第十話 知られざる過去
真っ暗闇な視界に光が差し込む。目を開けると床が見える。どうやらうつ伏せのまま引きずられたらしい。遼太郎の体中に痛みが走る。手足が動かない。縛られているようだ。
「ようやくお目覚めですの」
聞き覚えのある声と口調を聞き、遼太郎は痛恨の一撃を食らったのを思い出す。
ソフィアは遼太郎の首根っこを掴むと、身体を持ち上げて上体を起こす。
見覚えのある大広間。鏡人と入れ替わりをした部屋のままだ。
「俺、死んだんじゃないのか?」
遼太郎は身を確かめる。浮遊感はない。呼吸も――よし。
「フィ~ア、やり過ぎだって! 加減ってものをしないと!」
鏡人がソフィアに注意をしているのが聞こえる。
「申し訳ありませんですの。不足な事態が起きると、つい手が出てしまう癖が……」
「守ってくれる心はありがたいけどねぇ。気を付けておくれよ、フィ~ア」
「はい。気を付けますの。それと、私はソフィアですの!」
この状況は一体、どういうことなのだろうか。
周りを見回すと、ソフィア以外に見知った女性がそこにいる。が、あえて今は触れないことにし、遼太郎は状況を確認する。
「あ、あの~。どうなってるの?」
ソフィアはその場を仕切り直そうと、咳払いをする。
「この度は手を出してしまい、申し訳ありませんですの。危害を加えてしまった責任もございますし、私から事情を説明致しますわ」
ソフィアは深々と頭を下げた。
「実は、私も現実からご主人様に拾ってもらった身ですの」
「えっ⁉」
まさかだった。ソフィアも自分と同じ現実者だった。
「どういうこと?」
遼太郎はソフィアに問いかける。
ソフィアは成り行きを説明する。
「八年前の事ですわ。鏡界内で、ある地域一帯の鏡人が突如大金持ちになる事件が起きましたの。不幸の前触れではないかと、その現象を恐れていた鏡人たちはその後、大きな地殻変動に埋もれて消滅しましたの。現実でも起きたアレですわ」
遼太郎はすぐ理解した。大勢の死傷者を出した大災害を忘れるはずがない。
「あの火山噴火と大地震の大災害か」
ソフィアは目を瞑り、こくりと頷く。
「あの時、私は家におりましたの。いきなり揺れ出しましたわ。出かけていた家族とは離れ離れとなり、仕舞いには、瓦礫に埋もれましたの」
気づくと、ソフィアの目には涙が溜まっていた。
「重く暗く、何時助けが来るのかも分からない状況でしたわ。足の痛みは増し、溶岩が流れ込み、瓦礫に点火しまして。じりじりと暑さが増してくる感覚を今でも覚えていますわ」
そう言って、ソフィアは履いているストッキングを下ろし始める。
突然の仕草に、遼太郎は目を伏せる。
「ソフィアさん、そういう大胆なことは」
「遼太郎様は何を言っているのかしら? いやらしい妄想は止してくださいまし。さあ、もう見ても良いですわよ」
ソフィアに言われ、遼太郎は目を開く。
彼女の右足には、あちこちに火傷で爛れた跡が残っている。見ているだけで痛々しい。
「これは、酷い」
ソフィアはソファーに腰かけると、ストッキングを履き直しながら話を続ける。
途中で下着が見えた気がしたが、遼太郎は気にしないことにする。
「自分の死を覚悟しましたわ。ですがそこに突然、光が差しましたの。洗面台の鏡が輝くのを見て、私は必死に手を伸ばしましたわ」
「それがここだったと」
ソフィアはうんうんと頷くと、憧れのまなざしを鏡人に投げかけながら語る。
「ご主人様が私を引っ張り、救い上げて下さいましたの! 感激ですわ!」
「あの時は良かった。なんせフィ~アはタオル一枚の状態だったからな」
間を入れず鏡人も頷きつつ、とんでもないことをさらっとつぶやく。
ソフィアは目を反らし、顔を赤くしている。
「にゅ、入浴中にあんなことになるとは……お、お、思っていなかったのですわぁ~」
遼太郎は口をあんぐり開けて呆然とする。不覚にも想像してしまった。
背後で、「ちっ」という舌打ちが聞こえた気がする。
背筋が凍るような感覚に陥る。聞き覚えのある声がしたからだ。
「ま、まさかね~」
遼太郎は小声で独りつぶやく。
空気を読まない鏡人は、当時の状況を思い出しながら語り始める。
「あの災害では、鏡界でも多くの緊急処置が取られてね。なんせ多くの犠牲が出たから、バランスが崩れちゃって大変だったよ」
ソフィアは、当時聞けなかったことを鏡人に質問する。
「行方不明者の内、何名かは鏡界へと渡っていると伺っておりますが、あれは本当ですの?」
「身元がバレて、管理者に連れていかれたのもいたねぇ」
鏡人は少し悲しそうな顔をして語る。
「でも、私は今もこうして使用人として匿って貰えて幸せですわ」
「そうかぁ? 俺も癒されるから、ソッフィ~好き!」
鏡越しで自分が美和を放って浮気しているような地獄絵図が目の前に広がり、遼太郎は複雑な気持ちになる。というか、やめてほしい。先程からとても鋭い視線が背中に当たっている気がしてならないからだ。
遼太郎は話題を反らそうと、ソフィアに質問する。
「ソフィアさんの鏡人の方はどうなったんだ?」
ソフィアは首を横に振り、悲しそうな表情をする。
「地殻変動の際に、巻き込まれて消滅したそうですわ。ご主人様が調べて下さいましたの」
「そうなると、現実のソフィアさんはどうなってしまうんだ?」
「ですので私は『仮初の存在』ですわ。もう鏡の前に立っても姿は映りませんの。現実世界に行けば、実態がないと勘違いされて、化け物扱いですわ」
五の、『現実で存在するものと鏡界で存在するものとで比べると現実の方が強い』というのはこのことかと、遼太郎は鏡界の仕組みを実体験談から悟る。
遼太郎はここぞとばかりに、自分の今後の処置について伺ってみる。
「ち、ちなみにだけど。ソフィアさんの境遇と同じところがあるから。お、俺のことは黙ってくれるのかな? そろそろ縄も解いてほしいなぁ。なんて、あははは」
ソフィアは急に態度を変える。冷たい視線なのに、口元は怪しげに笑みを浮かべている。
「さて、どう料理しましょうかしら?」
右手にナイフをちらつかせ、舌なめずりをする。
「ひぃぃー」
遼太郎は頭を抱えて身を守る。
「冗談ですわよ。使用人という立場ですので、本来は通告しないといけませんが……。私もご人様から救ってもらった身ですの。ご主人様が命を賭けて入れ替わりなさるということなのでしたら、このソフィアも命を捧げますわ」
「はぁ……。助かった」
遼太郎は安堵しつつも、
「おい、コラ! やりやがったな」
と、鏡人を一喝。
いつものようにニカっと鏡人は笑う。
「ふふふ。そうでもしないと面白くないだろ? 遼ちゃん、真剣に生きてないから懲らしめようと思ってさ。あの一撃で死んだと思ったでしょ? バーカ。ザマを見やがれ!」
「ご主人様、お話して下さればもっと上手に仕掛けましたのに……」
「話さない方が面白くなると思ってね」
「流石ですわ‼ 私のご主人様っ‼」
ソフィアは鏡を撫でる。ピカピカと光る鏡。時々キュッキュッと、音が鳴る。
鏡人の喜びのように聞こえるのは自分だけだろうか。
「で、もう一つ気になることがあるのだが……。美和だよな?」
美和らしき人物が腕組みをしてのけぞり、先程からずっとイラついてこちらを見ている。
「はぁ?」
どう見ても明らかに、見た目は同じ美和だ。なのに、目つきや口調、態度がまるで別人だ。
「えっと、人違いならごめんなさぃ……」
遼太郎は人違いであってほしいと思いながら、自信なさげに謝る。
「なんだ? えらく気弱だなぁ。こんな奴のどこが良いんだか」
遼太郎に衝撃が走る。
彼女の口から暴言なんて聞いた事なかった。一体どうしたのか。悪い物でも食べたのだろうか。
頭を掻きながら少しやりにくそうに、ソフィアが口を開く。
「えっと、ですわね。この方は鏡人の美和様ですわ。一様ご主人様のパートナーですから、現状を報告しようと電話で私が呼びましたの」
「一様って何だ? このアバズレ‼」
「ア、アバズレ⁉」
ソフィアはいきなりの暴言に衝撃を受ける。
「さっきからイチャイチャしやがって、この泥棒猫!」
鏡人の美和は容赦なく、攻撃。
「違いますわ‼ 私は使用人ですの‼」
負けじとソフィアも対抗する。
「うるせぇなー。使用人が裸で抱き着くのかよ、このエセ外国人が!」
「あ、あれは不本意ですの!」
またソフィアは顔を真っ赤にして照れる。
「そうか? にしては、さっきからにやけが止まっていないじゃないか? え?」
「そ、それは……」
ソフィアの顔は惚れた女の顔だった。ご指摘通り、ニヤニヤが止まらない。
「それによぅ。母がイギリス人だったからって、お高く留まり過ぎだね。しかも、本名にそれはないわ」
「なっ、それは!」
遼太郎は鏡人の美和の突っ込みを聞いて疑問に思う。
あの災害は、東北地方で起きた。ということは、日本に住んでいたはず。
ソフィアという名前は鏡界での仮の名だと思っていた。
が、鏡人の美和は『本名』と言ったのだ。
「き、気になる。詳しく!」
遼太郎は話に便乗して突っ込むが、
「お前は黙ってろ!」
と、鏡人の美和に一蹴される。
「すみませんでした」
遼太郎は隅で静かに様子を伺うことにする。
くるっと、鏡人の美和は振り返り、ターゲットを元に戻す。
「それに、その『ですわ』っていう口調も気持ち悪ぃんだよ! 何お嬢様ぶっているんだ? 田舎者だろ?」
「そ、そっただことは言わねえ約束でしょが! 気にしてんだっぺよ!」
ソフィアは所々で方言が隠し切れず、ボロが出る。
鏡人の美和はソフィアの首根っこを腕でホールドし、容赦なくソフィアを弄る。
「コイツ、本当は八重樫奏日亜って言うんだわ。流行っているからって、ノリで母親がキラキラネーム付けたんだと。あはは」
「もう~! やめてけろ~!」
ぽかぽかとソフィアは可愛らしく鏡人の美和を殴る。
「ソフィアたーん。怒らないの~」
鏡人の美和は辞めるそぶりを見せない。
やられるがまま、ソフィアは鏡人の美和に人差し指で突かれる。
「ほんっとぉに、美和様は苦手だぁ」
方言のイントネーションでソフィアは不機嫌そうに言う。
仲が良いのか、悪いのか。遼太郎には分からなかった。
小一時間ずっと突いていたせいか、ソフィアはご機嫌斜めになり、鏡人の美和の攻撃に反応しなくなる。つまらなくなったのか、鏡人の美和は本題をソフィアに伺う。
「あ~。そろそろ飽きたから本題に入るか。でさ、私何でここに来たの?」
「もう教えませんのっ!」
ソフィアは口を膨らませて怒っている。
怒った姿も可愛いと遼太郎はその姿に癒される。
「悪かった、悪かった。謝るから許して、ソフィアたん」
「許しませんのっ! ふんっ」
更に怒ったソフィアはそっぽを向いて話そうとしない。
「ちぇっ。めんどくさい奴」
「あら。誰のせいでこんなことになっているのかしら?」
ソフィアの中で何か変なスイッチが入ってしまったと、遼太郎は嫌な気配を察知する。ソフィアのいつもの口調の中に殺気が混じっている。
「お前。やる気か?」
鏡人の美和が身構える。
「まぁまぁ、止めろって! 俺が話すから!」
鏡人が慌てて体裁に入る。
「ソフィア、みーちゃんは『入れ替わり』を知っているんだ」
「あら、そうですの。美和様の預かり知らぬことかと思いまして」
未だソフィアの口調は冷たい。
「ああ。彼氏から頼まれて、私自身の見張りを受け持っている」
見張りと聞いて、遼太郎の中で点と点が繋がる。
「お、おい。美和に手を出したのは……」
「あ~。ようやく分かった訳。鏡の力で首絞めたの、私よ」
遼太郎は彼女に敵意の視線を送る。
「本物を見るとイライラすんだよ。意地悪する機会がなかったから楽しかった~」
遼太郎の怒りは爆発。今にも飛び掛かりそうな勢いだが、手足が縛られていて身動きが取れない。
遼太郎から視線を反らし、鏡人の美和は脅しを続ける。
「でも~。干渉できる範囲が結構狭いのよね~。完全に現実へ行くには条件が足りなくてさ~。次は確実に締め上げる方法考えておかないとな~」
危険はここで排除しておきたいと、遼太郎は必死に縄を解こうと抵抗する。
「悔しいか? え?」
鏡人の美和は近づいて、遼太郎の顎を掴む。
「ああ、その通りだ」
遼太郎も睨み返す。
「でもお前。私に危害を加えられないだろ?」
「うん、殴れない。可愛いから」
迷いなく堂々と遼太郎は口を開く。
「なっ……」
突然の可愛いに不意を突かれ、鏡人の美和は後退する。
「ぷっ、美和様が自爆しましたわ」
ソフィアが吹き出して笑う。
「べっ、別に~。何とも思っていないけど~」
素直じゃないとこうなるのねと、遼太郎はツンデレ気質の彼女もありかなと思う。
「一本取られたわね、覚えておきなさい!」
鏡人の美和は遼太郎に指をさして、高飛車に出る。
口調や様子は違うが、鏡人の美和も美和の一部だと思うと、自分の鏡人と同じで悔しくはあっても恨めしい気持ちに遼太郎はどうしてもなれなかった。
「言い争いはそこまでですの!」
ソフィアが二人のやり取りにストップをかける。
先程よりソフィアはスカッとした顔をしている。
「いずれにせよ、現実の人が紛れ込んでいることは、他の方にバレてはいけませんわ。そこの利害は遼太郎様も私も同じですの」
「そうだね、ソフィアさん」
遼太郎はソフィアの意見に賛同する。
「それに、大きく干渉すれば辻褄合わせで、鏡界にも影響が出ますの。それを管理者が逃すはずありませんわ」
「つまり、何が言いたいんだ?」
遼太郎は率直にソフィアに質問する。
「美和様は現実者である本物の美和様に脅しはできても、手を掛けられない状況ですの」
「ちっ。なんだい、バレていたのか」
と、鏡人の美和は舌打ち。
「ここは休戦と言うことで、如何かしら? お互いに利があることをすれば良いだけですの」
それを聞いた鏡人はニヤつきながらソフィアを見るなり答える。
「それで、いいよ。俺は現実を満喫したい。遼ちゃんも鏡界を満喫すればいい。お互い幸せで溢れているんだから、何も問題ない」
「流石! ご主人様っ! ありがとうございますわ!」
頭の後ろに手を組んで、鏡人の美和が玩具を奪われた子供のような表情をする。イライラしたのか、ソファーに蹴りを入れる。
「ちっ、つまんねーな。まぁ、監視は続けるけどな」
「そこでご主人様。ご提案が」
「何だい?」
鏡人は鏡越しに耳を傾ける。
「遼太郎様はこの世界に対してまだ不慣れですわ。この特殊な鏡の範囲なら、監視も逃れられますわよね? でしたら、遼太郎様に演技をご指導頂けないかしら? もしくは特別処置をお願いしたいですわ」
「ソッフィ~ちゃんの頼みなら、聞くしかないなぁ」
「ソフィアですのっ!」
あっけなくソフィアの提案は鏡人に受け入れられた。鏡人はソフィアに甘い。
「仕方ないなぁ、教えるから身につけるんだぞ」
明らかにソフィアとは違う態度で鏡人は遼太郎に接する。
「また、フィーリング! とか言って誤魔化さないか心配だな」
「それはやらないよ。ソフィアちゃんに誓って」
「ソフィアさんに誓うのかよ!」
遼太郎は白けた目で鏡人を見る。
「宜しくお願いしますわ。ご主人様。それと特別処置も」
「何だいそれ?」
遼太郎は質問する。
「ああ、鏡の前で演技しなくても、普通の鏡が代わりに反射して誤魔化してくれるんだよ。管理者にお金払わないとだけどさ。まぁ、鏡人は充足感を感じられなくなるから皆、演技するんだけどね」
鏡人が重大なことを普通のテンションで喋る。
「おい! それ早く言ってくれよ!」
遼太郎は突っ込まずにはいられなかった。