第二十話 待人
「美和、戻ってきたよ」
「遼くん?」
恋焦がれていた声がする。柔らかな優しい大切な人の声。
「美和、しっかり俺を見て。君にちゃんと謝りたいことがあるんだ」
真っ白だった視界が晴れてくる。
「遼くんなの?」
「そうだよ。俺だよ」
「えっ、でも。遼くんは死んだはずなの。この目で亡骸を見たの。なのに、え? どういうこと? こ、怖い。何が起きているの?」
美和は遼太郎の両肩に手を置き、服を握って彼の顔を見る。
美和は動揺しているようだ。
「無理もないよ。鏡の中にいたなんて普通、誰が信じるかよ。夢でも見ている気分だろうね、本物の私さん」
キョウコが美和に語り掛ける。
「えっ? あっ、そう言えば!」
美和は姿見を指差して遼太郎に説明する。
「鏡の中の私がしゃべりだして。頭おかしくなったのかと。本当よ! ほら、遼くん見て!」
美和はまじまじと姿見を見る。
「やっぱり喋っている。鏡の私が喋っている! もう何が何だか……。頭痛い」
「俺がゆっくり説明するから」
遼太郎と美和はベッドに腰を掛ける。
「美和、ごめん。全て俺のせいなんだ」
「えっと、どういうことなの?」
美和は混乱する。
遼太郎はすうっと息を吸う。
「誤魔化さないで話すから、最後まで聞いてほしい」
いつもになく真剣な表情の遼太郎に、美和はびっくりするが、
「うん、聞くよ。最後まで」
と、遼太郎の目を見て答える。
遼太郎は凄く汗をかいている。が、意を決して話し出す。
「美和に危険が迫って脅されて、鏡に入った。でも、それは半分建前で。本当は、お金が欲しかったんだ」
「うん」
「黙っていてごめん。実は凄く多額な借金が家にはあって。そのお金を支払わなければ美和と一緒にいられないと思ったんだ」
美和は頷いて遼太郎の話を聞くことに徹する。
「両親は飛行機の機長とキャビンアテンダントをしていて、仕事も兼ねてハワイに新婚旅行へ向かった際に墜落して。大半は会社が負担をしてくれたんだけど、人為的なミスがあったのではないかと裁判沙汰になって」
思っていた以上に深刻な状況に美和は取り乱す。
「えっ、裁判はどうなったの?」
「裁判は負けて。賠償請求額が一億円で」
「一億⁉」
美和は頭を抱える。
「それを背負ったのがうちの祖父母だったんだけど、返せるはずもなくて。元々身体弱いのもあって、二人とも他界していて。幻中家には俺と借金しか残っていないんだ」
「そうなの……」
美和は遼太郎を凄く気の毒に思う。
「で、仕事も先日クビになって。まともに稼ぐこともできなくなった時に、鏡が話し掛けてきて。世界が真逆というから、当然お金持ちだろうと思ったらその通りで」
「で、その話に乗ったと」
美和は少しふてくされた顔をする。
「でも、お金よりも本当は美和が大事だったんだ。美和と一緒にいられなくなることが辛くて」
「本当にそうなのかな?」
「え?」
遼太郎は動揺する。
「私の事が大事なら、何でもっと私を信じてくれなかったのかな?」
「そ、それは。それを言ったら、釣り合わないというか」
「肩書や環境なんて関係ないよ、遼太郎」
美和はご立腹だ。
「借金があるから、貧乏だから、仕事ができないから。そんなことで崩れる関係だと思ってたんだね、遼くん」
「ご、ごめん」
美和は目を瞑って深呼吸し、気持ちを落ち着かせる。
「私はさ、自分の事を棚に置いても、助けてくれたあの時の遼くんが大好きなんだよ」
「え?」
「私の事大事にしてくれたじゃない。そういう心がある人なら、困難にぶつかっても一緒に乗り越えられるって思ってたの。だからさ、ちょっと怒りたくなっちゃった。何やってんだ~ってさ」
美和は両手を後ろについて、天井を見上げる。
「美和、俺、自分を偽り続けてきた。美和にも嘘ついてきた」
「うん。知ってた。格好付けようとして俺って言っちゃう所とか、変なところに力が入っていることとか、背伸びしてふさわしい男になろうとしている所とか」
「変なところってどの辺りかな?」
白けた目で美和は遼太郎を見る。
「肝心なとこで気を使わない破廉恥な所とか」
「蛇足でした。ごめんなさい」
遼太郎は頭を下げる。
「借金も家族の話もぜーんぶ警察に聞いて知ってたよ」
「そうなのか……」
遼太郎は更に頭を下げる。
「私を誤魔化そうなんて百年早いわ」
「美和さん、勘鋭いですからね」
「ふふふ。当然よ」
美和はドヤ顔をする。
「やっと、本音で喋ってくれたね。彼氏のくせに、気を使い過ぎなのよ」
「だって、美和が綺麗すぎて。緊張しちゃうんだ」
「可愛いなぁ、もう」
美和は遼太郎の頭を撫でる。
「あっ、そうだ。美和も隠していることあるよね」
美和は心当たりがあり、ドキッとする。
「俺の事、本当に好きなのかな?」
「お、おう。もちのろん!」
「髪の『質感』ではなく?」
美和は顔を真っ赤にする。
「え、だって」
「だってじゃない」
遼太郎は腕組みをする。
「モフモフの感触が大好きなんだろ?」
遼太郎は先程の仕返しをするかのように嫌味っぽく美和に尋ねる。
美和は静かにこくんと頷く。
「まぁ、触らせてもあげるから。俺から離れんじゃないぞ」
「何格好付けてるの?」
美和は「ほれほれ」と言いながら、遼太郎をつつく。
恥ずかしくなったのか、遼太郎も顔を赤らめる。
「大丈夫。私は傍にいますよ」
美和が遼太郎の耳元で囁く。
遼太郎は小さくガッツポーズを決める。
こうして、遼太郎と美和はお互いの偽りを剥がすことに成功し、再会を果たした。
が、そうもいっていられない状況が二人を襲う。
「遼太郎、美和! のんびりしている場合か! 今追われているんだぞ!」
「そうだった」
遼太郎は危機的状況を思い出す。
「そちらでも何かしらの事が起きるはずだ。手が回る前に落ち着ける場所へ移動しないと!」
キョウコが場所の変更を誘導する。
「美和。ここは場所が割れやすいから、一先ず移動しよう」
「うん」
キョウコが鏡越しでムッとした表情をしている。
「ああ、何かイラつく……。とりあえず私は逃げるから、改めて通信をしよう」
「分かった。この手鏡も繋げられるか?」
遼太郎はキョウコに可否を尋ねる。
「こっちにも手鏡はあるからできるぞ!」
キョウコと美和は再び、接続の言霊を唱える。
「「接続」」
折り畳みの手鏡が光る。
遼太郎はその鏡をカバンに入れると、美和を連れて家の外に出た。
現実を離れてから、それほど時間は経っていないはずだが、美和の家から出て見た景色をとても懐かしく思う。遼太郎は帰ってきた実感が湧いて、高揚する。
階段下で運転手が待っている。運転手は車に乗るように促す。運転手は遼太郎の姿を見るなり目を見開かせたが、落ち着いた様子で話しかける。
「これはこれは、遼太郎様。お急ぎのようで」
「驚かないのか? 死人が目の前にいれば動揺して当然なのだが……」
遼太郎は率直に聞いてみる。
「目を疑いましたとも。でも、これくらいの歳になると、色々なものがわかるようになるというのか。色々と込み合った事情があるのでしょう。それくらいはじぃにもわかります」
「すまない、俺の家まで頼む、佐伯じぃ」
「お安い御用です。しっかりシートベルトの着用を。飛ばしますぞ」
佐伯はギアを入れて、アクセルを吹かすと、中庭のロータリーをあっという間に一周して見せる。門叶家の門を出て、和光市へと向かう。