20:魔女
「………て……でん……」
「いそい………はやく……」
う……ん……な、んだっけ……
柔らかいものが触れる感触。
すーっと息が軽くなる。
朦朧とした意識が徐々に鮮明になっていく。
「えー……っと?」
目の前に早乙女の顔があった。
すっと唇が重ねられる。
「んむ!!!???」
ななな何がなんでどうしてどういう!!!???
ぱっと二人の目が合う。
「あ、起きた」
「W、What were you doing just now...?」
「Um...........Kiss?」
「Oh........ぇえええええええごっはぁ!!」
「ちょっと、無理しちゃダメだよ。 さっきまで死にかけてたんだから。 ……もっかいしよっか?」
「ごえっふぇっがッ……!?」
「ちょっ詩織さんっ! それではあまりにストレートすぎます!! 人工呼吸をしていたんです! あなたがいつまで経っても起きないから! さっきまで息してませんでしたのよ?」
そ、そうだったのか……本当に死に掛けていたとは……。 てっきり結婚詐欺の簡略化版かと思ったよ……
「む、無理しないでください……!」
ん……? 今の声は……?
頭の方で声がする。 その声の主の顔は見えない。 体を動かそうにも痛すぎてやるだけ無駄だった。
でもこの声は……
「まだ応急処置の段階なんですっ! ていうかなんで意識あるんですか!?」
しょうがないでしょ、目ぇ覚ましちゃったんだもん。 それよりも――――――
「え? 一之、瀬さん? な、んで?」
「回復魔法をかけます! 黙って!」
喋らない喋らない、と早乙女になだめられる。
あ、あなたのが一番効いてるんですけどねぇ……
ポワ……と淡い光に包まれたかと思えば、呼吸なりその他諸々非常に楽になった。
首を横に向けると、九条が【糸】を今度は祐の体全体を覆うようにするする巻いていた。 包帯の代わりなのだろうか。 九条の目にはもう涙は無く、慎重に丁寧に糸を操作する。
結果、固定されたところは余計な負担がかからず、楽な姿勢を維持できているのだった。
【糸】は使用者から伸びており、比較的形を維持しやすい。 元の形状が糸なだけ、より簡単なんだとか。
ただ、それはあくまで糸の維持だけを考えた時の話であり、精密な操作や魔力を少しづつ消費し続けること、そもそも発動するのが難しいなど、中級者向けの魔法である。
流石は九条さんといったとこか。
だがそれ以上に―――――――
無音詠唱――――――。 起句すら言わず発動する、間違いなく、上級技術である。
九条さんも初歩魔法の火球でやって見せた技だ。 術式と同じく出来る人は少ない。
これだけでも十分に驚くべきことなのだが、加えて回復魔法は三年になってから教わる高難易度の魔法だ。
今の三年でもどれだけの人が出来るか分からない。 それを現段階で無音でやるだなんて。
すごい……。 一之瀬さんってここまで凄い子だったのか。 この学校卒業出来るぞ。
「すごーぃ……」
「喋らない!!」
すみません……。
九条と早乙女へ目を向ける。 二人はあれ以降大きなケガはしていないようだ。
早乙女の足に関しては少し心配だけれど、僕みたいに動けないほどではないようだし、良かった。
「あっ……!?」
九条が突然声をあげる。 その声には危険の色が滲んでいる。
彼女の見ている方向は見ることが出来ない。 ただ、なにか良くないことが起きているのだろう。
これ以上何があるんだ!? もう動けないっていうのに! 一体何が……
「まだ一羽残ってたのか」
早乙女の今の言葉。 「一羽」ということは、
「ま、だ、アルミ、ラージが!?」
「動かないで」
一之瀬に窘められる。
「逃げたのは全部で四羽なの。 他の三羽は…………殺してしまった?」
「「「…………」」」
誰も答えない。 今いる一羽はおそらく天井の崩落に巻き込まれた個体だろう。
他の三羽はもう――――――。
「そう……。 ううん、あなたたちを責めてるわけじゃないの。 それは仕方なかったことだから」
二人が息を呑むのが分かる。
ここからは見えないが、おそらくアルミラージが発射態勢に入った。
「でも、でもね」
「沙月……!!」
「危ないですの!! 逃げて!!」
ダメだ、全く動けない!!
バンッと何度も聞いた強打音がホールに響く。
祐達はまだ誰も十全な状態にはない。
あの攻撃を初見じゃまずい……!!
再び緊迫した空気の中、微かな変化が訪れる。
―――――――その時、風が吹いた。
優しく、柔らかく、包み込むかのような吐息。
怒りも悲しみも受け止めて。
「助けられなくて、ごめんね……」
そっと、アルミラージを抱きしめた。
相手に自分の姿を重ね、相手の気持ちに寄り添おうとする。
……姿は見えないけれど。 その声音も、身に纏った気品も、
まるで「聖女」のようであった―――――――
暫くの間誰も、なにも、音を立てることはなく。
静かな、慈しみの時間が流れていく。
「きゅるるる……」
「あっ、ちょっと、こら、止め……ふふっ……」
ウサギの甘い声が聞こえる。
警戒を解いた!? 一之瀬さんに、懐いた……!? あんなに苦労したウサギをいとも簡単に……
アルミラージは一説には魔女だけが手懐けられるといわれている。
先の回復魔法からも分かるように、彼女の魔法の才能はまさしく魔女と揶揄できるだろう。
聖女と呼ばれる魔女。 なんとも不思議な巡り合わせである。
「きゃっ!?」
一之瀬の小さな悲鳴と同時、カッと躓くような擦れ音がする。
なんだろう、確認する間もなく彼女の後ろ姿が頭上を横切り。
――――――出来事とはいつも突然起こるものである。
その時祐は何故か某テレビゲームのキャラクターの技を思い出していた。
物理法則を無視した、アレ。
そしてそのまま、とどめのヒップドロップが祐の腹部を強打した。
こんなこと、前にも、あったような気が―――――――
祐の意識はそこで途切れた。
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「いったたぁ……」
あんまりにもじゃれつくのでうっかり躓いてしまった。
しかも倒れる瞬間、いきなりアルミラージが腕から飛び出したのである。
それは丁度腰の辺りを蹴っており、真下へ叩きつける形となる。
勢いよく押し出された結果、思いっきりお尻から落ちてしまった。
でもそこまでお尻は痛くなかった。 場合によっては骨折もあり得るような力であったはずなのだけれど。
なんかこの床柔らかいような……?
目線を下せば、そこには男の子が寝転がっていた。
徐々に状況を理解していく。
「はうわわわわぁ!?」
私はその人と向き合うような姿勢で座っていた。 スカートは捲れ、中は丸見えの状態。
「っ―――――!!」
ばっと裾を抑え、勢いあまってぼすっと殴ってしまった。
「ぐふっ」
「あああお腹殴っちゃったごめんなさいぃぃ!!」
しかし彼はこちらを向いていなかったらしい。 あぁ、見られてないんだよかった。
……じゃなくて!
頭を両手で挟み顔をこちらへ向ける。
瞳は閉じられ意識がない。
「あああ!? どどどどおしようぅ!?」
あああああまたやっちゃったよぉぉぉぉ!!
「……沙月、とりあえず降りたら?」
「なんか、如何わしいですわね……」
「っ――――!!」
さっと立ち上がる。
私が彼を押し倒しているような格好だったのである。
さっき私は両手で彼の顔を挟み、自分の顔を近づけて、まるで、き、キ―――――――
「ぅぅぅ……」
「……しょうがない、ホントにもっかいしようか」
しようか、とは人工呼吸の事だろう。 つまり……
詩織ちゃんの顔がゆっくりと彼の顔に近づいていく。
そして唇を―――――――
「あ、普通に息してるね」
「してるのね!?」
よく考えればお腹殴っちゃった時声出てたよね!
はぁぁぁ、また迷惑かけちゃった……まだこの前のことも謝れてないのに!
「童話みたいにキスしたら目覚めたりして」
「実際さっき起きましたわね。全くロマンチックではありませんでしたけど」
「な、なんでそんな落ち着いてるの!?」
重症患者を目の前にしてする反応ではない。 自分のことは棚に上げてそう思う。
「いや……だって、ねぇ?」
「あんなことがあった後ですものね……まぁあなたの気持ちも分かりますわ。 私があなたの立場なら同じ反応を示したでしょうし」
「え、えぇ……?」
……しかしいざ冷静になってみると、なかなかどうして現状が辛い。
犯罪を犯した人が捕まる前に罪を重ねたような状況とでも言えばいいのだろうか。
今回の件、私があと少し早く着いていれば、彼らはケガをすることはなかったかもしれない。 アルミラージも無事に捕獲できたかもしれない。
そもそも、飼育小屋から逃げ出すことがなければ、こんな事にはならなかったのに。
確かに私が行った時には既に小屋の戸は開け放たれていた。 でもそれは言い訳でしかない。
あそこを担当していたのは紛れもなく私なのだから。
そして、前回の事に続いて、また彼に迷惑を……いや、被害をかけてしまった。
「……詩織ちゃん、救急車呼んでもらえる?」
「ああ、それなら私が手配いたしますわ」
「うん、お願い……」
私は立ち上がり出口へ向かう。
やはり一度ちゃんと謝らないといけない。 謝ったその後は、もう―――――――――




