糸
「早乙女さん……!! まだ逃げてなかったの!?」
「さっきまで上であの子たち捌いてたんだ。 というか助けられてそれはないんじゃないかな?」
「あぁ……うん、ごめん。 助かったよ」
吹っ飛んだウサギは地面を転がった後、動かなくなっている。
今の一撃、早乙女さんならあのウサギたちを倒せるかもしれない、そう思ったのだが。
「っ足が……!」
「至近距離なら倒せるんだけど、ね。 ちょっとあの速さは厳しいかな」
彼女は足にケガをしていた。 緩慢な動きで近づいてくる。
ある程度まで来たところで早乙女はその場に片膝をついてしゃがみ込んでしまう。
「早乙女さん!! ちょっと、大丈夫!?」
足からは未だ血が流れている。 観客席からも所々血痕が残っていた。
「うーん、あんまり大丈夫じゃないけど、自分の身くらいは守れるよ」
それよりも九条を守ってと言いたいのだろう。
だがどれくらいのケガか分からない以上、彼女のことも放ってはおけない。
「……分かった、でも無理して呼び寄せたりしないでね?」
「……君に言われたくなかったなぁ」
だからなんとかしてウサギとの決着をつける必要がある。
とは言ってもどうしたものか……。
あれ? そういえばこれだけ会話してるのに一度も襲って来なかったの、なんでだ……?
残った二羽は遠巻きに様子を窺っている。
そうか、仲間を一撃で倒した早乙女さんを警戒してるのか。
警戒して避けるか、座り込んでしまった彼女に仇をとりにくるか。
祐も迂闊に動くことが出来ない。
どうしたものかと思案する。
その時だった。 一羽が発射態勢に入る。
その狙いは。
「九条さんっ!!」
走りだそうと足に力を込める。 溜めの時間があるからギリギリ間に合うはずであった。
しかし発射されようとして――――――――ぐるっと、突如体の向きを変えた。
「なっ!?」
フェイント……!?
早乙女に一直線に吸い込まれていく。
今の早乙女は九条となんら置かれた状況に変わりはない。
避けることは、叶わない。
だからといって走りだそうとしていた今の体勢では間に合わない。
だから必死に手を伸ばす。
しかし―――――
とど、かない……!!
絶望的状況で。
「早乙女さ――――――」
「だから、自分の身は守れるって」
すっと拳を振り上げ。
「言ったでしょ」
全力の裏拳をウサギにぶち込んだ。
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吹っ飛ばされ地面を何回か跳ねた後、二羽目は動かなくなった。
居合切りのような一撃を放った早乙女さん。 自分の勢いをそのままにぶん殴られたのだから、撃ちこまれたウサギはひとたまりもない。
カウンター狙いの待ちスタイルになると途轍もなく強いなこの人……!
文学少女とはまるでかけ離れたその姿に戦慄する。
『ブッ、ブブ……敷地内にいる者は全員今すぐ安全な場所へ避難しなさい! 魔獣が脱走しました! ツノの生えたウサギ、アルミラージです! 焦らず、見つけても近寄らず――――――――』
放送が入った!? 誰かが伝えてくれたのか……!! ならあともう少し、もう少しで助けが来る……!
――――――学習しないのかと罵られても仕方がないだろう。
一瞬の気のゆるみ。 今日何度目かも分からない同じ過ちをまたしていた。
「茂上君!!!」
「危ないッ―――――!!」
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「危ないッ―――――!!」
彼は間一髪でウサギを避ける。
よかった、心からそう思う。
でも、気づいてしまった。
「あ……」
声を、発してしまった。
女子特有の高い声を、大声で。
喋るなと言われてたのに。
しかもそれを今身動きの取れないこの状況で、発してしまった。
一羽と目が合う。
詩織さんが倒したと思っていた一羽。 まだ生きていた。
狙いが定まる。
標的は私。 もう誰も守ってくれていない私。
正面から一直線にアルミラージが跳んでくる。
「九条さんッ!!」
九条はその時、死を覚悟した。 避けられない、と。
悲しいこと、楽しいこと、今まで色々な事があって。 皆と一緒にこれからも色々なことがあるものだと思っていた。 信じて疑わなかった。 もっと、もっと、もっとたくさんの事がしたかった。
自然と涙が零れ出す。
走馬灯が頭の中を駆け巡る。
初めて魔法が成功した日のこと。
他の大企業との会談に参加した時のこと。
海外で会合を開いたこと。
一之瀬さんと初めて会った日のこと。
彼女に決闘を申し込んだ時のこと。
忘れられないあの日のこと―――――
こんな簡単に、死にたくない……!
然るべき痛みに備え、目を強く瞑る。
……しかしいつまでたっても予期した痛みは襲ってこなかった。 そっと目を開ける。
視界の中央には殺す意志を持った生物が見える。
でも、鼻先数センチのところで角は止まっていた。
止められていた。
「っぁ……!! はぁっ……! はぁ……ッ!!」
死んでない。 私はまだ、死んでない。 生きてる。
茂上祐がいつの間にか目の前にいる。 引きずられるような格好でウサギにしがみついている。
あと一歩遅ければ私はもうこの世に居なかっただろう。
彼のその両手にはしっかりと角が握られている。
彼があのウサギを止めたのだ。 鉄板をも撃ち貫くようなものを、素手で抑えきったのだ。
衝撃で袖はボロボロになっている。
そしてそれ以上に彼自身が痛ましいほどにボロボロだった。
私を庇って傷を負って、それでもなお逃げずに私を庇い続ける。
「ぁぁああッてえぇこのッ!!」
苦悶に顔をゆがめ、受け止めた両手は血にまみれ、苦痛の声は私の心に鋭く刺さる。
「今度こそ!! 早乙女さん!!」
ツノを引っ掴んだまま大きく振り回し、詩織さんに向かって投げつける。
大きく弧を描いてウサギは飛んでいく。
詩織さんの鋭い一撃。
そのまま地面に叩きつけられたウサギは何度か痙攣したあと、動かなくなった。
――――――――今の私は、なんだ?
彼は知り合って間もない私を庇って血だらけになり。
他の者たちを逃がすために指示を飛ばし続ける者もいて。
生徒たちは皆生きるために必死になっている。
その中にはアルミラージをなんとかしようと奮闘する者もいた。
――――――――そんな中で、私は、なんだ?
広い空間の中心で、独り机に縛られ、狂気し叫び、滑稽な姿で、ただ座っている。
守られるだけで、何もしていない。
――――――――今の私は、なんだ? 今の私に何が出来る?
「私は――――――――」
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両腕が千切れるように痛い。 出血で既に両腕とも真っ赤に染まり、だんだんと感覚も無くなってきた。
「あと一体……!」
正直無理がある。 さっき宣言した三十秒はもうとっくに過ぎており、まだ頑張っていることを褒めたいくらいだ。
助けがくるまで持つか分からない。 持たせるしかないのだけれども。
「腕が……!」
「大丈夫だよ、致命傷じゃないから」
九条は僕の左腕を見て顔を青くする。
さっきウサギを止めた時思った以上に無理をしていたらしく、特に左腕が酷い状態だった。
既に痛みはよく分からなくなっているが、おそらく折れていると判断した。
左腕はもはや使い物にならなさそうだった。
「右腕でどこまで出来るかな……」
「もう、いいです! 止めて! これ以上はあなたが……!!」
「え、やだよ」
祐は即答で返す。
何を言い出すかと思えばそんなことか。
「や、やだとかそういう問題ではありません! 死んでしまいますわよ!?」
「でも、止めたら九条さん死んじゃうよね?」
「そっ……れは……」
九条は言葉に詰まる。
九条さんの言いたいことは分かるが。
心配をしてくれている、それだけでも十分だ。
生憎、昔から死にそうなことには慣れっこなのだ。 その辺の恐怖や何やらはもう麻痺している。
「それに大丈夫。 僕はまだ、死んでないよ」
「それで死んだら元も子もありません!! どうして、そこまで……!!」
悲痛な叫び。
それは命を投げ出す覚悟の声か、命の助けを呼ぶ声か。
どちらであっても祐のやることに変わりはない。
――――――――だから、そんなこと思わなくていい。
「僕もあなたも、死にたいだなんて思っちゃいない。 誰もそんなこと思ってない」
だから。
「助けを求められたら手を伸ばす。 助けられるなら手を伸ばす。 時にはどうしようもない時だってあるさ。 でも、助かる可能性が少しでもあるのなら、その手はきっと離さない。 腕が使えないなら足を使えばいい。 足も使えないなら声で助けを呼び続ければいい。 だから、」
だから。
「だから死ぬその時まで、生きてることを噛み締めて。 自分の生を手離さないで」
偽善でも自己満足でもなんでもいい。 それが今僕のやりたいこと、それが僕の信念だから。
九条はぽろぽろと涙を流す。
助けはまだ来ない。 これ以上の持久戦が難しいなら、やっぱりぶっ倒すしかないだろう。
するする……っと、何かが左腕に巻き付いてくる。 次第に厚みを増していき、ぶらぶらと揺られ放題だった左腕はその位置を確かなものにしていく。
固定具のようにしっかりと固められた腕は多少であれば動きそうだった。
これは……?
「【糸】……これが、私にできる精一杯です……! こんなことしか出来ないけれど、でも、だから……!!」
一拍置いて。
「絶対に死なないで!!」
彼女は叫ぶ。
「はは、もちろん。 約束するよ」
―――――――なんの根拠も無い約束だけど。
祐は自信たっぷりに言い放った。
―――
――――――――
三羽目は既に二羽やられたからか、まだ動かない。
このままじっとしていてくれればという思いはすぐに潰えた。
ウサギはぐっと発射態勢に移る。
左腕が少し動くとは言っても、あの速さに対応できる程ではない。
しかし、持久戦を捨てるなら、受け流しではなく受け止めなければならない。
左腕をこんな風にしたあれをもう一回だ。
やってやれないことはない、と思う。
今の祐に早乙女のような突破力は無い。
出来そうなことといったら受け止めたのを早乙女に投げることくらいしかない。
ただ、両腕骨折の道まっしぐらは流石に気が引ける。 その辺りに関しては【糸】と最新の医療技術に期待しているが、左腕に至っては最悪分離もあり得るだけに他の方法が欲しいところ。
最後の一羽が発射される。
しかし構えていた正面には跳んで来なかった。
「横に跳んだ……!」
一歩ごとに加速し、次の壁へ。 また次の壁へ。
ホール全体をピンボールのように跳ね回り、スピードを上げていく。
砂煙と壁の破砕音でホールが満たされる。
「立ち止まってちゃダメだ! 逃げて!」
既に目で追い切れなくなりつつある。
このままでは気づいた時には最早手遅れな状況に陥ってしまうだろう。
「仕方ない、もうちょっと頑張るか……」
めちゃ疲れるんだよなぁと、今まさに死に瀕している者の思考とは思えない考えがよぎる。
刹那の間に、ウサギの姿が真下に映る。
身を反らした瞬間、何かが目の前を通り過ぎていった。
衝撃が体を襲う。
まず倒し方思いついてないし……。
うーん、あの速度じゃ受け止められないなぁ……!
「避けた!? いやでも……!」
「なぜ逃げないのです!? 電流は嫌がるくせに!」
そうは言ってもなぁ、逃げたら僕狙わなくなっちゃうかもしれないじゃん!
そしたら動けない二人、まずいじゃん!?
横へ大きく跳ぶ。 また下からの突き上げ。 先ほどより狙いが正確になってきている。
どうすればいい? どうすれば倒せる?
どうすればこちらに注意を引ける?
……どうして今注意を引けているんだ?
今は祐ばかりが狙われている。
早乙女は危険を避ける理由から納得できるが、九条へ向かわない理由は何なのか。
そんなことを考える余裕はないことは分かっていたが、そこにヒントがある気がしてならなかった。
「できるだけでいいですから! 無理はしないでくださいまし!」
「できるだけ……無理をしない……? ……あ」
複数の獲物を相手取る場合、戦闘ができないものを重点的に攻めるより、他に戦える相手を先に倒す方が危険が少ない。
相手の方が上手ならば逃げるという選択肢もあるだろう。
ただ、強い相手と戦わなくてもいいのなら、他を倒す価値はある。
強すぎず、また弱すぎない敵を討つ。
つまり、可能な限り最大の危険の排除。
動けない早乙女ではなく、戦えない九条でもない。
祐の排除。
「九条さん、ひとつやってほしい事があるんだ」
「……なんですの?」
――
――――――
簡潔に説明したあと、意見を待たず祐は走り出す。
二人を見捨てるわけじゃない。 見捨てるほどの時間はない。
ひとつだけ、解決法が思い浮かんだ。 それは賭けですらない。 高確率で死にそうだ。
でも、生き返る見込みはある。
九条と祐の間に糸が延びていく。
今からやることは距離がいる。
あまり時間をかければ二人に標的が移る可能性もある。
だから祐を狙っている今しかない。
「だったら次で……!!」
壁近くまでやって来た。 大体5mほど離れているだろうか。
これでウサギからしてみれば壁から至近距離で突撃ができる。
来た……!!
正面の壁にウサギが回り込む。
もちろんこれは誘いだ。 壁から真っすぐ突っ込ませるための罠。
ウサギは壁を蹴り、突っ込んでくる。
「引いて!!」
―――――しかし、その突撃は祐を狙ったものではなかった。
僕の足元へ移動するために行った、偽物の攻撃。
攻撃のタイミングをずらし、構えた隙を突く、相手の作戦だった。
当たる手前で地面を蹴り、上への推進力へと変換される。
―――――相手は誘いだということに気づいていたのだろうか。
だから変わらずもう一度正面下から突き上げ。
そう思わせてからの、「突き上げない」。
「そんな気がしてたよ」
九条さんに頼んだこと。 それは次のウサギの攻撃の時、思いっきり糸を引き戻して欲しいというものだった。
突き上げず、前のめりに突っ込んできた最後の一体。
糸に引かれ後ろに大きく跳び、半身の姿勢で直撃を避ける。
力を受け流すように体を限界まで捻るも、その勢いに体は遠慮なく吹っ飛ばされ。
地に着いた足はその勢いのまま擦られ摩擦が生じ、火傷しそうなほど熱くなる。
左腕が悲鳴をあげる。 右腕も足も、全身が限界突破を訴えている。
でも、これで最後だから。 あとほんの一瞬だけ――――――
無理矢理軌道を下へ修正する。 狙うはただひとつ。
「ちゃんと蘇生してねーーーーーー!!!」
ある意味で遺言を残しつつ、ツノを電流机に突き立てた。




