第十三話 癒しの街と秘密の押し入れ
場所を告げることなく、自動に走りだす車。車窓から眺める景色はどんどん古く、スラム街へと変わっていく。
鏡界の高級車、ではなく貧困車はミラーもなく、運転手もいない。自動に設定されたところに人を運ぶようになっている。最初に乗り込んだ時、本当に車なのか疑った。まるで家が走っているようだ。
スピードを増して走る車。道路が途中から悪くなる。舗装ができていないのか、所々凹みがあって、車内が揺れる。途中何度かソフィアの肩や胸が当たり、揺れどころではなかった。
しばらく揺られた後、だんだんと速度が低下し、止まった。
「目的地に到着致しました」
車からアナウンスが流れる。
「さぁ、こっちが本命ですわ」
ソフィアに引っ張られて車から降りると、そこにはゴーストタウンが広がっている。
「ソフィア、何故こんな廃墟に?」
ソフィアは微笑む。
その笑みは何を示しているのだろうか。どことなく恐ろしさを感じる。
「何を言っておりますの? ここは鏡界の高級街ですの!」
「マジ?」
「マジですわ!」
遼太郎は口をあんぐり開けて呆然と立ち尽くす。
そこには、焼け野原や崩壊した建物が広がり、ボロ布を着た人々がバラック小屋に身を潜めて暮らしていた。ここまで廃れた様子だとは、遼太郎は思っていなかった。が、そこで暮らす人々の目には活力が溢れ、とっても幸せそうに笑っている。
「あ! ソフィアおねーちゃんだ!」
やんちゃな男の子がソフィアに気づき、声を掛ける。
五人の子供たちがソフィアの周りに駆け寄る。
「今日はどうしたの?」
やんちゃな男の子がソフィアに尋ねる。
「ソフィアおねーちゃんのお友達を連れてきましたの」
「おともだち?」
ソフィアは振り返ると遼太郎を手招きする。
「幻中遼太郎様ですわ。皆、仲良くして欲しいですの」
「どうも、初めまして」
遼太郎は軽く頭を下げる。
子供たちが駆け寄ってきた。
「おやしきのおにいさんとにてるね! そっくり~」
元気な女の子が無駄に両手をぶんぶん振って感想を述べる。
「りょうたろさん? 聞いたことあるような?」
眼鏡をかけた女の子が首を傾げる。
「まもなかってへんななまえだね~」
少し背の高い幼稚園年長ぐらいの男の子が遼太郎を突きながら名前を弄る。
「もういっそ、モナカで良くね? あたまモフモフだし。モナカっぽいじゃん!」
最初に声を掛けた、やんちゃな男の子がニカっと歯を出して命名。
「ねーねー。モナカのおにいさん。あそぼうよ~」
元気な女の子が服を引っ張る。
リボンを結んだもう一人の女の子はつぶらな瞳で遼太郎を見つめ、黙っている。
あっちこっちから子供たちの声。ああ、子供って可愛すぎると、遼太郎の心は癒される。
「遼太郎様。ほんと、あなたって人は……」
ソフィアが遼太郎の緩んだ顔を見るなり、呆れる。
「お、おい。俺は何もしていないぞ……」
「そうでしょうか? 目がいやらしいですわ」
やんちゃな男の子がその様子を見て、
「もなかのおにいちゃんとソフィアおねーちゃん、とってもなかよしだね」
と指差す。
「もしかして、今日デートしているの?」
元気な女の子が飛び跳ねながら尋ねる。
「おねーちゃん達、付き合っているの?」
眼鏡の子も続ける。
不意を突かれた子供たちの質問に、ソフィアは赤面。
「そ、そ、そ、そんなことありませんわ! 大体、この節操なしと付き合うはずありませんものっ!」
「なっ! 確かに子供や美和とか、愛するものには気が緩むけど、節操なしではないぞ! ソフィアは俺の事を誤解というか、意識し過ぎじゃないのか?」
「い、意識し過ぎですって? 頭が最中アイスなのかしらっ? これだから、遼太郎様は……」
二人は動揺する。
「あ~、やっぱり。おねーちゃんたちなかよしだね~!」
子供の発言に、二人は間を違わず咄嗟に口を開かせる。
「「仲良しなんかじゃないですっ!」」
被った。意地悪な神々によって意図時に計られたような気もした。
ソフィアも同じような感覚になったのか、二人は顔を見合わせる。というか、ソフィアのいつもの癖が出ていなかったような気がしたのは、気のせいだろうか。
照れくさくなった二人は直ぐに目を反らす。ソフィアも遼太郎も、何度かお互いを見ようとしたが、その度に目線が被ってしまう。
「な、何なんですの!」
「それはこっちのセリフだ!」
二人は言い争う。付き合いたての恋人のように。
「どうぞおしあせに」
先程まで黙って見ていたリボンの女の子がボソッとつぶやく。
「ち、違いますわ! 遼太郎様には、その、彼女がおりますの」
自分で弁明しておきながらも、ソフィアは少し悲しい顔をする。
「そうなの? モナカおにいちゃん」
眼鏡の女の子が尋ねる。
「う、うん。美和っていう彼女がね」
少し照れながら遼太郎は答える。
「あのこわいひと? あれ? それって……。おやしきのおにいさんの女じゃなかった?」
少し背の高い男の子は違和感を覚えたのか、首を傾げる。
ぎくっと、焦る遼太郎。視線をソフィアに送る。
「りょ、遼太郎様はご主人様の双子の弟ですわっ」
ソフィアが無理やりな感じだが、フォローを入れてその場を誤魔化す。
「そうなの? しらなかったなぁ~。じゃあ、おやしきのおにいさんはフラれたのかな?」
「そ、そうかもですわ。もしかしたら、私と恋仲になるかもしれませんわ」
ソフィアよ。都合よく何を言っていると、心の中で遼太郎はぼやく。
「では、そろそろ遼太郎様を案内しますわ」
ソフィアが上手く切り返して、目で合図する。
「え~。遊ぼうよ~」
やんちゃな男の子がソフィアに抱き着いて離れない。
「申し訳ありませんですの。今日はこれから美和様に会いに行くのですわ」
「え?」
遼太郎はうろたえる。先日、変な別れ方をしていたので、気まずくなる。
「私ならここにいるけど?」
遼太郎はびくっとする。声に反応して後ろを見ると、ダルそうな表情でボサボサの頭の鏡人の美和がそこにいた。服装も凄くラフというか、寝巻だ。
「み、鏡人の美和っ!」
「あ? なんだょ? お前もいんのかよ。ソフィアだけかと思ってた」
「遼太郎様が来るとお話したら、美和様、断りますわよね?」
鏡人の美和は苦い顔で二人を見る。
「アイツと顔が同じだから、ソフィアとセットで見るとイラつくんだよ。ったく……。こんな事なら寝てればよかった」
鏡人の美和は相変わらずの悪態を晒し、遼太郎を睨む。
超辛い。早くお家へ帰りたい。今なら某住宅会社のCMに起用されても、名演技ができる自信がある。
「あったかいお家が待っている~」
遼太郎は独り事をつぶやく。
「何を言っているのかしら?」
ソフィアが冷たくあしらう。
「そんなことより、八重樫日奏亜たん。今日は何のご予定で?」
鏡人の美和がソフィアを突き始める。
「ですから! それは止めるんでしゅの!」
「あー、照れちゃって。カミカミソフィアだ! 弄り甲斐があるなぁ」
「止めるんですのっ‼」
ソフィアはいつも以上に顔を真っ赤にし、涙ぐむ。ぶんぶんと手を振って鏡人の美和に対抗している。
そんなに気にしなくても良いのにと、遼太郎は二人の様子を遠目に眺める。
「改名したいですわっ! もう、こんな名前嫌ですわ‼」
「まぁまぁ。落ち着いてソフィア」
興奮を抑えきれず暴走しかけたソフィアを遼太郎が羽交い絞めにして抑える。
鏡人の美和は懲りずにソフィアを弄る。
「で、日奏亜たん、要件は?」
「今日は美和様と一戦交えるのですわ!」
まだ、ソフィアは落ち着かない。
「ソフィア、違うでしょ? 何か別の要件があったんでしょ?」
遼太郎がソフィアを宥める。
「まさかこの変態と仲良くしろとかではないよね?」
鏡人の美和が嫌そうな表情でソフィアに伺う。
少し落ち着きを取り戻したソフィアは深呼吸すると、ふてくされた顔で鏡人の美和に用件を伝える。
「美和様のお部屋を紹介してほしいのですわ!」
「へ? 部屋?」
鏡人の美和が動揺している。
「そうなのですわ! 鏡界での幸せとはどういう生活なのか。それを見せて下さいな!」
「俺からも頼むよ」
遼太郎もソフィアに合わせる。
「おい、ソフィア。私が日頃嫌がらせをするからって、その仕返しで言ってないか?」
ソフィアは目を反らして返事する。
「はて? 何のことかしら? それとも? 見られるのがそんなに困るのかしら?」
「そ、そんなことは……。ないけどさ……」
いつもの立場が逆転している。ソフィアがジト目で威圧する。
観念したのか、鏡人の美和が面倒臭そうに舌打ち。
「ちっ。仕方ねぇな」
「流石、美和様は心が広いですわね! フフフッ」
どことなく怖い笑みを浮かべるソフィア。
「それと、もう一つお願いがありますの」
「今度はなんだ?」
ソフィアは真剣な目つきになる。
「例の通過儀礼ですわ」
「ああ。あれか」
二人は急に小声になる。
遼太郎は嫌な予感に身震いする。
「何だい? つ、通過儀礼って?」
「別に何でもありませんのよ?」
「そうだ、相棒、気にするな」
二人の様子はとても白々しいが、遼太郎は黙って従うことにする。
「さぁ、行きますわよ!」
ソフィアは遼太郎の手を取り、引っ張る。
「おねえちゃんたちいいなぁ~。たのしそうだなぁ~」
やんちゃな男の子がそう言うと、子供たちは皆、寂しそうにこちらを見る。
「また遊んであげますわ」
ソフィアは子供たちの頭を優しく一人ずつ撫でていった。
「こんどはぜーったいあそぶんだからねっ!」
元気な女の子が微笑む。
「みわねえちゃんも、モナカのおにいさんもっ!」
鏡人の美和と遼太郎は微笑み返し、返事する。
「今度ゆっくりお兄さんと遊ぼうな!」
「また来てやるよ」
「わーい‼ 楽しみ~‼」
手を挙げて喜ぶ子供達をみて、三人は癒される。
手を振って子供たちと別れると、三人は鏡人の美和の家へと足を進める。車を降りた広場からそう遠くないところに、古びた木造のアパートが並んでいた。その一角に鏡人の美和のアパートはあった。
バラック小屋ではないことに遼太郎は安心する。いくら幸せとは言っても、バラック小屋での生活をしてほしくはなかった。一方で不安もあった。よくよく考えると、現実が満たされていればいるほど、鏡界の状況は過酷になるはずだ。アパートはどのあたりのランクなのだろう。
遼太郎は青ざめる。現実の美和に限って、心が満たされていないなんてことはないだろう。そう思いたいが、どこかにそう思えない自分がいる。
入り口前で、鏡人の美和が汗を流し、
「ちょ、ちょっと待って」
と、頑なに入室を拒む。
「あら? 美和様。見られたくないものでもあるのかしら?」
「私も女の子なのっ! 突然の事だったから、部屋にあ、上がれるように整理したいのよっ!」
先程までの威勢はどこに行ったのか、鏡人の美和は恥ずかしがって落ち着きがない。
ソフィアは「フフフ」と笑い、容赦なく鏡人の美和の弱みに付け込む。
「珍しいですわね? 美和様が整理なんて。私が上がったときは、散らかっておりましたのに」
「うっさいわね! 黙ってそこで待っていなさい!」
そう言うと、鏡人の美和は急いで中に入り、バタンと扉を閉める。
時々、ゴソゴソと物を奥に詰め込むような音が部屋から聞こえる。
しばらくして、鏡人の美和が出てきた。
「は、入ってもいいわ」
「では、お邪魔しますですの!」
ソフィアは遠慮なく、ずかずかと入室する。
「お、お邪魔します……」
遼太郎も一緒についていく。
部屋は六畳間ぐらいだろうか。曇り硝子の窓隅にはひびが入り、隙間風が部屋をひんやりさせる。薄暗くいかにもな物件。でも重い空気を感じさせない、どこか懐かしさを感じる空間だった。
六芒星の絨毯がミスマッチに敷かれ、炬燵の上には、みかんとガスコンロが置かれている。おばあちゃんの家かと、遼太郎は突っ込みたくなる。
氷を買って入れるタイプの古い冷蔵庫。木製のまな板と包丁がシンクに置かれている。
風呂はついていないようだ。通り掛けに見かけた銭湯の名が刻まれたタオルが物干し竿に干されている。
押し入れは、明らかに物が詰められたような感じで痛々しい。布か何かが挟まって顔を出している。
鏡人の美和が明かりをつけると、電球色のオレンジが三人を包む。箪笥の横、部屋の隅に縦長の姿見が見受けられる。
「遼太郎様、これが裕福な方の暮らしですの! とっても温かくて落ち着く場所ですわ」
いつもに増してソフィアが生き生きとしている。
「ソフィア、本当に私の家好きだよな? 現実から来たっていうのにお前、変わっているよな?」
「そんなことないですわよ! レトロで素敵ではなくて!」
ソフィアは部屋の空気を吸い込むように嗅ぐ。
それを見ていた鏡人の美和は幻滅する。
「なんか、気持ち悪っ」
「私は落ち着いている雰囲気が良いんですの」
はんっと、鏡人の美和は笑い飛ばす。
「よく言うわね。毎日ゴスロリのようなヒレヒレの服着ているメイドさんなのにさ」
「それはそれ、これはこれですのっ!」
ソフィアはまた馬鹿にされて苛立つ。
「ふーん」
「美和様のバーカ! そんな意地悪ばかりすると、もうあの事バラしてしまいますわよ!」
「お、おい!」
鏡人の美和はやはり何か隠しているようだ。
「そこの押し入れに隠しているのはバレバレですのよ。ぶちまけてしまいなさいな」
押し入れの取っ手にソフィアが手を掛ける。
「ダメだっ! それだけはダメっ!」
鏡人の美和が何時になく必死にソフィアを止めようとする。
ソフィアは遮る手を払い、押し入れを開ける。
「ダメ~っ‼」
鏡人の美和が声を上げた時はもう遅く、勢い良く雪崩のように流れ出たそれは、モフモフのぬいぐるみの山だった。どこかで見たことのあるキャラクターだ。
「これが美和様の秘密ですわ」
「ソフィア、これが秘密なのか? そんな物ではないような気がするが……」
鏡人の美和を見ると、顔を伏せている。
「遼太郎様は鈍いですわ。どこかの誰かにそっくりではないですか……」
「えっ?」
転がったそれを拾い上げる。凄くモフモフして肌触りが良い。
ふと、遼太郎は先日の出来事を思い出す。
「あっ、これは確か!」
美和とこの間、家で飲んだ時に見たCMの『あれ』ではないか。
ソフィアに言われるまで気がつかなかったが、確かに遼太郎に似ている。特に頭だ。
「こ、このぬいぐるみ……。今幼稚園児に人気と噂の『南極暮らしのモフメット卿』じゃない? 現実の美和はこういうアニメと言うか、二次元とか言うのは知らないと言っていたけど……」
普段強気な彼女とは一変、目に涙を浮かべている。
遼太郎と目が合ったのが気まずいのか、咄嗟に真っ赤になった顔を手で覆い隠した。彼女は恥ずかしそうにうずくまりながらも、ぼそぼそとつぶやくように口を開く。
「た、たまたま? こういうのが好きな近所の子供がいて? その子が大量にモフメットを持ってて。そのいくつかをもらっただけだけど? べ、別に興味があるとか、かわいいとか、そういうんじゃないんだからね!」
「お、おう」
ツンデレって本当にいるんだと、遼太郎は感動する。
「こんなに沢山貰えるものかしら? 美和様は嘘が下手ですわね、フフフ」
わざとらしくお上品にソフィアが笑う。
「そ~ふぃ~あ~‼」
鏡人の美和は、悔しそうに唸る。
「日頃のお返しですの~。美和様はモフメットが超絶大好きでいらして、いつも『私の婿~! モフモフ、サイコ~』とぼやく程ですのよ」
鏡人の美和は凄い量の汗を額から噴き流し、ソフィアの口を押えようと飛び掛かる。
「や~め~ろ~っ! も~、恥ずかしいっ!」
「確かに俺と似ているかもだけど、何が問題なんだ?」
遼太郎はソフィアに疑問を投げる。
「遼太郎様は気づいていなかったでしょうけれど、美和様は可愛い物が好きというより、モフモフな感触がするようなものに目が無くて、触っていないと手をワシワシするような禁断症状が出てしまう程なのですわ」
ソフィアの言葉を聞き、カチッと何かがはまる音がした。合点がいくと言えばいいのか。美和の今まで起こしてきた不可解な行動の謎が解けたのだ。
美和のハンドバッグにファーが付いている理由。犬の毛並み。時間があると、手の運動と言って、ぐーぱーを繰り返す行動も。全てモフモフに目がないからだった。
「ん? 待てよ。そういえば、美和って時々、ニマニマしながら上ばかりを見ていたことがあったけど」
「遼太郎様、もうお分かりでしょう」
となると、あの行動は遼太郎の頭を見ていたということになる。
「もしかして、モフメットが影響で俺と付き合うとかではないよね?」
そう、鏡人の美和に問いかける。
プシューっと煙が立ち上るかように意気消沈となった鏡人の美和が、呆然と口をパクパクさせて空を見ている。
と思いきや、いきなり体を起こし、構える。
もう全てがバレてしまったからなのか。吹っ切れた顔で、まるでおいしい魚を見つけた猫のように、遼太郎の頭を見ている。
「そんなに……触りたいの?」
鏡人の美和は、首を勢いよく縦に振る。これは、ヤバいやつだと遼太郎は悟る。
手が既にワシワシ状態で、よだれを垂らしかけて鏡人の美和が近づいてくる。
「ソ、ソフィア。これ何とかならない、よね?」
「ええ、無理ですわ」
「み、美和。落ち着こう。落ち着こうな、な?」
「遼たん。モフらせて」
「モ、モフ? ちょ、ちょ~っ!」
鏡人の美和に飛びつかれ、頭を触られて。
そこから先はあまり覚えていない。