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創作戦国(短編メイン)

散桜

作者: ariya

 私は三河の大林家の娘と育ちました。名前はあぐり。

 父と母は何やら困った様子でした。

「待望の子が女で申し訳なく・・・。」

「もう年です。私には子供は産めないでしょう」

「養子を貰おう」

 そんな会話がとぎれとぎれ幼い耳に届いた。それはどういった意味なのか私にはさっぱりわかるはずもなかった。

 それから何日かして、私より十以上も上の青年が家にやってきた。

 父が紹介する。

「あぐりよ。これは源助といってな。今日からお前の兄様になる」

「兄様?」

 私はじっと青年を見詰めた。浅黒い肌を持ち、精悍な体つき、端正な顔。どこも好ましく思えた。

「兄様?」

「うん」

 源助は笑った。

 私は何だか嬉しかった。

 それからいつも私は兄様の後ろをついて回り、兄様に質問攻めを繰り返した。

「兄様はどこから来たの?」

「駿河だよ」

「駿河って富士山がすごく綺麗に見えることでしょう?」

「あぐりは物知りだな」

「富士山を知らない人間なんていないわ」


 そっか。


 兄様は笑った。

 兄様はこの頃元服をして、名前を大林勘助と改めていた。

「兄様はここに来る前は何と言う家に住んでいたの?」

「山本家さ。駿河の今川家に仕えている」

「兄様も今川に仕えるの?」

「いいや。俺はもう三河の大林の子になったから、三河に仕えるんだ」

「兄弟はいたの?」

「兄が二人。姉が一人。弟妹が・・・」

「その人たちはどこにいるの?」

「家督を継いだり、他国へ嫁いだり・・・」

「どこへ嫁ぐの?」

「姉が甲斐の武田家の家臣に嫁いだんだ」

「まぁ、正室」

「いや、側室だけど」


 なぁんだ。


 私がつまらなそうにすると勘助は笑った。

「どうして正室じゃなかったらつまんないんだ?」

「だって、正室が一番夫に愛されるのでしょう」

「確かにそうだが、そうとも限らない」

 どういう意味か私にはわからなかった。

「正室というのは政略的な意味で結婚する場合が多くてな、そのまま互いに想い合う関係になれればいいけど、そうじゃない場合もある。側室はそういった意味はなく、男に恋われて呼ばれる場合があり、正室より愛され、後継ぎを生む者もいる」

「では後継ぎを生んだの?」

「姉が穴山の家に嫁いだ時はすでに正室が世継ぎを生んでいる」

「なぁんだ」

 私がまたつまらなさげにすると勘助は笑った。

 私はそっと兄の首に手を回し聞く。

「何をしているの?」

「弓の修繕さ。明日、仲間と狩りに行く。その準備をしているんだ」

「私も行きたいっ」

「だめ」

 勘助ははっきりという。

「どうしてっ」

「あぐりはまだ幼い。山奥には一見大人しげで実は凶暴な動物がいっぱいいるんだ。危ない」


 大丈夫だもの


 そう言うが兄様は笑って私を連れて行こうとは思わなかった。

 そして、次の日、兄様は私を置いて、山へ行ってしまった。

 あんなに連れて行ってと言ったのに、自分がまだ寝ている朝早くに行ってしまい私は腹がたった。母も父も宥めて大人しく兄様を待っているように言ったが、そうはいかない。

 私は朝餉をすませると、兄様の後を追った。

 兄様の言っている狩りをする場所はだいたい見当がつく。ここは私の生まれ育った場所。この辺で若者が狩りをする場所を知るくらい簡単だ。

私は道を走り、山に入った。

 山の中で太鼓の音が聞こえる。兄様は間違いなくその音の方へにいる。

 私は音のする方へ近づいた。

 自分を見て、兄様はどんな顔をするだろう。

 ちょっと悪戯をやっている気分に似た思いがして、楽しかった。


 がざがざ


 葉の擦れる音がしたと思ったら、向こうにじっと私を睨みつける獣がいた。


 猪だ。


 今まで父が狩ってきたものよりずっと大きい。

 私はそのあまりの大きさに腰を抜かして動けなくなってしまった。

 だだっと向こうから馬の駆ける音がするが、私には聞こえない。

 目の前の猪の鼻息しか聞こえてこない。


「あぐりっ」


 兄様の声がするが、私は動けなかった。

 猪がだっとこちらへ向かって走ってくる。


 ばしっ


 横から猪の瞼あたりに矢があたる。猪は呻きつつも、歩を止めようとはしなかった。

 猪が目の前にまでやってくる。

 こわくて眼をつぶってしまった。

 大きな音がした。

 何かに包まれている気がした。

 眼を開けると私は兄様に抱きしめられていた。

 兄様の左目から大量に血が流れている。ぼたぼたと私の頬を濡らす。


 ぎゅぁぁっ


 という獣の叫び鳴きと供に数等の馬が傍に近づいてきた。

「勘助っ」

 大丈夫か。

 兄様と同じ年頃の青年が私たちの方へ近づいてくる。

 心配そうに兄様を支えるが、勘助の意識はなかった。

 よく見ると兄様の右脚からも大量の血が流れている。

「・・あ。・・・あ、ぁ」


 兄様・・・


 急いで兄様は家に運ばれ、薬師を呼んで、治療を施した。

 皆、兄様を見て、もう死んだと思った。

 家に帰ると父と母に怒られなかった。それどころではない。


 兄様が死んだ・・・


 と二人の顔はそう言い、疲れ切った表情をしていたのだ。

 父母がいつも以上に年老いた老人に見えた。

 何時間たっただろうか。もう、外は真っ暗だった。

 薬師がようやく出てきて、峠を越えたことを言う。

 家は一気に喜びの色に染まったが、すぐに絶望へと変わった。

 薬師は残念そうに言う。

 兄様の左目と右足はもう使い物にならないと。

「命が助かっただけでいいものですよ。あの傷と出血の量ではたいていは死んでいますから。」

 薬師はそう言い、しばらく兄様の傍についていた。

 そうだろう。

 その通りだ。

 命が助かっただけでもありがたいことなのだ。

 しかし、父と母はそうではなかった。

 まだ夢の中で悪夢にうなされているのか兄様のうめき声が聞こえた。

 朝が来て、兄様の眼が開く。

「兄様っ」

 私はわっと兄様に抱きついた。

「・・・ぁぐり?」

「兄様、ごめんなさい。・・・ごめん・・」

 私は泣きくじゃりながら兄様に謝った。

 兄様は呆然と、周囲を見渡す。

 傍にいた薬師が例のことを話した。

 兄様はちょっと瞳を丸くしただけで、「そうか。」と呟き、疲れたように項垂れた。

 それはとても自分よりも大きい兄様を小さくさせていった。


 あれから数週間がたった。兄様の友達が何人か見舞いに来ることがあった。彼らとのやりとりの間、兄様はとても楽しそうにいつものように笑った。

でも、彼らが去っていくと疲れたように小さくなる。

 私が薬を持ってきたのに気づくと兄様はまた笑って言う。

「ありがとう、あぐり」

 私は苦しくて仕方なかった。

 お礼を言われるようなことなどしていない。

 これは私のせいなのだ。私が兄様の眼と足を奪ったのだ。

 しかし、兄様は何も責めない。

 いつものように優しく笑って、私が布と包帯を取り換えただけで、飯を持ってきただけで感謝の言葉を言う。


 何故、責めないの?


 兄様はようやく起き上がれるようになった。しかし、もう満足に動きもしない足を引きずっている。初めは壁や、柱をつたって、時には這いながら移動をした。そして、ようやく足を引きずりながらひょこひょこと歩くようになった。普通の人よりも歩くのが幾分遅いのだが。

兄様は右目に大きな布をあてている。もう見えない。傷と縫い合わせた跡が痛々しくて人には見せれない、と母がいつも包帯を寄こしてくれるらしい。

「勘助、見て。作ってみたの。合うかしら」

 母は兄様に眼帯を渡した。

「ありがとうございます」

 勘助は笑って、それをつけた。

「ちょっとは格好よくなったかな」

 とふざけた口調でいい、笑った。母は、苦笑いして応えた。

 そして、何年かたって、父と母が兄様を母屋に呼び、話をする。

 私はこそっと聞き耳をたてた。

「勘助・・・以前話していた寺が決まった」

 寺? 何の話をしているのだろう。

「許せよ、お前の怪我は娘をかばってなったものとはいえ・・・儂はお前を大林の家を継がせるわけにはいかない」

「でしょうね」

 兄様の顔は見えない。背中しか見えないのだが、動作で笑っているのがわかる。

「その怪我さえ・・・せめて足さえ不自由なければ全く構わぬのだが、そんな足では満足に戦働きができまい」

 父は残念そうに項垂れる。

「本当に儂はお前を跡取りにしたかったんだ。嘘ではない・・・」

「今までお世話になりました」

 兄様は頭を下げた。

「どうしてっ」

 私はたまらず、母屋の部屋の中へ入った。

「あぐりっ。聞き耳をたてていたのか」

 なんとはしたない。

 父はそう言い私を叱った。

「今のどういうこと?寺って何?兄様を寺に追い出すってこと?」

 父は何も言えなかった。

「わかっているだろう。勘助の怪我では立派な武士にはなれん。そんな者を大林の当主にするわけにはいかん」

「おかしいわ。兄様は私を庇って、怪我をしたのよ。なのに、怪我をしたということで追い出すの?」

「あぐりっ。もとはといえばお前がっ・・・」


「あぐりは悪くないですよ」


 兄様に皆が注目する。

「元は俺が朝あぐりがついて回るのを想像して困るなぁて、寝ている間に置いていったのが悪かったんだ。そうだな、はじめから連れていけばあぐりは一人で山に入ることなかったし、ちょっとは安全だった」

 うんうん、と兄様は頷く。

 誰も何も言えなかった。


 兄様・・・どうして、あなたは私を責めないの?


 本当は辛いんでしょうに。


 本当は私を怒っているんでしょうに。


 なのに、それを全て抑え込んであなたは笑ってここを出るの?


「じゃぁ、俺は荷造りしたいので、これで。」

 そう言い、兄様は母屋を出た。

 次の日、兄様は父に連れられ、この家を出た。

 門で立って、兄様を待っている私に気がついた兄様はにっこり笑って「元気でな。」と言い去ってしまった。


(終わり)

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