第十六話 暴走
「美和様、これは……」
ソフィアは青ざめる。
どす黒い欲望が遼太郎を渦巻いているのが液晶パネルに映る。
「これが、遼太郎の不運と歪んだ感情と一族を恨む霊の全貌よ」
鏡人の美和も動揺を隠せない。
「解析者記録用のハンディーをハンドバッグに入れておいて正解でしたわね」
鏡人の美和はハンディーカムを掲げ、説明する。
「このハンディーカムは、使用者の色霊を使って、撮影対象の過去や関わっていた邪霊をオーラで映すものなんだ。使用中は視聴者以外の時間を止めてしまう強力な言霊が発動する仕組みだ。録画して残すこともできる」
「凄い秘密兵器ですこと。美和様を敵に回したくないですわ」
ソフィアはその状況を想像するだけで悪寒がして、身震いする。
「それよりも、今はこの暴走を止めないとマズい。このままだと、遼太郎は霊にやられて不幸な結末が起きる。というか、それはもう防げないかもしれないわ」
「美和様は何か存じていらして?」
鏡人の美和は、ハンドバッグから小型の水晶玉を取り出す。
「これで、未来に生じるだろうという事象の確率を見ることができる。数字と文字が浮き出るんだ。数霊は専門外なので、数分しか維持できないわ」
「ハンディーみたいに映像では見れないのですの?」
「具体的な映像や確実な未来は、たとえ解析者でも見れないんだ」
「で、それにはなんと?」
鏡人の美和は目を瞑り、首を振る。
「それは、言えない。言霊にしてしまったら、具現化しやすくなる」
「察するに、相当ひどい結末なのですね」
「察してくれ」
鏡人の美和はそう告げると、ハンディーカムの録画を終える。
再び時間が動き出し、虚ろな遼太郎が黒いオーラを纏って二人を睨む。
「かの者を守り、負の気を封じ込めよ 防御壁‼」
続けてソフィアが唱える。
「周りの時を止めよ! 一時停止‼」
連続で言霊を練る。周りの時間が止まる。
ソフィアはぐはっと、吐血する。
「ソフィア‼ 無理をするな。時の言霊は代償が大きすぎる」
鏡人の美和は遼太郎を背負うと、車に向かって走り出す。
走りながら、鏡人の美和はふっと息を吐き、辺りに光の粉のようなものを撒く。それらは、人々の頭に降りると、パンという音を立てて消える。
「今の光は何ですの?」
「記憶抹消の言霊が具現化した物だ」
「なっ、何ですって⁉ あんな一瞬で高級秘術を練れるなんて凄過ぎですわ」
ソフィアは鏡人の美和の力に圧倒され、額から汗が流れ出る。
「兎に角、今は一刻を争う。一度事態が大きくならないうちにお屋敷に遼太郎を帰して、そこで言霊を練るしかないわ」
口に付着した血を袖で拭い、ソフィアは答える。
「ええ、急ぎますの」
扉が自動で開き、中に飛び乗った三人。車に乗った瞬間、ソフィアの言霊は解除され、時間が動き出す。外の人々が何もなかったかのように過ごしている姿を二人は目にする。
遼太郎は、ソフィアが練った言霊の結界に囲まれ、虚ろのまま座席に座っている。
「上手く行ったみたいだな」
と、鏡人の美和は安堵する。
車は徐々にスピードを上げると、屋敷へと自動運転を始めた。
鏡人の美和は屋敷に着くと、一時的に収まっている遼太郎を背負う。
辺りは既に暗くなっていた。
ソフィアは二人が中に入ったのを確認して扉を閉めると、施錠の言霊を唱える。
「とりあえず安全圏まで来れたな」
「そうですわね。まずは遼太郎様を安静にさせますわよ」
二人掛かりで遼太郎をベッドに寝かせ、ソフィアが睡眠の言霊を練る。
「かの者に心地よい眠りを。熟睡!(スリープ)」
遼太郎がすうっと、深く呼吸をし始めたのを確認し、鏡人の美和はパンっと音を立て合掌する。
言霊を練らずに、結界が屋敷全体を覆う。ふぅと、ため息を吐く鏡人の美和。
「一時的な対処はしたが、気休めでしかない。目覚めれば、欲望のままに暴走する」
「美和様、どういたしますの?」
浮かない表情でソフィアは鏡人の美和に策を伺う。
鏡人の美和は顎に手を当て、策を企てる。
「恐らく遼太郎は、お金を実体化させる方法を探そうと躍起になるわ。でも直ぐにお金そのものを移動させることはできないと気づく」
透かさずソフィアは答える。
「鏡界でお金持ちになれば、現実は益々貧乏になりますわ。鏡界でお金を増やし、そのお金を現実にそのまま持って行っても、像として鏡には映されず、寧ろ、借金明細あたりに変化して、鏡に映るからですわね!」
鏡人の美和は頷く。
「その通り。そして、鏡界を貧乏にしたくても現実の方が強いから、現実側が好転しないと無理。それ以外の方法で、介入できる策を講じるでしょうね」
鏡人の美和は腕組みをして、さらに遼太郎が行うであろう行動パターンを推測する。
「となると、鏡界と現実とで、『見かけに差がなく、生活基準的にもお互いに無理が無く入手できて、高く売れるもの』を買い漁ることになるんじゃないか」
ソフィアも顎に人差し指を当て、考えを巡らす。
「そうですわねえ。『その条件』ならば、鏡に像が映る可能性はありますわね」
「鏡に映ったときには、鏡界の影響が現実に反映される前触れ。物体の移動をした時、それが現実になる。問題は『買い漁る』行為よ」
鏡人の美和は眉間に皺を寄せる。
ソフィアもその意味に気づき、ぞっとする。
「鏡界で『余暇のお金で買い漁る』ということは、現実では『なけなしのお金で買い漁る』ということですわよね……」
鏡人の美和は息を呑む。
「つまり、『あらゆる方法で手に入れたお金で対象物を購入する』ことで、物体移動が成立するってことよ」
「それって、意味あるのかしら? 本末転倒のように見えますわ」
ソフィアは首を傾げる。
「暴走ってのは、全く周りが見えていない状態なの。馬鹿げているようだけど、本人は鏡界でお金を増やして、対象物を大量買いし、物を現実に移動させて、お金に換えることだけしか考えられなくなる」
「盲目は恐ろしいですの……」
ソフィアはその光景を想像し、寒気立つ。
「ソフィア、遼太郎が起きたら、自らの過ちに気づくように語り掛けるんだ」
鏡人の美和はソフィアの手を取って強く訴える。
ソフィアの震えが少しだけ治まる。
「強制させてはならない。あくまで、自分から気づくように、何度も、何度も。優しく見守る。それが今できることよ」
「美和様……。はいですの、わかりましたわ」
「私たちの間で隙が生まれたり、遼太郎の心が荒れるきっかけを作ったりしてしまうと、そこを狙って邪霊はまた反発する。そうなると、遼太郎の意思とは無関係に爆発や暴走が起きるわ。鏡界での暴走はそのまま現実に影響する。取り返しのつかないことになる前に、少しでも影響力を抑えるのよ」
「はい、ですの!」
「私は今から、強力な浄化の言霊を練る為に籠るわ。邪霊に感づかれないように離れるので、後は頼むわよ」
そう言うと、鏡人の美和は指を鳴らして扉を開き、最上階の部屋へと向かう。
鏡人の美和の姿が見えなくなると、ソフィアは遼太郎の傍で椅子に腰かけ、手を握り続ける。
部屋の冷え込みに身震いして、遼太郎は目が覚める。
左手からぬくもりを感じて、視線を移すと傍らでソフィアが眠っているのが見える。
むにゃむにゃとソフィアは寝言を並べている。
はっとして、遼太郎は辺りを見回す。カレンダーらしきものは視界に入らず、スマホも見当たらない。衣服はパジャマに着替えられている。恐らく、ソフィア辺りが洗濯して、保管しているのだろうと遼太郎は推測する。
何日間眠っていたのだろう。
鏡人の美和の部屋でタロットカードをめくってからの記憶が曖昧だ。
あの出来事の直後、遼太郎の視界は、暗闇に包まれた。どこを触っても感触がないというような。宙に浮いた感覚もあった。その中をひたすら遼太郎は歩き続ける。暗中模索。気を張っていなければ吸い込まれ、自分を見失うような感覚の中にいた。
時折、誰かの声がした。もしかしたら、ソフィアが呼び掛けてくれたのかもしれない。
「ようやく、戻ってきたんだ」
遼太郎は久しぶりに光の差し込む世界を見て感激しつつも、何故かスッキリとしない黒いモヤを心に抱いて、窓の外を眺める。
「遼太郎様……」
声に気づき、遼太郎は振り向く。
ソフィアは奇跡でも見るかのように口に手を当て感激し、か細い声で遼太郎を呼びかける。ウルウルと涙ぐんだ眼から、大粒の雫が零れ落ちてシーツを濡らす。
「良かった、ですわ」
鼻を啜りながら、静かにソフィアは口を開く。
「おはよう、ソフィア」
遼太郎は微笑んで大事に至らなかったことを伝える。
「心配しましたわ。三日間眠りから覚めず、ずっと昏睡状態にありましたから」
「ってことは、今日は二月二十六日か。心配かけたな」
安心してソフィアは微笑む。
「それより、ソフィア。俺のスマホを持ってきてくれないか?」
「どうしましたの、急に」
ソフィアは遼太郎からの依頼に動揺する。
「いやぁ。その、欲しいものがあって。ここにいられるのも、あと僅かみたいだから、記念にお土産でもと思って。お金持ちの生活をもう少し味わいたいなぁと」
黒いオーラが遼太郎を包む。遼太郎を包む結界から溢れ始めるのを見て、ソフィアは危険を察知する。
「遼太郎様、もう少し後にしたら如何かしら? まだ目覚めたばかりでお身体もすぐれないでしょうし」
ソフィアは微笑みつつ、やんわりと打診する。
「いや、直ぐにでも持ってきてほしいなぁ。身体は大丈夫だし、早く動いた分だけお金も早く溜まるだろうからね」
「今はまだゆっくり休むべきだと思いますわ。容態を見て、その後、ソフィアが持ってくるでも遅くは……」
「ソフィア、俺の話を聞いていたか?」
遼太郎が突然、ソフィアを無視して口をはさむ。
「え、ええ。聞いておりま……」
「だったら、今すぐにでもスマホを持ってこい!」
遼太郎はものすごい剣幕でソフィアを怒鳴りつける。
流石にソフィアも委縮してしまう。
「は、はいですの」
ソフィアはスマホを遼太郎に手渡す。
「なんだ、あるんじゃないか」
遼太郎はスマホをソフィアの手からぶん取る。ソフィアは顔をしかめる。
「ほ、ほどほどにしてくださいまし……」
「ああ、大丈夫、大丈夫」
遼太郎は片手を挙げて、雑な返事をする。
ソフィアは無言で遼太郎を見守る。
その後、遼太郎はスマホと睨めっこをしては、お金やそれに代わるものを鏡に映す手立てを考えていた。上手く行かず、遼太郎は時に物にあたり、その度、黒いオーラが色濃くなっていく。
二日目。
お金が現実に送れないと遼太郎は理解する。
遼太郎はスマホで何かを購入し始める。
三日目。
玄関に大量の段ボール箱が届く。
「待ってましたよ~」
遼太郎が届いた品物に駆け寄って、ひとつずつ寝室に運ぶ。
「何を買い上げましたの?」
「欲しかったんだよね~、これ」
段ボール箱から取り上げた物は期間限定や希少価値の高いフィギュアだ。
「これ、全部フィギュアですの?」
ソフィアが遼太郎に不安げな表情で尋ねる。
「そうだけど?」
迷いのない返事。ソフィアは段ボールの山に青ざめる。
「まだまだ届くからね~」
遼太郎はハイテンションだ。
四日目。
三日目の倍程の量で段ボールが届く。
五日目。
遼太郎の寝室は既にフィギュアまみれになっている。
それに加えて、ありとあらゆるものにお金を使い始めた。
株や先物、ギャンブルで大量にお金を費やし、遼太郎は湧き出る湯水のようにお金を増やし続ける。
黒いオーラは遼太郎の結界を破り、寝室内を漂い始めた。
ソフィアは傍で助言し続けた。だが、遼太郎の耳には届かず、突っぱねられる。
次第に遼太郎から手が上がるようになると、ソフィアは黙って遼太郎を見守った。