昨日中々寝付けなかったんです
朝の8時過ぎ頃。
「遅刻するー!!」
そう叫びつつ全力疾走する一人の少女の姿があった。
身長は150cmほど。 お気に入りの赤い髪留めのついた黒髪は肩口あたりで切そろえられ、長いまつ毛の奥には幻想的な深みを称えた瞳。 どこまでも吸い込まれるかのような錯覚を引き起こす。
その表情は幼さを残しつつも、パッチリとした目を含め、誰一人としてそれを指摘することが出来ないほどの魅力を備えている。
鈴を鳴らしたような声音は聞くものすべてを呆然とさせる。 さえずる小鳥ですらその声に聞き惚れる。
触れれば折れてしまうのではないかと云うほどに細身ながらも、出るとこは出ており、同世代の中ではかなりスタイルのいい部類に違いない。
乳白色の肌には汗がにじむ。
しかしそれら畏れを感じさせる要因を以てしても、どうにもならないこともある。
「寝坊したぁーっ!!」
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―――――――――――
「ヤバイヤバイヤバイって!!」
今日は朝も食べずに飛び出して来てしまった。
今日が楽しみで昨日中々眠れず、起きて時計を見れば8時過ぎ。 一瞬まだ夢を見てるのかと思ったがそんなことはなく、夢じゃないと気づいた時にはつい変な声が出てしまったくらい動揺した。
都合よくパンがトーストされている訳もなく(そもそもパンが家に無いのだが)、曲がり角で運命的な衝突をしている暇があったら学校までタイムアタックをしなければならないような状況。
「そんな青春もしてみたいけどっ!」
慣性を気合いでねじ伏せて直角カーブを決める。
「今はっ」
下り坂は減速せず、その勢いのまま意味も無く一気に小さな横断歩道を飛び越える。 一応青だったので大丈夫(?)だろう。
「無理ぃぃぃ!!」
階段は3段飛ばしで一気に駆け下りていく。
その時、ブワッっとすくい上げるような風が少女のスカートを襲う。
「―――――っ!!」
慌てて裾を押さえるも、幸いそれを目撃した人はいなかった。
おちつけ、おちつけ私、おちついて超急げ私……!!
再び走り始めた少女はしかし途中で足を止める。
「……このままじゃ間に合わない」
間に合わない、と言いつつも足を止めるのは明らかに矛盾している。 しかし、少女には足を止める理由があった。
少女は誰にも聞こえないような小声で何かをつぶやく。
ふわっと、少女の体を何かが覆うように一瞬淡く発光する。
「本当は『魔法』は使っちゃダメなんだけど、ねっ」
次の瞬間、少女はコンクリートの地面を力強く踏み鳴らし、目にもとまらぬスピードで駆け出していた。 華奢な少女からは想像も出来ないほどの速さ。
魔法によって格段に向上した身体能力をフルに活用し、ぐんぐん加速していく。 追い風を起こし更に加速。 周囲の景色は早送りの映像の如く流れ去る。
「次の道はたしか……角が三回」
出来れば通りたくない所である。 角を曲がるにはどうしても減速しなければならず、時間的にも身体的にも負担が大きいからだ。 しかしここ以外の道は余計回り道になってしまう。 他に道は無い。
「普通なら、だけど!」
少女は魔法を使っているのである。 道がないなら作ればいい。 例えば民家の間にある、
「塀の!」
ダンッと強く地を蹴る。
「上っ!」
高くジャンプし、2mを超える塀に飛び乗る。 その先には目指す道が見えている。
しかし、もうひとつ、上へ。
「住民の皆さんごめんなさい……!」
もう一度跳ぶ。
大きく弧を描き、屋根の上へ到達する。 ここであれば障害物は少なく、大通りまで速度を落とさずに最短距離を行くことが出来る。
このようなトンデモ行動に女の子らしさのかけらもないが、それも致し方ない。
なにせ、今日は入学式。 新しい仲間と新しい生活が待っているというのに、初日から遅刻などしては今後のメンツに関わってしまう。 遅れるわけにはいかない。
たとえちょっぴりルール違反をしてもだ。
ダンッと両足で地面を強く踏みしめ着地する。
周りの通行人が驚いた顔をしているが気にしている余裕はない。
そのまま一気に駆け抜ける。
ちらりと腕時計を見ると、残るタイムリミットは後5分。
このまま走れば入学式開始には間に合うだろう。
よかったぁ……と自然に笑みがこぼれる。
「よしあと少し! ラストスパート!!」
もう少しで学校に着く。 一体どんな人がいるんだろう、先生は怖いのかな、まだ知らない出来事がきっとたくさんあるんだろうなぁ……
様々な思いが頭の中を駆け巡る。 楽しみでたまらない。
路地を抜け、視界が左右に広がる。
だからこそなのか。
「真正面」に対する注意を怠った。
横断歩道のど真ん中につっ立っていた少年。
彼は、突っ込んでくる少女に気づく様子はなく、そして時計を見ていた少女もまた、少年に気づかず、減速せず。
一瞬の後、少年の体は宙を舞っていた。
「え?」
そしてそのまま、べしゃっと、嫌な音と共にコンクリートに打ち付けられる。
は? 何? どういうこと…………? 何が、起きて…………?
しかしそうしていても目の前で起きたことが変わるわけではない。 段々と状況を理解していく。
今自分が何をしたのかを。 何をはねたのかを。
青春の一ページでも何でもない。 ロマンチックで運命的な出会いにはほど遠い。
「あ、あ、あああッ!? どどどどうしよう!?」
今しがた全開・全力・フルスピードではね飛ばしてしまった少年はピクリとも動かない。
頭からは血があふれ、顔は真っ赤。 おまけにぶつかった際に彼は大きく、高く吹っ飛んだのである。
着地の時無事に済んだとは思えない。
「わ、わた、わたし、ひと、殺しちゃった……?」
彼の隣では二人の男女が必死に救命措置をしている。
どうしよう、どうしよう!? もし、これで助からなかったら……!
しかし、残酷にも男性は救命措置を止めてしまう。 顔にはあきらめに似た疲労が読みとれる。
少年は、動かない。
まさか……。
「あ、あの!! もう、ダメ、なんですか……?」
男性はこちらを見、目を伏せる。
「そ、んな……あ、ああ」
少女が泣きだす直前、その男性は
「いや、なんか普通に息してたわ」
「あぁやっぱり死…………え?」
何を、え? 息、してるの?
「この感じなら大丈夫だろ」
「い、いやいやいや、彼血だらけなんですけど!?」
どう見たって大丈夫じゃないですよね!?
「うーん、まあ、よくよく思えばさっきもこんな感じだったしな……」
「そうねぇ……」
「ま、まって、なんのことかさっぱり分かんない……!?」
さっき!? さっきって何!? それ今この状況より大事!?
「あー、君の気持ち、わかるよ。 うん」
「初めは受け入れられないわよねぇ、私もそうだったわ……でも大丈夫」
「だから何が!?」
二人は納得の表情をしている。 しかし先ほどが何なのか知らない少女には動揺しか与えなかった。
「というか彼見送ったらあんたちゃんと出頭するのよ?」
「そういえばそうだった……」
一方でその一言にはむしろ少女が動揺した。
ひぃぁぁぁ! そうか、やっぱりわたし捕まるんだ……!!
魔法使用はさっき程度のモノであれば本来とやかく言われることはない。 生活に於いて魔法はきわめて便利だからである。 しかしそれによって怪我人を出してしまっては別である。
……というか普通に不注意で突っ込んで怪我させてるんだから普通にアウトである。
終わった。
『――――高校生活終了のお知らせをします』
ああ、天のお告げが聞こえる……
「お嬢ちゃんは……ってどうしたの? 具合悪い?」
「そりゃあ人が血ぃ流してるわけだしな」
逆になんでそんなにおちついてるんですか……! 目の前に死にそうな人が一人いるんですけど!
「あぁ……きっと明日の新聞に『十五歳少女、入学式の日に男性一人を重症』とか載るんだ……楽しい学園生活のはずが悲しい刑務所生活に……」
心の声がダダ漏れなのにも気づかない。
――――なにが悲しくて入学初日に犯罪者になるというのだろうか。 泣きたい。
「なに言ってるのよ? そりゃあ警察で事情は話さないといけないでしょうけど、刑務所になんて入らないわよ」
「えぇっ!? なんでっ?」
実際ちょっと涙目になっていたところで思ってもみなかったことを言われる。
「状況が状況だからねぇ。 ケガはほとんどこの人のせいだし」
「おい。 嬢ちゃんの時も結構ふっ飛んでたんだが」
「うるさいわねぇ、男ならだまって罪背負いなさいよ!」
「理不尽すぎる!?」
「まあどっちにしたってだいじょーぶよ。 私が保証する」
その自信と根拠は一体どこからきてるんですか……?
その時の女性のドヤ顔はやたらと印象的だった。
◇ ◇ ◇ ◇
その日の少女の日記より――――
その後すぐ救急車が来て少年は運ばれていき、わたしと男性は警察でみっちり事情聴取を受けました。実際、厳重注意で捕まんなかったです。
結局入学式には遅刻どころか欠席することになってしまったので、今後の学校生活は大きな不安とともにスタートすることになってしまいました。
追記
そういえば彼の服、うちの高校のだったなぁ……。