薄氷の記憶
教会の中に入ると一人の兵士を見つける。
僕は皆が居る場所を兵士に尋ねた。
「勇者様方は教会の食堂で、昼食を取られております! 久田様もご一緒に如何でしょうか?」
ひ、久田様……!
僕は慣れない呼び名にぞわぞわしつつも、そういえば昼前に着いた事を思い出した。
兵士に案内された食堂に顔を出す。
すると僕は、急に地球へ戻ったような錯覚に陥った。
同級生達が話している姿が飛び込んできたのだ。
僕はガヤガヤッとした乱雑な煩さに、昼休みの教室を連想してしまい、思わずほろっとしてしまう。
僕が故郷を懐かしんでいると、坂口と目が合った。
だが、ヤツは僕から目を逸らし、同級生との会話に戻っていった。
「おい! 見つけたなら話しかけろよ!」
僕は坂口に抗議する。
「いやいや、だって! 相変わらず真司は普通もフツー過ぎて、帰ってきたのか、初めから居たのか区別つかなかったんだわ!」
それはもう普通じゃないよね!?
よもや、影が薄いというキャラが立ってると思うよ!
そう僕がクラスのツッコミ役へ逆につっこもうと思った所で、他の生徒も僕の存在に気が付いたようだった。
「お、久田! 帰ってきたのか。もうニートオブキングになったのか?」
「ハーレム作った!? ハーレム!」
などと、くだらない事を言いつつも話しかけてくれた。
ハーレムね。
僕はいつの間にか、女の子三人と行動を共にしているけど。
しかし、昨日も橙色の肉体的なアプローチで宙を舞う羽目になった。
今の所、僕の一行にはデレの要素が無いのだよ。
……あと、ニートオブキングって――ニートとキングが逆じゃね?
とりあえず、「ニートと無職は同じじゃないからね!?」 と、以前から気にしていた事を否定しておく。
「おい、それより聞いてくれよ! あれから俺たち、めっちゃ活躍したんだぜ!? オークの軍勢を倒したりな!」
と、坂口の隣りに座っていた、糸目が特徴の内藤大輔が自慢げに話す。
「街で聞いたよ。――でも、そのせいで翔吾が……」
「は? マジで!? 俺たちの噂、もう街中で広がってんの?」
いやいや、お前そればっかりだな!
少しは故人を気遣えよ。
僕は内藤の無神経な態度にムッとしてしまう。
「流石に翔吾の事があるのに、盛り上がるのはやめろよ……!」
僕は我慢できず、怒りを声に出してしまった。
場の雰囲気に水を差すような真似とわかっていも、友人の死を蔑ろにされることが許せなかったのだ。
周囲に嫌な沈黙が走る。
しかし、こういう流れになる事は覚悟していた。
その時、内藤が口を開く。
「――ショウゴって誰だよ? 日本人っぽい名前だけど、聖騎士の誰かか?」
「……はっ?」
冗談にも程がある。
既に、ボルテージが上がり気味だった僕は限界だった。
「おまえっ…………!!?」
僕が思わず組み付こうと立ち上がった所で、生徒達から一斉に視線が集まる。
その注目が、僕に冷水を掛けた。
お陰で真っ赤になった視界が、徐々にクリアになっていくのを感じた。
(……何かがおかしい)
僕らの会話が聞こえない距離にいた生徒は、僕が奇行に出かのような冷やかな目を向けてくる。
それはしょうがない。
だが、坂口や内藤、それに近くに座っていた生徒までもが困惑の表情を浮かべていた。
今の会話の流れに僕が怒らないわけがない。
だからこそ、皆の反応には違和感を感じた。
以前から内藤は、煽った相手をいなして笑いを取る傾向があった。
だが、今のコイツの顔は明らかに戸惑いと、僕に絡まれた怒りを漂わせているのだ。
(……本気でおぼえてないのか?)
そう思い至ると僕は凍りついた。
まさか、そんな事ができるのか……?
――いやでも、この国には異世界から34人を同時に転移させてしまう技術があるのだ。
”記憶を消す”ことくらい、何て事はないように思えた。
……しかし、なんで僕と先生だけが覚えているのだろうか?
その時、ギィっと音を立ててドアが開き、小山田先生が食堂に入ってきた。
「……なんだ、この雰囲気は? お前ら、珍しく静かだな。気持ち悪い。はははっ」
と、爽やかな顔をして笑っていた。
とても先程まで無力感から、唇を噛み締めていた人には思えない。
僕は憑き物が落ちたような先生の表情を見て確信した。
確認のために僕は尋ねる。
「……先生、翔吾のことを覚えてますか?」
「お、久田じゃないか!! 元気にしていたか? ……ショウゴ?? 日本人か?」
――やっぱり。
しかも、さっきまで僕と墓地で話した事までも忘れてしまっているようだ。
僕はドッペルゲンガーか何かか? などと思いもしたが、よく見れば小山田先生の口の端には、ほのかに血が滲んでいるのに気が付いた。
僕はふと生徒たち全員の顔をぐるりと見渡す。
すると、どの生徒も顔色が悪い。
さっきまで塞ぎ込んでいた、のか……?
……記憶が消えたのは、ほんの少し前なのか?
先生が建物に消えてから、僕が入るまでの間に何かがあったのだろう。
僕に記憶があるということは、効果の範囲は教会の中までということか。
「内藤、ごめん。なんだか、無意味に噛み付いちゃったみたいだよ。あははっ……」
「なんだ、おまえ? ……つまんねぇ」
そう言い残すと内藤は食堂を出ていく。
僕は黙ってその後姿を見送ることしかできなかった。
……僕もここにいれば翔吾との記憶を消されてしまうのだろうか?
それだけじゃない、先生は僕との会話まで消されているようだ。
ということは何処まででも、際限なく消せる可能がある。
必要ならばミリアや楓、涼との記憶だって――
僕はぶるりと身震いをした。
想像してしまった。
それはダメだ!
ミリアたちとの記憶も、地球のことだって忘れてしまえば、それはもう自分じゃない。
途端に、僕は教会に居ることが恐ろしくなる。
まるで踏切の中に取り残されたような焦りを感じた。
僕は気がつけば、その場から走り出していたのだった――
◇
……また、逃げちゃった。
僕は中央広場にあるベンチに座って項垂れた。
ギルド長に絡まれては逃げて、酒場でも視線から逃げた。
そして、今もまた逃げてきてしまった。
「ダッセぇ……」
まぁ、僕がダサいのは知っていたけど。
もう、ローナに戻ろうか……。
僕はミリアたちの元に戻るべく、馬車の乗り場に向かって足を進める。
――が、しかし……と、僕は足を止める。
このまま帰ってしまっていいのだろうか……。
暫くの間、僕はこの街に居なかったのだ。
記憶の削除対象者にされていなかっただけで、実は僕が何時何処にいても記憶を消せてしまうのかもしれない。
効果範囲が教会内だけ、なんて保証はどこにもないのだ。
――もう少し情報が欲しい。
カラクリがわかられば、対抗策を取れるかもしれない。
僕は一度は折れてしまった気力を、なんとか繋ぎ合わせて踵を返す。
しかし、どうやって調べれば良いのか。
まずはそこからだ。
街中で誰彼構わず聴き込みでもすれば、教会に警戒されてしまうかもしれない。
情報か……。
こういう場合に異世界では、情報屋に聞くというのが定番だろう。
しかし、情報屋なんているのだろうか?
まずはそこからだ。(※繰り返し)
僕は久しぶりに、あの人の元を訪れることにした。
◇
「らっしゃい!」
筋肉隆々のスキンヘッドな中年が、奥の工房からカウンターへ出てきた。
「おっちゃん……」
「おお、いつしかの坊主か。あと前も言ったが、タメだかんな? おっちゃんはやめろ。俺の名前はグレイズだ」
「じゃあ、おっちゃんも坊主はやめようよ」
グレイズは「ガハハ、違いねぇ!」と面白そうに笑った。
「とこで、おっちゃん。聞きたいことがあるんだけど」
「…………わあった。お前はこれからも坊主で、俺はおっちゃんな。――で、なんだよ。聞きたいことってぇのは」
僕はグレイズに、この街に情報屋が存在するのかを尋ねてみた。
「ああ? 情報屋なら南西の外れに居る。地図を描いてやるから待ってろ」
いるらしい。
そして、相変わらず面倒見の良いおっちゃんだ。
僕が「ありがとうございます」と丁寧口調で言うと、「だからタメだかんな?」と切り替えしてくれた。
ついでに、肩につける防具を見つけたので買うことにした。
僕の軽装備趣向にも合っていた。
「わかってんじゃねぇか! まぁ、また何時でも来いよ!」
と、僕にその大きな手を振ってくれた。
◇
グレイズにもらった地図を元に、情報屋の所を訪ねる。
そこは街の中心からだいぶ離れており、ボロボロの家が並ぶ区画だった。
町並みが極端に質素な建物に変わったから、ここは貧民街という事になるのだろう。
そんなことを考えていると、「家の壁を切り抜いて受付にしました」といった感じの小屋を見つけた。
あれが教えてもらった情報屋の小屋だろう。
中を覗くと地面に茣蓙が敷かれていて、その上に小柄な男性が寝ていた。
僕はカウンター越しに声を掛ける。
「すみません」
「……んん、あぁ? なんだ、客か?」
寝ていた人物がムクりと起き上がり、目をこすりながらカウンターの方へ出て来た。
僕は彼の姿を見て、思わず目を見開いた。
――ゴブリンだ。
アウルローで何匹も倒したから、見間違えようはないだろう。
「ケッ! おい、ガキ。その目をやめろ! 慣れちゃいるが、イラつくのは変わらんからな」
「ご、ごめんなさい!」
僕は失礼な事をしてしまったと、彼に頭を下げた。
「……随分と素直だな。一応言っておくが、俺はゴブリンじゃないぞ」
「え!?」
そう僕が反応を返すと、彼は頭をボリボリと掻いて呆れた眼差しを僕に向ける。
「つっても、デミだけどな。ゴブリンに孕まされた人間はゴブリンしか産まないが、稀に人間並の知能を持ったゴブリンが産まれることがある。それが俺たちデミゴブリンだ。何の自慢にもなんねぇし、忌み嫌われるのは変わらんがな」
僕は反応に困った。
デミと聞いても間違いなく見た目はただのゴブリンだ。
ゴブリンの容姿を持つ彼が街中で生活する事は、相当に難易度が高いのではないだろうか。
「……で? 用件はなんだ」
おっと、そうだった。
「勇者の情報を売って欲しいのですが」
「はぁ、また珍妙な情報を欲しがるんだな。で、どういった内容だ?」
”どういった内容”か……。
転移者の記憶を操作することに限定してもいいけど、もっと多くの情報が引き出せると尚良いよね。
「そうだな……彼らの”秘密”とか、かな?」
「……お前なんていうか、下手くそだな。じゃあ、こんなのはどうだ? 『勇者マエダが、仲間のオヤマダに恋慕している』なんて情報があるぞ。グハハッ」
下手に引き出そうとして、バカにされてしまった。
しかし、そんなことよりも――
「…………その話、詳しく」
「……はぁ? グッ……グハハハッ! そんな事で此処まで来たのかよ!? まぁ、あのお嬢ちゃんは俺からみてもかなりの上玉だからな! 知りたいなら金貨三枚で売ってやるよ」
「……いや、違う。その話じゃない」
「は?」
そう違うのだ。
思わず同級生のスキャンダルに食いついてしまったが、僕が聞きたいのはそういった話ではない。
これ以上、恥を重ねないようにストレートに訊くことにした。
「勇者の記憶が操作されている疑惑があるんです。その件についての情報はないですか?」
「……なるほど、そういう話題か。お前さん、どこぞの国の小間使いだったのか。――その内容なら金貨40枚だな。一応、この国でその話をすれば処刑もんだからな」
げっ、金貨40枚とは高いな!
オウガで貰った報酬と同じ金額だよ。
僕は内心で「うぅ……」と呻き声を上げつつも、僕は情報屋に渋々報酬を支払う。
大金貨を持ってきて良かったよ。
「毎度あり!」
ニヤリと笑うデミゴブリンが、カウンターの右側にある木の板を上げて僕を中に入れる。
そのまま彼に誘導され、奥にある扉から怪しげな薄暗い部屋へ案内されたのだった――




