第二十一話 交差点
ものの数分で和光市に入った。コンビニの駐車場で降ろしてもらうと、「ではこれで」と言って佐伯はその場を後にした。
二人は家まで歩いて帰り、中に入ろうとしたが、事件現場でよく見かける黄色いテープでアパートが張り巡らされていて、警戒。警察車両も止まっているのが見えて、物陰に隠れる。
「これはまずいな」
遼太郎が小声でつぶやく。
「そうね……。目立たないところに行きたいけど」
「そう言えば、駅前にネットカフェとかあったような?」
「それよ! とりあえずそこに!」
「う、うん。わかったから、そんなに強く手を握りしめないで」
美和は寂しそうな目で遼太郎を見つめる。
「だ、だって。また、どこかに行っちゃいそうな気がして……」
「大丈夫。この手を離したくない気分なので」
遼太郎はニヤニヤが止まらない。
駅前まで辿り着く。数分だった。
ネットカフェ到着の直前、二人は信号機で止まる。
追手がいないか辺りを見回す美和。
その時、カーブミラーが目に入る。鏡には美和しか映っていない。
そのことにはっとしたのか、美和が遼太郎の方を振り向く。
美和は眉間に皺を寄せて、今にも泣きだしそうだ。
「遼くん、本当に、そこにいるんだよね?」
「うん」
「じゃあ、なんで鏡に映らないの?」
「それは……」
遼太郎は言いよどむ。
「本当はやっぱり死んでいるんじゃないの? 私が見ているのは偽物で。嘘はつかなくても良いんだよ」
「違うよ、俺は生きている。君に謝りたくて帰ってきたんだ」
「ずるいよ」
「えっ」
遼太郎はずるいという言葉に不意を突かれる。
「また自分で全て抱え込むの? 格好付けるんだ」
「違うよ、本当に」
「じゃあ、隠さないで言ってよ! 自分だけで解決しようとしちゃうなんて、ずるい。もっと頼って。どうなってるの? 遼くんの存在は!」
美和は堪えきれずに、大粒の涙をぽろぽろと零す。どんな時も笑っているのが美和だったから、こんな表情を見るのは初めてだった。涙を拭き、少し落ち着いた美和は咽びながら話を続ける。
「優しすぎるんだもん、遼くんは。自分が救うんだーとか、美和を守るんだーとか。それに加えてさ、借金と心ない人からのバッシングを抱えて。今度もまた何かを犠牲にしたんでしょ? だから映らないんでしょ?」
「これは、暴走の代償で」
「ほら! やっぱり!」
「落ち着いて」
遼太郎は美和の肩に両手を乗せ、宥める。
「自分の身から出た錆だよ。お金欲しさに溺れた代償なんだ。美和のせいとかではないよ」
「嘘つき。私の為にお金が欲しいって言ってたじゃない」
「それは本当だよ。でも、暴走したのは俺の責任だ」
美和は首を横に振る。
「違うよ。私の存在も暴走した理由に含まれているわ。遼太郎が全て抱える必要はないの」
「美和……」
遼太郎は申し訳なさそうに俯く。
「もう後悔したくないの。失ってから気づくなんてもう嫌。だから、私に手伝わせて」
「ごめん、迷惑をかけて」
「迷惑じゃない! したくてやっているの!」
美和は自分の拳を強く握りしめて叫んだ。
「美和も自分のせいだって責任を抱えてしまっていないか?」
ボソッと遼太郎はつぶやく。
美和は誤魔化さず、答える。
「少しあるかも。すっごく私、後悔した。自分を傷つけるほど追い込まれていた遼くんの気持ちに寄り添えなかったことが悔しくて、悲しくて。もう、どうかなりそうだった」
「ほらやっぱり。責任感じているじゃないか」
「でもね、この気持ちは違うの。それに、あなたが傍にいてくれるじゃない。一人じゃないの。二人で責任も幸せも分け合うの」
その言葉に遼太郎も涙する。
「二人でいる。気持ちを分け合う。共有する。ただそれだけでいいの。こんな当たり前なことが、こんなに幸せなことだったなんて、私、知らなかった」
「俺も美和と一緒にいたい」
二人は顔を涙で一杯にしながらも、吐き出したセリフがこそばゆくて照れ笑いをする。
「でね、今直ぐに伝えたいことがあるの。もしかしたら、また運命のいたずらで一緒にいられなくなってしまうかもしれないから。そうなる前に伝えたいの」
「うん」
遼太郎は真剣に美和を見つめる。
美和は目を瞑り、深く呼吸をして心を落ち着かせる。ゆっくりと目を開け、遼太郎を見つめて口を開く。
「おかえりなさい。私はあなたの魂を何時でも安らげてあげられる存在でありたい。もう抱え込まなくていいんだよ。大丈夫だよ。私はあなたの心と魂の中にいます。あなたも、私の心と魂の中にいて下さい」
「ありがとう」
「この場合は、ありがとうも正解だけど」
と、美和は片目を瞑り、指を立て最適な返事を要求する。
「ただいま、帰りました」
「やっとお家に帰れましたね。おかえりなさい」
美和が言葉を発し終えて直ぐに、美和の左手首辺りに温かな光の輪が現れた。自分の手首を見てみたが、同じようなものができている。
「え、何これ?」
「えっ? 遼くん、どうしたの?」
どうやら美和には見えていないらしい。言霊の力は現実では具現化しにくいと言っていたが。
遼太郎は光の輪を一種の絆のようなものだと認識する。
どれくらい信号機の青を見逃したんだろうか。
キョウコが鏡越しに再度忠告をして、ようやく二人はネットカフェへと入店する。
フロントでペア席を取ると、ドリンクバーで飲み物を用意してソファーに座る。
「で、詳しく話してもらおうか」
美和が先程の件をはやし立ててきた。
「うん。そうだったね。どこから話せばいいのか」
「えっと、じゃあまず。遼くんは生きているの? 死んでいるの?」
「そこからですか」
「そこからです」
美和はストローでジンジャーエールを飲みだす。
「生きています」
コンと机に、コップを置いて足を組む。
「ほうほう。それで?」
「美和、雑ですよ」
「ごめん、楽しくお話したくて。つい、ね?」
「そうか。その気持ち尊重しましょう!」
ノリ良く遼太郎が返す。
普段の遼太郎では言わない発言に、美和は少し驚いているようだ。
「何かこういうの久々だよね?」
「そうか? 実際には数週間ってところだけど」
「私にとっては、とーっても長い日々だったわよ」
美和は頭の後ろで手を組む。
「申し訳ない」
遼太郎は土下座する。
「もういいよ~。それよりさ、どういうトリックなの?」
美和は興味津々で近寄る。
先程までとは、だいぶ反応が違う。
「ええっと」
「鏡が関係しているとか? 誤魔化しはなしだからね!」
「う、うん。正直に話すよ」
「大丈夫。何が来ても二人で共有だから! 約束したから!」
ちょっと美和は痩せ我慢しているように見える。
「率直に言うと、死んでいたのは、鏡の俺」
「そう言うことか……」
美和は腕組みする。少し落ち着きがない。
「だから俺は鏡に映らない。本体が仮初なので」
「仮初って、危うい状態なの? 消えちゃうの?」
やはり心配になった美和は、身を乗り出して遼太郎に聞く。
「本来は鏡側が消えたら、もっと大きな影響を受けるけど、運良くそれは免れた」
「そうだったのね。向こうはどんな感じだったの?」
どっと疲れた表情で遼太郎は語る。
「カオスだね。あらゆる世界が繋がっていたり、真反対の性格の知り合いがいたり、真似しなくちゃいけなかったり」
「なかなか面白そうじゃない!」
美和は目を輝かせる。
「そうか?」
「私は行ってみたいなぁ」
どうやら美和は高揚しているようだ。
「鏡を使えば行き来できるよ」
「ふーん。で、向こうの私はどんなだった?」
「性格が真反対過ぎて焦った」
美和は目を丸くする。
「そうなの?」
「話をしてみればわかる。でも、美和と同じ存在だから根本は変わらない。仲良くしてやってくれ」
「遼太郎に言われなくてもそうするよ」
鏡から声がした。遼太郎は鏡を取り出して、美和に見せる。
美和は自分と違う表情と態度で話し始めるキョウコにギョッとする。
「よぉ。さっきぶり。本物さん」
「あなたが鏡の私?」
「そうだよ。何か文句ある?」
「いや、可愛いなぁと思って」
「ばっ、バカにしているのか?」
キョウコは照れて、視線を外す。
「そんなことないよ」
美和は率直に意見を述べる。
「アンタ、自分の容姿に対して可愛いとか、頭可笑しいんじゃないのか?」
「だって、あなたは私だけれど、私とは別の生き方をしているじゃない? その時点で、他人と言うか、双子みたいな気持ちかな?」
美和はニコニコ微笑む。
「はぁ? 遼太郎、やっぱこいつのこういうお花畑みたいなところ気に入らないわ」
「そう言わないで。お前を独りにはできないし」
それを聞いて、美和はふてくされる。
「遼くん、この子の事も大事にするの? 聞き捨てならない発言ね」
「えっと、それは……」
遼太郎は目が泳ぐ。
「ほらみろ、上手く行かないって言っただろ?」
キョウコが分かりきっていた展開にかったるそうにする。
「いや、大丈夫。上手く立ち回ればさ。何とかなるだろ」
遼太郎は未来の自分に任せることにした。
「まぁでも。もう一人私がいると思うとなんか心強いわね」
美和は腕組みしつつも視点を変え、この状況を許そうとしてみる。
「まぁ別に。私もこの感じ、悪くないと思わなくもないけど?」
キョウコもツンデレ風に許そうとする。
「とりあえず、そう言うことで宜しく頼む。美和、この通り」
遼太郎は頭を下げる。
「「うん」」
二人は同時に返事する。
「あ、ごめん。慣れなくて返事しちゃった」
キョウコが頭を掻いて照れる。
「そうか、鏡だから容姿も名前も変わらないしね」
美和が被ったことに納得する。
遼太郎は自信ありげに、
「だから、俺が名付けた。その名も、キョウコ」
と命名。
「まんまじゃん」
美和はさらっと感想を述べる。
まさかの反応に、遼太郎はたじろぐ。
「え? 単純に良いなと思ったから。キョウコも気に入っているんだろ?」
「うん。まあね」
「宜しくね、キョウコちゃん」
「宜しく」
その後、鏡の世界で追われている経緯をキョウコが美和に説明し、おかげで、美和も大分状況が読み込めてきたようだった。
「遼くん、一つさっきから気になることがあるんだけれど……」
「どうした?」
遼太郎は首を傾げる。
「キョウコちゃんのマフラーって私があげた奴じゃない?」
「ギクッ」
声に出して、焦る遼太郎。
「大事にしてって言ったのに、他の女に渡すなんて」
またもや、遼太郎の目が泳ぐ。
「いや、待て。これは、見分けをするために預けただけで」
「そうだ、美和。だから心配するな」
キョウコもそれに関して助言する。
「もう、そう言うことも先に言ってくれなきゃダメだよ」
「そ、そうか。気を付けるよ」
「にしても、似合っているね! そのマフラー。どうせなら、今度色違いでお揃いにしたいね」
「ああ! いいねぇ」
遼太郎も賛同する。
「冬手前になったら、作るぞ~。モフモフっ」
それが目的だったのかと、遼太郎は美和の発言の真意を汲み取る。
「で、つかぬ事をお聞きしますが」
と、キョウコが話を転換。
「どうやって逃げ続けるかって話はどうしましょう」
「そうだね。まだ、ソフィアとも連絡が取れていないし」
「遼くん、ソフィアってだぁれ?」
美和の目が冷たい。
「キョウコ、プリーズヘルプミー」
「ソフィアはメイドさんだよ」
キョウコは助ける気がないらしい。ニヒっと悪い奴の笑い方をする。
「メイドさん? 遼くんが浮気しないように首輪でもつけようかしら」
「美和、それは勘弁」
遼太郎は、本日何度目か分からない土下座を繰り出して、自分の身を守ってくれていたソフィアのことをざっくりと説明する。
「逃げる手伝いや身の回りの事、鏡界の案内や言霊を教えてくれた子だよ。美和が思っているようなことはないって」
「ふーん。その子が鏡界で遼くんのことを色々お世話してくれたのね」
「美和、その言い方は語弊があるよ」
「会えたらしっかりお話しないと」
美和は無表情でつぶやく。
遼太郎は美和の怖さを初めて知った。
「おーい。脱線しているぞ」
キョウコが忠告する。
「ごめんなさい」
美和が謝る。
「でだ、結構ここに滞在しているし、下手をすれば、足がもう付いていて取り囲まれているかもしれないよ。一度外を見た方がいいかも」
キョウコが偵察を示唆する。
「それは確かに。余り長居もできないかな……。美和、外の様子を見てきてくれないか」
「分かった。何かあったら伝えるね」
美和はソファーから立ち上がり、一人外へと向かった。
「鏡界の方は異状ないか?」
遼太郎はキョウコに状況を確認する。
「とりあえず今はね、でもやけに静かと言うのか。気配を感じないのがおかしいんだよな」
「勘が良い美和なら何かに気づきそうなんだけど」
その時、遼太郎は光の輪が揺れたことに気が付く。
すると、コンコンとノックの音がした。
「失礼する」
男の声と扉が開く音がして後ろを振り向くと、体格の良い男と美和が立っていた。
「遼くん、ごめん。刑事さんに捕まっちゃって」
美和が申し訳なさそうにこちらを見る。
男は見覚えのある顔だった。
「貴方は?」
「私は、朝霧署の楠と申します。今回和光市で起きた自殺の件で、捜査していたところ被害者である幻中
遼太郎さんが生きているという情報が耳に入りまして」
遼太郎は立ち上がって身構える。
「その情報だけでこの場所が割れるっていうのは、あまりにも早い気がしますよ、刑事さん。死んだはずの私が生きていると聞き、実物を見ても動揺していない所から察して、何か隠していますよね?」
楠は不気味な笑みを浮かべた。
「貴方の事も知っているし、門叶家から付けていましたからね」
ヤバい。危険な匂いがする。
「遼太郎、コイツ黒づくめのリーダーと同じ顔だ」
キョウコが叫ぶ。
「えっ……。くそっ。繋がっていたのか」
遼太郎は後ずさりするが、壁にぶつかる。
「ご明察。と言うことで、付いてきてもらおう」
何人かの男が壁を越えて現れ、遼太郎はあっけなく取り押さえられる。
店から出され、二人ともにパトカーに乗るように促されると、颯爽とそれは走り出した。
「どこへ連れて行く気だ?」
「君たちには悪いが、社会的に存在を抹消させてもらう。色々と都合が悪いのでな」
「警察がそんなことをして許されるのか!」
「政府公認の執行だ。悪く思うな」
遼太郎たちは反抗もできず、ただ車に揺られるしかできなかった。