第十二話 貧民街
その後、遼太郎はソフィアに着替えを用意してもらい、食堂で朝食をとった。
言霊はまだうまくコントロールできず、また美和の部屋を開けてしまったため、ソフィアに食堂まで誘導してもらった。
いつも朝食はパンをつまむ程度の遼太郎にとって、シェフが手配するビュッフェ式の朝に感動で涙が出た。
ソフィアの言霊で遼太郎の寝室に戻ると、ソフィアは遼太郎に予定を伺う。
「この後、どうなさいますの?」
「外の様子を見て見たくて」
遼太郎の様子を見るなり、ソフィアは手の平を合わせ、提案する。
「あ、それでしたら、私からご案内したいところがございますの! ご同行致しますわ」
「ありがとう、ソフィア。助かるよ」
「どこに行きたいのかしら?」
「貧富の様子が逆転していると聞いているから、差を見て見たくて。先ずは貧困街へと思ってね」
急に眉間へ皺を寄せ、考え込むソフィア。
「――では早速、準備致しますの」
ソフィアは浮かない顔のまま自分の部屋に戻る。
しばらくして、再びソフィアが遼太郎の寝室を訪れる。
なんだか、服装がいつもと違う。いや、明らかに違う。目立たないようになのか、全て黒で長めの丈の服。しかも、髪や目の色も黒になっている。
少し驚いている遼太郎の様子を気にもしないで、遠足に行く子供を送る母親のようにソフィアは荷物チェックをする。あえてそういった素振りをソフィアがしているようにも見える。
「最後に、鏡はお持ちですの? 昨日申請しましたので、当分の間は鏡の仕事は訪れませんわ。でも、いざというときは、それを媒介にして対応しますのよ」
「持ったよ、ソフィア」
遼太郎はリュックの中身を確認して答える。
「それでは、参りますわよ」
目を瞑って、ソフィアは接続の言霊を唱える。
「鏡界へ導く霊智を授け、繋げよ! 接続!」
ソフィアが言霊をかけ終わると、部屋の扉が開かれる。その先はお屋敷の中庭へと繋がっていた。
とても広く青い空、緑の芝生と溜池、門まで続く一本の長い道。そこをまっすぐ突き抜け、停めてあった車に乗り込むと、二人はお屋敷を出て街へと繰り出した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ここが鏡界の貧困街ですわ」
車に揺られて辿り着いたところは、ヒルズ街のようなところだった。高級な店や高層ビル、オフィス街、おしゃれなカフェ、高額そうな装飾を身に着けた人々。気品溢れる街。
「ん? ソフィア、ここ本当に貧困街なの? 高級街ではなくて?」
「貧困街ですわ」
ソフィアは真面目な表情で答える。
「逆転していると聞いてはいたけども、どう見ても俺には高級に見えるよ」
「それは、仕方ないですわ。高級=煌びやかなイメージがしみ込んでいますから。でも、ここの者達は皆、外観ばかり華やかで、中身は淀んでいますわ」
「はい?」
返答の意味が分からず、遼太郎は混乱する。
「申し訳ありませんですの。あまりこの場所で目立つことは控えたいですの……。一度、ここにいる人と関わるとわかりますわ」
どういうことだろうか。
深めの帽子を被っているソフィアの様子から、何かあるとは察しがついていた。
この街に対してなのだろうか。
ソフィアは時折、身震いをして、遼太郎に寄り掛かる。
「すみません、ちょっとお話を伺ってもいいですか?」
遼太郎は通りすがりの男に話しかけてみる。
「はい……、何か?」
少し面倒くさそうに男は返事する。
高級な腕時計をし、立派なスーツ一式を身にまとい、ピカピカの靴やカバンを所持した、いかにも凄い仕事が出来そうな見た目のサラリーマンだった。
「えっと、唐突な質問で申し訳ないのですが。ここにいる人々は、凄く裕福そうに見えるのですが、何でそんなに辛そうなんですか?」
「ちょっと! それは直接過ぎますわ」
ソフィアが止めに入る。が、声を聞いた男がソフィアの方を見るなり、ソフィアは慌てて俯く。徹底して目を反らし、遼太郎の背中に隠れる。
その様子を見て、男は怪しむ。
「何でそんなに辛そうなんですか?」
遼太郎は視線をこちらに向けようと、あえて二度同じ質問をする。
「お前、喧嘩売っているのか? 裕福? どこがだ?」
男は苛立って答える。
「み、見た目?」
「金品、財宝、高級感のある装飾品を見て言っているのか?」
「どう見ても裕福そうに見えますが?」
遼太郎は悪気無く、返答。
世間知らずの青年と思ったのか、呆れた表情でからかう。
「お前、同じような容姿なのに、頭がお花畑なのか?」
「えっと、同じ容姿かどうかは分かりませんが。お屋敷みたいなところに住んでいて」
男は目を丸くする。
「お前、あのお屋敷の⁉ それは、お気の毒に……。よくそんな能天気に生きていられますね」
「えっ、そんな辛くはないですよ?」
男の言葉の意が分からず、遼太郎は素直に答える。
本気で言っていると察したのか、親切に小声で耳打ちする。
「とぼけているのかい? お金持ちや豪華になると、どんどん心が満たされなくなっていって、突然、姿を眩ましちまうって話、流石に知っているだろ? そういうやつを何人も見てきたよ」
初耳な内容に遼太郎は動揺するが、相手に合わせて返事をする。
「あ、ああ。そうだな」
「何か良い話とか無いか? 旦那なら知っているんじゃないか? 珍しい物とか侵入者とか」
ギクッと、遼太郎は焦る。
気づいた様子もなく、小声で男は耳打ちし続ける。
「なんでも、そういう類の話を管理者に報告すれば、貧乏になれるって聞いたんだよ。噂によると、仮初の存在が鏡界にいるみたいでね。富豪の人がそういうネタを血眼になって探しているよ。余程このレッテルから抜け出したいんだな」
「その、仮初って……」
遼太郎は恐る恐る詳細を伺う。
「今噂されているのは、白髪で目の色素の薄い女らしいぜ」
遼太郎はぞっと血の気が引く。
「確か仮初の存在になると、一部分を失うか、アルビノっていう体の色素を失う状況になるか、らしいぞ。その中でも、アルビノは美しくて。管理者に引き渡せば、貧困者になって心が満たされるとのこと。羨ましいよな?」
「へぇ……。そうなのか……」
遼太郎は気が気じゃなく、よそよそしい返事しかできない。
「まあ、都市伝説みたいなものだよ。鏡界は橋渡しの場とは言えども、管理は厳しいし、先ずそんなことはありえないだろうよ」
「そうなんだね。ははは」
「大丈夫か? さっきから顔色が悪いけど」
遼太郎は顔を上げ、元気な振りをする。
「あ~、いや、良い話聞いたな~と思って」
「そうだろ? 見つけたら報告しろよ! では、私は急ぐのでこれで」
そう言うと、男は小走りで去って行った。
「……。そういうことですの。遼太郎様」
ソフィアは心苦しく口を開く。
遼太郎は申し訳なさそうに頭を下げる。
「嫌な思いをさせたみたいだな」
「いいえ、仕方ありませんわ。命を救われた分、私が負わなくてはならない代償ですの」
そういうソフィアの声は震えていた。
代償とは言え、何時誰から襲われるか分からない状況下で、ずっとソフィアは生きてきたのだと想像しただけで、遼太郎は気が狂いそうになる。
その時、背後から足音がして、
「幻中社長じゃないですか!」
と、突然、遼太郎は呼び止められる。
聞き覚えのある声。嫌な予感。振り向くとそこに、黒瀬がいた。
「黒瀬先輩?」
「先輩? 私は貴方の部下ですよ? 何をおっしゃるのですか!」
「えっ? あ、そうか?」
立ち位置が分からない。自分が社長で、黒瀬が部下という状況が奇妙過ぎる。
「お疲れ様です!」
「お、お疲れ様」
「いや~、それにしても社長。こんなところでお会いできるとは。嬉しい限りです。それに、あんなに苦戦したキャスパーさんの件も上手く行って良かったですね」
「ほう、そうなのか」
現実の黒瀬とは明らかに雰囲気が違う。凄く遼太郎を慕っている。
それに加え、黒瀬はキャスパーさんの契約がとれたという。現実で起きた事象も逆転するのかと、遼太郎は鏡界の逆転現象を肌身で感じ、理解を深める。少し調子に乗った遼太郎は黒瀬に様子を伺ってみる。
「そっちは最近どうかね?」
「いや~部長にはなれたものの、成績はぼちぼちで。それに比べて、社長は凄いですよね。最年少で社内トップの成績を叩き出して、社長の座を奪ってしまったのですから」
なかなかやるなぁと、鏡人の仕事っぷりに遼太郎は感心する。
念を押して、ソフィアにも小声で問いかける。
「ソフィア、鏡人ってそんなに仕事できるのか?」
「遼太郎様と真逆の性格とスキルを鏡人は持つので……。遼太郎様がダメダメな程、ご主人様は凄くなりますの。なので、ご主人様は社長で、信頼関係ができておりますの」
「おい、それはどういう……」
ソフィアは、先ずは聞いてほしいと言わんばかりに手で遼太郎を遮って、話を続ける。
「ですが、魂と心の充足は鏡界と現実は同じですの。本来ならば、社長業はそれなりの充足感があるでしょうけど、鏡界では全くもって心は満たされず、寧ろ不幸なのですわ」
仕事はできる。人間関係は良好。肩書は立派。でも、心は満たされない。
現実の感覚で考えると、矛盾していてなんだかよくわからない。遼太郎は理解に苦しむ。
「ふ、複雑な感情を鏡人はお持ちのようで」
「慣れるしかないですの。それが鏡界ですので」
最終的に根性論なのかと、遼太郎も若干諦め、そういうものだと飲み込もうとする。
「何かお取込み中ですか?」
黒瀬が二人の様子を伺う。
「大丈夫だ。それよりやりがいはどうかね?」
ソフィアを詮索されないように、遼太郎は話題を戻す。
「社長程ではないですが、部長も心は満たされないですよ。いっそ平社員になりたいですよ」
黒瀬は目を瞑り、天に祈るように合掌しながら答える。
「新入社員として別の所に行くのも手ではないのか?」
「えっ、社長。鏡人は従者ですよ? 現実の方が変わらない限り、選択権は我々にはないですよ?」
「そ、そうだったな。あはは」
「そうですよ。びっくりさせないでくださいよ」
墓穴を掘りそうで、遼太郎は発言に気を遣う。
何を話そうかと考え込んでいると、
「社長? どうなさいました?」
と、黒瀬は心配そうに声を掛けてきた。
「いや。何でもないぞ。心の充足は大事だぞ。無理はするなよ」
「おっしゃる通りですね。こんな我々の事を気にかけて下さるなんて! ありがとうございます」
黒瀬は深くお辞儀をする。
「おお、休日なのだからゆっくり休みたまえ」
「はい。ではこの辺で失礼致します」
「お疲れ様」
「お疲れ様です」
何度もペコペコとお辞儀をして、黒瀬は去って行った。
黒瀬の敬語。肩書の違い。雲泥の差だ。
こんなにいい環境なのに満たされないなんて。鏡人は可哀そうだと遼太郎は思う。
「遼太郎様、ちょっと調子に乗りましたわね?」
「……ん? 何のことかね、ソフィア」
ソフィアはムッとした表情で遼太郎を叱る。
「ですから、そういうところですわ。ご主人様の立場を弁えて言動をしてくださいますかしら? 遼太郎様のダメなところが鏡界で路程すると、現実にも大きく影響しますわ! 少し心配になってきましたの」
「すまない。ついな」
「つい、ではありませんの」
「申し訳ない」
「分かってくれればいいんだよ。遼太郎君!」
遼太郎の声と口調を真似て、ソフィアは指を立てる。
「おい、からかっているだろ、ソフィア」
「いえ、何でもありませんですのっ」
ソフィアはニコッと微笑んだ。
その笑顔に周囲の空気が明るくなる。周りの人々が影響され振り向く。
はっとして、ソフィアは笑みを抑える。どうやら先程の言葉や笑顔に『言霊』や『色霊』の力が漏れ出てしまったようだ。
周りの視線を気にして表情を隠し、ソフィアは帽子を深くかぶった。
「それより……。ここに長居するのは私、少し辛いですの。そろそろ場所を変えたいですわ」
ソフィアは遼太郎の腕に抱きついて、懇願する。ソフィアの胸の感触が伝わる。
遼太郎は何事もなかったかのようにつぶやく。内心、興奮でどうにかなりそうな気持ちを抑えながら。
「移動しようか」
「はい、ですの」
ソフィアはスマホを取り出し、何か操作をしている。それを見て、遼太郎はポケットに手を突っ込み、スマホを取り出す。色々なことがあり過ぎて、存在を忘れていた。遼太郎はスマホの画面を触る。が、触っても動かない。当然だ。電源が入っていないことを思い出した遼太郎は電源ボタンを長押しする。
と同時に、
「こちらで車を呼びましたわ」
と、ソフィアが遼太郎に告げる。
間もなく車が現れ、二人は中に乗り込むと、自動でそれは走り出した。