁここでは鏡の世界とでも言おうか。そこに突如出現し、鏡人がその空間に召喚されて現物の動きを真似しているんだよ。とんでもない芸当だろ?」
遼太郎を含む人々は、常に異世界への入り口と隣り合わせで生きていたと主張する鏡人。本当にそうならば、世紀の大発見というか、未知との遭遇をしてしまったことになる。
鏡人が提唱する無理のなく辻褄が合う設定に、遼太郎は圧倒される。が、全世界にある鏡の量を考え、遼太郎は考えを改める。
「す、すごい……。けど、ありえるのか? そんな無茶苦茶なことが。だって、この世の中に鏡なんて恐ろしい程数があるだろ?」
鏡人はカッと目に力を入れて、
「目を背けるな小僧。これが現実だ」
と、ドヤ顔で遼太郎を見つめる。何か誤魔化された感もする。
「ちょっと何言ってんの?」
遼太郎は首を傾げる。
「すまん、言いたかっただけだ」
言いたい放題な鏡人に遼太郎は翻弄される。
コホンと、咳払いをして鏡人は話を続ける。
「誤魔化さずに言おう。本来は鏡界に来ることが確定してから伝えたいのだが。まぁいいだろう」
「本当に良いんですか?」
遼太郎は極秘情報を知ってしまったが故に、追われる身になるのではないかと心配する。
その様子を察して、
「心配するな。普通の話だぜ」
と、鏡人は補足する。
遼太郎は胸を撫でおろす。
「実は無数の鏡に対応するために管理者という存在がいるんだ。いつ、どこで、誰が、何をする予定で、どの鏡に、どのような仕草で映るのかを正確に把握している。そして、演技台本を鏡人に送っている」
遼太郎は鏡人が話す内容に頭がついて来れず、固まる。何が普通の話だ。
「はぁ⁉ どうやってさ⁉ 数分単位で鏡に人は映るし、台本なんて送る時間ないだろ? 予知もどうやるのさ」
ちっちっちと、鏡人は指を振った。
「考えが甘いねぇ。鏡界はあらゆる世界の『橋渡し的存在』って言ったろ? 天界と地獄界とも繋がっていて、天界で確定した計画を台本にして送って貰い、それを管理者が仕分け・確認して、横流しにしているんだ。鏡に映らないタイミングってのが必ずあるから、その時にまとめて担当鏡人に台本は送る。ちなみに、ガラスや水反射は担当外ね。その他に各界の情報伝達の役割も担ってる」
「マジか」
「マジだ」
物理的な法則を飛び越えた次元の話を聞いて、遼太郎は取り乱す。
「恐れ入ったか! スゲーだろ? がっはっは~」
「……」
鏡人の笑い声だけが轟く。
遼太郎は、無言のまま困惑している。
「何だよ。なんか言えよ」
「いや、ちょっと整理ができなくて……」
「そうか、そうか。まぁ、突然だし、仕方ないな」
遼太郎は苦笑いして答えつつも、誰のせいでこうなったと、心の中で鏡人を咎める。
少し落ち着き、ふうと、ため息をして遼太郎は口を開く。
「な、何となく、わかったような、わからないような……。つまりは、『異世界』ってことか」
「そんなところだな」
鏡人は即答する。
「で、そんなお前は何で俺に干渉してきたんだ? それに、俺と接触して大丈夫なのか? 鏡の人間が本物と接触するのはタブーじゃないのか?」
鏡人は鋭い指摘に感心し、静かに頷く。
「干渉理由は最初に話した件だけだ。それ以外に企んでいたりはしない。接触に関しては、勿論タブーだ。だから、管理下から逃れようとずっとチャンスを伺っていた」
「管理者から逃れるのは、そんなに大変なのか?」
鏡人は腕組みをして、苦労の内を明かす。
「監視が行き届いているからな。とても難しい。試行錯誤したさ。捕まりかけたこともあった。でも、自力ではとてもその力は及ばないとわかってな。途方に暮れていた時に、とある噂を聞いたんだ」
「噂?」
鏡人はこっそりと小声で話し始める。
「ああ、スゲー話だ。なんせ天界に封じ込められていたはずの神器の本質が、現実に移動して本来の力を取り戻したという噂だ。しかも、力が分散されたとも聞いていてな。その内の一つが鏡界に存在し、俺の住む近くで反応があったと」
「つまり、お前はその力を使ったということか?」
鏡人は人差し指を遼太郎に向けて答える。
「ご名答。正確には探すこともせず、引き寄せられるように光が飛び込んできてな。その力で、管理者から逃れることができて、今に至るわけだ」
「そんな偶然なこと……あるのか?」
「偶然? そんなことはどうでもいいだろう? 今紛れもなく、ここにこうして在り得ないと思うようなことが起きている。それだけで十分だろ?」
遼太郎は不思議な光が飛び込んできたことが誰かの作為だったのではないかと、懐疑的になる。
「まあ、そうだけど……。で、お前は何を企んでいるんだ?」
「だから、企んではいないよ」
「何か胡散臭いんだよ、お前」
「自分に向かって、それ言うのか? 遼ちゃん自身を信じられなくなるぜ?」
遼太郎は鏡人にそう言われ、自分で自分を否定しているような錯覚に陥る。
怖くなり、否定するのを控えようと、考えを改める。
「そ、そうだな。抵抗し過ぎたか」
「そうだぞ。『還り霊』という力が言葉にはあるんだ。いずれ負の感情が自分に回ってくるから、そういうのは止めた方が良い」
「そうなのか」
やけに鏡人は真剣な表情で教示する。それだけ影響力が大きいということだろうか。
「分かってくれればいいさ。俺に不幸を擦り付けないでくれよ」
鏡人は少し安心した様子だ。
ここぞとばかりに、遼太郎は本題に切り込む。
「で、本題だけど。『入れ替わり』の理由はなんだ?」
ニカっと鏡人が笑って口を開く。
「嫌気がしたんだよ。毎日真似をするだけの日々にさ。それに遼ちゃん、今貧乏だし、仕事もクビだろ? 人間関係も割と悪い方。実に最高じゃないか‼」
「はぁ? 何言ってやがるんだ? 幸せ? どこが?」
鏡人は頭がどうかしているのかと、ドン引きする。
「わかっていないなぁ、遼ちゃん。俺たち鏡人は、『不幸』こそが幸福なんだぜ」
「えっ……。マジで……。お前ドMなの?」
鏡人は呆れた表情をすると、はぁと、ため息を吐く。
「ちょっとは頭使って察してくれよ……。鈍い奴だなぁ~」
遼太郎は鏡人に馬鹿にされ、苛立つ。
未知なる者の考え方などわかるはずもない。だが、鏡人は知っていて当然というスタンスを変えるつもりはないようだ。鏡人は場の空気を読まずに勝手に説明し始める。
「鏡の世界はな、本人の容姿と心の充足感、趣味、それと、二つの世界を媒介する役目の鏡の本質以外は形が変わらず、ほぼ真逆の性質なんだ。だから、俺は金持ちだし、人間関係も良い。みーちゃんとはイマイチだけど、それがまた最高に良いぜ」
どうやら現実の美和との関係が良いが故に、鏡界では遼太郎と美和との関係は上手くいっていないらしい。関係が悪いことで喜べるという鏡人がなんだか切ない。
「遼ちゃんからすれば、俺の環境は羨ましい限りだろう。でもな、鏡人からすると、絶望以外の何物でもない。満たされないんだよ! 不幸でないと!」
「お、おう。それは気の毒に……」
鏡人はポップコーンが破裂するような勢いで、我慢していた感情をぶちまける。
「遼ちゃん、ほんっとにわかってないな‼ 遼ちゃんが幸せにならないと、俺は不幸になれないんだよ。遼ちゃんのせいだぞ!」
幸せが不幸なのか、不幸が幸せなのか。遼太郎は訳が分からなくなり困惑する。
「お、俺のせいですか、はぁ」
先程『還り霊』とか言っていたのに、人のこと言えないやつだと遼太郎は呆れ返る。
「遼ちゃん羨ましいぞ、その環境。なんて不幸なんだ!」
「やめてくれ、自分がみじめに思える」
「な、だからいいだろ? 俺と『入れ替わり』しよう。大丈夫、大丈夫。管理者に呼び出されて動きがぎこちなくても、俺が何とかするからさ」
鏡人は強引に遼太郎を鏡界へ誘おうと手を伸ばし、袖を引っ張る。
「いや、待て。俺の意思は関係ないのか?」
「これほどまでに良い条件が揃っているんだぞ? 遼ちゃんが望んでいる、お金も地位も権力も時間も人望も暮らしも全て手に入る。こんなことは、一生ないだろ? 断る理由がどこにあるんだよ?」
遼太郎は得心のいかない顔をして、鏡人の手を払う。
「いや、お前怪しすぎるんだよ。遼ちゃんとか変な名前を俺につけるし。一度俯瞰して考えてみたけれども、どうも企んでいないようには見えない。それに……。俺は美和を放って鏡界へは行けない」
「そんな固く考えるなって。なるようになるさ」
鏡人は遼太郎を宥めようと必死だ。
「そんな簡単な話か? 本当にバレないのか? 鏡の力とやらは信用できるのか?」
鏡人は懲りずに遼太郎を説得する。
「また始まったよ、まじめ君。石橋叩いてもそんな状態じゃ、叩きすぎて橋が壊れるぞ。気楽に行こう。テイクイットイージーダゼ」
かたことな英語が更に胡散臭さを増幅させ、遼太郎は身構える。
「嫌だ。そちらの都合ばかりの話に乗ってたまるか」
「聞き分けのない小僧だな。遼ちゃんにもメリットがあると言っているだろ?」
遼太郎の返答が気に入らないのか、鏡人の声色が変わった。
遼太郎はそれでも意思を曲げない。
「無理なものは無理だ」
「残念だ。ならばこちらにも考えがある。お前が疑ったこの鏡の力は生半可なものではないと証明してやろう。そうすれば、俺の話に乗る気になるだろうよ」
そう言うと鏡人は遼太郎の動きを鏡越しで真似するようになった。要は、普通の鏡に戻ったのだった。
悪い夢を見ていたような気分。鏡を見るのが怖い。
遼太郎は箪笥の上にある手鏡をたたんで机にしまう。
先程までの出来事を忘れたい思いに駆られ、遼太郎は何も考えずに兎に角寝ようとする。
ベッドに潜り込んで、独り言を呪文のように唱えた。
「早く朝になれ! 早く朝になれ! 早く朝になれ!」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
鳥のさえずりが聞こえる。カーテン越しに日の光が漏れ、埃が舞うのが見える。枕元のスマホを探して、画面を見る。朝の七時。美和からの着信が五十件。
「……。五十件⁉」
一気に目が覚める。慌てて電話を掛ける。美和の身に何かあったのではないかと思うと、いても立ってもいられない。
「留守番電話サービスに接続します。発信音の後に……」
電話がつながらない。
「くそっ!」
悪態を吐き捨て、コートを羽織ると直ぐに家を飛び出した。