第十八話 黒づくめの襲来
ソフィアは泣きはらした後のようで、目が赤い。
光が失われた絶望に陥った目で、地面の一点を見つめている。
「精神浄化が間に合わなかった……」
鏡人の美和が苦悶の表情でぼやく。
「え?」
遼太郎は意味が分からず聞き返す。
「遼太郎は先程まで、邪霊に操られ欲望のままに暴走していた。お金を増やし、資金を得る物資を購入し。それが限度を超えた。精神浄化は穢れを全て浄化する。お金も贅沢品も全て穢れと判断されてしまったのだろう。これが諸刃なる所以だ」
「俺は……そんなつもりは」
「そんなつもりはなくても、これが心の底にあるお前の欲望だ」
「……」
遼太郎は目を反らす。
「で、邪霊に先を越された。結果、現実側では借金が膨れ上がり、それによって精神を追い込まれた鏡人の遼太郎は自殺」
ソフィアは耳を塞ぐ。
「フィギュアは消えちまったんだ。お屋敷も……。その辺はどうなるんだ」
はぁと、鏡人の美和はため息を吐く。
「この状況でも現実の心配か。一様話すと、最終的に物体移動がされていないから、『余裕資金で買った物』と『借金をして得た物やあらゆるものを売って得た物』という要素は未確定。『お金持ちになった』事実は残るから、現実に具現化される現象は『お金が底をつきそう』ということだけで済んだよ」
「ことだけで済んだ……か」
遼太郎は空を見上げる。雨が大量に落ちてくる。
冷たい空気、濡れて冷え切った身体と衣服。土のにおいが鼻につく。
「精神浄化が先に当たっていれば、邪霊を祓い、暴走を抑え、彼の死を免れたのかもしれない」
「そんなことはないですわよね、美和様。自分のせいにするのはお止めくださいまし」
ソフィアは小声でつぶやく。
「もう台本が届いた時点で、手遅れでしたの。ご主人様が死ぬことを存じていたのですわよね? 守秘義務がある故に、美和様は口を割りませんでしたが……。私はせめて、お別れの言葉ぐらいは、かけておきたかったですわ」
ソフィアは悔しさと悲しさを必死に抑えるかのように手を強く握りしめて立っている。
「ソフィア。申し訳ない」
「何で美和様が謝るんですの。謝ったところでご主人様が帰ってくるわけではないですわ」
「それでも、ごめん。何も言ってあげられなくて」
ソフィアはびしょびしょの白い髪を束ねて絞る。
「私、ご主人様がいなければ、もう死んでいた身ですの。もう一度生きる希望を与えて下さったお方でしたわ。言ってみれば、神様のような存在ですの」
「ソフィア」
「ですから、私分からないですの。この先どう生きればいいのかしら。こんなにも派手に変化をもたらしてしまったのですから、いずれ囚われてしまいますわ」
しくしくと涙し、鼻を啜る音が聞こえる。
「私、ご主人様の元へ行こうかしら」
「何を言っているんだ、バカソフィア!」
鏡人の美和は叱咤する。
「美和様……」
ソフィアは涙目で鏡人の美和を見る。
「お前が死んでどうする! 何のために救って貰った命だ! アイツの想いを台なしにする気なのか?」
堪えきれず、ソフィアはその言葉に涙する。
「私は少なくとも生きていてほしい。生きる意味はこれから見つければいいじゃないか。アイツ以外にも、ソフィアには沢山の仲間がいる。それを忘れて旅立とうとするんではない!」
鏡人の美和はこつんと、ソフィアに軽くげんこつを当てる。
「ごめんなさいですの」
ソフィアは鏡人の美和に近寄ると、彼女の胸の中でくしゃくしゃな顔で泣く。
遼太郎は、彼女たちの会話を聞いていることしかできず、雨に濡れる。
聞くことも許されないなと、自分を責める。
美和を守りたい。その為には彼女と肩を並べて歩けるだけの人にならないといけない。
自分には何もない。莫大な借金、親族はいない、仕事も稼ぎもない。
向こうはそれなりの家で、お金も物も持っている。住む環境がそもそも違う。
なんで、出会ってしまったのだろう。出会ってしまったが故に、美和を失う怖さが生まれ、余計に気を張らなければならない状況を作り出してしまった。
だから、金が要る。どんな手を使ってもお金を、環境を、物を揃える必要があった。
間違ったつもりはない。
でも、どこか満たされない。物やお金が増えても、無くなってしまう恐怖に怯え、一時的にしか楽にはなれなかった。
そして、そのお金や物は計画諸共に崩れ去る。
目の前で鏡人が死に、それを間近で見て絶望する美和の歪んだ表情を見て。
なんでこうなった。こんな事がしたかった訳じゃない。でも。紛れもなく。
自分の欲望が原因でこの事態を招いてしまった。
「俺のせいだ」
雨がごおごおと音を立てて降る。その音に混じって、何人かが近づいてくる足音がする。振り返ると、黒い傘に黒いスーツを着た男達が駆け寄ってきているのが見えた。如何にも、ヤバそうな奴らだ。
「ヤバいっ! 遼太郎、逃げるぞ‼」
鏡人の美和が叫び、遼太郎の腕を掴む。
「時既に遅しですわ」
ソフィアが諦めたように両手を上げる。あっという間に、三人は黒尽くめの男達に囲まれる。
逃げ場を失った三人は背を合わせて男らと対面すると、中からリーダーのような人が出てきた。厳ついおじさんと言うのか、強面で如何にもデカというような男だ。
「お前達か。鏡の役目を怠ったというのは。しかも、一人は解析者だというじゃないか。耳を疑ったよ。管理側の人間が失態を起こすとはね。カメラからの報告によると、台本の内容に従わないというものだったが。これは本当かね?」
三人は黙り込む。
男は地面に落ちていた台本を拾い上げた。
「えっと、台本には遼太郎は首を吊る。そこに、美和が来て絶望するような流れになっているが。そもそも、セリフはないじゃないか。それに、今回死ぬ予定の遼太郎が何で生きている? 本物は死んだんだろ? なら、法則により消滅するはずだ。お前、誰だ?」
遼太郎は黙ったまま、男を睨みつける。
「それに、よく見ると、そこの嬢ちゃんも見かけないなあ。髪色、目の色からして、噂の侵入者と推測するが。違うか?」
男は殆どこちらの素性を知っているらしい。
「そうなら、どうした。私たちは消滅か?」
鏡人の美和が男の振りに答える。
「ああ、それが決まりでな。悪く思わないでくれ。処理させてもらうよ」
男も容赦なく答える。
「これは厄介ですわ。ここは私が足止めしますわ。その隙に逃げるですの!」
小声でソフィアが二人に話しかける。
「大丈夫ですの。自分を犠牲にするとか、考えておりませんわ。さぁ、早く」
「ソフィア。……すまない。必ず合流しよう」
鏡人の美和は俯きながらつぶやいた。
三人は目を配らせる。ソフィアが合図する。
「今ですの!」
ソフィアの掛け声と同時に、全員が別方向に走り出す。遼太郎と鏡人の美和に振り掛かろうとする黒づくめの男達に向かって、ソフィアは言霊で妨害をする。
「かの者達と我を守り給え! 反射壁!」
取り押さえようとした男達のベクトルが反射され、吹き飛ぶ。
「さあ、今のうちに」
二人は包囲網を抜ける。
振り返ると、ソフィアは厳ついおじさんと対峙しているようだった。
「幸運を祈りますの」
優し気にソフィアが微笑んだ。
鏡人の美和と遼太郎は市街地に紛れ込む。
男達も透かさず追い掛けてきた。
「くそっ、早いなアイツら」
二人は追手を撒くために走る。
「言葉を慎め。エネルギーを使ってしまうぞ、遼太郎」
鏡人の美和は遼太郎に助言する。
「そうなのか。というか、今ふと思ったのだが」
助言をスルーしたことにため息する鏡人の美和。
「走りながら聞くことか?」
「俺、思ったこと直ぐ聞かないと忘れるので」
「ったく、極力手短に!」
鏡人の美和は面倒くさそうな表情で答える。
「最初に比べて、鏡人の美和と俺との関係が良くなってないか?」
「それは考えればわかる」
鏡人の美和は即答。
「え?」
「鏡のお前と私の関係は今最悪だからよ」
「あ、なるほど……」
遼太郎は腕を組む。
「わかったら、足を動かす! 兎に角、今は私の家に戻るよ」
「いたぞ~。確保しろ~!」
管理者群が押し寄せてくる。
「しつこいな、もう。遼太郎、右へ曲がったら物陰に隠れるわよ」
「えっ、うわっ」
鏡人の美和に手を引かれて勢いよく角を曲がると、定番かと思うような木箱とその奥に細い路地があった。
「見失った、畜生! どこに行きやがった⁉」
別方向に管理者が走り始めたのを木箱の隙間から見送る。
「撒けた。行くぞ」
鏡人の美和が先導を切って走る。