第四話 そして、誘われる
昨日まではあの店員はいなかった。新入りだろうか。そう考えている内に家に着く。
夜道がいつも以上に怖かった。速足で歩いていたせいで、呼吸がまだ落ち着かない。
急いでドアを開け、部屋の中に入って鍵を閉めると、コンビニ飯をテーブルに置いて、遼太郎はすぐさまベッドに飛び込む。今日起きた色々な出来事を吐き出したい思いに駆られ、声が響かないように枕に向かって叫んだ。
「ああああああ~! 疲れた~。ちくしょ~。なんでこうなった~‼ それに、めっちゃ怖え~」
叫び終わると、遼太郎はごろりと横に寝転がり、大の字で仰向けになって天井の模様を見つめる。先程の事があってか、模様までが怖く見える。
恐怖を紛らわそうと、遼太郎は無理やり美和のことを考えた。
言うか言わないかは別として、電話はしようと決断。うだうだ悩んでも仕方ない。
ベッドから起き上がり、電話に手を掛けたその時、着信が入った。
「うわぁっ!」
遼太郎は驚いてスマホを投げてしまう。恐る恐る画面を覗くと、美和からの着信。なんという偶然。このタイミングで。
「もしもし、遼くん? 今電話大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ、珍しいね、そっちからかけてくるなんて。どうしたの?」
まさか美和の身にも何かあったのではないかと、遼太郎は不安に駆られる。
「ええっと、大したことじゃないんだけど。ちょっと遼くんが最近元気ないかなーと思って」
遼太郎は勘の良い美和に動揺する。その場に正座し、電話を続ける。
「美和には、お見通しなんだなぁ、いやぁ、恐れ入ったよ」
「そうだよっ! 遼くんは何でも自分で抱え込もうとしちゃうんだから! 少しは私を頼ってね」
身に覚えがある事過ぎて、遼太郎は素直に反省する。
「ごめんよー、美和には心配させたくなくて」
「だから、そういうとこ。気を付けてね。却って心配になっちゃう」
「う、うん。いつもありがとう」
遼太郎は頭を下げる。
「どういたしまして、ふふっ。なんか今日はやけに素直だね」
遼太郎はまたもやヒヤッとする。いつもと違ってそんなに素直だったのだろうか。自分の考え過ぎだろうか。冗談めかして、今日の出来事を詮索されないよう話題を反らす。
「そうかなぁ。美和のラブコールに浸りたいからかも」
「なによ、もう。そういう冗談は要らないよー。少しは元気になったみたいね」
「うん、美和のおかげだよ」
不安要素を詮索されず、少し安心する。
「あっ、そうそう。来月の第一日曜日だけど、遼くんは空いてる?」
美和が思い出したかのように、予定を尋ねる。
遼太郎は壁に貼り付けてあったカレンダーを見る。
「三月三日だよね? うん、空いてるよ。寧ろ、美和のことならこじ開けます!」
「大事な用事をよそに彼女と会うっていうのだけはやめてよねー」
「心得ております、美和殿!」
ビシッと遼太郎は敬礼をする。
「よろしい。その日、この間のお詫びとしてお出かけしましょ。詳細はまた連絡するね。候補があったら遠慮なく言ってね」
ノリに合わせて美和も返答する。
「了解!」
「じゃ、またね~、遼くん」
「お休み~、美和」
「おやすみなさい」
遼太郎は少しためらいながら電話を切る。結局、仕事をクビになったこと、身の回りに起きた事は言えなかった。
抱え込む癖も、素直になれてないところも、未だに克服できていない。美和の言う通りだ。申し訳ない。二週間もすれば、約束のデートの日が来る。そのタイミングでなら、今回の話を打ち明けられるだろう。
ほんの少しだけだったが、美和と話せて気持ちが楽になった。本当にできた彼女だ。同い年とは思えない。
門叶美和は、エスパーなのかと疑う程察しが良い。調子が悪い時は特に、遼太郎の身を案じてくれる。
ショートボブの栗色髪は綿飴のようにふわふわで、可愛らしい大きめの瞳で見つめられると一溜りもない。それでいて、目の奥には燃えたぎるような熱いものを感じる情熱女子。女の子に使うのは良くないのかもしれないが、一言で言えば『たくましい』がぴったりだ。
一方で、可愛いものに目がないところもある。自分の格好もそれを意識するのは当然なのだが、彼女の可愛いセンサーが反応すると、我を忘れて飛び込んでいく。まるで、フリスビーを追いかける犬、ぶら下がるニンジンを追いかける馬のように。
前回のデート中のことだ。家の近くにある公園に寄ったとき、可愛らしい仔犬を見つけた途端、遼太郎をお構いなしに真っ先に駆け寄って「可愛い、可愛い~」と連呼しながら仔犬の頭を撫でていた。
その後も、どこからその体力が出てくるのだろうかと思う程、長時間仔犬と一緒に芝生を走り回っていた。無邪気と笑顔と元気の塊。遼太郎はその間、自販機で炭酸飲料を買い、ベンチに座りながらその様子を眺めていた。
でも、無理していたのだろうか。仔犬と別れた途端に力が出ないといって座り込み、立てなくなる。遼太郎は仕方なく背負って帰った。
次の日から筋肉痛で二日も家から動けず、遼太郎が身の回りの世話をした。これはこれで、美味しいシチュエーションなのだが……悲劇の始まりだった。
三連休だったことだけが救いだった。
二日目に映画を見に行く予定を急遽変更して、家でくつろいで過ごし、晩酌をした、のだが……。
お酒が入ると普段しっかりしている彼女から一変、表情がゆるくなった。突然抱きついてきたと思ったら、顔を引っ張りだす。いきなりじゃんけん大会とか言い始めて、遼太郎が負けると「ふふっ」と笑い、いきなり遼太郎の顔目掛けてグーパンを繰り出してくる。かと思うと、突然日頃の行いを反省し始め、泣き始めるといった状態。収拾がつかなかった。
翌朝、顔にあざを作って疲れ切った遼太郎を見るなり、
「えっ! 遼くん、大丈夫⁉」
と、駆け寄ってきた。
美和曰く、
「私がやったんでしょ。ごめん……。記憶がないんだけど、友達からお酒入ると美和ヤバいって言われてたの忘れてた。てへっ」
と、弁明。てへぺろをしてきた時は一発殴ったろうかと思った。ちょっと癖の強い彼女だが、大事な人であることには変わりない。面倒なところも含めて、癒しそのものだ。
「そのお詫びを込めてのデートか。映画リベンジしようか。楽しみだなぁ。あっ、でも金が……」
遼太郎は通帳を見て、はぁと、ため息をつく。
「バイトしなきゃ」
早速、ネットの海をサーフィンする。兎に角、前向きに動く。今はこれだ。
ベッドの上で寝転がりながらバイトを探すも、なかなか良い波が見当たらない。
途中疲れて、気晴らしに動画を見ていると、広告で表示された『占い』の文字を目にして、先程の女子高生の会話を思い出した。遼太郎は例の占いサイト、『未来のひとかけら』とやらを調べてみる。
『未来のひとかけら 占い』を検索ワードに入力すると、トップヒットで引っかかった。かなり噂になっているらしい。
中をクリックすると、無料占いの項目がある。早速、遼太郎は生年月日と名前を入力してみる。
無料の範囲では、今日の運勢と未来へのアドバイスが見られるようだ。登録にはメールが必須で、時折運勢が送られてくるらしい。
遼太郎はメアド入力を面倒がってそのまま退散する方なのだが、調査も兼ねているのでやるしかないと、意味の分からない理由を棚に上げる。返信メールのURLをクリックし、無料会員登録を済ませる。
ここまでは、何も変わらない只の占いサイトの雰囲気。
『診断する』のボタンをクリックしてから、数分待ち時間があった。最初はフリーズしたのかと思ったが、その後ページが移動し、真っ白なページが表示される。
そこに突然、手入力のようにリアルタイムで運勢や今後の展望が記され始める。
遼太郎は身の毛がよだつ。スマホウイルスにでもかかったのかと一瞬疑う。
真新しいタイプのサイトだ。モザイクがかかって、文字は読めない感じだったが、薄気味悪い。しばらくして、記入が終わり、『結果を見る』というボタンが表示された。どうやらこれで全てらしい。ボタンを押すと、モザイクが解け、そこに運勢が記されていた。
~今日の運勢~
今日は、唐突な出会いが沢山起きる一日となりそうです。突如仕事を失うようなハプニングもあれば、励ましや天に報われるような時もあればと、運気が行ったり来たりしています。偶然ではない仕組みと人を大切にし、未来に夢を持って前向きに進んでいきましょう。また、大きな転換や逆転劇のきっかけが起きるチャンスデーでもありますので、運気を逃さないように心がけましょう。
~未来へのアドバイス~
素直さと、未知なるものへの関心、挑戦が幸運を呼びます。一見大変そうに見ええても、それは序章でしかありません。様々なものを得る中で、大切なものを見失わずに追い求め続ければやがてその思いが成就するでしょう。焦らず、確実に前へ進みましょう。
~ラッキーアイテム・キーワード~
鏡・お金・地位・缶コーヒー・公園
恐ろしいほど、今日遼太郎が体験したことが書かれている。監視カメラで見られていたんじゃないだろうかと思う程に当たっている。遼太郎は辺りを見回して、盗撮されていないか伺う。が、当然何もない。
本当に今日は『唐突な出会い』ばかりだ。仕事を奪われ、仕事を失い、見知らぬ女の子に救われ、美和に救われ、コンビニでそっくりさんを見つけ、占いサイトに出会い、と盛り沢山だ。
しっくり来ていないところは、『鏡・お金・地位・逆転劇』辺りであろうか。お金も地位も失ってしまった。これが、良いことなのだろうか。
それと、鏡がラッキーアイテムというのも、他の内容と比べると唯一合っていない気がする。
逆転劇……。これも今日は起こり得ないだろう。人と会う約束もイベント事もない。突然、地位もお金も人も空から降ってくることでもあれば別だが。
あと五時間で今日も終わる。鏡を見つめていれば何か起きるのだろうか。ばかばかしい。そんなことで人生が変わるのならば、皆、何か問題が起きる度に鏡を見ているだろう。
でも、もしかするかもしれないと、遼太郎は嫌な予感を察知していた。あまりにも当たりすぎているからだ。
遼太郎は恐る恐る、箪笥の上に置いてあった折り畳みの手鏡を覗いてみようと立ち上がる。
次の瞬間、部屋中が光に包まれ、目の前が真っ白になった。本日で二回目だ。今回の現象は例えではない。本当に何も見えない。
「うわっ」
遼太郎は一度目を瞑る。そして、ゆっくり目を開けると、何事もなかったように、遼太郎の部屋が見える。
「あれ?」
何だったのだろうか。さっきの光は。
「さっき、一瞬光らなかったか?」
辺りを見回したが、何も変わった気配はない。気のせいだったのだろうか。
遼太郎は気を取り直し、改めて鏡をゆっくりと覗いてみる。何も変わらない自分が映ってっている。
「ほら、何も起きないじゃないか。所詮、占いは占いなんだよ」
ホッとして視線を鏡から反らしたその時、遼太郎は何かに違和感を覚える。いけないものを見てしまったような、そんな感覚があった。
鏡の自分が動かなかったように感じたのだ。
「まさか、そんなことは……」
そう遼太郎はつぶやき、もう一度鏡を覗く。
「ほらね、何も映らない」
遼太郎は身に起きたことがわからず、一瞬思考停止する。理解が追い付いてくると、恐怖を通り越して固まる。冷や汗が噴き出る。
遼太郎はまるでモニターのように何かが動いている鏡を横目で見る。恐る恐る顔の向きを変え、目の前に起きる現象を凝視。
右側から自分が現れる。鏡の自分だ。遼太郎は動いていない。そして、遼太郎の目を見てニカっと笑う。
「SAN値のチェックです」
と、TRPGのゲームマスターが定番で言うセリフが頭を過る。
「うわ~。ここで、SAN値のチェックかよ~‼」
遼太郎は独り事を言う。これはTRPGの世界なんだと思いたい一心で。そうしなければ、今にも発狂しそうだ。
「これは物語、物語だ」
震えながらテーブルの引き出しの中に閉まっておいたはずのダイスを探す。昔、友人とのTRPGで使用していたダイスがあるはずだ。探していたそれは直ぐに見つかって、ダイスをテーブルの上に転がして目を瞑る。こんな状況で一体何やっているのだろう。顔でも引っ張ればすぐわかるのに。
「よし。ここは、運を天に任すというか。俺の昔作ったキャラのSAN値が確か六十だから、それ以上の数値が出て失敗する確率はまあまあ。ダメージも五以下なら発狂しないし、もしそれ以上の数値が出たら、その時は現実と認めよう。うん」
自分でも何をぶつぶつ言っているのだろうかと、遼太郎は自分で自分の精神を疑う。
瞑っていた目を恐る恐る開くと、ダイス目は九十七。
TRPGであっても、回避失敗でSAN値ダメージとなる。ダイス降り直しだ。
その後、二回降ってみたが、十一のマイナスと出る。
「そんなわけがない‼ だって鏡だよ。常識を逸脱し過ぎでしょ。マジで病院行こうかな」
しかし、遼太郎は不気味な笑みを浮かべる自分が鏡越しに映っているのを改めて見て、紛れもなく現実だと悟る。思わず吐きそうになってその場に屈みこむ。喉元から湧き出る恐怖を抑えきれない。
そして、遼太郎は一時的に発狂した。
「おい、発狂している場合じゃないぞ」
発狂を破るように、大きめの声で鏡が遼太郎を呼ぶ。
嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。
鏡がしゃべりだしたことが、更に遼太郎を窮地に追い込む。
こんなことがあるものかと、未だに否定の姿勢を保つ。だが、こちらの様子にはお構いなしという感じで鏡は話を続ける。
「よっ、初めましてだな~。管理者の目から逃れることにやっと成功したんだよ~。ほんとまいっちゃうよな~。以後宜しく頼みますぜ、遼ちゃん」
どこかで頭でも打って、今は夢を見ていて、本当は生死を彷徨っているのではないかと疑う。もしくは、先ほどの光で、どこか別の世界に紛れ込んでしまったのではないかと、異世界召喚を予感する。
「後、話せるようになったら言おうと思っていた事なんだけどさぁ? 真似するのって結構しんどいんだぜ。顔こわばっているとき、鏡の前で解す運動する癖があるけど、笑いこらえるの必死で真似してんだから、感謝しろよな」
遼太郎は勇気を振り絞り、返答をしてみる。
「何が、どうなっているんだ」
鏡はニヤついている。遼太郎をおちょくっているような表情だ。
「まぁ、それもそうか。でも、説明するのもめんどいから、テキトーに概要話すわ」
「ちょっと待て、整理できない。なんだ、お前は?」
「あははは! 傑作だな、遼ちゃんだよ。遼ちゃん以外の何者だって言うんだい?」
鏡は腹を抱えて笑う。遼太郎は悔しさと動揺のせいか、強引に返答を促す。
「なんで動いてる!」
「そこから話すの? 面倒だなぁ。大体でいいじゃん。動きたいからとかでさ」
「動きたいからって。そんな理由だけで動かれる身にもなってくれ。もう訳が分からない。あ~、夢なら覚めてくれ~」
遼太郎は頭を抱えてうずくまる。
鏡はおちょくるのも面倒になったのか、呆れた表情をして遼太郎に説教し始める。
「はぁ……、これだから人生が退屈になっちまうんだよ。意味わかる? 堅物過ぎなんだよ、もう少し楽に考えたらどうだい?」
「そんないい加減でいられるかよ!」
遼太郎は強く反発する。
「そういう遼ちゃんは、既にダメダメじゃん? 見ていたよ、あちこちの鏡から。解雇が決まって、仕事場の便所で真っ青な顔して頭抱えていただろ? 朦朧と歩いて公園に行き、子供を眺め、幼女に慰められる。ぼうっとしながら駅から出ていくのも。コンビニでの一部始終も防犯ミラーから見ていたよ。情けないねぇ~。真面目に生きていて幸せかい? 俺から見ても、引くような趣味も目覚めたみたいだが。盗み聞きとか。ロリショタコンとか。そこは置いておいて。遼ちゃんにとっては、いい加減ぐらいの方が丁度いいんじゃないかな?」
「うっ、それは」
遼太郎は痛いところを突かれて、何も言い返せない。
「何も言えないよね~、そりゃ。その通りですから。まぁ、俺が出てきた理由は、そんなダメダメな遼ちゃんに微かな希望を与えようという計らいということだ」
まさかの展開。取って食われるのかと遼太郎は思っていた。どういう風の吹き回しだろうか。
「それでだ、遼ちゃんと交渉がしたいんだよ。人生を賭けた取引だ。提案に乗ってくれるかい?」
やはり、訳なく現れたのではないらしい。遼太郎は恐怖で顔が引きつり始めた。
「な、何がしたい?」
遼太郎は、息を呑む。
「そう身構えなくていい。単刀直入に言おう」
ニヤッと笑うと鏡はこう切り出した。
「俺と『入れ替わり』しようじゃないか」