涼と二人で
僕が教会の施設を出てから、ローナに戻ったのは昼頃だった。
テラスから抜け出した時は深夜帯だったために、馬車は出ておらず、街道を徒歩で帰ったのだ。
その時に、僕は早急にこの国を出ようと決心した。
寮へ不法侵入したことは、既に気が付かれているだろう。
侵入したのが僕だと特定されていない今が、他国に渡る最後のチャンスだ。
なにより、もうこことは関わり合いたくない。
僕はミリア達と泊まっている宿に戻り、荷造りを始めていた。
その途中で、添え付けの引き出しに隠していた白い髪飾りを手に取る。
以前、休みの日にミリアへプレゼントしようと買ったものだった。
「これも渡せなかったなぁ……」
この旅には誰も連れていけない。
髪飾りをゴミ袋に入れようとする――が、思い留まる。
僕は手にしたクリスタル細工に再び視線を落した。
(僕にとって、この髪飾りは"本物の"思い出なんだよね……)
ホムンクルスである僕の記憶は、"久田真司"のものだ。
彼の脳と同じものを持つ僕は、彼の記憶を持っている。
だからといって、それは僕が実体験したものではないのだ。
しかし、この髪飾りを実際に手に取り、買ったのは紛れもなく今の僕だ。
数少ない本当の思い出を捨てる事ができず、僕は持っていくことにした。
「さぁ、準備も終わったね」
ミリア達は、ギルドの仕事に行っているのか今はいない。
だが、その方が僕にとっては都合が良かった。
できれば、今は誰とも会いたくない。
この後は、馬車の乗り場へと向かう。
元から計画していたトールシールドに行くためだ。
宿泊代の精算を済ませて、宿を出る。
そこで、聞き慣れた声が僕を止めた。
「シンジさん、帰られたのですね!」
……誰にも会わないで旅立てるかと思ったけれど、無理みたいだ。
僕は、気まずさを感じながらも返事を返す。
「……ついさっきね。皆は仕事帰り?」
「そうじゃ! 今日も今日とて、あっさりじゃったな。……シンジはまた何処かに行くのか?」
僕が背負うバッグを指差して、質問してきたのは楓だった。
「うん。トールシールドに行こうと思ってね」
「「「え!?」」」
ミリアと幼女二人が、僕の言葉を聞いて唖然としている。
僕の気まずさに、罪悪感も加わった。
「……その……僕は急ぎの用事があって、一人でトールシールドへ行くよ。皆、ごめん」
僕は彼女達から目を逸らして伝える。
咄嗟に出た、自分の陰気な挙動に自己嫌悪を覚えた。
「急な用事ですか? 付いていってはダメなのでしょうか……?」
ミリアから、いつもより沈んだ声色が届く。
「うん、ダメなんだ。今日でパーティを解消させて欲しい。ごめんね」
今度は相手の目を見て、キッパリと言い切った。
そして、別れの言葉を付け加える。
「それと、今までありがとう。楽しかったよ!」
僕は相手の反応を最後まで見ていられず、「それじゃあ」と、足早にその場を立ち去った。
◇
馬車の乗り場へ向かう途中から、僕の足音に重なるようにトコトコとした音が聞こえてくる。
チラリと見ると、後ろには水色髪の小さな女の子が付いてきていた。
「……涼。どうしたの?」
僕は立ち止まり、女の子に声を掛けた。
「ねね様に道中の護衛をしろ、と頼まれたのです。トールシールドへの途中までですが、ご一緒させて貰います」
楓の指示か。
「……いや、僕もだいぶ強くなったし、護衛は大丈夫だよ。それに僕についてきて、二人の所に帰れなくなったら大変だよ? ここは異世界なんだからね」
「いえ、ご一緒させて貰います。ねね様の言いつけですから強制、です。それに私たち式神は、主が何処に居てもわかるのです。迷子になるようなことはありません」
「…………」
深夜からの気力が戻り切らない僕は、黙って彼女の言い分に流されることにした。
僕は馬車の乗り場に向って歩みを再開する。
――すると、また別の人から声が掛かかる。
「シンジくんニャ? 涼ちゃんと二人っきりなんて珍しいニャ~」
声の主はミーオさんだった。
「ミーオさん、こんにちは」
「こんにちはニャ! ……そんな荷物を持ってどこに行くのかにゃ? ま、まま、まさか涼ちゃんと駆け落ちニャ!?」
なんで、そうなるんだよ!
……まぁ、いつもの冗談だよね。
「いやいや、これから少し――あ、そうだ。僕はこれから他国に向かいます。何かギルドの手続きは必要ですか?」
「ニャ? 行き先のギルドで入国後の手続きが必要だニャ。こっちでは特にいらないニャ」
そういえばギルドカードのIDがわかれば、他国でも直ぐに活動ができるって言ってたっけ。
「そうですか。教えてくれてありがとうございます。……あと、短い間でしたがお世話になりました。ミーオさんが担当をしてくれて、本当に良かったと思っています」
僕は一礼する。
「ニ、ニャニャ! そんな……僕の方こそオーガの時に迷惑を掛けちゃったりで、ごめんだったニャ。……寂しくなるけど、冒険者だから仕方ないニャ~。またいつでも遊びに来てくれニャ!」
ミーオさんが、照れつつも「ニッ」っと笑い、別れの挨拶をしてくれた。
僕は再会の約束をして、その場を後にした。
◇
僕と涼が乗り場についた時には、次の便の馬車が既に停まっていた。
ここからトールシールドまでは、六つほど大きい街を越える必要がある。
日数でいうと十日程の道のりだ。
しかし、この便の行き先はローナからの距離が近い。
今から出ても、夕刻には着くだろう。
僕と涼は乗員室に乗り込む。
間もなくして馬車は出発した。
僕は車窓から見えるローナの街を眺める。
ここで一ヶ月あまりの時間を暮らしていたのだ。
ミリアと出会ったギルド。
皆で食べ歩きをした露店の通り。
「…………」
僕は呆然と景色を眺める。
しかし、ようやく一息つける状況になったことで、急な眠気に襲われた。
ガタゴトと音を立てる揺り籠に誘われて、いつの間にか微睡に落ちていった。
◇
「――さん。シンジさん!」
「っ……涼……?」
僕は体の揺れを感じて、目を覚ました。
「シンジさん、街に着きましたよ。随分、お疲れだったのですね」
「起こしてくれたのか。ありがとう」
僕は礼を言って、二人で乗員室から降りる。
既に辺りは暗くなっており、夜の時間帯になっていた。
「宿屋を探そうか」
ローナと比べて、この街はあまり大きくはない。
宿屋を見つけるのに、さほどの時間は必要なかった。
僕らは見つけた宿屋に入る。
「部屋を二部屋借りたい」
僕がカウンターのおばさんにそう言うと、彼女は不機嫌そうな表情をした。
「そんな小さな子を一人の部屋に寝かせるのかい? あんた見かけによらず、酷いねぇ……」
そういえば、涼の容姿は十代前半の子供だった。
年端もいかない子供を一人にしようとすれば、そういう反応も返ってくるか。
「……涼。どうする?」
「別にわたしは気にしないですよ?」
涼からの許可も貰ったので、一部屋だけを借りることにする。
宿屋の女性は僕の判断に満足したのか、笑顔で部屋の鍵を渡してくれた。
◇
僕たちは部屋に入り、荷物を置く。
僕は室内に設置されていたテーブルに座った。
「涼。何だか巻き込んでしまって、ごめんね」
「いえ、ねね様の命令、です」
そう答えた涼が、向かいの椅子に腰掛ける。
「それで、そろそろお話を聞いてもいいです?」
「…………どこらへんのこと?」
僕はあまり話したくないことを、案に示す言い回しで返した。
「勿論、全部です。教会に向った時から、帰ってくるまでのことですよ?」
……逃してはくれないらしい。
僕は諦めて、全てを涼に打ち明けた。
友人たちの記憶が消されたことや、自分が人工的に作られた人間であること。
そして、教会から追手を向けられれば、ミリア達を巻き込む可能性があったことを話した――
「……ホムンクルス、ですか。たとえ異世界人でも、人は人ですね。神をも畏れません」
地球でも命を弄ぶような研究はあるからね。
まぁ、人間に対しては禁止されているけれど。
「でも、巻き込む可能性があったから――というのは、嘘ではないようですが、建前ですね。本当のところはなんなのです?」
意外に鋭い……って、ある程度は意思を読めるんだっけ。
厄介だ。
僕は参ったと頭を掻く。
「……自分に自信が無くなったんだよ。……いや、元から自信なんてないけど……正直、ミリアと一緒に居るのが辛い」
涼がこてり、と首をかしげる。
「自信がない? ……よくわからない、です」
「人格とか能力どころか、僕はそもそも人間ですら無いんだよ。……以前、ギルドマスターに『この紛い物が』って言われたことがあるけれど、まさか”人間の紛い物”という意味だとは思わなかったよ」
僕の言葉を受け取った涼は、唇に人差指を当てて考えた様子だ。
「んー、自分を偽物だと思っているシンジさんには、普通に産まれた人達が眩しいのですね?」
涼が口にした内容は、的を得ている気がした。
僕は涼に頷き返す。
「……それならば理解できます。私も人を、生き物を、羨ましく感じることがあるのです」
あぁ……、そうか。
「涼や楓達は、生命とは異なる存在なんだっけ。すっかり、忘れてたよ……」
「そうだったのです。そのように思われるならば、存在の発生による違いなんて、気にしなくていいのだと思いますよ?」
「…………」
確かに僕は、彼女たちのことを紛い物だとか、偽物だとか思ったことは一度もない。
だけど……。
「うん。涼と楓に対しては、間違いなくそれでいいと思う。でも、僕自身に対してはそうはいかないよ」
「どういうことです?」
涼が再びこてり、と首をかしげた。
「実感があるから」
「実感?」
涼が聞き返してきた。
「翔吾が亡くなって、そのあと先生の記憶が消されたのを知って、僕は教会に対して憤りを感じていたんだよ」
「仲間が傷つけられれば、当然のことです」
僕は頷き、会話を続ける。
「……でも、僕達がホムンクルスだって知った時に、どうでも良くなっちゃったんだ」
「ヤケになってしまった、ということです?」
僕は首を振って否定してみせた。
「ホムンクルスだって知った時に『なんだ、翔吾が死んだわけじゃないんだ』って……」
「シンジさん!?」
涼がおもむろに僕の袖を掴んできた。
「え? なに?」
「あれ? ……いえ、気の所為です。気にしないでください」
……何だったんだろうか?
分からないので、僕は会話に戻る。
「まぁ、そう感じた時点で『なんだ』の相手は僕も例外じゃない」
僕は、「勿論」と補足する。
「ヤケにはなってるけど、それは立ち向かうならって話であって、僕が紛い物の話とは違う」
「…………」
暫く部屋に沈黙が続く。
「でも、わたしにはシンジさんがホムンクルスだとは信じられません」
と、唐突に涼が切り出した。
「え、なんで?」
すると、涼には珍しく悪戯っぽく笑う。
「シンジさんが、わたしの知っているホムンクルスならば、『気にするだけ無駄ですよ、とシンジはため息混じりに表明します』とか言うと思いますよ?」
機械的な口調で台詞を口にする涼は、何かの真似をしているようだ。
しかも、器用に目の輝きを消している。
まるで死んだ魚のようだ。
アニメの見過ぎじゃない!?
この話を深掘りするのは危険だと判断した僕は、話題を逸らす。
「それに僕は”久田真司”の記憶と、どう折り合いをつければいいのかも分からないんだ」
「それに関しては、少しアドバイスができますよ?」
僕は黙って、そのアドバイスを待つ。
「それはそれ。自分は自分なのです」
今度は、僕がよくわからない。
涼に首を傾げて見せた。
「私たちのような自我を持つ妖魔も、最初は無我に彷徨うだけの存在から始まります。そうして百年、二百年もすれば自我に目覚めますが、同時に徘徊していた時の記憶も持っているのです」
「……え!? 百年!?」
何となく、実は年上だろうとは予想していたけれど、まさかそんなに長く生きているとは思わなかった。
「ええ、私は産まれてからの年数で言えば、178歳ですね。ねね様は246歳だったと思いますよ?」
想像以上だった……。
これが噂のロリば――
ジャキンッ
僕の喉元に鋭く尖った氷柱が突き立てられる。
僕はタラリ、と冷や汗を垂らした。
涼に視線を戻すと、彼女はニッコリと笑う。
「勘違いしてはダメなのですよ? 私たち妖魔は、地球では深夜の四時間程しか物質界にいられません。それ以外は幽界に捕らわれます。そもそもで存在の弱い私たちは、精神体では意識を保てません」
「つ、つまり、産まれた日から数えた歳とは一致しない、ってことかな?」
涼が頷く。
僕が理解したことに満足したのか、涼は氷柱を霧散させた。
「そうです。……話を戻しますが、妖魔にとって自我が芽生える前の記憶など、知ったことではないのです。自分では、どうしようもなかった日々の事なのですから」
「…………」
僕は、風鈴の音色のような声に耳を傾ける。
「……確かにシンジさんは、別の人の記憶が移されているだけかもしれません。その中での真司さんは、シンジさんではないかもしれませんが、その事が逆に幸せな場合だってあるのですよ?」
「え……?」
僕は思わず聞き返すが、涼は「最後のは忘れてください」と答えてくれなかった。
「お疲れのようでしたし、もうお休みになられてはどうですか?」
と、涼がはぐらかす。
これ以上は訊かない方が良さそうだ。
「……そうだね。明日も早いし、そうさせてもらうよ」
僕は涼からの提案に乗って、ベッドの中へと潜り込む。
目を閉じて、彼女との会話を反芻している内に僕は眠りについた。
◇
――翌朝。
「っ……くっ」
覚醒した僕は、体のダルさを感じた。
どうやら、ここ数日の疲労が出てしまったらしい。
体が鉛のように重く、起き上がることも出来ない。
……それに、なんだか体が熱い。
「…………」
僕は体の違和感に、掛け布団をめくる。
すると、そこには僕に抱きつくような形で、水色髪の少女が寝ていた。
僕は暫く硬直するも、状況を理解して「あわわわっ!」と相手を引き剥がそうとする。
が、涼に手を伸ばした所で――
「ねーね、にーに……なんで……」
涼がむにゃむにゃ、と寝言を呟いたのが聞こえた。
僕は彼女のあまりにも無防備で、容姿相応な可愛い寝顔に見惚れてしまう。
引き剥がそうとした手で、彼女の頭を撫でる事にした。
「妖怪でも寝るんだね」
僕は触れていない方の手で頬を掻く。
窓の外に視線を移すと、薄っすらと明るくなり始めていた。
「いえ、普段は寝ません。今日はどうしたのでしょうね」
と、今度はしっかりした声色が聞こえた。
ギギギとそちらの方を見ると、涼と目が合う。
「……そんなことより、わたしのお腹に固いものを押し付けて、何をしているのです?」
はーーーーーーーーーっ!
朝の生理現象の事を忘れていた!
「そ、それは、生理現象の……し、知っているよね?」
僕は赤面しつつも、涼ならわかってくれると信じて弁明する。
彼女はニッコリと笑うと、はにかむような素振りをみせた。
えっ!?
思った反応と違う――
「『氷縛結界』!!」
――いえ、いつも通りでした。
涼がぴょん、とベッドから降りると、僕の方に向き直り「お約束です」と笑ってみせた。
(……こんな笑顔も見せるんだね)
そんなラブコメのテンプレートを再現してくれた涼と、どきりとさせられてしまった僕の短い旅が、今日もまた始まる。




