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オタクを演じるな

「オタク」であることのほかにアイデンティティを持たない方は

読まれないほうがよいかと思います

大田は窮地にあった

目の前にはとんでもない光景が広がっている。

「いたい・・・いたいよぉ。」

鮮血の流れ落ちる腹を抑えてうめく女性

その隣にはすでに生死も定かではない男性が物言わず寝転んでいる

一体ここは何処なんだ、俺は何処に居るんだ。

大田は周囲に目配せした、ここは秋葉原だ

彼にとって人生に潤いを与える場所、近年増えてきたライトオタク連中が目障りでも

行きつけのキーボード専門店が潰れても、ここは大田の大好きな秋葉原


その秋葉原で、なぜこんなことがおきているのか、大田には理解できなかった。

突然、大通りのほうから叫び声が聞こえた

「刃物を持ってるぞ!」

「逃げろ!」

大田は駆け出した、ここは秋葉原なんだ、こんなことをする奴は絶対に許せない

いや、ここが秋葉原でなくても。




人生で初めての逸脱を経験したのはこの町だった。

以前からパソコンの自作でお世話になっていたこの町、人生で始めてのサボタージュは

この町を一日中堪能するために当てられた。

ドネルケバブを食い、初めての自作パソコンを作るための価格調査

見たことも聞いたこともない計測機器、ハイテクのイメージどおりの電子基盤たち

ある日、ネットの伝を辿って訪れたキーボードショップ

ちょっと無愛想だが親身になってくれる店主に、昔話を聞かせてもらう。

大田は、この年にしてやっと、大好きな場所を見出したのだった

無味乾燥を絵に描いたような、少なくとも大田にはそう見える両親から

場所としても、嗜好としても、そしてなにより生き様としてアンチの位置に立てる場所

それがこの町だったのだ。


ひとつ悲しむべきことは、彼にはこの町を巡る友達が居なかった

いわゆるオタクといわれる友達は居たには居た、しかし彼らはただ単に

電車男のテレビ放映後の、いわゆるライトオタクブームに乗って

メディアが植え付けた秋葉原という場所のイメージにすがっているに過ぎなかった。


退屈な中央通りのゲームショップを回っただけで帰ろうとする友人に、大田は言った

「お前、秋葉原に何しに来たんだ?」

「何いってんの、アキバはオタクの街っしょ?」

大田がその友人と秋葉原に来ることは、二度となかった。


本物のオタクは、現実から逃げない

AKIRAが、攻殻機動隊が、すばらしいジャパニメーションたちが

大田にそれを教えてくれた、大田にとってアニメは単なるジャンルのひとつに過ぎなかった

もっとも、彼がそれを悟り、それを彼のあまたある趣味のうちのひとつにするには

多少の時間を要したが、それでも当時から彼はうすうすそのことを

アニメのグッズに群がるライトオタクへの嫌悪感として自覚していた。

その作品を見たという共通項、ましてやそのヒロインへの偏執的な感情で連帯感を得るなど

そんな行動は大田にとっては嫌悪の対象でしかなかった

ある意味彼は遅れていたのだ、間違いなく彼は今のオタクではなかった。


そんなある日の出来事であった、大田は大学生になっていた。

秋葉原から近い実家を出、川崎に下宿していた大田は

気軽な帰省中の楽しみとして秋葉原に立ち寄った

金の余裕のない時にしつらえた下宿先のパソコンのケースが、おかしな音を立てるので

新しいものを買おうと行きつけの店に顔を出し

顔なじみの店員に予算を相談して選んでもらったケースを下宿先に発送し終えて

昼飯でも食おうと、中央通り裏の路地を歩いていた、そんなときに事件はおきたのだ。


こうして事件から半年が経った今も、大田はあの日の夢を見る

あの事件以来大田は三ヶ月ほど秋葉原へ足を向けることが出来なかった。

いまやそんなことは無いが、まぶたには泣きながら助けを求める女性の姿が

そして耳にはその女性が搬送先の病院でなくなった胸を継げる悲報がしっかりと焼きついている。


犯人は、マスコミの理想の「危険なオタク」だった。

マスコミはこぞって、彼ではなく、彼の消費した商品を攻撃し、それを愛するオタクを攻撃した。

大田は思った。

―俺も奴の同類なのだろうか?

自分の目の前で命を落とした者を踏みにじるような報道に憤った日もあった

しかし彼の中で、もうひとつの感情も生まれていた。

―当然のことなのではないだろうか?


満ち足りない現実から逃れるためにアニメに耽溺し

現実という価値基準から眼をそらしつづけ、社会的なプロトコルすらかなぐり捨てる人間を

艱難辛苦を乗り越え社会生活を送っている者はどういった目で見るのか

彼らの心を慮れば、これは不当で理不尽な差別だとはいえないのではないか、と。

人は、常識という土壌の上にルールという建物を建てる生き物だ

それは人が人ならしむるところでもある

ならばその常識という土壌が根本から泥濘と化している者に対して

彼らが不快感を抱く事は、果たして理不尽であり不当な差別なのか・・・?

そもそもオタクは先進的な趣味人なのか・・・?

現実に満たされない性欲を二次元にシフトしているだけではないのか・・・?

「オタク」なんて称号は、それを煽る人間が用意したまがい物の玉座に過ぎないのではないか・・・?


裸の王様は、名も無い平民の子供に裸であることを指摘され、怒り狂う

この事件の犯人も「オタク」という衣を誉める悪い布織り職人の賛美の言葉の間隙を縫って

自らに届いた平民の子供の「王さまは裸だ」という

如何ともしがたい現実からのメッセージに、堪忍袋の尾を切らせたのであろう。

そしていまや裸の王様は、そこらじゅうに息を潜めて

時にインターネット上で、時にイベントの会場で、馬鹿には見えない衣を

なんとか現実に還元しようと不毛な努力を続けている。

明日は誰が、二人目の犯人になるか分からない。


大田は、あの事件以来何度目かも解らないその逡巡を断ち切り、目を瞑った。

あの日、秋葉原から帰ってきた彼は、同時に見失っていた現実への家路を辿り始めた

願わくばあと幾ばくかの時間を、彼が現実に根を張る時間に当てられるのならば

彼は「オタク」である必要など無いのだ、なぜなら

彼が「オタク」である以上、彼以外の誰がそれを認めなかろうと

彼は現実に「オタク」として存在できるのだから。


「オタク」はステータスではない。

「オタク」を演じる事ほど、愚かな事はないのだ。


大田は目を開いた。

言わずもがな、この「大田」は、筆者自身です。

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