01コマドリさんの歌
それは さむい、ある冬の日のこと。
森の木々も、動物たちが通る道も、すべてが真っ白な雪におおわれた日。
空気や、音までもが凍りついてしまいそうな、そんなさむい さむい、真冬の森での出来事です。
”逆さ虹の森”と呼ばれる大きな森に、小さな池がありました。
名前は”ドングリ池”。
むかし、大きな大きな、ドングリの木が立っていて、その木がなくなったところにできた池です。
でも、今、森に住んでいる動物たちは、それが本当かどうかは知りません。
なにしろ、そのドングリの木が立っていたのは、おばあちゃんのおばあちゃん。そのおばあちゃんの おばあちゃんの、そのまた おばあちゃんが子どもだった頃のお話。
子どもたちに話すおばあちゃんも、本当かどうかは知らないのです。
そんなドングリ池は、木々に囲まれたところにあり、うす暗い森の中、冬の朝日を浴びて、白く、キラキラと輝いていました。
そのとき、不思議なことが起こりました。
まわりの木はそより、ともゆれていないのに、池の上全体に風がふき、白い光が風といっしょに空に舞いあがっていったのです。
そして、光は風にのり、木々の上をこえ、川をこえ、森の反対側へと飛んでいきました。
そして、森の木々の上でぴたりと止まり、くるりと一回転すると、今度は下へ、下へと、一直線。
ツタの葉にかくれた洞窟の中へと入っていきました。
その洞窟には、一匹のクマさんが眠っていました。
このクマさんは、森で一番の怖がりさんですが、今は安全な洞窟の中でぐっすりと眠っていました。
さむい冬の間は、いつもじーっと寝てすごし、春がやってくるのを待っているのです。
ですが、風が光を運んできて、クマさんの耳元でくるくるとまわり始めました。
――おきて おきて
風が、クマさんの耳元でささやきます。
すると、毎年、暖かくなるまでは石のように身動きしないクマさんの耳が、ピクピクと動きました。
鼻がスンスンと音をたて、ごろりごろり、と寝返りを打ちはじめます。
閉じたまぶたもピクピクと震えていて、まるで、今にも目を開けそう……。
――……また冬が……南へ……暖かな日差しが
そのとき、洞窟の外から、美しい歌声が漏れ聞こえてきました。
――さようなら、逆さ虹の森 わたしたちはもう行くわ
クマさんはのっそりと起き上がりました。
眠い目をこすりながら、外の歌声に耳を澄ませます。
その頃には、光と風はまたくるりと回転し、洞窟の外へとこっそり出ていってしまいました。
寝起きでぼんやりとしていたクマさんは、そのことに まったく気づいていません。
歌声につられ、フラフラと外へと出ていくと、寝起きのクマさんに、痛みを感じるほど冷たい風がふきつけました。
雪におおわれた森は真っ白で、その光があまりにまぶしくて、クマさんの目に涙がにじみます。
けれど、歌声が木の上から聞こえてきて、クマさんは顔を上げました。
木の上にはコマドリが一羽。
ツバサだけは枯れ葉のような茶色ですが、顔と尾羽根の、あざやかな明るい柿色と、胸の、日が昇る直前の空のような、おだやかな青色が美しい鳥です。
「キレイだなぁ」
クマさんは思わず つぶやきました。
コマドリさんは、その姿にふさわしい、澄んだ美しい声でまた、歌いはじめます。
あぁ、また冬が来た
南へと飛んでゆこう
暖かな日差しが待っている
さようなら、逆さ虹の森
わたしたちは もう行くわ
また、春に会いましょう
ドングリ池で願ったわ
だから、きっと大丈夫
根っこ広場をこえたとこ
オンボロ橋のさらに向こう
光 差し込むあの池に
ドングリを落とし 願ったわ
だから、また会いましょう
ドングリ池よ お願いね
二度の旅を無事に終え
また会う日まで、お元気で
クマさんは歌を聞いて期待に胸を高鳴らせました。
歌のとおりだとすると、ドングリ池でお願いごとをすれば、願いが叶うようです。
「もしかして、ボクの願いごとも叶うのかな……?」
クマさんはコマドリさんに声をかけようと口を開きますが、口を閉じ、下を向いてしまいました。
コマドリさんに声をかけるのが怖かったのです。
コマドリさんとは話したこともないし、話しかけて、イヤそうな顔をされたらと思うと、怖くてたまりません。
でも、ドングリ池のことは聞きたくて、あきらめられません。
クマさんは声をかけようと、顔を上げて口をあけ、……やっぱり怖いので口をとじ、下を向いてしまいます。
でも、やっぱり気になるし、と声をかけようと上を向き、……やっぱり、怖いからやめておこうと、しょんぼりと下を向きました。
でも、やっぱり……。
クマさんがまた、顔をあげると、コマドリさんと目が合いました。
クマさんはびっくりして、その大きな体でぴょんっ、ととび上がり、あわてて木の後ろに かくれました。
あまりに びっくりしたので、心臓がドキドキしています。
音をおさえようと胸に手をあてて、背中をまるめて ちぢこまりましたが、心臓はどっ、どっ、どっ、と大きな音をたてています。
そうやって、クマさんが胸をぎゅうっとおさえていると、バサリ、と音を立て、コマドリさんがクマさんの顔の前、洞窟とクマさんの間の木の枝にとまりました。
「はじめまして、クマさん。わたしに何か、ごようかしら?」
「わぁっ!」
クマさんはびっくりして、悲鳴をあげてしまいます。
すると、コマドリさんは顔をしかめて言いました。
「まぁ、あいさつ しただけなのに、失礼ね。この、姿も声も美しいわたしを見て悲鳴をあげるだなんて、変わったクマさんだこと」
いつも、ほめられてばかりの、歌の上手なコマドリさんは、クマさんがちやほやしてくれなくて不満そうです。
クマさんはコマドリさんを怒らせてしまったと、あわあわしています。
ごめんなさい、と言いたいけれど、口が動いてくれません。
「……あっ! わかった、 わかったわ! わたしがあまりにかわいくて、歌も上手だから、緊張しているのね」
コマドリさんが突然、叫び、クマさんは目を丸くします。
クマさんが何も言えずにいると、コマドリさんは満足そうに何度もうなずきます。
「それなら、納得よ。当然だわ」
さっきまでの不機嫌がウソのように、コマドリさんはニコニコしています。
「クマさんは恥ずかしがりやさんなのね」
クマさんは、自分が口下手なことを分かってもらえ、ほっとしました。
コマドリさんの満面の笑みを見ていると、安心して、なんとか話せそうです。
「……あの、えっと、どちらかと言えば、ボクは恥ずかしがりやというか……。まぁ、その、話すのはニガテなんだけど……」
コマドリさんは小首をかしげて、静かに話を聞いています。
勇気づけられたクマさんは、言葉を続けます。
「その、だから、さっきの歌を聞いて、ボクもドングリ池にお願いごとをしたいなぁ、と思ったんだけど……。あの歌は本当なの?」
本当だったらいいなぁ、とクマさんは おそるおそる 聞きました。
「知らないわ」
だから、コマドリさんのあっけらかんとした答えにショックを受けて、ふらりとよろめきました。
けれど、コマドリさんは かまわず 続けます。
「だって、みんな、願いが叶えば、ドングリ池のおかげだと言うし、叶わなければ、願いの大きさに対して、ドングリが足りなかったって言うのよ」
「それじゃ、ドングリ池が願いを叶えたのかはわからないね……。でも、じゃぁ、なんでお願いするの?」
「他の子は知らないけれど、わたしの理由はカンタンよ。ドングリ池が好きだから、あいさつ がわりにドングリを落とすのよ。わたし、願いは自分で叶えるべきだと、信じているの」
「えぇ……?」
「ドングリ池だって、何でもかんでも、願いごとを叶えるとも思えないし。相手をスキかキライかで、決めることもあると思うのよ」
クマさんは首をかしげます。
「そういう、もの、……なのかなぁ?」
「そういうものよっ! だって、わたしがそうだものっ!」
自信満々のコマドリさんに、クマさんは「たしかに、そうかもしれない」とうなずきます。
「とりあえず、願ってみなくちゃわからないってことだよね? ボク、とにかくドングリ池に行ってみるよ」
「そうね! 考えたってわからないなら、やってみるしか ないものねっ!」
クマさんは、ドングリ池の場所をコマドリさんにもう一度聞くと、コマドリさんは歌いはじめました。
根っこ広場をこえたとこ
オンボロ橋のさらに向こう
光 差し込むあの池に
ドングリを落とし 願ったわ
同じところだけ、きっちり三回。
くり返し歌うと、コマドリさんは羽ばたいて、木の高い枝にとまり、言いました。
「わたし、今年は具合がわるくて、南にとぶのが遅れたの。本当は、雪が降るまえにいくはずだったのよ。今はこのとおり、元気になったから、急いで南にいかなくちゃ」
ピチチ、ピチチと高く澄んだ声でそう言うと、空へと飛び立ちます。
「さようなら、クマさん。また、春に会いましょう」
コマドリさんは空に吸い込まれるように飛んでいき、すでに まめつぶ のようです。
クマさんは あわてて声をかけました。
「ありがとう、コマドリさんっ! また、春にっ!!!」
言い終わった頃には、すでにコマドリさんの姿は見えなくなっていました。